先史文明研究員がテラ人になって転生し続けている話 作:Calく
俺達があのサルカズの男に見逃されてから、数年。
俺の所属する傭兵団に、放浪医が加わった。カズデルのある荒野まで目的が同じだったことから始まる。
その放浪医は、一見目立たないごく普通のサルカズの男だった。だが、ヘドリーはその男を見てから何とも言えない焦燥感に襲われていることに気付く。
幸か不幸か、イネスは別部隊におり、別の任務で別れて行動していた。
奇妙な既視感に苛まれたヘドリーは、その感覚が最初は何なのか、全く分からなかった。
ヘドリーが気付いたのは、彼の顔を見るたびに、あのサルカズの男を思い出すということだった。
その男――あの時、見逃してくれた男の冷徹な眼差しが、放浪医の目の奥にほんの少しだけ見え隠れしているように思えた。
その気配が、どこか無意識に俺を恐怖させる。
しかし誰にも言えない。
団の中で、彼に対して警戒感を抱いているのは俺だけであり、誰も気に留めない。
それでも、俺の心はひっかかって仕方がなかった。
ある日、ふとした瞬間に気づいた。
放浪医が団の医務室にいる時、背中を向けた一瞬だけ、彼の姿勢がまるであの男に似ていることに気付いたんだ。
その動き、声色、何もかもが、俺の脳裏に焼き付いているあの男のものに似ていた。
ヘドリーがその男――放浪医のことを考える度、あの冷徹な眼差しや鋭い動きが浮かぶ。
だが、ある日、まったく予期しない言葉をその男が口にした。
それは、風の音が静かに森を揺らしていた晩、団の野営地での出来事だった。
その日は、火を囲みながら放浪医がふとした話題で口を開いた。
「ヘドリー、お前はまだ本を読むのか?」
俺は思わず、その問いに一瞬言葉を失った。
本を読めることを、放浪医が知っていたなんて思わなかったからだ。
このカズデルでは、本というものほど明日の飯の種にならないものはない。
精々、市場か好事家に売りつけるくらいだ。
サルカズ語を話せても、サルカズ文字を読めず書けないサルカズはごまんといる。傭兵などその最たるものだ。
そして、文字が書ける奴を学のない傭兵ほど嫌うものは居ない。
だが、あの男の視線は穏やかで、冷徹な剣のようなものは感じられなかった。
その目は、どこか遠くを見ているようだった。
「サルカズは、今も昔も変わらず、戦争と破壊の中で生きてきた。根無し草の俺達は、この大地に弄ばれ続けている」
ヘドリーは黙って放浪医を見つめた。
彼の言葉が、どこか重く響いた。
この男は、普段は無駄な話をしない。ましてや、サルカズの未来などという話をすることもなかった。
「全てのサルカズが、暖かな寝床と今日の糧に困ることなく、また怨嗟に囚われることのない未来が、いつか来るはずだと」
「カズデルだけではない――大地に住む全てのサルカズには、帰るべき"家"が必要だと俺は考えている」
放浪医はそう言って、火の近くでぼんやりと煙草の煙を吐き出す。
その言葉に、ヘドリーは驚きのあまり声を出せなかった。
放浪医が、サルカズの未来について考えているなんて、想像もしていなかった。
「あんた……」
ヘドリーは言葉を選びながら、その男の目を見つめた。
「ただの経験豊富な放浪医じゃないんだな」
放浪医は静かに笑った。その笑顔には、少しだけ寂しさが滲んでいた。
「……ああ。ヘドリー。文字が書けるお前なら、そうだな――サルカズの歴史書でも手掛けると良い」
その言葉に、ヘドリーは思わず目を見開いた。
放浪医が語る言葉の中に、どこか優しさや希望が感じられたからだ。
普段見せる無表情とは裏腹に、彼の心の奥には戦士としてだけではない、もっと別の側面があった。
ヘドリーは少しだけその男を尊敬する気持ちが湧いた。
あの恐ろしい男のような姿ばかりではない、彼の別の面を見た気がした。
その瞬間、ヘドリーは、放浪医がサルカズとしての未来に何かをかけようとしているのだと感じた。
「未来を考えるのか」
ヘドリーは小さく呟いた。
「俺も、そんなことを考えることがある」
放浪医は、その言葉にヘドリーを一瞥し、もう一度煙草の煙を空へと吹き上げた。
「お前は、本を執筆するつもりか? サルカズの未来を語るものも、きっと必要だろう」
その言葉に、ヘドリーの胸が熱くなった。
まだ若い自分が、そんな未来を描くことができるのだろうか。
だが、その言葉が何かを力強く背中を押してくれるような気がした。
放浪医の意外な一面を知り、ヘドリーは静かに心の中で決意を新たにした。
――いつか、俺も、サルカズの未来を語れるような本を書く。
それが、今はただの希望かもしれないが、この先の自分にとって、大きな力になると信じて。
その後――放浪医との別れの時が来た。
ヘドリーの部隊から特に別れの品を贈るでもなく、ただの別れの言葉だけを贈った。
だが、放浪医からは違った。
「ヘドリー」
「どうした?」
「……ああ、勉強熱心なお前に、こいつをやろう」
そう言って手渡されたのは、サルカズの民謡について記された歴史書だ。
「サルカズの未来がどうなるか分からないが――お前は、これからのサルカズの子供達の未来を考えることのできる奴だと思った」
出世払いで良いぞ、と放浪医は口角を上げた。
「俺の教えた古代サルカズ語も忘れるなよ」
「そうだな……折角の機会だ、別れの挨拶はそいつで締めよう」
傭兵部隊と対になる位置に並んだ放浪医は、互いに別れを告げた。
「(古代サルカズ語)さようなら、フレム」
「(古代サルカズ語)さようなら、ヘドリー」
遠のく傭兵部隊の姿を見届けた放浪医――スヴェルドフレムは、ふっと笑みを浮かべた。
「まさか、将来有望な若い同胞が――かつて見逃した幼き同胞だとはな」
「……ヘドリーか。俺の正体に言及した場合の判断を迷っていたが――」
「見送って正解だった」
「……出世払いか、つくづく俺も子供に甘い。思えば俺自身も気を許していたな……あの青年に」
「あの若者がどうなるか――敵になるにせよ、味方になるにせよ……」
「あの若き同胞のようなサルカズが、新たな世代のサルカズになるのかもしれないな」
暫く傭兵団が去った方角を見つめていると、背後から見知ったサルカズが近づいてくる。
後ろに控える部下の気配を察したスヴェルドフレムは、「新人」のサルカズの男の迎えに感謝した後、告げた。
「マヒティス。どうだ、このカズデルは」
その名を呼ばれたサルカズの男は、当時よりも流暢になったサルカズ語で答えた。
「故郷と言うには、カズデルは荒れすぎだな」
「――魔族扱いをされないだけマシだが」
予想通りのマヒティスの言葉に、スヴェルドフレムは答えた。
「(サルゴン語)少なくとも、カズデルではサルカズはサルカズを差別せず、魔族と忌まれることはない」
「(サルゴン語)お前にとってサルゴンは故郷たる場所とは言えないだろうが」
その言葉にサルカズの男は鼻を鳴らし、惨めな記憶ばかり残る土地から離れられた事に感謝を告げた。
「アンタが俺をここにつれてきたんだぜ、ボス。俺はアンタの為に働くんじゃねぇ。俺が、俺らしく生きるためだ」
「ふっ。そうだな――そうだったな。お前らしく生きることを、『エルデル』は否定しない」
彼は自分らしく生きるために戦うことを選んだ。
それは、スヴェルドフレムが心の奥で大切にしている信念だった。
スヴェルドフレムはその言葉を静かに受け止め、再び顔を向けた。
スヴェルドフレムは同胞のより良い未来を願いながら、次なる地へと歩みを進めた。
この時の主人公くんは変装してたのでごく普通のサルカズです。放浪医を名乗りカズデル荒野を巡り、傭兵の情報網を通じて周辺諸国の世界情勢について情報収集してました。
再会は偶然ですが、将来有望な若い同胞を知れて嬉しい主人公くん。