先史文明研究員がテラ人になって転生し続けている話   作:Calく

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バベルの離脱

 

 ある教師が、口論の末に誤って激昂した父親を殺してしまった。

 それを目撃した群衆が激しく憤り、教師はその場で暴行を受けて倒れた。

 やがてその混乱に、平民も、バベルの構成員も、傭兵も、そしておそらく軍事委員会の人間までもが巻き込まれていった。

 

 街に舞い上がった土煙は、片隅からもう一方の果てへと広がり続け――。

 ついには、どこから飛来したとも知れぬ砲弾がバベル事務所の外壁を貫き、王庭軍がようやくその混沌に終止符を打った。

 

 すべては、ささいな事故から始まり、無慈悲な一撃で終わる。

 バベルにとっては、十八年前の戦争以来、最大の損失となった。

 

 若きバンシーの歌は、死の際にある者の心の波を穏やかに鎮めていく。

 その澄んだ旋律はざわめく通りをすり抜け、都市の隅々へと染み渡り、やがて共鳴を呼び起こした。

 

 遠く離れたバンシーたちがその哀しみに満ちた調べに応じ、静かに声を重ねてゆく。

 柔らかな挽歌は都市全体に優しく響き渡り、ただ一人の、名もなきサルカズの旅立ちを静かに見送った。

 

 この一件により、「軍事委員会」と「バベル」両者の対立は決定的なものとなった。

 誰もがその亀裂は埋まることはないと理解し――双生の魔王は、この時初めて互いに背を向けたのだ。

 

 魂の炉がよく燃え盛るのを眺めながら、弔いの調べを耳にしたテレジアは呟いた。

「歌声が聞こえる。サルカズがまた一人、この混乱の中で旅立ったわ……」

「この都市にはもはやバベルの居場所はない。私は皆を連れてここを去るつもりよ」

「サルカズの民たちはすでに選択を下した。私とテレシスで彼らの決定を変えることはできないわ」

「私たちはまだ希望を捨ててはならない。でも今は衝突を避けることが最善の選択よ」

 

 …………

 

 ……

 

「もう私にまみえる勇気はないと思っていた、アスカロン」

「……まあよい」

「稚拙な言葉がその口から飛び出る前に立ち去るがよい。テレジアであっても、お前の考えには賛同せぬだろう」

「無論、何も告げずにこの場に残ることもできよう。お前は正式なバベルの一員ではないのだから」

 

「お前とマンフレッドは、最も自慢の教え子だ。そして共に致命的な欠点がある」

「お前は戦闘において秀でた才を持ち、誰も足元に及ばぬ。だが……果たして己の信念を持っているのか?」

「殿下の護衛など、空虚な自己欺瞞にすぎぬ。お前は未だ迷いの中にあり、己が行動原則をただ感情へと投影することしかできぬのだ」

 

「ならばテレジアについていき、彼女を守るがよい。だが決して盲従はせず、己で考えよ。マンフレッドはお前よりはるかに早く答えを出した」

 

「次に会う時は……」

「……いや」

「行くがよい、アスカロン」

「話すことはもうない」

 

 アスカロンは静かに片膝をつき、テレシスの前で霧と化してその周囲を舞った。

 輪郭はかすかに揺らぎ、やがて音もなく霧は散った――ただ、彼の掌にひとつの石の刃だけが残されていた。

 それを見つめながら、彼は思い出す。あの日、天災のただ中でこの刃を手にした瞬間を。

 己の選択と、その先に続く数多の決意の重さを。

 

 石の刃を握りしめた後、テレシスはもう一つの気配へと視線を向けた。

 

「そなたはどうするつもりだ? スヴェルドフレム」

 

 アスカロンが去ったと同時に姿を現した、テレジアの忠臣にテレシスは尋ねた。

 音もなく傅いたサルカズの男は、その問いに答えた。

 想像通りの言葉に、テレシスはただ頷きを見せた。

「そうか。それが、そなたの答えと言うのならば――違えることなく貫いてみせよ」

 

「――そなたがいまだに私を殿下と呼んでいるとはな」

「ふっ……そなたの好きにせよ」

 

 微笑を浮かべたテレシスは、不意にその笑みを消し告げた。

 

「『軍事委員会』が現状対立しているものは『バベル』のみ。我らは同胞の為に動く『エルデル』に刃を向けることはない――そうであろう?」

 サルカズの男の返答は曖昧なものであったが、その意図をテレシスは理解した。

「私が御せるものはそう多くない。それも、時間の問題であり――いずれその溝は決定的なものになるだろう」

「そなた達は『バベル』との関わりを最小限に抑え――『軍事委員会』との距離を適切に保つ」

「そなたはテレジアの護衛として側に控えよ」

 

「ひとつ、そなたに告げておこう」

 

「剣先を向ける相手も――スヴェルドフレム、全てはそなたの判断で決めよ」

 

「そなたはテレジアの騎士である前に――、一人の同胞なのだから」

 

 …………

 

 ……

 

 彼女に冷たすぎるわ、テレシス。

 お別れの時くらい本音を伝えてあげればいいのに。  

 あの子は感情を表に出すのが得意じゃないのよ。

 

「一人の若者としての面を教育するのならば、そなたの方が適役だろう」

 

 本当に彼女一人では殻を破れないと思っているの?

 

「……私はいつでも彼女の帰還を歓迎している。マンフレッドはまだ武芸においてだらしがないところがあるゆえ、戻ってきたら良い姉弟子になるだろう」

 

 彼女に伝えておくわ。

 

「それ以上に、私はそなたが戻ることを望んでいるがな」

「この一時的な分裂の溝すら埋めることができないようでは……次に顔を合わせた時は、本当に内戦となるやもしれぬ」

「そうなれば、そなたと私が百余年にわたり巡らせた想像がすべて空論に帰す」

「再びまみえた時、そうせざるを得ないのであれば――私はそなたを殺す」

 

 バベル側も準備できているわ。ついてくる意思のある人は、私たちと共に都市を去るでしょう。

 

「……そなたは常に彼奴らの先頭に立っているな」

 

 そうよ。彼らには私が必要だもの。

 

「しかし私もそなたが必要なのだ。そしてカズデルもまた、魔王が必要なのだ」

 

 私たちの民はすでに選択したの。少なくとも今、バベルが退くことが最良の決定よ。

 

 私はこれからもカズデルのために恩恵を呼び、この都市の現状を変えていきながら、恨みが静まるのを待つわ。

 

 この過程は長く、辛抱が必要なものになるかもしれない。そして、その途中であなたが未熟な理想主義者にとっての最大の脅威になったのなら――私もあなたを滅ぼすわ。

 

「ああ、承知の上だ」

 

 通りの両脇には、傭兵と王庭軍が整然と並び立ち、騒ぎ立つ群衆を制していた。

 魔王は人々に温かな住居と、飢えを凌ぐだけの糧を与えた。

 

 だがその一方で、民の胸に積もる鬱屈と恨嗟の声は無視した。

 際限のないバベルの列が、重い荷を背負い無言のまま歩を進めていく。

 忌む目を向けられながら、王庭軍が作る壁の隙間を抜けて。

 

 その様子を見つめる群衆の中へ、テレシスは静かに歩み寄る。

 そして人々の傍らに立った。

 ――約二世紀の時を経て、テレシスは初めて、テレジアと並ぶのではなく、その対岸に立ったのだった。

 

 テレジアは、言葉もなく静かな隊列の中へと歩を進めた。

 都市に背を向ける者たちに、別れの声はなかった。ただ、希望だけが彼らの行く先を照らしていた。

 

 その瞬間、通りのざわめきがふと止み、緩やかに進んでいた行列の足並みがわずかに途切れた。

 怒号も、嗚咽も、そこにはなかった。

 そして、人々はそれを見た――。

 

 警備にあたっていた傭兵のひとりが列を離れ、人混みに立っていた古き友へ駆け寄り、強くその身体を抱きしめたのだ。

 崩れかけたバベルの外れで、二人はそっと何かを囁き合っていた。

 その言葉の内容までは分からない。ただ、それが最後の対話であることだけは誰の目にも明らかだった。

 

 人と人が分かたれる時。

 人と都市が決別する、その瞬間だった。

 

 その様子を遠目から見届けたサルカズの青年は、バベルの印を身につけていた。……自らの道を定めたオッダは、もう一度故郷を振り返る。

 

「戦争以外にも、きっと道はある。俺はそう信じてるよ、親父」

「 きっと、母さんがあそこまでバベルを信じていたのも、今とは違う生活を望んでいたからだと思うんだ」

 

「さようなら、俺の故郷」

 







 ■■■■は――スヴェルドフレムは、己の両手が血に染まっていることを自覚している。
 己の生を知覚したあの日から――戦いを知らない華奢であった手は、節くれだった剣ダコだらけの手へと変わってしまった。
 この過酷な大地で、死に触れることのない人生と言うのは酷く恵まれていることを理解した。
 死に触れ、死を生み出し、死に飲まれる。
 大地で繰り返される循環は、あらゆる者を平等に組み込む。
 かつて■■■■と呼ばれていた男すらも、逃れることはできない。
 「生き物」の「死」に疎かった研究職であった己が、今では嫌と言うほど「死」を深く理解できてしまっている。
 ペンより重いものを持つ機会など皆無であったかつての己が、今では大剣を背負うことすらある。
 「人」に疎かった己が、今では「人の壊し方」を熟知している。
 戦いを疎んだ■■■■だった男は、己が「戦士」だという自負を得た。
 「奪う」ことを知らなかった己の手が、幾万の血に塗れている。
 ■■■■は、スヴェルドフレムは、あの命が失われる感覚を、男は忘れてはならない。
 かつての文明を知る者として――「かつて在った感覚」を忘れてはならない。
 万年に届く闘争の日々に、理性が呑まれてはいけない。
 スヴェルドフレムは、これまでの人生の中で、優秀な者ほど、容易に闘争に溺れ、やがて味方すらも呑みこんだ「破滅」を星の数ほど見たことがある。
 「奪う感覚」を忘れ去った者は、「破滅」を辿る。
 「戦士」であるスヴェルドフレムは、これまでの己が生み出した「犠牲」を忘れてはならない。
 スヴェルドフレムの――■■■■の人生は、無数の同族と敵の骸で積み上げられてきた。
 変わり果てた己でも、その誓いを忘れたことはない。
 一方で――。
 かつての文明の記憶は、この大地の記憶の下で僅かに疼く。それに伴った「価値観」も。
 同時に、この大地へのあらゆる感情も刺激される。
 己の非道に、かつて培った「道徳」が咎める。
 だがこの大地の「現実」の前では、そうした「道徳」は踏み荒らされるが常だ。
 ならば一体、誰が私を救うのか?
 今ではかつての文明の記憶よりも、この大地で積み上げてきた「感覚」が想起されるのだ。
 矛盾した自身について思考する。
 一人の■■■■は、己を何と定義しているのか?
 「――今の私は、この大地に生きる一介のテラ人だ。……文明の欠片を記憶するだけの」



――――――――――――――――――

主人公くんは、これまでの転生人生の中で旧文明人としての道徳と善性、テラの大地で育まれた乱世の倫理観が混ざり合って何回かメンタルぶっ壊れてます。
自制心を捨てた場合、「大地への復讐者」として闇落ちする「もしも」があるかも――。
幕間話を、1、2話ほど載せたら次のストーリー進めます。
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