ばんえいウマ娘、北の大地を駆ける 作:mzk_arachne
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BGⅡ黒ユリ賞を勝利で飾った後、無理をせずに集中的に休んだおかげで、ようやく体が回復傾向に乗ってきました。
次走であるイレネー記念まで三週間を切っています。
イレネー記念は、デビュー初年度のジュニア級の最強を決める競走。ジュニア級三冠の最後の一冠。ばんえいウマ娘王国である十勝の歴史を受け継ぐ伝統の一戦です。グレードは、ばんえい競バの最高峰であるBGⅠに格付けされています。
自然、心は逸ります。
焦っても意味はないと分かってはいても、今すぐやらなければならないもっと頑張らないといけない、と思ってしまう。誰が出走してくるのかを考えると、何もかもが足りていないと思えてしまう。
十分な休養は得ました。今のところ目立った怪我や不調はありません。全身あちこち軽く疼くような筋肉痛に、手も足もテーピング塗れなのは、いつもの事です。
そのジュニア級最高峰のレースに向けて、ここから出来る限りのトレーニングを積み、コースに立つ時に最高のコンディションであるように持っていくよう鍛錬と調整の日々が待ち構えています。
「では、ロードワーク行ってきます」
「スノウ君も分かってるとは思うけど、念のため。ここ最近暖かいから日中は少し路面が解けてるけど、日陰は凍ってる。スリップには十分に注意するように」
「はい、気を付けます!……トレーナーさん、大丈夫ですか?」
最近、トレーナーさんは妙に元気がない気がします。
正確に言えば、元気はあるようには見えるのですが、影が薄くなっていると言うか、生命力が薄っぺらくなってきていると言うか。
あたしのトレーニングが終わってからも、かなり遅くまでトレーナー室に残っている様子がありますし、トレーナー室のゴミ箱に入っている栄養ドリンクの空き瓶の本数が増えているような気もします。
「まぁ最近は何かと立て込んでいるから疲れ気味であるのは確かかな。でも、大したことはないよ。僕もスノウ君も初めてのGⅠ挑戦だ。これ以上ないくらいに準備しておかなければいけない。それに、スノウ君が練習しているのに、僕だけゆっくり休んでいる訳にはいかないからね」
そう言って、軽く笑いました。
そう言われてしまえば、あたしはそれ以上は追及するわけにもいかずです。
トレーナーさんは大人ですし、トレーナーだから自分の体調管理も大丈夫だろう、と自分を納得させました。
何かがおかしいのですが、確証の無いぼんやりとした気配程度でしかないので、誤魔化されてしまいます。
歯痒い。
ですが、それを解決する方法はない。だったら、あたしは自分のやるべき事をきっちりやって答えを出して、トレーナーさんへの負担を減らすしかないでしょう。仮に全てがあたしの気の迷いや勘違いだったとしても、そうするのは損にはならない筈。
シューズの底をチェックし、しっかりと刻み蹄鉄の溝が残っているか、取り付けが緩んでいないかを確認。
あたし達ばんえいウマ娘は重いですからね。下手に転んで、一般の人を巻き込んだら大変です。こちらは無事でしょうけど、あちらからすれば中身入りの大型冷蔵庫にでも潰される感じでしょうか。
トレーナーさんが言われたように、日中はそこそこ気温が上がるようになってきていて陽が当たると路面やアスファルト上にへばりついた氷が解けるようになってきました。素直にそれが解けて消えてくれれば楽なのですが、そんな訳はなく。
流れた雪解け水ならぬ氷解け水は、ちょっと冷えるとまたすぐに凍り付きます。そうすると、うっすらと路面に氷が膜を貼ったアイスバーンの出来上がりです。
これが厄介なのです。最近は、ロードワークに非常に気を遣う日が続いています。
とは言っても、トレーニングメニューからランニングを欠かすわけにはいきません。勿論トレーニングルームにはランニングマシンがありますが数に限りがあるので、いつでも使えるわけではありません。
ばんえい競バはパワー勝負のレースとは言っても、その選手にはランニングも大切です。
ばんえいウマ娘ですと筋力を追い求めて筋トレばかりと思われがちですが、そのパワーの源は心肺機能です。有酸素運動であるランニングで不要な脂肪を燃やし、また心肺機能を向上させるにはとても大切なのです。筋トレとランニングは互いに支え合う関係で、車輪の両輪と言っても良いでしょう。
平地競争を走る軽種のウマ娘さん達ほど速く走れはしませんが、ばんえいウマ娘もウマ娘。けして鈍重ではないのです。
この時期、路面の不規則な凍結に加えて、他にも理由があり校外のランニングは大変です。
路肩に設置されているウマ娘専用レーンが、車道から退かした雪で埋もれており、たまに雪の小山と化して立ちはだかっている場合があるからです。そういう時は速度を落として、歩道に入らざるを得ません。油断して車道に出ると危ないので注意するよう、トレーナーさんや先輩方から入念に指導を受けています。
今も歩道に残る根雪をザッカザッカと蹄鉄で蹴り飛ばしながら、道行く人を跳ね飛ばさないように速度を落としてランニングです。
せいぜいジョギング程度のスピードとは言え、ばんえいウマ娘の体重でぶつかると人間は大抵吹っ飛びます。
そうして、スピードを落として、周りに注意しながら走っていたおかげでしょう。道沿いにある名前も知らない小さな公園に、知った顔を見つけられたのは。
緩くウェーブして広がる豪奢な芦毛。バランスよく厚い、立派な体躯。
クインルゴサローズさん。
と、彼女を取り巻く何人もの子供達。
小さな公園の真ん中で、両腕を曲げて上げるダブルバイセップスのポージングを決めるクインルゴサローズさんがいました。ボディビル会場でもありませんし、何をしているんでしょうか?
ただ、ボディビル会場と言えなくもない様子でしたが。両腕を曲げて拳を上げ、手首を捻って力こぶを出したダブルバイセップスのポーズのクインルゴサローズさんを、観客めいた様子で子供達が取り囲んでいます。足りないものは掛け声でしょうか。
ここからですとよく見えませんが、おそらくは彼女の広背筋にも力が漲り、内側から押し出した筋肉でパンパンにジャージが張り詰めているでしょう。子供達がその様に引いた感じはありません。むしろ期待が見られます。
「さぁ!おいでなさぁい」
クインルゴサローズさんの号令と同時に、ワッとばかりに子供達が飛びかかりました。
我先にと飛びかかった子供達は、クインルゴサローズさんの身体中のあちこちにしがみつき、
「おーほっほっほっほっ!」
クインルゴサローズさんは、子供を貼り付かせたまま、その場でグルグルとフィギュアスケートのスピンのように回転を始めました。
「……えっ?!」
あまりの予想外の動きに、顎が落ちるかと思いました。
高笑いをBGMに回る即席メリーゴーラウンドが回転を重ねていくたびに、甲高い楽しそうな悲鳴を上げながら、しがみ付いていた子供達が公園の雪の上に振り飛ばされていきました。
子供ってああいうの好きですよねー。
現実逃避なのか、頭の片隅からやたら冷静な感想が出てきます。
ランニングの足を止めて見ていると、それを何回も繰り返しています。
ばんえいウマ娘、しかも現役でレースを走るアスリートですから、小学生程度の子供が何人くっつこうが大した負荷にもなっていないでしょう。それはそれとして、即席メリーゴーラウンドが回転する時、ぶれていない軸がクインルゴサローズさんの体幹の良さを感じさせます。
何回目でしょうか。
またしても両腕と言わず子供をぶら下げて、残るは、やや年齢が高めの男子小学生が一人。
空いているのは、クインルゴサローズさんの真正面のみ。
と、その子の目尻がヤニ下がり、ニヤリと笑いました。そして、なにか丸い大きなものを鷲掴みにするように手指を広げて飛びかかりました。狙うモノは明白。グラムさんほどではないにしても、クインルゴサローズさんにも掴まるには程よい出っ張りがあります。
エロガキがおっぱいにぶら下がってやろうとして、その指が触れるか触れないかの瞬間。
「奮ッ!」
一瞬。
クインルゴサローズさんの身体がブルリと霞みがかかったかのように震え、飛びかかったエロガキが正反対の方向に弾き飛ばされました。
彼だけではなく、彼女の身体にくっついていた他の子供達がすべてクインルゴサローズさんを中心とした同心円状に弾き飛ばされ、それぞれの体重にあわせて様々な小さな放物線を描きます。
わずかに宙を舞った子達は、そのまま積もった雪の上にぼとぼとと落ちました。
間。
あっけにとられ、次の瞬間、口々に「すげー」「またやってー」と驚きと称賛の声を上げて今までにないほどに沸きます。
そんな盛り上がる子供達をよそに、クインルゴサローズさんがこっちを向きます。
「カミノクニスノウさん、そんなところに突っ立っていると通行人の方にお邪魔ですわよぉ」
「えへへ、バレてましたか」
「隠れるつもりもありませんでしたでしょうに、バレるもバレないもありませんわぁ」
照れ隠しに頭を掻きながら、小さな公園に入っていきます。
クインルゴサローズさんが言うには、この公園は彼女のロードワークの休憩ポイントに使っているんだとか。そこでたまたま遊んでいた子供達と知り合いになり、今のように遊んであげる仲になったそうです。
人は見かけによりませんね。
「聞こえてますわよぉ」
公園には、鍛えたばんえいウマ娘の巨体が二つに増えました。
子供にとって、力いっぱい遊べるというのは面白いもの。あたし達ばんえいウマ娘は頑丈なので、そんなに力を加減しないでも大丈夫です。
早速、遠慮なしに男女取り混ぜた子供達がまとわりついてきます。
が、あたしは五姉妹の長女です。妹達四人の相手を長い事してきたんです。しかも二人はウマ娘。これくらいの子らの相手するなんて朝飯前。群がって来た子供の手を取ってブランコばりに適当に振り回しては、怪我しないように足からそっと下ろす。
楽しそうに立ち向かってくる子供達を順番に、注意深くぶん回してあげます。
文字通りの意味で片手間に子供達の相手をしつつ、クインルゴサローズさんに尋ねました。
「さっきのアレ、ぶるっと震えたと思ったら吹っ飛ばしてましたけど、アレはなんだったんですか?必殺技ですか?」
「あれは寸勁ですわぁ」
「すんけい」
「ゲームや漫画とかで似たような言葉は出てきますけどぉ、本来は純粋に武術の術理を示す単語ですわねぇ」
いきなり出てきた聞き覚えの無い用語と、それが出てきた唐突さに脳がフリーズしかけます。
あたしは、目をぱちくりと瞬かせました。
「私、幼少の頃より武術を嗜んでおりましてぇ」
あたしの戸惑いに気付いていないのか、気にしていないのか、クインルゴサローズさんは話を続けます。
「要点のみを言いますとぉ、最小限の重心移動と身体操作で力を発生させて体外に作用させる技法、ですわねぇ。あとはトレーナーさんにお聞きになられるとよろしいですわぁ」
自分は説明が上手くないとのことで、それ以上の事は教えてくれませんでした。
その後、クインルゴサローズさんと一緒に即席メリーゴーラウンドで子供達と遊ぶ羽目になったのでした。
「……なんていう事があったんですよ」
「ランニングからなかなか帰ってこないから心配したけど、そう言う事情だったのか。いや、心配したよ」
「ごめんなさい、トレーナーさん」
「いやまぁ、無事だったから良いんだ」
ほっとした表情を見せたのも束の間、トレーナーさんの表情が、急に真剣さを増します。
「しかし武術か……しかも僕に聞け、と?うーむ、寸勁か……最小限の重心移動で運動量を発生させるとクインルゴサローズ君は言ってたそうだが、興味深いな。だいたい格闘技では打突部位の移動量が多いほど、つまり腕や足を大きく振れば振るほど打撃の威力は強くなるものだ。けれど、寸勁は違う。まさに一寸の移動量で、十分な威力を持った打撃を加える技法ということになる……最小限の重心移動、身体内部での運動量の発生、か。なるほど、分かって来たぞ」
その時、ふと閃いた!
このアイディアは、カミノクニスノウとのトレーニングに活かせるかもしれない!
カミノクニスノウの成長につながった!
「私も甘いですわねぇ……」
クインルゴサローズが嘆息しながら、呟く。
カミノクニスノウに寸勁による吹き飛ばしを見せたのも、術理の原理を教えたのも、彼女の意図的な行為だった。
それが相手陣営に塩を送る形になったのは明白だ。
カミノクニスノウのトレーナーであれば、伝言越しとは言え、遠からず寸勁の意味とばんえい競バでの用途に気が付くだろう。そして、それをカミノクニスノウに身につけさせるだろう。
カミノクニスノウは愚鈍ではない。それどころか、彼女はよく頭が回る。目を見張るほどの吸収力もある。それは授業を見ていても分かった。自分に向けられるある種の感情を感じ取るアンテナが極めて鈍い面もあるし、調子に乗りやすいという一面も、見ていてよく分かったが。
「でも、今のままのカミノクニスノウさんでは全く張り合いがないですしねぇ……。それにしても、アレに気が付いていないのが当のコンビお二人だけとは、まったく笑い話にもなりませんわ」
寮や教室でのカミノクニスノウを見ている限りではあるが、それで判断材料とするには事足りた。
カミノクニスノウの言動はどこか浮足立ってふわふわと不安定で、集中力にも欠けている。手指に余計な動きが出るなど、無意識の所作に余裕がないのがありありと見て取れた。
それが次走のプレッシャーに拠るものであろうと推測するに難くなかった。クインルゴサローズ自身にも身に覚えがあるからだ。何もかも初めてという次のレースを想うと、今だって胃の奥が重くなる。
さらには、そのプレッシャーを跳ねのけられるほどには自らの実力に自信が無いのだろうと、クインルゴサローズは推測した。クインルゴサローズとカミノクニスノウに違いがあるとすれば、前者にはこの胃の重みを楽しむ余裕があるところだ。
ここ最近のカミノクニスノウの有り様からすれば、それはもう自信がないどころではなく、むしろ不安が心の奥からにじみ出してきてダダ漏れしていると言ってすら良いレベルだった。
GⅢナナカマド賞にGⅡ黒ユリ賞と勝っておきながら、現ジュニア級の中で最強の一角だと言われておきながら、それにも関わらず自信がない。
おそらくは、カミノクニスノウは自分が強いという実感がないのだ。
クインルゴサローズは、推測を重ねた上でそう結論付けた。
理由までは知らないが――レースを走るばんえいウマ娘としては華奢に過ぎる辺りが理由であろうか――自信がないという事実については、それで概ね説明がつく。
クインルゴサローズはレースの勝敗への拘りは薄い。勝利の栄誉にも、最強の称号にもそこまで魅力を感じていない。その為、普通の選手であれば勝つだけ勝っておいてその言い草はなんだと憤りたくもなるだろうが、そこまで腹立たしくはなかった。
彼女が求めるのは、ひたすらに強い相手との闘争である。
強いばんえいウマ娘とレースで闘りあえるのが楽しくて仕方がなく、その楽しみを求めて帯広トレセン学園の門を叩いたのである。
とは言え、勝たなければ強い選手が参加しているレースには出られない。
クインルゴサローズが勝利を求めるのは、より強い相手と戦うための手段であって目的ではなかった。
「自信の無さは、自らの実力への不安の表れ。強くなれば、それだけ不安は消えて自信がつく事でしょう」
カミノクニスノウは同期であり、学友であり、同じ釜の飯を食った仲であり、さらには共に競い合うライバルである。
友人が苦境に陥っているのを見過ごすのは、クインルゴサローズの性に合ってはいない。そしてライバルが腑抜けていては、全くもってつまらない。赤子の腕を捻ったところで、何が面白いものか。
だからこそ、ヒントを贈ったのだった。
これでカミノクニスノウがプレッシャーを跳ねのけ、技を身に着けて強くなり、胸を張ってイレネー記念のゲートに立ってこそ、走り甲斐があるというものである。
「さぁ、カミノクニスノウさん、強くなってくださいな。そして……存分に私と闘りあいましょうねぇ」
ベロリと厚い舌が形の良い唇を舐る。
そう独りごちるクインルゴサローズの瞳には、獲物を狙う猫科の猛獣のような光が炯々と宿っていた。