ばんえいウマ娘、北の大地を駆ける 作:mzk_arachne
──55──
三月上旬。
第11R、BGⅠ、イレネー記念。
黒ユリ賞から一ヶ月経って、三月です。空気も二月に比べるとだいぶ温かい。
最低気温はほとんどマイナス10℃を下回らなくなりましたし、日が高いうちなら吐く息が白くならない日も増えてきました。とは言えまだまだ雪は降りますし、根雪は融けてませんから、本州からすれば冬のうちでしょう。
実家では今頃、今年の米作りの準備が始まっている頃でしょう。冬に外していた育苗用のビニールハウスのビニールを戻して、木炭の粉を蒔いて雪を融かして地面を温めて、圃場は田起こし前の土づくりの時期です。
二月の身を切りつけるような風に比べれば気温は上がっていて、上ノ国の風の匂いを嗅がずとも、今年もやるぞ、と勝手にうずうずしてしまう頃です。
でも、今年は違います。
去年までは、あたしも田んぼを手伝っていました。それこそ子供の頃から毎年手伝っていて完全に手に馴染んだ習慣です。
それが今年はない。
馴染んだ道具を取り上げられ、新しく手の中に押し込まれた道具を持て余す感触。それが良いとか悪いとかではなく、季節ごとに肌で覚えている感覚が違っているという奥歯に物が挟まったかのような違和感。今までも大小こそありますが、そう言う違和感はずっと感じていました。それが今回に限って大きいのは、田植え前という稲作農家にとってはとても大切な時期だからでしょう。
でも、それはここにいる皆が同じ筈。帯広トレセンに来る迄は、畑や酪農など業種は様々ですが、それぞれの家業の手伝いをしていた子達がほとんどでしょう。
おそらくは皆が胸の奥にそんなうずうずしたものを抱えていて、それをどうにかしてレースへのモチベーションに置き換えようとしている。あたしも同じです。
でも、家業はあくまで家の仕事。今のあたし達がやるべき事ではありません。
ここにいる全員、いえ、帯広トレセン学園の生徒全てが、自分の進む道を選択してココにいます。あたし達がするべきはレース、目指すべきはゴール、歩むべきは競バ場のコース、です。
既に控え室で、勝負服には着替え終わっています。
「スノウ君、この辺りでいいかい?」
「はい、そこでお願いします」
ガラを首から下げ、ガシャガシャと鎧のような金属音を立てながら、ワラビ型をガラの上に当てて調整します。
カバーされていない金属同士が触れあって本来なら耳障りでしょうけど、慣れた今となってはむしろ落ち着く騒音です。
装鞍所でワラビ型を始めとする装具を順繰りに装着していくと、不思議と頭の中からいろんな余計なものが振り落とされていきます。
「変な感じです」
「ん?すまない、スノウ君。どこかズレたかな?」
「いえ、そちらではなくて……控室で、この勝負服を着た時もまだ不安があったんです。あたしはちゃんと走れるのかなって。でも、それが今は不安だったりとかこの時期だと実家は大変そうだなぁとか、グチャグチャしててまとまらなかった頭の中がスッと綺麗になっていって。それが変というか、面白くって」
「それだけ君が、競走バになってきたと言うことじゃないか。見てごらん、この面子を前にしてそんな呑気なことを言ってられるのだから、やはりスノウ君はジュニア級最強にふさわしいよ」
装鞍所は、今までに見たことがないような、華やかな場所になっていました。別にGⅠだからって飾りつけされているのではありません。
そこにいるウマ娘達が華やかなのです。
今までのレースでは、素っ気のない体操服にブルマかショートパンツでしたが、今日は違います。
出走する全員が、勝負服をまとっています。先輩方のレースで勝負服を着たばんえいウマ娘は何度も見ていますが、コースを走っているのを見るのと同じ空間にいるのとでは距離が違います。
ちょっと視線を振れば、そこにはそれぞれの想いを詰め込んだ勝負服を身に着けた、よく見知った同期の顔が。
別に秘密主義という訳ではないのですが、あたしのように開催直前ギリギリになって届くようなケースもあるので、皆の勝負服を見るのは初めてです。レース前だというのに、勝負服の見せ合いっこしてたりもします。今日これから競い合う相手達なのは確かですが、それと同じくらいに、誰だって可愛いのは大好きですからね。
グラムさんは、オレンジと黒を基調にした裾の短いカジュアルなジャケット。
彼女の巨大な胸を包む白いシャツも裾は短く、大根を摺り下ろせそうほどに鍛え上げた腹筋を誇示するかのように、大胆に腰回りを晒しています。上半身に合わせたオレンジと黒のミニスカートからは、黒いサイハイを吊り上げる為のガーターストラップが覗いて、これまた鍛えた大腿筋に目を向けさせる仕掛け。
クインルゴサローズさんの勝負服は、男装の麗人といった風情。
シックな黒をベースにところどころに赤を差し込んで重い色になりすぎないようにした、略礼装のブレザーのようなジャケット。下半身は彼女の鍛えられた太腿とお尻のラインを引き立てる、ぴったりとした真白いパンツルックです。胸元には彼女の名前にあるようにバラをあしらっています。強いて言えば、トゥインクルシリーズで走っているカルストンライトオさんの勝負服のデザインが近いでしょうか。
モチモッツァレラさんは黒単色ベース。
歩くたびに裾が翻る真っ黒いロングコートは、彼女の長身もあって、そこだけ闇夜を切り取ってきて貼り付けたようです。白シャツに黒ベスト、黄色いネクタイ、黒いパンスト姿はフォーマルな感じがして、可愛かったり派手だったりするデザインとは真逆をいく勝負服ですが、それだけに周りからは良い意味で浮き上がり、目立っています。どことなくマンハッタンカフェさんの勝負服デザインに似ているかもしれません。
他の出走メンバーも同様に勝負服。
つまりそれは、自分は本気も本気、大一番に臨んでいるぞという事を示しています。
今日のレースはジュニア級最後の一冠。その奪い合い。
皆の気合が伝わって来て、二月に比べれば温くなってきた装鞍所の空気の中にいるのに背筋がひんやりします。
にも関わらず、うっすらと頬が緩むのが自分でも分かりました。
イレネー記念はジュニア級最強決定戦ですが、正直、あたしは最強とかにはそこまで興味はありません。最強の称号は貰えれば嬉しいですが、心の底からそれが欲しいかと問われれば首を傾げざるを得ません。
でも、走りたい気持ちはこれ以上ないほどです。それは最強を求めない事と矛盾しません。
走りたい。
曳きたい。
そして、勝ちたい。
橇を曳いて、走って、歩いて、ここにいる全員まとめてぶち抜いて勝ちたい。
心臓のさらに奥にある大きなエンジンに火が入って燃え猛り始め、だんだんゆっくりと回転数が上がっていくイメージ。胸の奥で点火した闘争心の炎が背筋を導火線代わりにして伝わって、頭の中で疼きのような熱になる。
「スノウ君、締めるぞ」
ぎしっとハーネスが鳴りながらワラビ型を締め付け、鋼鉄のマフラーを身体に密着させます。ワラビ型の下にあるガラが、硬い金属に潰されながら肩から胸にかけて押し付けられます。
「あまり逸ってスタート前に集中力を切らせないように。落ち着いていこう。……と言っても初めてのGⅠだ。なかなかに難しいか」
それはあたしだけではなく、トレーナーさんが自身に向けて言葉でもあるのでしょう。装具を扱う指先がいつもよりわずかにたどたどしい。普段ならすんなりと結束している箇所を何回もやり直していたりします。
なぁんだ。
あたしもトレーナーさんも、足並み揃ってるじゃないですか。さっきとは別の意味の笑みが浮かびます。
装具を付けてウォーミングアップを終えた頃、
「おー、スノウ、気合入ってんねぇ」
一足先に準備を終えたグラムさんが、がしゃりがしゃりと装具を鳴らしながら近づいてきました。
その豊満な身体付きを強調するように、露出度高めの勝負服。装具を付けたせいで前に大きく突き出した胸が目を引きます。オレンジ色がベースの勝負服の色合いもあって、装鞍所にいる面々の中でも一際派手です。
ブーツを履いていても、あたしとグラムさんとの間には頭半分の差があります。
ばんえい競バにおいて、ばんえいウマ娘の体格差や体重差はばんえい重量を規定値に微調整するために橇に積む弁当箱の重さこそ変わりますが、それ以外は考慮されません。それは平地競争でも同じです。あたしは身体も力も小さい。それは事実です。今はどうやっても変えられない事実です。でも、今更それがどうしたと言うのです。華奢なボディだったってどうにかこうにか頑張って、GⅠの晴れ舞台にまで来たんです。その事実があたしの背を支えます。臆する事はありません。
グラムさんに比べると、ほんのわずかに少しだけ心持ち小さいと自認する胸を張って、彼女を迎え撃つように立ち上がります。
「ほら、これ」
と、差し出された掌には、見覚えのある小さなケース。あちこちテーピングが巻かれた指が蓋を開ければ、そこに小さく煌めくのは、クリスマスにグラムさんに贈ったイヤリングでした。
一対の、小さなクリスタルを抱えた金の星。
「あは、持って来たんですね」
「せっかくもらったプレゼントだし、ウチらの晴れの舞台なら付けるっきゃないしょ?」
イヤリングに視線を落として、はにかむように笑うグラムさん。
「ねぇ、付けてくんない?」
前にも聞いた同じ言葉。
片方を摘まみあげ、スッと下がったグラムさんの左側のウマ耳に優しくつけてあげます。みっしりと密に生えた芦毛が温かく指先に心地よい。いつまでもフニフニと挟み揉んでいたくなりますが、今日はそうもいきません。
「ありがと。ウチも付けてあげるね……ほい、これでお揃いっしょ」
ちりん。
グラムさんとあたしの左のウマ耳で、小さな心地よい音色を立てるイヤリング。
「ウチとスノウはずっと一緒だったっしょ。今日、GⅠ出るのも一緒。だから、これもおそろにして一緒さー」
ばさりばさりと二本の尻尾がせわしなく振られています。尻尾の揺れに合わせて、互いの左耳で揺れて光る金の星。
お互いにイヤリングを付け終わったら、そのままごく自然に腕を伸ばして相手を求め、ハグを交わしました。
辛うじて互いにだけ届くであろう、微かな囁きを交わします。
「クリスマスに言ってたっしょ。"本物の星"を取りにいこう。けっぱるべや、全力で」
「ええ。グラムさんもあたしも、きっともっとキラキラした星を掴めます。だから掴みましょう……今日これから」
こればかりは一緒に、とはいかないのは二人とも分かっています。
なぜならば、これから星を掴めるのは、唯一人。
「今日は」
「絶対」
「「勝つゲン」」
ここで飲めないのが残念ですよ。
クスクス笑いながら抱きしめ合う時間を、
「パドック入場でーす!」
装鞍所に響いた係員さんの声が断ち切りました。