ばんえいウマ娘、北の大地を駆ける 作:mzk_arachne
──62──
ばんえい記念。
その年の最も強いばんえいウマ娘を決めると共にシーズンの最後を飾る、まさに大トリをつとめるレースです。
当然、あたしも皆と競バ場で観戦です。
出走するのは、寮内でも帯広トレセン内でも見たことのある先輩達。ジュニア級より一回り以上も厚く鍛え抜かれた筋肉美に溢れた体躯を勝負服で包み、見たことのない恐ろしく真剣な殺気すら漂う表情でゲートに収まっています。
ばんえい記念でしか流れない特別なファンファーレ。帯広市に駐屯する陸上自衛隊第五旅団第五音楽隊による生演奏。全てがばんえい記念でしか扱われない、唯一無二。
応援。
歓声。
喝采。
怒号。
そして、今までにあたしが経験したことのないほど濃密な、帯広競バ場全体に漂う熱狂。
メインスタンド前に広がるエキサイティングゾーンのみならず、スタンドの観客席までびっしりとお客さんで埋まっています。あたしもその中の一人です。人間のお客さんも多いですが、いつも以上に重種ウマ娘のお客さんが多いです。観客席を埋める肉の密度が高い。まるで帯広中のばんえいウマ娘が集まっているかのようです。実際、それに近いのでしょう。
なにしろ、ばんえい記念はトゥインクルシリーズで例えれば、全てのウマ娘が一度は憬れると言われる"最強を決める"日本ダービーに"一年の総決算"である有馬記念を合わせたレースに相当するのですから。
でも、走る距離は日本ダービー2400メートルや有馬記念2500メートルの十分の一もありません。
たったの200メートル。
ですが、されどの200メートル。それを曳くのに、1着でさえ、あたしが走ったイレネー記念の二倍から三倍のタイムがかかります。出走メンバー全員がゴールしきるまで、十分以上もかかる場合だってあります。そもそも、選び抜かれたばんえいウマ娘であったとしても、完走する事すら難しい。
ばんえい重量5000kgとは、それほどの重さなのです。
世界一長い1ハロン戦の異名は、伊達ではないのです。
ゲートが開き、スタートしても、普通のレースであればハナを奪おうと勢いよく飛び出してくるところを、全バゆっくりと進み出ます。オーバーシニア級の歴戦のばんえいウマ娘でさえ、輓曳するのが容易ではない橇の重さ。
その荷物を曳いて、一歩、また一歩と、刻んでは歩き、歩いては刻んでを繰り返します。コースで戦う先輩達の歩みはひどく遅い。その遅さの意味するところを既にあたしは知っています。ジュニア級でも一年近くレース経験を積んだ今のあたし達は理解しています。
ばんえい記念は、過酷で激しいレースだからこそ、遅いのです。
それだけの過酷な重量を曳いていても、コースをゆっくりと踏みしめながら進む先輩達の目に諦めは見えません。前を睨み、止まって息を入れ、また歩く。ひたすらに前進する。厳しい荷物を曳いていてもけして挫けず、たとえスピードは遅くても着実にゴールを目指して輓曳する。
その姿に、胸が熱くなります。応援している側も知らず知らずのうちに、拳を固く握りしめ、先輩達の歩みに合わせてダン!ダン!と足踏みを繰り返す。
先頭がゴールラインを過ぎて1着、2着とだんだんと着順が決まっていきます。
それでも観客席を離れようとする人は一人もいません。掲示板全ての着順が決まっても歓声は弱くなるどころか、むしろ強くなっていきます。
レースコースを見守る人々の口からは、異口同音に、あらん限りの想いを込めて応援の言葉が叫ばれます。
「けっぱれ」
と。
十人目。最後尾の選手がゴールした時には、惜しみない、1着に勝るとも劣らない勢いの割れんばかりの拍手が贈られました。
ばんえい記念には、最下位はありません。ばんえいフルゲートなら出走バは十人。一番最初にゴールした選手に贈られるのは、一等賞。そして、たとえ一番最後であっても、ばんえい重量5000kgを曳いて過酷な200メートルを踏破した十番目のウマ娘に贈られるのが、十等賞。完走が、挑戦が、勝利とは関係なくそれら自体がまず讃えられるべきことなのです。
事実、コースにいる先輩達は順位に関係なく、誰も彼も達成感に満ちた誇らしげな表情を見せていました。
帯広競バ場を揺らすような拍手が次第に落ち着いていき、潮が引くように消え去った時。あたしの頭に浮かんでいたことはただ一つ。
走りたい。
曳きたい。
隣に並んでいるグラムさんや友人達が、うずうずもじもじと、まるでトイレでも我慢するように身体と脚を小刻みに蠢かしています。
皆揃って、うっすらと笑みを浮かべて、頬を紅潮させています。それは友人達だけではありませんでした。その場でレースを見ていた全ての帯広トレセン生徒が、そうでした。何を我慢しているかはよく分かります。同じようにあたしも我慢しているのですから。
帯広トレセン上位十名によるトップ争奪戦。コースを走る選手の気合の叫び。荒く激しい呼吸の音。鳴り響く装具と橇の音。それを間近で見た今、全身の血が滾るような興奮が体を包んでいます。
それぞれのトレーナーが傍にいなかったら、ほんのちょっとした切っ掛けを引き金に、興奮によって大勢のばんえいウマ娘が目的もなく一斉に走り出していたことでしょう。
おそらく、これは確信に近いのですが、観戦していた全てのばんえいウマ娘それぞれの胸に共通した想いが生まれていたのだと思います。
走りたい。
いつか、あのレースで、走りたい。