ばんえいウマ娘、北の大地を駆ける 作:mzk_arachne
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「それじゃ、いってきます!」
「……いってらー」
「どうぞ楽しんでいらしてくださいねぇ」
「いってらっしゃーい」
四者四様に挨拶を交わす。
出かけるもの一人、見送るもの三人。
カミノクニスノウのいで立ちは、着慣れたトレセン学園の制服やトレーニングウェアではなかった。
白いシンプルなブラウスに、ブラウンのチェック柄のスカート。腿丈のスカートが若さを演出し、かと言って素足を露出したままではあまりに子供っぽくなり過ぎるので、スカートの茶に負けない濃い目の黒いストッキングを履いている。その上に羽織るのはピンク色のカーディガン。安物ではあるが金のネックレスに、小さなハンドバック。
十勝平野を吹き抜ける風はまだまだ冷たさが残るものの、ようやく見えてきた春を心待ちにして先取りしたかのような装いで、いかにも十代の少女らしい可愛らしさに溢れていた。
レースに、トレーニングに、学業である農業実習にと明け暮れる忙しい帯広トレセン生徒は私服の、とりわけ着飾った服の着用機会が少ない分、かなり新鮮である。
普段であればカミノクニスノウのよそ行きのコーディネートは、シャコータングラムの目を大いに楽しませてくれたであろう。
だが、その新鮮さは、今の彼女にとってはただただ苦々しいものでしかなかった。
カミノクニスノウの姿が視界から消えた途端、シャコータングラムの表情が露骨に歪む。眉間には深い溝が刻まれ、鼻っ面には皺が寄る。その有様は、まるで敵に飛び掛かる寸前のライオンを連想させた。
猛犬――2メートルを超えた筋骨隆々な彼女の体格を考えれば猛獣と言うべきか――注意と、注意書きのポスターを背中に貼られかねない勢いだ。
周りが同じばんえいウマ娘であり、シャコータングラムがそこまで不機嫌になっている理由を知っているからこそ、クインルゴサローズもモチモッツァレラも普段通りにしているのだ。これが彼女一人で街中にいたのであれば、発せられる剣呑さに周りから誰もいなくなっていた事だろう。
不意に、シャコータングラムがぼそりと呟いた。
「もし、そういう事になったら……二人ともウチを止めないでよ。スノウがどう思おうが、ウチがあいつをブチ転がしてコースに埋めてやるべさ」
大の大人でも、回れ右して逃げ出したくなりそうな、低く昏い声音。
抑揚なく呟く彼女のウマ耳は、ギュッと引き絞られて後方に向けて伏せられている。ウマ娘の感情は、ウマ耳に覿面に現れる。シャコータングラムのウマ耳が示す感情は、彼女の表情と同じく不機嫌さや怒りだ。
そういう事とは、つまるところ男女の関係であり、同様の意味合いを持った隠語としてウマ娘達の間に存在するとヒト耳の雄が固く信じ込んでいるところの"うまぴょい"である。なお種の軽重を問わず、当のウマ娘達には"うまぴょい"という単語に対して、そんな隠語としての認識はないので彼女らとの会話の際は注意が必要である。
「おお、怖い」
大袈裟な身振りで肩をすくめるクインルゴサローズ。
話の内容が内容だけに、普段は豪胆なクインルゴサローズとは言え頬の一つも赤らめる、かと思いきや、そんな事は全くなかった。普段と変わらない様子で、シャコータングラムの言葉に反応を返す。
彼女らばんえいウマ娘達が帯広トレセンで学んでいる農業とは、言ってみれば生まれて増えて死ぬサイクルの連なりである。無論、揃って年頃の女の子であるので年相応の好奇心も恥じらいも十二分に持ってはいるが、如何せん生物の繁殖行動に関する知識は同年代よりも遥かに多かった。今のところ、誰も当事者となった事が無いのでいざそうなった場合に各々どのようになるのかは不明であったが、学業故に繁殖行動そのものの受け取り方は年齢にしてはだいぶドライであると言わざるを得なかった。
「カミノクニスノウさんのトレーナーは、しっかりされている方ですわぁ。トレーナーと生徒との線引きは心得ていますでしょうに」
言い換えれば、学生視点からでは色恋からは程遠い堅物、とも言える。
「とは言え、世の中、どこもかしこも間違いだらけですわ~」
視野狭窄状態のままにグルグルと唸るシャコータングラムをからかうような、どこか面白がっているような色を湛えたクインルゴサローズの目付き。
彼女の名と同じ、そのローズレッドの瞳だけが、シャコータングラムにツイと向けられる。
「間違い。あるかどうか、賭けてみますぅ?」
「んっな事ある訳ねぇべさっ!!」
「私も、スノウちゃんはそういうのないかなーって」
クインルゴサローズは大袈裟な溜息を一つ。
「賭けになりませんわねぇ。ふぅ……カミノクニスノウさんを信じなさいなぁ」
「スノウは信じてるしょ!でも、男と銀行の言い分は信じちゃなんねぇってお母ちゃんが言ってたべ!」
雄ライオンが咆哮するかの如き表情。
その恐ろし気な怒鳴り声を、顔に纏わりつく羽虫を散らすような仕草で手をひらひらと振り、柳に風と受け流すクインルゴサローズ。
「社会人と学生の差を見せつけられたグラムちゃんの横顔は、本当に美しいなって」
「おらぁ!本人目の前にして変なの垂れ流してんじゃねーべさ!あそこのマンガの中身から戻ってこい、モッチ!」
寮の談話室の一角。
寮生の間では"図書室"と通称されるそこには、卒業して寮を去っていった歴々の先輩が残していった漫画、誰かが買って読み飽きて置いていった雑誌、休み中に都会まで遠征した子が手に入れてきた薄い本。いかがわしいシーンが全くない本から、バレないように厳重なガードが施されているいかがわしいシーンが多分にある本まで。それらがそれこそ山積みになっており、寮にひしめくうら若き乙女達の偏った知識の源泉となっていた。
興奮のあまり、徐々に大声になり始めているシャコータングラムの声を聞きつけたのか、誰かがわざわざご注進あそばしたのか。いずれにせよ、騒ぎの元凶を確かめに寮長である先輩がこちらにやってくる。
どこからどう説明したものか。別に説明自体は問題ないのだが、すぐ隣に余計な茶々を入れてくれそうな理性が消し飛びかけている猛獣が一頭。
その姿が目に入ったクインルゴサローズは、やにわに沸き起こり始めた頭痛を宥めるように、コメカミを指で揉み解すのだった。
時刻は、消灯時間前。
果たして、カミノクニスノウは普段通り、いや普段以上に良い笑顔での帰寮と相成った。
右手にホテルメイドのスイーツパン、左手にチェーン店でテイクアウトした牛丼を引っ提げて。
ご満悦な様子の足取りは軽く、歩様に乱れはない。
彼女を送り届けたスバルの、水平対向エンジン独特の響きがだんだんと小さくなっていく。
「いやー、なまら美味しかったです!グリルした人参が絶品で!お肉も美味しかったです!ただ量が物足りなかったので、ちょっと買ってきました!うわぁ!グラムさんいきなり抱きついたら危な……なんか泣いてます?無事で良かった?え、え?トレーナーさんは運転そんなに下手じゃないですよ?えーと、そんなに一緒に食べたかったんですか?それじゃ、一緒に夜食にしましょうか。それに今日行ったとこ、アフタヌーンティーやってるみたいですし、今度みんなで一緒に行ってみましょうよ!」