ばんえいウマ娘、北の大地を駆ける 作:mzk_arachne
──53──
「はーい、ゆっくり下ろしてー」
「ぬっぐぐぐ……」
だいたい5秒くらいかけて、ゆっくりと片膝を下ろします。早すぎても遅すぎてもいけません。足は真っすぐに、目標の角度を意識します。膝を曲げすぎたり内側に入れたりすると効果が薄れますし、怪我の元です。
正しい時間、正しいフォーム。
それを常に意識します。ずっしりと重い身体を片脚で受け止めながら、沈みこませていきます。
膝の角度が90度になったらストップ。
「はーい、一気に上げてー」
「ふんっ!ぬあぁぁぁっ!」
下半身の筋肉を総動員して出来る限り素早く膝を伸ばして、沈んだ身体をググッと元に戻します。太腿から脹脛までの全ての部位に力が籠められ、膨れ上がり、肌に刻まれた溝がグッと深くなります。筋線維がまるで金属製のワイヤーが撓るようにして伸び縮みします。
膝が真っ直ぐになるまでリフト。
「これで10回終わったべさ。ほい、あと半分っしょ」
頭の上から、グラムさんのカウントが降ってきます。
帯広トレセンの広大なジムの一角で、筋トレです。
今のメニューはマシンを使わずに、グラムさんを肩車してのブルガリアンスクワット。お互いに交代で肩車して負荷役となるペアでのトレーニングです。
グラムさんの大きな体が上下に運動するたびに、カウントが進んでいきます。
メインとなる下半身全体への負荷もさることながら、肩車されているグラムさんを落とさないように真っ直ぐ綺麗に上下させるため、腹筋を始めとする体幹にもかなり効きます。
「っぐぅ……おぉっっりゃぁっ!!」
「はい、20回おしまい!お疲れ様~、一セット終わったから交代しよっか」
グラムさんを落とさないように慎重に身体を下げて、肩から降りたグラムさんとハイタッチ。
息を整えながら、パンプして深くなった筋肉のカットの谷間を岩清水のように流れる汗をタオルで拭いていると、不意にあたしのスマホがブルブル震え始めました。
発信元はトレーナーさん。
出ます。
「はい、トレーナーさん!どうしましたか?……ええ、今ジムでトレーニング中ですけど……今からですか?一セット終わったので切りは良いですけど……」
スマホのスピーカーから聞こえてきたトレーナーさんの言葉。
「えっ?!」
それを耳にした途端、あたしの頭の天辺から爪先まで、まるで電流が走ったみたいでした。
「わかりました!今すぐ行きますので!」
トレーナーさんの返事を待たずに、通話を切ります。
スマホが短くピッと鳴り終わるや否や、
「すいません、グラムさん。トレーニング途中ですけど、ちょっとトレーナーさんに呼ばれたので、いってきます」
「オッケー、まぁこっちは大丈夫さー。それはしても……スノウ、なんか良いことあった?」
「はい!とびきりの、でしょうか」
気分は今すぐにでもトレーナー室に飛んでいきたいところですが、使った筋肉はしっかりストレッチしておかないといけません。
ああ、もどかしい!
「お待たせしました!」
「こらこら、廊下は走らないように」
苦笑しながら窘めるトレーナーさん。
しかし何と言われましても、これが走らずにいられましょうか。かなり遠くから、あたしの駆ける音が聞こえたことかと思います。
トレーナー室の来客用の机の上には、見慣れない大きな衣装箱。他にも小物や靴が入っていると思われる箱がいくつか。
「さきほど仕上がってね。君のだ。スノウ君だけのものだ」
どきどきと高鳴る心臓。勝手にゆるんでいく両頬。
「開けてごらん」
誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントを開ける時にも匹敵する、いえ、それ以上の興奮で指先が震えます。
勝負服。
それは、GⅠなどのグレードの高いレースに挑むウマ娘が身にまとう特別な衣装。レースを走るウマ娘にとって憧れの的です。それは平地競争でもばんえい競バも同じ。
特にGⅠが年に一回しかない、ばんえい競バのジュニア級では年に十人しか袖を通すことが許されない、本当に選ばれた者のみが着用する衣装です。
「わぁ……」
あたし専用の勝負服。
黒と紫を基調とした、ゴシック調のドレス。レザージャケットを中心に据えてゴシックパンク風にしてフリルの類は少なく直線的なラインで、スカート丈は短く、動きやすい。
ミニスカートには大胆にサイドスリットを設けてありますが、紐で編んで無駄にはためいてチラチラしないように。
ロングスリーブの袖は、両肩だけ露出しています。
フィッシュネットと呼ばれる目の荒いストッキングに、ドレスと同じ色合いの膝丈のブーツ。
ゴシック調ではあるものの過剰な飾りやあまりダークに寄った装いにはせず、ミステリアスな雰囲気と格好良さを併せ持つデザインです。
「とうとう、ここまで来たな」
衣装箱から取り出した勝負服を壁にかけて、二人で眺めます。
「これがスノウ君の信念のカタチ、か。これを着て橇を曳くスノウ君を見るのが、今から楽しみだよ」
感無量という口調のトレーナーさん。
す、とあたしはトレーナーさんに向き直りました。
「トレーナーさん。本当に、ありがとうございました」
深々と頭を下げます。
これを間に合わせるためにトレーナーさんがどれだけ苦労していたか、あたしは知っています。目の下の隈が徐々に深くなっているのも、だんだんと飲む量が増えていく栄養ドリンクも。
全て、あたしの為。
トレーナーさんがあたしをここまで連れてきてくれました。
「いやいや、スノウ君が頭を下げる必要はない。これは僕がやりたい事でもあるからね。あの模擬レースでスノウ君が走っているのを見た時、僕はこの子がどこまでいけるのかを見てみたかった。この子の走りを磨いてみたいと思った。それが、いまやスノウ君はGⅢにGⅡを一勝ずつ。君の耳にも入っているだろうが、ジュニア級最強候補との前評判も高い。ここまで来たのなら、その評判通りにスノウ君をジュニア級最強の座につけたい。優勝レイを肩から掛けている姿を見たい」
トレーナーさんは、そこで一旦、言葉を切りました。
「その為なら、僕は何でもする」
それだけだ。
きっぱりと言い切ったトレーナーさんの言葉には、鋼のように硬い意思が感じられました。
「それに僕ら人間はレースを走れない。僕が下準備をして、スノウ君が走る。ウマ娘とトレーナーは二人三脚さ」
違う。
あたしは、内心、トレーナーさんの言葉を否定しました。
今は二人三脚じゃない。
あたしがトレーナーさんにおんぶにだっこでしかない。あたしの背をトレーナーさんは押してくれますし、危ない時は引き留めてくれます。でも、逆は出来ていない。全然、トレーナーさんの負担を減らせるようには動けていない。その方法もまだ分かりません。
支え合い、補い合うのが二人三脚の筈です。
いつか本当の二人三脚になれるようにしたい。
トレーナーさんの想いに報いたい。
苦しい時にトレーナーさんの背を押してあげることも、危ない時に引き留め代わることも、あたしにはまだまだ難しいです。今のあたしに出来るのは、走り、ひたすらに輓曳することだけ。
あたしはトレーナーさんには出来ない、あたしには出来る事をしましょう。肩を貸すことが出来ないのであれば、後ろから押してもらった肩を無駄にはしない。
だったら、次のレースは"勝ちたい"ではありません。"勝ちにいく"でもありません。
真新しい勝負服に視線を据えたまま、静かに宣言します。
「次のレース、勝ちます」