ばんえいウマ娘、北の大地を駆ける 作:mzk_arachne
──44──
「まずは最大の目標を確認しておこうか。スノウ君、イレネー記念には出るかい?」
イレネー記念は、ジュニア級三冠競争の最後の一冠にして、ジュニア級では唯一のBGⅠレース。ジュニア級最強を決めるレースです。
模擬レースで胸を貸してもらったライジンムーン先輩が、去年優勝したレースでもあります。
最近は勝ちがないですが、あたしの出走資格に問題はない筈です。ローカルシリーズであるばんえい競バは、勝たないとクラスが上がらないトゥインクルシリーズとは違って、5着以内であればクラス分けや出走資格に関わってくる収得賞金が積み上がります。もっとも1着と5着では、賞金額の差が雲泥の差ですけれども。
体の方にも目立った不調や故障はありません。
ならば、出ない、目指さない理由がありません。
あたしは、食べ掛けのお汁粉を机に置いて、力強く答えました。セントラルヒーティングの温水ヒーターの上に放置して温めたメジロマックイーンコラボ仕様のお汁粉缶をマグカップに開けて、トレーナー室にあるトースターで焼いた餅を放り込んだ即席お汁粉はドロリと甘く絡みつく。
「でまひゅ!」
「ああ、飲み込んでからでいいよ。聞いたタイミングが悪かったな」
トレーナーさんがポリポリと頭を掻きます。
ばんえいウマ娘のハイパワーでつかれたお餅は、日を置いても、もにゅもにゅと良い弾力。グラムさんと一緒に行った大餅つき大会で貰った餅の残り物です。
こういう時に限って、なかなか噛み切れない餅をやっと飲みこんでから、あらためて、
「出ます」
「出よう」
そういう事になりました。
面持ちは真剣なのですが、如何せん、先ほどのお汁粉の所為で部屋の中から真面目な雰囲気は消えています。
「さて、ではそこまでのスケジュール調整といこうか。イレネー記念の開催は三月九日。まだ三が日も終わったばかりの今から直行するとなると、二ヶ月も開いてしまう。トレーニングはたっぷり出来るだろうけど、大事なレース勘が鈍ってしまうだろうから、ここから直行するのは無しだと思う」
新しくなったカレンダーを、ペンのお尻でトントンと突つきながらのトレーナーさん。
あたしは頷きました。
「そうですね、それだけレース無しはなんか鈍っちゃいそうです。それに、もっと走りたいです」
模擬レースは出来ますが、やはり本物のレースと似てはいますが違うのです。
トレーナーさんがペラリとカレンダーをめくれば、現れる二月。
「そこでだ。先日取り損ねたGⅡを取りに行く、というのはどうだろうか?」
ペン先がカレンダーの上を走り、二月上旬あたりに大きな丸を描きます。
「翔雲賞と黒ユリ賞、二つのGⅡレースが一週間おきに設定されている。三冠ではないけれど、立派にGⅡだ。どうせならジュニア級の各グレードの優勝レイを取りこぼさないよう、いけるところはいこうじゃないか」
トレーナーさんの悪戯げな視線が投げかけられます。
今のところ、あたしはGⅢ勝者でしかないですからね。それがGⅡ勝者にランクアップするのは正直面白いです。GⅡ優勝レイを首にかけた自分を想像してみますが、これはだいぶ輝いてるんじゃないでしょうか。
それにしても、ずいぶんと欲が深いというか、トレーナーさんは意外に肉食系だったんですね。
「肉食系上等じゃないか」
トレーナーさんが肩をすくめます。
「世の中を渡るなら頭を下げる謙虚さは必要だけど、勝利の味は齧りつかないと味わえないのだったら遠慮なんかしていられない。顔を上げて、ぶら下げられた勝ちに、思いっきりガブリと喰らいついていこう」
翔雲賞と黒ユリ賞、共にあたしが4着に敗れたヤングチャンピオンシップと同じグレードのBGⅡ。
黒ユリ賞は半世紀近い歴史のある由緒あるレースです。基礎ばんえい重量は3200kg。
翔雲賞は近年創設されたばかりのレースで、基礎ばんえい重量は黒ユリ賞と同じく3200kg。黒ユリ賞の一週間前に開催されます。グレードも条件も同じですが、日程的にどちらかにしか出走できない。
そして、二月上旬あたりからであれば、そこからイレネー記念までの間隔は概ね一ヶ月になります。回復させるには十分な余裕があります。
ふむふむ……。
カレンダーを眺めること、しばし。そして、意を決して、きっぱりと言いました。
「トレーナーさん。黒ユリ賞に出ましょう」
「理由を聞かせてもらえるかな?」
「翔雲賞に出ると、イレネー記念との間が中途半端に長いです。気分的に一戦挟みたいところですが、間隔が詰まり過ぎになっちゃうのでGⅠ前にそれはキツそうです。黒ユリ賞であれば無駄なく納まりますし、それに……」
ここからが本番。
トレーナーさんの眼を見て、はっきりと言いました。
「今から黒ユリ賞でしたら、間に一戦、挟めます。いえ、挟みたいです」
トレーニングを積んだことで力の使い方も上手くなってきた。刻む時の息の入れ方を改善できる兆しがある。言葉にするのは難しいけれど、何かを掴んだ感じがある。
それになにより、身体を震わせるのは、走りたいという胸を突き上げる衝動。
自分を試したい。
走りたい。
そんな半分くらいはあたしの我儘にも近いようなスケジュール案を、拍子抜けなほどあっさりとトレーナーさんは了承してくれました。
「止めないんですね」
「好きなように走り、好きなように曳いて、好きなように勝負する。誰のためでもなく……ただ自分のために。軽種でも重種でも、それはウマ娘の本能だろう。スノウ君が調子を崩しそうだったり本来の目的に影響が出るようなら話は変わるけど、そうでないのであれば、抑えるべきじゃない。それにレースでの経験値はトレーニングでは得難いものだ。僕としても、レース経験は出来るだけ積んでもらいたい」
ふむ、とトレーナーさんは顎を撫でて、ニッと笑いました。トレーナーさんはあまり華やかな容姿の人ではありませんが、こうしてたまに見せる油断した笑顔は意外に無邪気でカワイイと言うか。
「しかし、スノウ君がただトレーナーの言葉に従うだけの選手ではなくなってきてくれたようで、嬉しいよ。なんだかんだ言ったところで、僕はウマ娘ではない。君らを衝き動かすものは感じ取れないし、本当の意味では理解できない。で、あればこそ、ウマ娘とトレーナーは絆を密にし、互いを理解して二人三脚で進むべきである……僕が師匠から教わったことだ。互いのコミュニケーション無くして絆も無いもんだ」
再びペンでトントンとカレンダーを突っつくトレーナーさん。
その目は真剣で、あたしの意見をどう叶えるか、様々な事象を計算に入れて思考しているのが伺えます。
「疲労回復と調整から逆算すると……次走は一月中旬のAクラス戦か特別競走、だな。前走から三週間。次走の黒ユリ賞まで三週間。これくらいならスノウ君は無理なく回復と調整がこなせる。これが二週間隔となると、いけなくはないが疲労残りが怖い」
トレーナーさんは、あたしに向き直りました。
その眼に宿る光は強く、けして担当バの意見にただ流されたのではなく、明確な意思を持っての選択と判断だと分かります。
これ以上の無理を言おうものなら、即座に拒否されるでしょう。
「このスケジュールで良いなら、出走の調整に入る」
あたしは、その言葉と意志に、はっきりと力強く返しました。
「はい!お願いします!」