ばんえいウマ娘、北の大地を駆ける   作:mzk_arachne

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 帯広トレセン学園の所属人数は八百人ちょっと。

 生徒総数二千人弱と言われている府中の中央トレセンの規模とは比べ物になりませんが、それでも結構な人数です。通える距離に実家がある子や、寮外で下宿している生徒もたまにいますが、概ね、寮での生活となります。

 それだけの生徒が使うのですから、寮の大浴場は一気に大人数が入れるように、さらには巨躯のばんえいウマ娘向けに作られているので、スーパー銭湯もかくやの規模です。

 しかも寮の浴場なのに温泉。これは帯広トレセンが自慢できるポイントの一つです。

 温泉地である帯広市は、市内であっても当たり前のように温泉が湧き出ており、帯広トレセンでも独立した温泉井を持っています。泉質はモール温泉。モール温泉とは、泥炭などに由来する植物性の有機物を多く含むアルカリ性の温泉のことです。肌を滑らかにして、皮膚を再生する作用があって美肌の湯と言われ、当然ながら筋肉痛や疲労回復にもよく効きます。まさに打ち身擦り傷が絶えないアスリートであり乙女である、ばんえいウマ娘にぴったり。

「う゛あ゛ーー」

 湯の暖かさに、お父さんのような呻き声が出てきます。

 大浴場の窓から見える外は既に真っ暗で、太陽なんてとっくに地平線の向こう。

 消灯時刻も近い、夜遅めの入浴です。

 遅めですが、まだ所々で賑やかな笑い声が起きては、お風呂場に特有の歪んだ残響を残しています。

 最近、空いている時間帯を狙って来ているので、混んでいる時に比べると人影はまばら。どうにも友人達や見知った顔と一緒に入る気が起きないと言うか、はしゃぐ気分になれないのです。

 手で湯をすくって、パシャリと顔を洗う。

 気持ちは良いですが、気は晴れません。

 半身浴の状態から、ずるずると沈む込むように肩まで浸かると、あたしのごつごつした三角筋と僧帽筋をモール泉特有の琥珀色の湯が洗って流れ越していきます。

 そのまま、身体はあたし気分と同じように沈み込み続け、口元まですっかりお湯の中。

 プクプクと泡が一列に立ち昇っていっては、水面に着いて、プチンとはじけては消えます。

 温泉が身体の芯まで温めてくれます。熱と温泉成分が肌を通して入り込んできて、細胞の一つ一つがプチプチと音を立てて元気になっていくような錯覚。

 でも、心は身体ほどには温まりもしなければ元気にもなりません。

 イレネー記念を前にして、あたしには何もかもが足りていない気がします。勝とうとしても、勝つためにやらなければいけない事が多すぎて、まるで頂上の見えない崖を前にしたように足が竦んで動けないような感じ。

 あたしはあたしのやるべき事をしっかりやろうと思えば思うほど、グラムさんやクインルゴサローズさん達の強さを思い出してしまい、やるべき事がぼやけていく。

 そんな、このままお湯に溶けてしまいたいと思いそうになっていた思考を、あたしを呼ぶ声が断ち切りました。

「あ、スノウちゃんだ。こんばんは」

 あたしより頭一つ大きいスラリとした長身にタオルを巻きつけたモチモッツァレラさん。ばんえいウマ娘の中でも大きい方の219cmの身長は、湯船で仰向けに浮いている状態で見上げるといつもより一段と高く見えます。

 ちらりちらりと、何かを言い淀む風情で辺りに視線を巡らしてから、彼女は言いました。

「スノウちゃんもお風呂だったんだね。あ、そうだ。ねぇ、スノウちゃん。サウナ、いきませんか?」

 モチモッツァレラさんが、フィンランドサウナの方向を指差しています。

 あまり誰かと一緒に過ごしたい気分ではありませんが、どっちにしろサウナで汗を流すつもりでしたし、面と向かって断るのも悪いのでモチモッツァレラさんのお誘いに乗る事にしました。

 

【挿絵表示】

 

 帯広トレセンの大浴場はとても大きな作りですが、それは湯舟だけが立派なのではありません。

 サウナも、普通のドライサウナやフィンランドサウナなど、しっかりしたものが複数完備されています。フィンランドサウナで使う白樺の枝を束ねたヴィヒタは、森林科学科の子らに教わって皆が自分の分を含めた共有ストックを作ります。素材は学園敷地内にたくさん自生していますからね。

 ロウリュもありますが、アロマオイルなどの芳香剤の持ち込みは禁止されています。なんでも、本来は希釈して使うべきところを熱いサウナストーンに北見産ハッカ油原液をぶちまけて、サウナを催涙ガス室にした先輩がいたそうで。

「あ゛っつ゛ーーー」

「ききますねー」

 並んで座る二人の顔から身体から、ポタポタと汗が滴り落ちては床を濡らします。足触りの良い木製の床は汗を吸って黒く変色しますが、それもすぐ乾いて元に戻る。

 サウナの壁から吊るされた白樺の枝葉から発する爽やかな香りが、サウナ内を満たしてくれています。

 汗が流れて、一緒に体内の嫌なものも流れ出て、代わりに開いた汗腺から熱と香りが入ってくるようで気持ちが良い。

「ねぇスノウちゃん。最近、なんか調子悪そうだけど大丈夫なの?」

 その問いに、ぐっと拳に力が入ります。

 言うべきか、はぐらかすか。

 逡巡。

 ウマ耳がへにょりと倒れます。

 辛抱強く待ち続けるモチモッツァレラさんの視線に耐え切れず、とうとう吐き出してしまいました。

「大丈夫、ではないです……すごく不安なんです。次のレースが。あたしは、どこにでもいる普通の子です。そんなあたしが強い皆と一緒にGⅠだなんて、そんなのある訳ないです……今まで勝ててたのだって、たまたまで」

 口から心の中身が漏れ出ていくにつれて、視線がどんどん下がっていきます。

「それで、あんなに変な感じだったんだね。うーん、不安なんだ、スノウちゃんって自分が強くないって思ってるのか~。そっかー、私もね、我慢強いくらいしか取り柄がないんだよね」

 その下を向き切った頭を引き戻す言葉が、モチモッツァレラさんの口から飛び出しました。

「今から、このサウナで我慢比べしようか」

「……え?」

 ひたりとあたしに向けられている冷たい視線。

「強い癖に、勝ってる癖に『あたしは強くなんてありません』とか、何様かな?その態度がなまらムカつくんだよね。挑まれて逃げるよう腰抜けなら、レースの方も今から出走取消ししてくればいいんだよ。レースに出なければ不安も消えるよ?なにを訳分からないなんて顔してるのかな、はんかくさい!私はスノウちゃんに喧嘩売ってるんだよ?」

 そこまで言われては、聞き捨てなりません。

 普段はけして血の気が多い性格ではないと自負していますが、それが勝負事、レースとなれば自分を抑えきれません。あたしの気性難がむくむくと鎌首をもたげます。眉間に皺が寄り、目が吊り上がり、人相が悪くなるのが自分でも分かります。

 頭一つ上にあるモチモッツァレラさんを下からねめつける。

 視線が絡み合いますが、互いに引きません。

 この程度で引くくらいなら、売りも買いもするものか。

 ポツポツとサウナに入っていた先輩達が、

「十分あっつくなったし、これ以上あっついの耐えられんね。ここは若いもんに任せて退散するとしましょっか」

「いいねぇいいねぇ青春だねぇ。うんうん、存分に喧嘩するといいよぉ」

「ごゆっくり~。でも、暴れたり無茶しちゃダメだよ~」

 と口々に優しく囃し立てながら、止める素振りも見せずに退室していきました。

 残ったのは、あたしとモチモッツァレラさんのみ。

 これでタイマンだ。

 モチモッツァレラさんがサウナストーンにたっぷりと投げつけるようにして水を浴びせると、もうもうと火傷するように熱い水蒸気が上がり、サウナ内を一杯に満たしていきます。

 あたしは砂時計を掴むと、ダン!と叩きつけるようにしてひっくり返しました。

 乱暴に扱われた砂時計がミシッと悲鳴を上げていましたが、知った事か。

 

 ダラダラと滝のように汗が滴り落ちます。

 汗が出るのと一緒に肌から湯気が立ちのぼる感覚。

 砂は半分が落ちました。

 

 もわっと視界がぼやけます。

 呼吸が早くなる。

 砂は四分の三が落ちました。

 

 頭の天辺から玉のような汗が流れ落ちてきて目に入ります。

 ちょっとでも動くと熱い空気に当たってきついので、ウマ耳はぺったりと畳み、尻尾も腰に巻き付けたまま。

 砂は最後の一粒が落ちました。

 

 もう限界です。

 あたしとモチモッツァレラさんの腰が浮いて、サウナのドアを開けるのは同時でした。

 

 二人とも肌は真っ赤。

 視界はふらふら。頭はぐらぐら。

 息は熱くて、芯まで火照った頭と身体を冷やすのは水風呂ではとうてい間に合わなさそうです。

 その時、ふと閃きました!

 サウナの本場フィンランドでは、サウナ後に外に出て全裸で積もった雪にダイブするとか。幸いにして、ここは真冬の北海道。ロケーションは似通っています。

 熱で朦朧とした頭では細かい事なんか考えられず、大切なことを色々忘れているような気もしますが、どうでもいいです。

 早く冷やしたい。

 大浴場の片隅にある、清掃時に外に出る勝手口のドアをまさに勝手に開けて、一歩踏み出しました。

 途端、びょうと吹く風。

 横殴りに吹き付ける粉雪。あまりの低温で互いにくっつけず乾燥した小さな結晶は渦を巻き、白い地面と暗い空の境を曖昧にさせながら、パシパシと音を立ててぶつかってきます。

「――――ッ!」

 あたしの口から、声にならない叫びが溢れ出ます。あまりの温度差に身体中の血管が騒いでいる。

 風と雪が熱を持ち去って肌がキュッと締まる感覚。

 全身から響くジンジンと疼くような感触から逃げるようにして、裸足のままで一面の雪原に飛び出した勢いのまま、駆ける。

 そして、飛びました。

「だりゃーーっ!」

 ボスンと体が落ちれば、雪面に描かれるのは、ばんえいウマ娘サイズの大の字。

 表面の硬くしまって半分くらい氷と化した雪の板が、身体の下でバキンバキンと割れ砕けていく愉快な感触。雪面がばんえいウマ娘の体重にあっさり負けて粉々に砕けると、その下にあるのは、ふわふわのパウダースノーです。

 冷たく柔らかい雪に抱かれて体が徐々に冷えていくと、喉の奥から冷たい息が出ていく不思議な感覚。

「やーーっ!」

 あたしに続いて、モチモッツァレラさんも同じように、雪面ダイブ。

 雪の上で大きく手を広げてひっくり返ると、暗い夜空を背景に、白い風が右に左に好き勝手に吹いていきます。

「スノウちゃん、ごめんね。あんな酷いこと言って」

「いいんです、今ならモチモッツァレラさんのやりたかった事、分かりますから」

「よかった。でも、スノウちゃんはもっと自信をもっていいんだよ。私と同じくらい我慢強い子なんて、そうそういないよ。それなのに私と同着できるくらいに、スノウちゃんは強い子なんだから。不安に思う必要なんてないんだよ。自信をもって。それで一緒にイレネー記念で走ろう?」

 そっと重ねられるモチモッツァレラさんの手。

 吹雪く風が強くなったのでしょうか。

 視界が滲みます。

「ありがとう、ございます」

 あたしは良いお友達を持てて幸せです。

 そう言いたかったですが、喉が震えてお礼を言うのが精一杯でした。

 

「ぶえっくしょい!」

「へくちっ!」

 どれだけ身体を雪に預けていたでしょうか。

 二人同時にクシャミが出ます。

 さすがに長く冷やし過ぎたみたいなので、またお風呂に入って温め直しといきましょう。

 ガチャ。

「……開かないです」

 致命的な感触が、ドアノブから伝わってきました。

「……え?」

 意味が分からないと言わんばかりのモチモッツァレラさんの戸惑いの声。大丈夫です。あたしも分かりません。事態は全然大丈夫ではないですけど。

 慌てて何度もドアノブを回しますが、ガチャリガチャリと鳴るだけで回り切りません。寒さと氷で固着した感触とは違います。誰かが向こう側、浴場側から締めてカギをかけていったとしか思えません。

 外は弱く吹雪いていて視界が悪く、しかもあたし達二人は寝っ転がっていました。その為、ドアを閉めた人は、まさか誰かが外に出たままだとは思わなかったのでしょう。なんて、呑気に原因分析している余裕がなくなってきました。

 寒い。

 冷たい。

 体内に蓄えた熱気の鎧が無くなって、冷えた空気が肌に突き刺さるようになってきました。

 温泉で火照っていた筈の体からはすっかり暖気が抜けていて、かすかに震え始めます。寮からわずか徒歩数秒の距離で八甲田山するのは御免です。

「やばいやばい足冷たいですどこか開いてるとこまわりましょう」

「ええええ恥ずかしいよー」

 しかも、あたしもモチモッツァレラさんも体にバスタオルを巻き付けて致命的な露出こそ防いでいますが、布切れ一枚外せば全裸です。こんなところでこんな姿で凍死とか、二重に恥ずかしすぎて、死んでも死に切れません。

 消灯時刻前なので寮の中央玄関なら開いているでしょうけど、そこにバスタオル一枚で突入して自分の寮室まで帰るのは、凍死こそしませんが恥ずかしさで死んでしまいます。さらには社会的に死ぬかもしれません。

 ドアをぶち破るのはとても簡単ですが、もしそれで校舎破壊の罪で停学とかになったら、レースも出走停止になってしまいます。

 悩んでいるうちに、風と雪が容赦なくあたし達から熱を奪っていきます。

「ああああれです一階の誰かの部屋の窓から入りましょう」

「そそそそれいいね」

 カチカチ鳴り始めた歯が会話の邪魔をしてきます。

「ああたしの部屋がいい一階ですしグラムさんいますいきましょう」

「いこうそれがいいねいこう」

 

「さーむーいー!!」

 全力疾走です。

 バスタオルはとっくに凍り付いてコルセットのようになっていて、支えなくても落ちなくなっています。

 便利!

「まってすのうちゃん!あそこ!せいとかいちょうさんとりょうちょうさんが!」

 風を切る鼻先の感覚が怪しくなってきました。

 早く自分の部屋の外まで辿り着いて、グラムさんに窓を開けてもらわないと。

 積もった雪をバキバキ割りながら、走り抜けます。

「すまんな、寮長の仕事があるのに、こんな遅くまで付き合わ、せ、て……」

「いえ、生徒会長こそお疲れでしょうから、少しでも助けにな、れ、ば……」

「ああああ!ごめんなさい!ごめんなさあぁぁい!みないでくださーーい!」

 ん?今、誰かいましたか?

 

「いやー、外の雪ン中からスノウとモッチが出てきた時は、なンまら驚いたさー」

 なんとか凍え死ぬ前に自室まで辿り着きました。

 今までのウマ娘生の中で、グラムさんに気付いてもらうために窓を叩いた時ほど、必死になったことはありません。

 窓から暖房の効いている室内に転がり込んでタオルで身体を拭いて着替えを済ませ、なんとか命を繋げました。

 その代わり、グラムさんにはすごく笑われました。

 あたしもモチモッツァレラさんも口を濁して誤魔化そうとしましたが、窓から凍ったバスタオル一枚を巻き付けて飛び込んでくるばんえいウマ娘二人とか、異常事態でしかありません。恩人に説明しない訳にもいかず。

 何かがあったのか聞いていた途中から、グラムさんはあまりに笑いすぎでお腹が痛くなったようで、ビクンビクンと床でのたうち回っていました。

 と、廊下の天井に設置されているスピーカーが、不意にブザー音を立てました。

『──号室のカミノクニスノウ。──号室のモチモッツァレラ。至急、寮長室まで来るように!身体を温めたら、可及的速やかに出頭しろ!』

 唐突に始まったアナウンスは、唐突に終わりました。

 あたし、なんかやっちゃいましたかぁ?

「どう考えても、やっちゃってるっしょ?」

 いや、グラムさん、肩に手を置くのは止めてください。

 あたしは無実です。たぶん。

 

 それはもう、なまら怒られました。

 生徒会長と寮長の二人がかりで。

 あたしとモチモッツァレラさんが二人揃って風邪を引かなかったことだけは、丈夫なばんえいウマ娘に生まれついた運命に感謝です。

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