先史文明研究員がテラ人になって転生し続けている話 作:Calく
アスカロンの新コーデ、ナハツェーラーみが増しててすこすこ。やっぱナハツェーラーなんすねぇ……。
移動都市ロンディニウム内――ある部屋にて。
闇から姿を現したアスカロンに、マンフレッドは抵抗しなかった。
「もしここでお前の首を掻っ切れば、少なくともお前はロンディニウムで死なずに済む。死体は溶炉に投げ込んでやろう」
「……そして、多くの者たちも異国の戦場で死なずに済むだろう」
刺客の刃を首へと突きつけられてもなお、マンフレッドは引かなかった。
「決心したのなら、今すぐ私を殺すべきだ。これが君にとって最後のチャンスだからな」
その言葉に、アスカロンの刃を握る力が弱まった。
「もう、決めたのか」
マンフレッドは口を開いた。
「君は己の信念が欠けていると将軍は言うが、私はそうとも限らないと思っている」
「……他人に命を握られている時は口を慎んだ方がいい」
「最近になってようやく理解した。意志が固くないのは、むしろ私の方なのだと」
「我々はどちらも見えない波にここまで押し流されてきたのだ……しかし戦争が始まったあの日に、引き返す道は断たれてしまった」
マンフレッドの言葉にアスカロンは沈黙した。
「……」
「ならば……精一杯生き延びることだ」
アスカロンは相弟子に向けて告げる。
「次は矛を収めはしない」
寡黙な刺客は仕込み刀をしまって、ゆっくりと影の中へ戻っていった。
「……私もだ」
「これが最後の再会となることを祈ろう」
――カズデル地区、「バベル」ロドス本艦。
冷たい風が晩冬の分厚い雲を吹き散らし、その隙間から抜けた日差しがブリッジに広がっていく。
階段の下、アスカロンは柵のそばで立ったまま動かない。
彼女は両目をきつく閉じ、日差しがもたらすひと時の温かさを享受していた。
階段の上方から、布が地面と擦れる音が聞こえてくる。
通りすがる人の影が刺客の顔で揺れ、空から降り注ぐ日差しを遮った。
「ごめんなさい。お休みの邪魔をしちゃったかしら?」
「靴を脱いで歩けば、音はしないと思ったのだけど」
「……お話はしてくれないの?」
「何の話だ?」
「カズデルに戻ったことについて」
「……あれは私の独断だ」
「殿下は反対するだろうと思って……結局どう切り出せばいいのかわからなかった」
「そんなはずないでしょう? あなたの決定なら、私もその判断を信じるわ」
「それで、彼らに会ったの?」
「……あの人もマンフレッドも変わらぬ様子だった」
「そうでしょうね。二人ともとても強いもの」
「私たちもそろそろ準備しないとね。カズデルの奪還作戦はそう遠くないわ」
テレジアの言葉に、アスカロンの表情が翳りを見せた。
「……」
「そんな険しい顔をしてどうしたの?」
疑問に思ったテレジアが投げかけた。
「バベルは変化が大きい。特に……」
「ドクターの」
アスカロンの脳裏に、最近のドクターの姿が過ぎる。
ドクターは大きく変わった。
何をするにしてもより効率的で冷静になった。
まるで……ミスをしない機械のように。
それは、指揮官として求められる理想でもあるだろう。
だが本当に……それで良いのだろうか?
私は今のあの優秀な指揮官よりも……駄獣の背中から惨めに転がり落ちたあいつの方を信頼している。
「殿下、我々は本当に今カズデルに攻め入るべきなのだろうか?」
「あなたの直感はいつも鋭いのよね」
「殿下も同じ懸念を?」
「だけど、忘れちゃったのかしら」
「ここ数年、私たちはどう見ても打開できそうにない窮地に何度陥ったことかしら。でも最終的には――一つ一つ乗り越えてきたじゃない」
「きっと今回も同じだと思うわ」
「しかしリスクは常に付きまとう……」
「軍事委員会との対立では、私たちは常に不利な状況にあった。だけど今、彼らの主力部隊のほとんどがロンディニウムに向かうというまたとない好機が訪れているの。私たちに選択肢はないわ」
「必ずやそばで殿下の安全を守ろう」
「いいえ、アスカロン」
「この先、あなたはより遠くへ、より多くの人を守りに行かないといけないの」
「今はリラックスして、日差しをゆっくり楽しんで」
「殿下……」
「そうだ、休むにしても立ったまま休んでばかりいないで。疲れた時はお部屋に戻ってゆっくりと寝るのよ」
「覚えておく」
ふと見知った気配が背後に現れた――視線を向ければ、やはり教え子たるアスカロンだった。
闇から溶け出るように姿を現した嵐の子。
闇の刺客としての生き方を選んだ教え子――その表情はどこか暗く――スヴェルドフレムはその様子から察した。
「あの方とマンフレッドに会ったようだな」
「……何故」
言い当てられ驚くアスカロンに、スヴェルドフレムは手入れしていた武器を収めた。
「ただの勘に過ぎん」
「だがお前達二人が……両殿下が対立したあの時から……何処かで顔を合わせる機会があるかもしれないと」
「見れば分かる。お前の立ち方が、影の中に沈みすぎている。迷いを抱えた者の重心だ」
「それに、お前のような者が――わざわざ私の前に顔を見せに来た。何もなかったなどとは思わん」
アスカロンは口をつぐむ。
静けさが、会話の代わりに二人の間に流れ込む。
やがて、アスカロンは小さく息をついた。
「……あの人は、今も変わらず“前”を見ていた。私は……それに、少しだけ、置いていかれた気がした」
「マンフレッドも、テレジア殿下も。それぞれのやり方で、進んでいる」
スヴェルドフレムはわずかに目を細めた。
その表情に、怒りも嘆きもなかった。ただ、過去を抱いた者の、沈黙の哀惜だけがあった。
「……それが“対立”という言葉で片付くほど、浅い話ではないことも分かっているのだろう?」
「ああ。だが……それでも……」
アスカロンの声が途切れる。
言葉にならない想いが、剣の刃よりも鋭く、胸を切り裂く。
「……もし、あの時、もっと早く気づいていれば、私は――」
「それは違う、アスカロン」
スヴェルドフレムは彼女の言葉を遮った。
その声音に、かつての師の厳しさが宿る。
「すべての選択に“もし”を持ち出すのは、過去に縛られたい者の思考だ。お前は前に進め。闇を歩む者ならば、なおさらだ」
アスカロンは瞼を伏せた。
彼の言葉は厳しかったが、その奥にあるもの――それは紛れもなく、かつての教え導いた者としての温情だった。
「……ありがとう、隊長」
闇の中、再び沈黙が戻る。
けれどその静寂は、もう決して空虚ではなかった。
アスカロンは感謝を告げると、音もなく闇に溶けるように姿を消していった。
スヴェルドフレムは、ただその背を見送っていた。
刃のように鋭く、しかし確かに成長した教え子の姿を、静かに。
ナハツェーラーは死と戦争の種族である。
生ける者の死を糧とし、戦争なくして生き延びられないサルカズ種族のひとつ。
だが、我らは本当に戦争なくして生きられぬのか?
かつてある氏族は群れから離れ、争いを憂い森で暮らした。だが争いなく戦争による死が生まれない場所では、弱り果てやがてその一族は死に絶えてしまった。
戦争がなければ、ナハツェーラーは死に至る。
それは血に刻まれた宿命であり、逃れられぬ呪いだった。
エーレマイオスもまた、そんな血を引く者だった。
混血の身で生まれ、争いと死に怯えながら、それでもなお何か別の道を望んだ。
混血とはいえナハツェーラーとして生まれたエーレマイオスもまた、そう考える一人であった。
かつてカズデル侵攻により灰燼と化した故郷を前に、エーレマイオスは一人の英雄の死を見た。
その時から、彼は死と戦争の因果にあるナハツェーラーの運命から逃れるように荒野をさ迷った。
戦いを拒み、死を避け、名もなき荒野をあてもなくさ迷った。
だが――
血に刻まれた因果は、逃げる者を許さなかった。
それは彼を救うものではなく、自己の尊厳を破壊する恐ろしい経験を彼に刻んだ。
彼は奴隷となり、誇りも名も失った。
右腕を奪われ、足元に積まれる死体の上で、己が何者であるかも見失いかけていた。
奴隷となり、片腕を失った彼に手を差し伸べたスヴェルドフレム――彼が知る英雄にどこか懐かしく思う男に、救われた。
エーレマイオスは死と戦争の因果たるナハツェーラーの運命から逃れることは出来ていない。スヴェルドフレムの元で、彼は再び武器を取った。
死と戦争を受け入れるのではない。
その因果を利用し、同胞の未来を切り拓くために。
彼はまだ、ナハツェーラーの呪いから逃れたわけではない。
戦えば戦うほど、その血は疼き、内から飢える声がする。
それでも――
今は、あの荒野の中で空ろな目をしていた日々よりも、遥かにましだった。
「戦争は……生きるために必要かもしれない。だが、誰かのために戦うことができるなら、俺は――それでいい」
行くあてもなく荒野をさ迷ったあの頃より、スヴェルドフレムの元で同胞の為に尽くす今を嫌ってはない。
そこでふと、エーレマイオスと呼ばれる男は思い出した。
荒野をさまよい、双生の魔王に拾われた嵐の子。
アスカロン。
……エーレマイオスよりも随分と薄れた血筋だが、ナハツェーラーの血を引いているサルカズ。
あのアーツと言い、死と争いの運命にあるナハツェーラーの在り方を表しているようだ。
彼は、ナハツェーラーの血を否定した。
逃げ、捨て、そしてそれを利用することにした。
だがアスカロンは違う。
誰かに振るわれる刃として、自らの命を他者の意思に委ね、死と争いの道を疑わなかった。
彼女は、選んだのだ。
運命に流されるのではなく、運命そのものを自らの手に取り、刃として鋭く研ぎ澄ませることを。
「それで満たされるのか?」
ナハツェーラーとして生きることを。
死と戦争に依存する自分たちの在り方を。
そして、そうしてしか生きられない同胞の姿を。
アスカロン。
彼女の歩む道は、決して自分と交わることはないだろう。
だが――その姿が、彼の胸に何かを残したこともまた、確かな事実だった。
アスカロンがその刃で守るもの。
エーレマイオスがその命で繋ぐもの。
それらが、いつか同じ未来を見据えることを願ったのだった。