ばんえいウマ娘、北の大地を駆ける 作:mzk_arachne
──57──
「っしゃおりゃあぁぁぁっっ!!」
一斉にゲートを飛び出したばんえいウマ娘達の口から轟く、雪なんて吹き飛ばしてやると言わんばかりの鬨の声。
橇と装具が打ち付けあい、甲高く鳴り響く騒音は、まるで楽器のよう。
『お待たせしました。帯広競バ場、今日のメイン競争、第11レースはイレネー記念、ばんえいグレードⅠ。ジュニア級のオープン、定量の一戦です。十人ほぼ揃った飛び出し。ジュニア級では初となる重いばんえい重量での本レース、全員が3500kgの橇を引きます』
重い!
ですが、速い!
大雪が、コースを恐ろしいほどの高速バ場に変えてしまっています。
たっぷりと水を吸った砂は踏めば水飛沫を立てます。ばんえいウマ娘の踏み込みでも沈まず、がっちり締っていて橇の3500kgの重量を受けても、それをしっかりと受け止めています。橇のズリ金が全然沈みこまないので、重い癖に一度動くとズルズルと曳ける。
『5番クインルゴサローズ、外からビッグアイアン上がっていきます』
クインルゴサローズさんが速い。
強烈なロケットスタートで、高速バ場なのを使って一気にペースを掴もうとする腹積もりでしょうか。
そうはさせるか。
『追うのは7番のシャコータングラムです』
じゃりん、じゃりん、じゃりん、じゃりん。
橇はまるで巨大なスレイベルです。十個の巨大な楽器が奏でるリズムが今日は早い。
十人ほとんど差が無く、あっという間に第1障害です。
「ふんっ!」
身体を単に前に持っていこうとするのではなく、沈みこませながら地面に添わせるようにして、重心を押し出してやるイメージ。
クインルゴサローズさんが言っていた寸勁からヒントを得たトレーナーさんが考えたバイキの動き。それは、スムーズに橇の荷重を前に進むベクトルに変えてくれます。トレーナーさんと目いっぱい練習した動きは、練習通りに出来ています。
ガツンと肩から胸に大きな衝撃が走り、橇を一腰で引き揚げます。
『第1障害にきたシーニーグロームを最後に全バが1障害をクリアー』
皆、スタートダッシュを上手く助走に変えて、難なく第1障害をクリアしています。ここにいるメンバーはジュニア級とは言えGⅠに出れるほどメンバー。言い換えれば今年のジュニア級トップ10です。さすがの実力。
『7番のシャコータングラム先行して、並んで5番クインルゴサローズ、それから6番カミノクニスノウです』
第1障害を降りた勢いが早い。
序盤こそクインルゴサローズさんに喰いつきましたが、あたしはややペースを落とします。この先、第2障害があります。ばんえい重量3500kgを曳き上げなくてはいけないので無理にペースを掴もうとしても、終盤が厳しくなるでしょう。
先頭がこちらの手の届く範囲内にいれば良い。
『4番のアンデスレッドも差がありません。外から9番ビッグアイアン。それをかわしてマネーマーケット、それから1番モチモッツァレラです』
ぞくり。
異様な展開に、融けた雪と汗でびしょぬれの背筋が粟立ちます。
第2直線で、誰も刻みません。
普通、第1障害から第2障害への直行はしません。少なくとも一回は刻んで息を入れます。それにも関わらず、ジュニア級最大重量の3500kgを曳いているにも関わらずの直行。
『2番のインカアウェイクン。続いて3番シーニーグローム』
一呼吸ごとに吐き出される白い息。
しっかり踏ん張れる濡れた砂。それをザカッ、ザカッと踏みしめて走る十の足音が地響きのように轟きます。
誰も足を止めません。
異様なペースに、普段とは違うレース展開に、ラチの向こうのスタンド前で出走バと併走しているお客さん達から歓声が上がります。
『少し置かれて10番のアイリシュコブラー』
慣性が乗った橇が滑るので、曳き続けている限りはパワーが小さくて済むけれど、足を止めてからまた進むには普段通りのパワーがいります。
これは水を張った洗面器に顔を付けて、誰が最後まで息を止めれていられるか。そういう勝負です。我慢比べに負けて、足を止めたらオシマイ。この速いバ場では置いていかれます。
刻み一回が勝負を分ける。それだけに十人全員、止まりたくても止まれません。
クインルゴサローズさん、序盤からこんな我慢比べを強いる早仕掛けとは、やってくれました。
だが、あたしに向かってスタミナの喧嘩とは上等だ。
『まもなく2障害手前、各バほとんど差がありません』
周りから聞こえてくる苦しそうな息。蹄鉄が砂を食む音。ズリ金が砂を曳き潰す音。
我慢比べはひとまず休憩です。
『シャコータングラム、クインルゴサローズ、外から9番のビッグアイアン』
バ群は、頭から尻までほぼ離れずの一塊り。
『2障害前、続々と各バが集まります。前半44秒で来ました』
第2障害の麓で足を止めれば、苦悶にも似た荒々しい呼吸音が四方から聞こえてきます。本来、何度か刻んでくるところを直行してくれば当然です。
それぞれが息を入れて回復させながらも、顔色を伺うようにチラリチラリと左右に視線を走らせます。
フェイントを入れるか。入れた振りして、そのまま曳くか。逆にフェイントに乗った振りをして行かず、フェイントを仕掛けた相手だけそのまま行かせるか。
脚は止まっていても、レースは止まりません。
『さあ、まずは行ったビッグアイアン。挑戦始まった!各バのチャレンジ始まります』
ビッグアイアンさんがバイキをかけて、じゃりん!と盛大な音と共に高低差1.6メートルの頂きを目指して、登り始めます。
フェイント無しの真っ向勝負。
いいですよ、好きですよ、そういうの。でも、焦りは禁物ですよ、あたし。自制するだけの冷静さはまだあります。
『続けて5番のクインルゴサローズ、4番のアンデスレッド、じわぁっと上がってくる。6番のカミノクニスノウはどうか』
緩やかに調息。
十分に息を吸い込み、ググっと身体を後退させて。
「……いき、ます、よぉっっっ!!」
バイキを掛けた途端、ワラビ型がガツンと肩と胸に喰い込みます。
勝負服から露出している肩の筋肉が、絶対領域の太腿がググッと膨れ上がり、布地が肌に喰い込みます。
重い!
みしみしと全身が悲鳴を上げます。
ばんえい重量が圧し掛かり、それを受け止めて引っ張り上げる為に全身に力を籠めて輓曳する。全力で登り始めたものの、ゆっくりとしか上がらない。
『さあ5番のクインルゴサローズ、そしてアンデスレッドが降りた。7番のシャコータングラム、後ろから6番のカミノクニスノウやってきた』
(これがGⅠクラス!でも……いける!)
と。
ズルリと濡れた砂の上で蹄鉄が滑りました。
「?!しまっ……たっ!」
バランスを崩した身体が、ばんえい重量に引き倒される。
そう判断する前に、身体は勝手に動いていました。前方に身体全部を投げ出すようにして、膝をつく。
『6番のカミノクニスノウが膝を折った。ジュニア級には重い重い3500kgが襲いかかります。1番モチモッツァレラがかわした』
重い。胸が苦しい。肩も、胸も、足も、力いっぱい曳いていて、どこもかしこも熱くて痛い。勝負服は水浸しの砂まみれで酷い有様。
あたしの身体が小さくて体重が軽い分だけ、トラクションの掛かりが甘かったのでしょう。ここで膝を折るタイムロスは致命的です。それでもまだ勝負は捨てていません。捨てるものですか。走って最後まで曳くのが輓曳。レースに出ているばんえいウマ娘がレースを捨てるなんて、曳くのを諦めるだなんて。
とんでもない。
それに、勝負はまだついていません。
『6番のカミノクニスノウ、立ち直すのに時間がかかっている』
地面に手をついても砂が崩れるだけ。
片膝立ちから、どうにかしてスタートするしかありません。が、ここまでの道程で疲弊した筋肉は、普段と同じパワーを発揮しないでしょう。それでも疲れているなんて、理由にもなりません。
ズリ曳き運動に攻めウマ。グラムさんの巨躯を背負って片足だけで身体を持ち上げるブルガリアンスクワットを始めとして、マシンや自重を使った毎日の厳しい筋肉トレーニング。走ったレースの数々。それらは何の為だったのか。
「それはぁ!こういう時の為っ!!」
咆哮。
「っっだろうがぁあぁぁぁぁっ!!」
今までに積み上げたあらゆるものと、トレーナーさんの、友達の、ファンの想いが、あたしの背中を押してくれる。
膝頭に掌をついて、気合一発。叫び声と共に足を地面に撃ち込むような勢いで、力を絞り出し、立ち上がります。噛み締められた奥歯がギリギリと音を立てる。お尻から膝の裏にかけて厚い筋肉の束が盛り上がる。
『そのあとにインカアウェイクン。さらにマネーマーケット。ここでカミノクニスノウが立て直した』
「ぬりゃあああぁぁ!!」
一歩。
さらに一歩。
ゆっくりですが、前に、ひたすら前にと輓曳します。
登り切った第2障害の稜線。天板の上から見れば、先頭集団は一歩先を行っています。逆に言えば、その程度しか離されていない。
ヒュオッと大きく吸気。
肺の中身を入れ替えるような勢いで二呼吸。出来る限りの新鮮な空気を飲み込みます。それは、これからの地獄のように苦しい花道への備え。尻込みしているような暇はありません。準備が整えば、飛び込むのみです。その先にしか勝利は無いのですから。
ズザッと蹄鉄で砂を蹴立てて、斜面を駆け下ります。
不思議と、自分の頬が緩んでいるのが分かりました。
楽しい。
こんなに苦しいのに、こんなに楽しい。さぁここからもっと楽しくなる。さぁ勝負だ。全員ぶち抜いてやる。
第2障害を駆け下りた勢いは、そう長くは続きません。普段であれば。
今日のバ場は湿度がめちゃくちゃ高い高速バ場です。砂は橇を絡めとらず、勢いが死に辛い。曳くためのパワーが少なくて済んで、スピード勝負に持ち込めるのであれば、スタミナの比べ合いになるのであれば。
あたしの足は負けない。
『6番のカミノクニスノウ走る走る!』
「にがす、もんかぁぁぁっ!」
第2障害の下り坂をカタパルト代わりにして、コースを走ります。
『一気に!一気に6番のカミノクニスノウがかわした』
ばんえい重量が極めて軽いレースならいざ知らず、重賞クラスの橇を曳いて最終直線で実際に"走る"ような選手はまずいません。普通は、歩いて止まって曳く、です。
そこを、あたしは走りました。
でも、このバ場条件、この第2障害の勢いを利用しただけの、とても限定された条件での走りです。
勢いそのままに突き進んでいるだけで、一回でも足を止めて刻んでしまえばパワー勝負に逆戻り。速度の勝負であれば皆を凌げる、あたしの足の強みは帳消しになる。
だから、
「この脚ぃ!止めてぇ、たまるかあぁぁっ!」
『残り30メートルです』
叫んで、自分を無理やりに叱咤して、帯広競バ場のコースを疾駆する。
『まだ5番のクインルゴサローズが先頭だ』
狙うは、その向こう側の位置。
『2番手アンデスレッド刻んだ。足が止まる』
あたしの足の回転は落ちません。
『駆けて追撃する6番カミノクニスノウ、前に7番のシャコータングラムと、うち1番モチモッツァレラ』
まだ足の回転は落ちません。
ドカッドカッと一人だけハイテンポな足音を立てて曳きます。
「待つべや、スノウ……!スノォーーーッ!!」
「いかせ、ない、スノウちゃん、いかせないよっ!」
叫ぶ二人への返事がわりに、尻尾の赤いリボンを振り回して見せつけます。
『かわした!怒涛の追い上げを見せる6番カミノクニスノウ。シャコータングラム、モチモッツァレラとアンデスレッドをまとめてかわした』
これで、あたしの前にいるのは一人だけ。
『残り10メートルを切りました』
これこそが、一発逆転のばんえい競バ。
こここそが、ばんえいウマ娘の花道。あたし達の闘う場所。
『ここで6番のカミノクニスノウがクインルゴサローズに並んだ!』
「お礼を、言います、あの時、あれを見せて、くれなかったら、あたしは、届かなかった」
「礼を言うには、まだ早く、ないかしらぁ?」
手を伸ばせば届きそうな距離にあるゴールライン。そこを真っ直ぐ見据えながら、荒い呼吸交じりの会話。
ゼハッ、ゼハッ、ともう自分のだかクインルゴサローズさんのだか分からない激しい呼吸音が、頭蓋骨をぐわんぐわんと揺らして響きます。
酷使された喉も肺も焼け付くようです。
「いいえ、必ず言って、やりますよ。あなたの技で、勝てました、ありがとうって!!」
「あっはははぁ!絶対に、言わせません、わぁっ!!」
『クインルゴサローズわずかに足が鈍った。6番のカミノクニスノウがじわっと、じわっと前に出る』
お互いに酸素やエネルギーもガス欠。
それでもなお獰猛に、相手を喰らってやろうと笑いながら、輓曳する。
「そうですわぁ!そうこなくては面白くないですわぁ!」
『アンデスレッドは苦しくなりました。足が止まっている』
今の土俵は、全てを吐き出し切って、メンタルでフィジカルを駆動する領域。つまりは意地と根性のぶつかり合い。
『カミノクニスノウが入線、続いてクインルゴサローズも入線しました。両者とも足は止まらない』
入線しても、橇の後端がゴールラインを越えるまでゴールした事にはならない。まだレースは終わってない。
あたしの左胸の奥から溢れ出して、心と体を衝き動かす声。
走りたい。
曳きたい。
そして、勝ちたい。
今、二人のばんえいウマ娘を突き進ませるもの。それは、相手に勝つという執念に他ならない。
『カミノクニスノウが前に進む、クインルゴサローズも必死に追う。差は縮まらない』
「うあああぁぁっ!勝つのはっ!!あたしだああぁっっ!!」
「ぶっっ潰してっっ!さしあげ、ますわあぁぁぁぁっっ!!」
ほんのわずかな距離。
ほんのハナの差。
それはほんの一歩にも満たないようなとても短くて、とても大きな差。
『文句なし、競り合いを制したのは6番カミノクニスノウ!2番手はクインルゴサローズ』
意味をなさない叫びと共に、転がり込むようにしてゴールラインを通過。
したとたん、じめんがぶつかってきました。いたい。
『そして3着争い』
となりで、おおきなおとがしました。
めだけうごかせば、クインルゴサローズさんがすなのうえでねています。ぎょうぎわるいですよ。
『シャコータングラムとモチモッツァレラどちらか、ほとんど同時、わずかにシャコータングラムだ』
しんぞうのおとがうるさい。
『アンデスレッド苦しい。まだ足が止まっている』
すながつめたいきもちいい。
『その隙にアイリシュコブラー』
ゆきがつもってとけてつめたいきもちいい。
『それからインカアウェイクン、シーニーグローム』
あしおとが聞こえる。
『そしてマネーマーケット』
グラグラしているあたまをどうにかこうにか動かすと、こちらに駆けよってくるトレーナーさんが見えます。
『今アンデスレッドが入線』
ひどく慌てたようなトレーナーさんと係員さん達が装具から橇を、次に装具も外してくれました。
一気に息が楽になります。
『最後9番ビッグアイアン』
酸欠だったところに急に新鮮な酸素が流れ込んできて痛む頭を押さえながら、上半身を起こすと、トレーナーさんが飛びついてきました。
おめでとう、よくやったと喉を震わせて繰り返す様子に、しゃっきりしない頭でもようやく結果が飲み込めてきます。
『果敢に第2障害にチャレンジしましたビッグアイアン、最後に入線です』
彼女の健闘を称えて、観客席の誰からともなく自然と起きる拍手。帯広競バ場では、いつもの事です。たとえ成績は振るわなくたって完走、つまり仕事をやり終えたというのは賞賛されるべき事なのです。
拍手が収まった頃。
酸欠だったあたしの身体と頭は、ようやくなんとか立てそうなくらいには調子が戻ってきていました。
スッと、右手が、あたしの前に差し出されました。
黒と赤の男装の麗人のような勝負服。汗と砂と泥と雪に塗れてもなお艶々と輝く、大輪の花のような雰囲気をしたクインルゴサローズさんが手を差し伸べてくれています。
彼女の手を取ろうとして、前にも似たようなシチュエーションがあったようなのを思い出し、ちょっと躊躇。
その躊躇をクインルゴサローズさんは真正面から無視して、無理やりに右手を持っていかれて、握手させられました。
『帯広競バ場、第11レース、イレネー記念、ばんえいグレードⅠ。見事、ジュニア級の頂上決戦を制したのは6番カミノクニスノウ!この娘こそ来年のクラシックの台風の目となっていくのか!』
「大変良いレースをありがとうございました~。とっても激しく闘り合えて満足ですわ~。でもぉ、次はぶっ潰してさしあげますねぇ」
「はい!次も負けませんよ!」
「あ、まーた二人だけで雰囲気だしちゃってからにさー。あ゛ーー!ウチも勝ちたかったべさーー、スノウ、おめでとう」
「おめでとう。スノウちゃんはやっぱり強いね」
立ち上がろうとして、かくりと膝から力が抜けて、倒れそうになります。
寸前。
よろめきそうになった肩を、トレーナーさんが支えてくれています。ただでさえ重たいのに力が抜けている今はもっと重量感がある筈で、かなりの無茶です。事実、力んだトレーナーさんの足が震えている。それでもトレーナーさんはあたしを支えるのを止めようとはしません。肩を組んで、まるで本当の二人三脚みたい。
膝から崩れ落ちそうになる身体をグラムさんが、クインルゴサローズさんが、モチモッツァレラさんが、一緒に戦った皆が支えてくれています。
あたしは、皆の力を借りながら顔を上げて精一杯胸を張って、観客席を向きます。たくさんの知らないファンの方々。知っているファンの皆さん。おばあちゃんお父さんお母さん妹達。
グッと握りしめた右の拳。
それをいまだに大雪を降らす空に向かって突き上げ、勝利の雄叫びを上げたのでした。