ばんえいウマ娘、北の大地を駆ける   作:mzk_arachne

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 今年一年で何度となく立ったパドック。

 お立ち台の上で、深呼吸を一回。

 勝負服を隠すように羽織っていたジャージを、あたしは一息に放り投げました。

 バッとジャージが宙を舞い、観客の皆さんに、勝負服のお披露目です!

 メイクデビュー戦ではへなちょこな広がり方しかしなかったジャージ。それが今は綺麗に広がり、粉雪と共に帯広の空を舞います。

 パサリと地面に落ちるのと同時。観客席からの割れんばかりの拍手と喝采が、その出来栄えを褒め称えてくれています。

 真っ先に拍手してくれたのは、パドックの真正面に陣取っている、おばあちゃんお父さんお母さん妹達。

 腕組みして、上ノ国町の沿岸で日本海の荒波を撥ね返して海上に立ち続けるもんじゅ岩さながらに仁王立ちするおばあちゃん。フードも被らず、降りしきる雪を物ともしていません。

「「「「おねぇちゃーーん!!!!がんばれーー!!!!」」」」

 手製の横断幕を掲げ、ぴょこぴょこと忙しなくジャンプして上下運動しては両手を振り回す妹達。妹達よ、応援は嬉しいですが跳ね回るのは周りの人に迷惑なので止めなさい。

「スノウ頑張りんさいよー!」

 久しぶりのお母さんの声。

 お父さんはスタートする前から、もう泣いています。

 どくん。

「カミノクニスノウさん!応援してます!」

 初詣で会った女の子。

 どくん。どくん。

「けっぱれよー!勝ってまた食べにこいよー!」

 屋台村で一緒にご飯を食べた人達。

 胸の奥が震えます。燃え滾るような闘争心とは別の何かで、胸が熱くなります。

 熱さは胸を満たして喉から溢れて、不敵な笑みになりました。

 それがさらにスタンドに詰めかけた観客を沸かせます。

 投げたジャージを拾って係員さんに渡し、パドックからゲートまで、レースコースとスタンドの間にある走路をランウェイばりに移動します。

 歓声、喝采、装具は鳴り、蹄鉄が砂を踏む。全ての音が混ざって、どうしようもなく興奮させられます。

 ふと、誰かがあたしを呼んだような気がしました。

 周りを見回すと、引き寄せられるようにおばあちゃんと目が合います。背筋が震えるような恐ろしささえ感じさせる視線。それを真っ向から受け止めます。おばあちゃんの唇が動きました。

 声は聞こえなくても、不思議と何と言っているのかは分かりました。

(けっぱれ)

 かつて曳いたばんえいウマ娘から、これから曳くばんえいウマ娘へ。

 その無音のエールに、あたしはただ右拳を突き上げて応えました。

 

 第11R、BGⅠ、イレネー記念

 基礎ばんえい重量は、3500kg。

 あたしのやる気は、当然ながら『絶好調』です!

 天気は、大雪の悪天候。三月にしては予想外に荒れた天気ですが、いつもいつも良いお天気で、とは望めない。何が起きるか分からないのがレースです。

 エキサイティングゾーンと名付けられた帯広競バ場スタンド前の広い観客席。その目の前にある、コースに並行して走っている走路を、大歓声を横から受けて進みます。

 パドックからスタート地点に移動して、ゲートイン。

 ばんえい競バでは各自がゲートに入ってから橇の準備があるので、平地競争に比べればスタートまではだいぶ間があります。

 このジッと待つ時間に、いかに集中力を切らさないかが大切です。

 ゲートの枠の中に佇んでいると、頭の上にはうっすらと雪が降り積もっていきます。都度都度、ぶるりとウマ耳を振り回して払い除けますが、焼け石に水。

 カレンダー上では温かくなるにつれて全体的に発走時刻は遅くなっていき、準ナイター開催の今、第11競走の発走は19時30分頃。

 太陽が沈むとまだまだ冷たいですが、確実に春に向かっていっているのが分かる風。もっとも今夜は大量の雪交じりですけれど。

 一月の頃の肌を突き刺すような冷たさはなくなった風がゆるやかに頬を撫でては、鼻先に白いものを残して去っていきます。それを味わうように、大きく深呼吸。吐いた息がナイター照明の明かりを受けて、雪の中でもなお白く光る。雪こそ降っていますが、厳寒期のように下手に吸うと咽ることもなくなりました。

 数日前から、十勝地方は季節外れの大雪に見舞われている最中です。

 大雪と言っても、インフラがダウンするほどのどうしようもない量の積雪にはならず、レースは滞りなく開催されました。今までにない過酷なばんえい重量になる、このレース。そこにさらに天候が追い打ちをかけてくれた、と思われがちでしょうが、そうでもないのが面白いところ。荒れた天候の方が得意、気合が入るという子もいるのです。

 あたしは別に雪は得意でも苦手でもないのですが、この程度の雪ではあたしの脚を止めるには全くもって足りません。それは、どの子にとっても同じでしょう。

 この程度では止まりません。

 スタンドにはたくさんのお客さん。ジュニア級とは言えGⅠの栄誉を掴む子が誰かになるのかを見に来てくれている。雪が降っているにも関わらず、口々に出走している子の名を叫んでいる。応援と歓声と送ってくれている。

 歓声はばんえいウマ娘達の興奮を呼び起こし、興奮は闘争心を燃やす薪になります。

 テンションが上がり、熱くなった頭に、熱くなった筋肉。

 レースを目の前にぶら下げられたばんえいウマ娘が、この程度の雪くらいで止まる筈がありません。

 大人しくしていろと抑えつけていてもなお、早く曳かせろと猛る心が、どっくどっくと心臓を駆動させます。駆け巡る血液はウォーミングアップで生まれた熱を身体中にくまなく配り、降りしきる雪の冷たさに負けるな準備は良いかと、今か今かと出番を待つ筋肉達を叱咤します。

 風は弱い。けれど、途切れずに空から静かに落ちてくる雪で視界はあまり良くない。

 それを歯牙にもかけないと言わんばかりの気迫が、ゲートの枠越しに辺りから伝わってきます。

 ずしりと重たい熱気。

 その熱に当てられるように、あたしの眦がきりきりと釣り上がり、表情が険しくなっていくのが分かります。

 お互いがお互いの闘争心を煽りたてる。

 走りたい。

 曳きたい。

 曳いて、走って、歩いて、今ここにいる全員に勝ちたい。 

 吹きこぼれた鍋のように心中から溢れでた気合が、バサッバサッと尻尾を揺らします。

 青毛を飾っているのは一本の赤いリボン。妹達がプレゼントしてくれた特別なリボン。レース付きの赤いチェックのリボンです。白い雪の中でも、振られる赤いそれが目に入ったのでしょう。一際大きな妹達の応援の声がここまで届きます。

 頭の中、目の奥でずくずくと疼く熱がリミッターをゆっくり溶かしていく。

 どいつもこいつも、上等だ。

 特等席でこのリボンを拝ませてやる。

 胸の奥の奥から湧き上がってくる熱と想い。沸き立つ想いは吹きこぼれ、ドロリと溢れ出して、ゆっくりと頭の中を熱く染め上げていく。でも、それを俯瞰する自分も認識できています。

 身体は熱く、心の片隅は冷たく。

 それが上手く出来ているなら、何度もこのスタート前のドロリと煮えるような興奮を経験してきた甲斐があったというものです。

 まだ開閉扉が閉まっていないので、眩い照明が、短くて長い一ハロンの過酷な道のりを照らしだしています。

 第1障害と第2障害の向こう。二つの頂きを越えた先にあるゴール。

 しゃらしゃらと降る雪でスタンドも観客席も白く染まり、帯広の街灯りも雪のカーテンの向こうに煙っている。ただ一つ、ロードヒーティングが入って雪が積もらないコースだけが、真っ直ぐに黒々と伸びている。

 そこを見つめながら、ステップを踏むように足踏み。ブーツがズレる感じはなく、あつらえただけあってピッタリで実によく馴染みます。履いているだけで、両脚の芯から力が湧いて出るかのような不思議な感触。この勝負服を作るために連日苦労してくれたトレーナーさんを想うと感謝しかありません。あたしの感謝は言葉ではなく、競走バらしく行動で示すべきでしょう。

 砂を踏んで、トントンと軽くジャンプ。普段のレースとは違うスカートの翻る感触に、自分はいま勝負服を着ているんだという実感が沸きます。

 真新しいブーツの、真新しい蹄鉄が砂を踏みしめては、耳に馴染んだ音を立てます。

 あたしだけではありません。

 十の枠の中で、十人の色とりどりの勝負服を着たばんえいウマ娘が、自分なりのルーティーンで闘う準備を整えています。

 空気が膨れ上がるような周りの昂りを感じながら、あたしは両手の指先同士をくっつけます。掌を押し付け合う合掌ポーズで両腕と胸に力を籠めて解したら、ぐっぱぐっぱと拳を開け閉め。

 関節はどこも滑らか。痛みもなし。筋肉の重さもなし。よし。

 最後にグッと握り拳を形作ります。

 握った左右の拳で、自分の太腿の辺り、ちょうどミニスカートとブーツの合間の絶対領域をトントンと軽く叩きます。

「日本の米はぁ……」

 そのまま右拳で左肩、左拳で右肩を。

 パァン!

 最後に両手が頬を張った乾いた音が、辺りに響きます。

『世界一ぃぃぃ!!!』

 いつものルーティーン。

 あたしのルーティーンにあわせて観客席から同じタイミングで同じ掛け声を、ファンの皆さんが、あたしの家族が、トレーナーさんが、力いっぱい叫ぶのが耳に届きました。

 ただのそれだけで、いつも観客席にはいなくても、いつもずっと見守っていてくれた事が分かります。

 それだけに。

 無様は見せられません。

 そう思った途端。足先でブルリと大きく一つ震えが生まれました。波のようなそれは、両足、腰、胸と這い登ってきてウマ耳の先を揺らして消えていきます。

 武者震いに思わず笑みがこぼれました。

 たぶん、それはとても獰猛に見えたことでしょう。

 

『季節外れの大雪がふりしきる過酷な空模様、帯広競バ場。ダート直線200m、十人のばんえいウマ娘たちが挑みます。本日のメイン競争は第11競走、イレネー記念、BGⅠ。若きばんえいウマ娘達の頂上決戦。バ場水分は7.9%。バ場状態の発表は良となっています』

 しんしんと降りしきる大雪。

 その雪に吸われないような大きなアナウンスが、これから始まる戦場の紹介をしています。

 ファンの声援。トレーナーの激励。

 声の大きさは、それぞれが応援するばんえいウマ娘への期待を籠めてのものなのでしょう。けしてスピーカーから流れるアナウンスに負けていません。

『将来のばんえい競バ界を担うスターの登竜門イレネー記念。未来へと続く、新鋭たちの頂上決戦』

 一呼吸おいて、

『ばんえいフルゲートです!』

 溜めに溜めた実況に、どおぉっ、と地響きのようにスタンドが沸き立ちます。

 濡れた砂を踏みにじるようにして蹄鉄を地面に押し付け、砂の濡れと締まり具合を確かめます。

 今までにないほどの硬い締まり具合。この具合では、いくら3500kgと言っても橇はほとんど沈まないでしょう。

『ジュニア級の三冠目、ジュニア級の最強決定戦とあって観客席には、雪にも関わらず多くのお客さんが来場しております。日没を迎えてから気温は下がり雪も勢いを増してきていますが、皆さん、スタートを今や遅しと待ち構えている様子。ここ数日はみぞれから、ご覧のような雪の天候となっております。かなりバ場が湿っていますので、スピードの出るレースになりそうですね』

 実況と解説のアナウンスが場内のボルテージを上げていきます。

 人が多い。応援が多い。負けるな頑張れと背を押す声が多い。

 これがGⅠ。

 ぐびりと生唾を飲み込みます。平地競争の、トゥインクルシリーズのGⅠに比べれば、観客は四分の一にも満たないでしょう。でも、ばんえい競バとしては大入りです。たくさんの人が、あたし達を応援してくれている。見てくれている。

『本日の1番人気――』

 出走バの解説アナウンスが場内に響いています。

 そのたびに一拍置いて観客席の方から届く波のようなざわめきは、波は波でも頭上から覆いかぶさってくるほどの大波です。

『人気は圧倒的にクインルゴサローズに集まっています』

 隣にチラと目をやると、当のクインルゴサローズさんはそんなアナスンスなどお構いなし。腕を組み、仁王立ちしながらレーザービームでも出しそうな眼付きで真っ直ぐに前を見つめています。ある意味、とてもクインルゴサローズさんらしい。

 その間にも、ゴロゴロとディーゼルエンジンを唸らせるトラクターがまとめて引っ張ってきた橇が、次々とスタート位置に並べられていきます。所定の位置についた橇は、並べられた端から既定の重量の錘を乗せられていき、どれもこれも重いので速度はゆっくりですが手際よくスタート準備が整えられていきます。

『人気を3番と落としたのは、6番カミノクニスノウ』

 後方からゲート内に入ってきた係員さんが、勝負服の上から付けたワラビ型とハーネスに、かじ棒や胴引きを接続していきます。

 接続確認でパンパンとダブルタップされるのも、もう慣れたもの。

 係員さんはスルリとあたしとゲートの隙間を潜って前に抜けでて、あたしの目の前の開閉扉を閉めます。

 がしゃり。

 小さく響く金属のロック音。ピッピッと小気味良い仕草で指差し呼称して閉鎖確認。

 あたしの感謝のサムズアップに、崩れた敬礼が返ってきます。

『前走の黒ユリ賞では競り合いの末の1着となり、ジュニア世代の中で唯一の重賞二勝をあげています。ただ若干のムラっ気があるようで、負けた際の順位が安定しません。そこが人気を落とした理由でしょうか。とは言え"上ノ国の女傑"の孫として今後にも期待のかかる実力はトップクラスと言って良いでしょう。重賞三勝目をあげて、世代の頂点に輝くのか。はたまたライバル達がそれを阻み乱世が続くのか。この雪を吹き飛ばすような熱いレースに期待しましょう』

 その後も他の子達の紹介が続きます。

『――以上、十人によって争われます』

 場内アナスンスがなにかを伺うように静かになりました。

 一呼吸。

 二呼吸。

『ばんえい、フルゲートです!!』

 二回目の"ばんえいフルゲート"コールに、またもスタンドが沸きます。

『10コースが今、係員が橇の後端を合わせます』

 ばんえい競バでは、正確なスタートラインの位置はゲートではなく、ゲートの後方。そこに橇の最後端を揃えるのですが、如何せん橇は重いので、たまに微調整に手間取ることもあります。

『さぁスターターが向かっています』

 発走委員の人がスターター台に向かってきます。勝負の時が、文字通り一歩一歩近づいてきます。

 細い梯子を登った先。スターター台の上で発走委員が、勢いが衰えない降雪にも負けず、シャンと背を伸ばして大きく掲げられた旗は止まって、天を指します。

 重賞競走のファンファーレ。

 しんしんと降り続ける雪に吸われる事なく、トランペットの音が勇ましく場内に響き渡ります。

 重厚な闘いの前触れの指揮を取るように、発走委員がきびきびとした動きで赤い旗を振りかざしています。

 長い重賞ファンファーレが終わると、ウォォォと無数の人の声が縒り合された唸りのような歓声が轟きます。

『歓声が沸き起こります、帯広競バ場。さぁ各ウマ娘、十人全員ゲート内、入って揃っています』

 緊張感に満ちた静寂がゲートに、帯広競バ場全体に満ちます。

 静寂は穏やかさを意味しません。

 スタート直前で燃えあがるような皆の闘志が肌を打つ。負けているなんて露ほどにも思いません。あたしが一番に決まっている。

 ゲートが開くまでの、まるでばんえい競バの1ハロンのような、長いけれど短い一瞬。

 走りたい。

 それは、ウマ娘が持つ衝動でしょう。だから、これから走りだす。

 曳きたい。

 それは、ばんえいウマ娘が持つ本能でしょう。だから、今から曳いて躍りでる。

 勝負服を着てゲートに立つと、その気持ちが一層はっきりとしてきます。

 走る理由は、左胸の奥が教えてくれる。フェアリーナナセ先輩の言っていた言葉が、今なら理解できます。

 時間がゆっくりと引き延ばされるような奇妙な感覚。一点に向けて高まっていく集中力。スターター台でゲートの様子を真剣な表情で伺う発走委員。その右手には発バ機の開扉を行う"レリーズ"が握られている筈。あちらは安全に発走させる為。こちらは最速で発走する為。二箇所でタイミングを計って高まっていく集中。

『今、係員が離れまして……合図かかりました。イレネー記念、スタートです!』

 レリーズが引かれ、ゲートを固定しているロックが外れ開扉する。その音こそが、真の号砲です。

 ガシャン!!

 十人のばんえいウマ娘達の視界を塞ぐ、金属の扉が一斉に開きます。

 瞬間。

 ばんえいウマ娘が身に着けた装具が、橇とウマ娘とをつなぐ部品達が、一斉に盛大に巨大な鈴のような音を鳴り響かせます。

『各ウマ娘、一斉にスタートしました!』

「っしゃおりゃあぁぁぁっっ!!」

 戦いの雄叫びを喉から迸らせながら、十人のばんえいウマ娘が一斉にゲートを飛びだしました。

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