先史文明研究員がテラ人になって転生し続けている話   作:Calく

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テラ歴1098年:ロンディニウム「ザ・シャード」
戦争の始まり


――テラ歴1094年、カズデルの荒野にて。

 

スヴェルドフレムがテラの大地に生まれ落ちてから、幾星霜。

その長い歳月は、彼から多くのものを奪った。だが同時に、敵を見極め、殺すための技だけは、むしろ研ぎ澄ませていった。

 

今回の相手は、異族とサルカズの混成部隊だった。

種族が違えど、戦場で命じられることは変わらない。

ただ、より狡猾で、より統率が取れている――それだけだ。

 

乾いた合図とともに、矢が飛ぶ。

一本。

いや、二本目は既に視界の外から回り込んでいる。

 

スヴェルドフレムは、避けない。

 

頬を浅く裂く鋭い痛みが走った。

皮膚が裂け、温かな血が一筋だけ流れ落ちる。

だが彼の動きは、一拍たりとも乱れない。

 

敵が、それを見て僅かに安堵したその瞬間だった。

 

刀身が走る。

抜き放たれた刃は、ためらいなく喉笛を断った。

 

一人。

 

血が噴き上がるより先に、次の獲物へ視線が移る。

倒れゆく敵の身体を踏み越えることすらなく、彼は既に次の一撃へ移っていた。

 

背後に迫る気配。

金属の擦れる音。

短刀を抜くより早く、彼はその刃を逆手に握り替えた。

 

そして、血に濡れた短刀をそのまま背後へ投げる。

 

武器を手放させるには、それで十分だった。

 

短刀は敵の手首を裂き、弓を落とさせる。

武器を失った相手に、スヴェルドフレムは興味を持たない。

次の瞬間には踏み込み、柄頭で顎を砕いていた。

 

二人目。

 

息を整える暇もない。

敵はまだいる。

異族が一人、サルカズが二人。

だが、彼にとってそれは“数”ではなかった。

 

殺意の向き。

立ち位置。

仲間を庇う癖。

呼吸の浅さ。

 

それらを一瞥しただけで、誰が先に死ぬかは見えている。

 

「……遅い」

 

低く吐き捨てるように言って、スヴェルドフレムは踏み込んだ。

肩口を狙った槍を半身で避け、肘で軌道を逸らし、返す刃で腕を落とす。

血の噴き出す音が、ひどく軽い。

 

三人目。

 

サルカズの男が、死にものぐるいで吠えた。

同族であろうと容赦しない。

それは戦場では当然のことだ。

だが、だからこそ敵の目の奥にある“怯え”も、スヴェルドフレムにはよく分かった。

 

「怯えるな」

 

言葉だけが静かに落ちる。

 

「死ぬなら、最後まで立て」

 

その忠告が終わる頃には、男の胸は既に斬り裂かれていた。

 

敵は倒れる。

だがスヴェルドフレムは、そのたびに表情を変えない。

怒りもない。

快楽もない。

あるのはただ、必要な処理を必要な速度で終える、冷徹な実務だけだった。

 

頬の傷から流れた血が、顎を伝い、鎧の縁へ落ちる。

彼はそれを拭わない。

拭う必要がない。

 

血の匂いの中で、ようやく最後の一人が後退した。

逃げるか。

ならばそれでもいい。

逃げる背中は、戦場で最も脆い。

 

スヴェルドフレムは刃を構えたまま、微かに息を吐いた。

 

「……次だ」

 

その声は、勝者のものではない。

狩る者のものでもない。

ただ、終わらぬ戦を受け入れた者の声だった。

 

術師がいないのは、幸運だった。

それは、スヴェルドフレムにとっても同じことだった。

 

高価なアーツユニットなど持てない傭兵は、自らを武器とする。

刃を振るう腕も、踏み込む脚も、敵の喉元へ届くまでの一息も――すべてが術の代わりだ。

鉱石病患者であれば、無理にでもアーツを引きずり出すことはできる。

だがそれは、代償を先払いするに等しい。

肺を焼き、血を冷まし、明日を削る。

 

もっとも、今この戦場で「明日」を口にすること自体が、贅沢なのかもしれない。

今日を生き残れる保証など、最初からどこにもないのだから。

 

「……」

 

スヴェルドフレムは、ほんの僅かに目を伏せた。

敵はまだいる。

視界の端で、刃を構え直す気配。

息を潜めるように距離を測る足音。

その一つ一つが、彼にとっては次の死体の配置に過ぎない。

 

彼は剣を握り直す。

手の内に残る熱は、痛みか、怒りか、あるいはただの疲労か。

どれでもよかった。

いや、どれでも同じだった。

 

自らを武器とするしかない者がいる。

術式を持たぬ傭兵は、己の肉体を砥石にし、何度も擦り減りながら前へ出る。

それが生き方であり、死に方でもある。

 

スヴェルドフレムは、静かに息を吐いた。

 

そして――踏み込む。

 

術師のいない戦場では、刃は迷わない。

ただ、早く、深く、確実に。

彼の一歩は、もはや人の歩みではなかった。

獣が獲物を追う速度でもなく、戦士が勝利を確信する速さでもない。

 

ただ、死を知る者だけが持つ、無駄のない動きだった。

 

 

 

「そう……あなたは良くやってくれたわ。彼等のことは残念だけれど、私たちの戦いは避けられなかったでしょうから」

 

テレジアの声は、戦場の熱を離れた場所にいる者のそれだった。

血の匂いも、砕けた石の音も、まだ遠くに残っているというのに、彼女の吐息だけは妙に穏やかで、深く沈んでいた。

 

スヴェルドフレムはその言葉を、ただ黙って受け取る。

彼女の前では、言葉を飾る必要がない。

いや、飾れない。

この主は、取り繕った礼よりも、剥き出しの実感を好むからだ。

 

「逃がした一部の人間は、貴方から見て戦場に立つ戦士と見做さなかったのね」

 

そう問われて、スヴェルドフレムは僅かに目を伏せた。

短い返答。

だがその背後には、すぐ切るべきか、通すべきか、助けるべきか――一瞬で秤にかけた数多の顔がある。

 

「武器を捨てた者もいれば、戦意のない者もいました。全てを敵と断じるには、無意味な血が多すぎた」

 

テレジアは、わずかに息を吐いた。

それは安堵ではなく、理解だった。

 

「そう……」

 

彼女は少しだけ視線を落とす。

その瞳に映るのは、今もなお戦場の外へ逃げた者たちの影なのだろうか。

あるいは、逃がしたことそのものに意味を与えた、彼の判断なのか。

 

「あなたは、そういうところがあるわね」

 

「どのような意味で、でしょうか」

 

スヴェルドフレムは静かに問い返した。

彼女の前では、偽りのない確認が許される。

 

テレジアは、ほんの僅かに口元を緩める。

 

「……それは、優しさというより、あなたの中の基準がまだ壊れていない証拠よ」

 

スヴェルドフレムは何も言わない。

それを肯定するのも、否定するのも違う気がした。

 

「なら、それでいいわ」

 

そのあまりに淡々とした受け止めに、スヴェルドフレムは僅かに目を上げた。

テレジアは、彼の答えを裁かない。

ただ、そこにあった判断の重さだけを認めている。

 

「彼らが戦士かどうかは、今この瞬間の問題ではないもの」

「生き延びたなら、いずれ別の役割を持つでしょう」

「死んだなら、それまで。……あなたは、そのどちらにも、必要以上の暴力を与えなかった」

 

静かな言葉だった。

だが、それは賞賛に近い。

 

スヴェルドフレムは、ようやく息をついた。

彼女の前では、戦場で削ぎ落としたはずの疲労が、かすかに顔を出す。

 

「殿下は、それを望まれますか」

 

「何を?」

 

「逃がした者たちの生存を」

 

テレジアは、少しだけ考えるように目を細めた。

そして、小さく首を振る。

 

「望む、というのとは少し違うわ」

「でも、彼らが生きて次の季節を迎えるなら、そこに意味はあるでしょう」

「私たちは、全てを壊すために戦っているわけではないもの」

 

その言葉に、スヴェルドフレムは静かに頷いた。

 

彼女は、ただの理想主義者ではない。

だからこそ、テレジアの理想は重い。

誰を救い、誰を切り捨てるか――その判断の重さを、彼女は知っている。

 

「あなたが逃がしたのなら、それは“戦う価値がなかった”からではなく、“今はまだ”戦場に立たせるべきではなかったからでしょう」

 

スヴェルドフレムは、ようやく口を開く。

 

テレジアは、それを聞いてから、ようやく微かに微笑んだ。

 

「それで十分よ」

 

彼女は視線を上げる。

その瞳は、戦場の向こうを見ている。

 

「スヴェルドフレム。あなたは良くやってくれたわ。逃がした者がいたことも、殺さなかったことも、どちらも私には分かる」

 

静かな沈黙が落ちる。

そこにあるのは、慰めではない。

命令でもない。

ただ、同じ重さを知る者同士の、短い理解だった。

 

「次も、同じようにいくとは限らないわ」

「でも――その時にまた、判断してちょうだい」

 

スヴェルドフレムは、深く頭を下げた。

 

「……御意」

 

テレジアはそれ以上は何も言わない。

ただ、少しだけ表情を和らげて、静かに前を向く。

 

その横顔を見ながら、スヴェルドフレムは思う。

この魔王は、救いたいと願う者に対してだけではなく、救えなかった者に対しても、妙なほど目を逸らさない。

 

だからこそ、彼はこの主君に仕えるのだ。

そして、だからこそ――彼女の望む未来が、いつか血で塗り潰されないように、剣を振るう。

 

 

 

 

――テラ歴1098年、ロンディニウム。

 

「私は王庭の主たちといるより、彼らと一緒にいる方が好きだわ」

 

魔王テレジアは燃え盛る艦を見つめながら、ぽつりと呟いた。

 

「サルカズの魂たちはいつも私を蹲らせて、長く苦しい歴史の中に沈めるの」

「だけど彼ら……さっきの子みたいに新たに成長した子たちは、私に確かな未来を感じさせてくれる」

 

先程声をかけた兵士は、その言葉通りカズデルの未来に想いを馳せる若者だった。

サルカズの故郷。

数千年さ迷い続けるサルカズは、誰もが安寧の場所を探している。

この戦争の目的は、サルカズの故郷を創るためにある。

 

「私たちは……この未来をどこに置くべきなのかしら? 再び大地を席巻する戦火の中?」

 

紡がれる魔王の言葉に、背後に控える護衛の男は身動ぎをした。

 

「私たちの目の及ぶ場所全てが焦土になったとき、新芽は本当に私たちの望んだ通りに芽吹くのかしら?」

 

護衛の男はゆっくりと目を閉じた。

焦土。

その言葉が胸に刺さる。

彼はそれを作る側にいる。誰よりも理解している。

焼かれた大地から芽吹くものが、必ずしも希望とは限らないことを。

 

テレジアの声は続く。

 

「戦争と呼べるのは、軍団と軍団の殺し合いだけではないの」

 

「たとえばカーテンの後ろに隠れている目、闇夜の中でささやかれる呪い、抑えつけられた泣き声、そのどれもが戦争よ」

 

静かな声音。

 

だがその中には、数え切れないほどの死者の記憶が宿っていた。

 

「荒野で孤独に倒れた我らが同胞」

 

「黒の慶典で引きずられたローブ」

 

「コレクターがガラスケースに飾ったカズデルの煉瓦」

 

「これらもまた戦争よ」

 

護衛の男の瞳に、一瞬だけ怒りが宿る。

 

彼も見てきた。

 

磔にされ晒された骸を。

売買された遺品を。

記念品のように扱われた故郷の欠片を。

サルカズの歴史とは、戦争の歴史である前に、屈辱の歴史でもあった。

 

「戦争は、いつも私たちの一部だったわ」

 

テレジアは小さく息を吐く。

 

「私たちはただ……再びそれを人々の前へと押し出しただけ」

 

蘇った彼女には選択肢がなかった。

少なくとも彼女自身は、そう信じている。

故郷を得るため。

死者を解放するため。

数千年の呪いを終わらせるため。

 

戦争以外の道は既に閉ざされたのだと。

 

「戦争を終わらせましょう、将軍」

 

テレジアは振り返らない。

 

それでも、その言葉は真っ直ぐ彼に届く。

 

「結局のところ、これがサルカズが採れる唯一の方法であると証明されたのであれば」

 

沈黙。

長い沈黙。

護衛の男は答えない。

否、

答えられない。

今の彼は将軍であり、忠臣だった。

 

テレジアは最後に静かに告げた。

 

「――涙で涙を沈め、苦しみで苦しみを埋めましょう」

 

その言葉は祈りだったのか。諦念だったのか。

あるいは、自らへ向けた呪いだったのか。

 

誰にも分からない。

ただ一人。

 

背後に立つ炎魔だけが、ほんの僅かに拳を握り締めた。

 

サイクロプスの予言が脳裏を過る。

 

――古き炎魔の裔は、自らの悪炎に焼かれるだろう。

 

その未来は、もう遠くないのかもしれない。

 

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