ばんえいウマ娘、北の大地を駆ける   作:mzk_arachne

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 そんな、ある日のことです。

 教室備え付けのスピーカーが終業のベルを鳴らします。

 静かな教室が、一気に華やかなざわめきで満たされます。

 ざわめきは徐々に大きくなり、喧噪になろうとしている。それを聞き流しながら、あたしはスケジュールの確認です。

 さて今日の放課後はたしか、チーム未所属やトレーナーがいない子達が集まっての集団トレーニングです。自主トレではなく、きちんと教官が付いてくれます。

 と、スピーカーが今度はチャイムを鳴らしました。

 なにかの事務連絡でしょう。

 そう思って、これまた適当に聞き流そうとしていたら、聞き逃せない言葉がスピーカーから流れてきました。

『……組のカミノクニスノウ。至急、教官室まで来るように』

 唐突に始まったアナウンスは、唐突に終わりました。

 あたし、なんかやっちゃいましたかぁ?

 知りません!知りませんよぉ?!

 いや、皆さん、肩に手を置くのは止めてください。

 あたしは無実です。

 本当に知らないですってばぁ!

 

「失礼します……カミノクニスノウ、入りまぁす」

 そろりそろりと言った感じで教官室のドアを開けて、あたしは入室しました。

「ああ、来たか。カミノクニスノウ君、こっちだ!」

 あたしの声に応じて手を上げているのは、見慣れた教官の姿。

 そして、その隣。

 見慣れない方が、あたしに顔を向けていました。

 理由を知らない注目を受ける。

 尻尾の根本がむず痒くなるような、そのなんとも言いようのない居心地の悪さを感じながら、教官室を突っ切って教官の前まで行きます。

「君もこの後の予定があるだろうから、手短にいこうか。カミノクニスノウ君、紹介しよう。こちらの方が君に会いたいと言ってくれている」

 それが、あたしとトレーナーさんとの出会いでした。

「こんにちは。君がカミノクニスノウ君、だね。よろしく」

 教官の隣で簡素な三脚椅子に座っていた男性が、立ち上がって握手を求めてきました。

 飾り気のない、ざっくりと刈り込んだ髪型に、控えめであっさりした顔立ち。やや地味にも見えてしまいそうなのですが、内側から溢れ出している意思と気力が、そんな印象を吹き飛ばしてしまいます。動きやすさ優先のダボっとした帯広トレセン校章入りツナギに日焼けした格好は、どことなく若い農家にも見えます。他トレセンはよく知りませんが、帯広トレセンですと教職員も生徒もだいたい似たような格好していることが多いので違和感はないです。校舎内ではごく普通のスーツ姿でも、外に出たら長靴履きの教官やトレーナー達は見慣れたものです。生徒だって体操服着てトレーニング用具かついだ子とツナギ着て農具かついだ子が普通に行き交ってます。

 頭頂部があたしの口元に届くくらいでそこまで長身ではないですが、背丈の割りに肩幅と胸が厚い。スッとそこに気が付いてしまうのは、相手の筋肉に思わず目がいってしまうトレーニングする人間に共通する条件反射です。

 そこで初めて、あたしは掌がじっとり汗ばんでいることに気が付きました。自分で知らないうちに、内心の動揺がばっちり出ていたようです。教官室に呼び出し喰らうとか、基本的にろくでもない場合しか考えられませんから。

 慌ててスカートの裾で掌を拭うと、差し出された手を取り、握手を返しました。

 む。

 ばんえいウマ娘であるあたしよりも小さな手なのは当然ですが、予想外に硬くがっちりした手でした。アスリートとして、思わず反応してしまいます。太くはないですが、密度の高い肉が詰まっている感触です。

「こ、こんにちは。きゃ、カミノクニスノウです。よろしくお願いします」

 そんなどうでもいい観察眼は働くのに、声に動揺が出てしまうのは抑えられませんでした。

「あまり時間を取らせてしまうのも悪いからね。単刀直入に言おうか。僕を君のトレーナーにして欲しいんだ」

 真っ直ぐに、あたしを見つめる瞳。

 どくん。

「前に、君が同級生たちと自主トレで模擬レースをしているのを見てね。それ以来、ずっと君の走りが気になっていたんだ」

 どくん。

 どくん。

「君が目指すものを、今の僕は知らない。だから、一緒に何かを目指そうとは言わないし、言えない。ただ、君の走りは磨けばもっともっと良くなれるとは確信している」

 どくん。

 どくん。

 どくん。

「僕が君を上手く磨けるかどうかは分からないが、これでも少しは経験がある。僕の手で君を磨いてみたいんだ。どうだろう、トレーナー契約をしてくれないだろうか?」

 あたしの耳には、目の前の男性の言葉なんて半分くらい届いていません。

 人生経験の浅い学生なんか、適当に言いくるめようと思えば、いくらでもできる筈です。甘い言葉に乗らない自信も、そもそもそれが甘言であるかすらも見極める目がないですから。

 それをせずに、自身が知らないことを知らないと伝えた上で、勧誘するのはかなりフェアであり、誠実でしょう。

 後から思えばそうでしたが、この時のあたしにはそんな事を考えてる余裕なんて、これっぽっちもありませんでした。

 勧誘!

 トレーナー!

 まさに待ち望んでいたものが降ってわいた歓喜と、若い大人の男性にこの身を請われる興奮。それはうら若き乙女にとって劇物に等しいものでした。

「無論、君からすれば突然の話だし、今ここで返事がもらえるとは思っていない。ちょっと僕の言葉を考えてみてもらえると助かる。良い返事を期待しているよ」

 そう言って握手を解こうとする彼の手を、あたしはギュッと握りしめました。

 あたしに手を掴まれた彼の表情が、ぎょっとしたものに変わります。

「契約、しましょう!決めました。あなたがあたしのトレーナーさんです!」

「え?!もう少し考えてからでも大丈夫だけど……」

「おいおい、カミノクニスノウ君。相変わらずせっかちだな。彼もこう言っている事だし、もうちょっと検討してからでも遅くはないよ」

「いえ、教官、決めました。あたしはトレーナーが欲しくて、彼はあたしのトレーナーになりたい。これぞまさに三女神様とイレネーの御采配、ベストマッチングでしょう!という訳で、これからよろしくお願いします!あたしのトレーナーさん!」

 

「という事があったんですよ、グラムさん!」

 自室でベッドに腰掛けながら、シャコータングラムさんに報告します。

「あー、はいはい。てか、もう何回目よソレ」

 あの後、予定していたトレーニングは中止にしました。

 そのまま教官室でトレーナー契約の書類を交わし、学園に提出し終わった頃には日が暮れかけていました。

「トレーナーですよ、あたしにトレーナーさんが、うふふ」

「はぁ……」

 ウマ耳はせわしなくピコピコ動きます。

 尻尾はぶんぶん振られます。

「ふふぅ、うへへへへ」

「聞いちゃいねーし。もう仕方ないなー」

 すっと、シャコータングラムさんがあたしの前に立ちます。

 それすらも、あたしの目には入っていません。

「おらぁ!トレーナー契約は告白じゃねーぞ!正気に戻れ!!」

 真正面からチョップを喰らいました。

「お゛っ!」

 

「……お手数をおかけしました」

「まったくっしょ」

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