先史文明研究員がテラ人になって転生し続けている話 作:Calく
息を殺して
角を切り落として
全身を覆い
荒野を抜けて
障害を越えて
艦船へと乗り込み
死へと向かう
最も純粋な信念がぶつかり合い、最も救われない悲劇が幕を開く。
バベル本艦――。
鋼の廊下が静かに軋む。
テレジアの護衛として影で控えていたスヴェルドフレムは、バベル本艦そのものの警備の任に就きながらも、内心では重い葛藤を抱いていた。
今回の作戦指揮者はドクター。
誰よりも長く、誰よりも深く、過去を知る存在。
――俺は、あの男を信じ切れていない。
かつての先史文明時代、理想を語った預言者が、何を想い、何を選ぶのか。
その答えを知るためにこそ、スヴェルドフレムは今回の作戦を“見届ける”と決めたのだ。
しかし、その時――
殺意。
空気の色が変わったように感じた。
風の音が、金属を撫でるような鋭さを帯び、視界の端が濁る。
「……来たか」
まるで無音の濁流のように、敵が侵入してくる気配。
数多の「ネズミども」、そして、その奥に一際異質な“気”がある。
――刺客。
この殺気は尋常なものではない。
生存よりも殺害を優先する狂気。戦場でしか研がれぬ鋼の意志。
足音。影。動きの軌跡。
スヴェルドフレムは気づいた。
あれは――同胞だ。
血の匂いに塗れ、角を落とし、肌を刻んだサルカズたち。
個としての誇りを捨て、ただ“刃”として仕立て上げられた刺客たち。
その歩みは、まっすぐにテレジア殿下の元を目指していた。
「ならば、行かせはせん」
その言葉とともに、スヴェルドフレムはその巨躯を廊下の一角に立たせる。
眼前を通り過ぎようとする者は誰であれ、容赦なく斬り伏せる覚悟で。
剣を抜いた。
刺客たちは言葉を持たない。
叫びもせず、ただ前へと進む。
剣戟が火花を散らす。
重なる刃の音、砕ける骨の音、血を吐く音。
殿下の元に刃を届かせぬため、ただ、その身を剣と化して立ち塞がる。
刺客の瞳は、誰も見ていない。
だがその奥に宿る光は、スヴェルドフレムがかつて見たものと同じだった。
――信念。
それは、救いのない信念。
ただ己の主のために、命を燃やす者たち。
同じだ。
スヴェルドフレムもまた、命を懸けてテレジアに仕える者。
最も純粋な信念が――今、最も救われない形で衝突していた。
刺客は、途切れなかった。
数を減らしても、また湧いて出る。
それも、一人残らず本物――血と死を潜り抜けてきたサルカズの戦士たち。
スヴェルドフレムは、戦いながら思考する。
おかしい、と。
スヴェルドフレムが守るこの区画は、艦内の構造上もっとも侵入されやすい箇所である。
当然、敵が殺到する可能性は高い――そう予測した上で、ここに自らを配置した。
だが、それにしても数が多すぎる。
そして気配が散っている。
敵は四方から迫っていることを察した。
「……摂政王は本気ということか」
息を整えながら、足の踏み場が少なくなるほど重なった骸を避け、スヴェルドフレムは歩を進めながら剣を振るう。
スヴェルドフレムの肉体は疲労を感じ始めていた。
この場所に拘束されていることが、焦燥を膨らませていた。
――違和感。
血の臭いに満ちた狭い通路の中、スヴェルドフレムはまた一人、刺客を断ち伏せた。
だが、倒れ伏したその体を踏み越えるとき、ふと足が止まる。
何かがおかしい。
確かに、敵は強い。
だがそれだけではない。
あまりにも動きが精確すぎる。
あまりにも、構造に詳しすぎる。
「……こいつら」
ただの刺客ではない。
ここが“どこを通れば誰のもとに辿り着けるか”を、知っている。
だがそれだけではなかった。
防衛システムの停止――
偶然ではない。明らかに中枢からの操作だ。
「この艦の制御コードは……通常、ドクターの認証がなければ、書き換えられないはずだ」
短く息を吐いた。
戦いの只中だというのに、脳裏を過る思考が、雑音のようにノイズを響かせてくる。
違和感が、皮膚の下で蠢いていた。
ドクターはこの作戦の指揮官だ。
ならば、当然バベルの……ロドスの艦のセキュリティを把握している。
だが、その彼が敵の侵入経路に対する反応を示していない。
警報もない。増援もない。
なぜだ?
「……ドクター」
疑念が、剣の重さを増す。
額から、血か汗かわからぬ液体が流れ落ちる。
信じたい。
いや、信じていた。
テレジア殿下が信じた男だ。
ケルシーが身を投げてまで守ろうとした男だ。
その慈悲、その知性、その過去。
すべてを知る彼が――なぜ?
なぜ、この状況を許している?
まるで……望んでいるかのように。
悲劇は、音を立てて近づいていた。
だれも止めることはできない。
信じる者ほど深く傷つき、守る者ほど孤独に立たされる。
信じるとは、痛みを選ぶこと。
それでもなお、歩むべきなのか?
不意に、懐に忍ばせていた巫術仕込みの護符が熱を持った。
古代サルカズのその巫術は、指定した相手の危険を知らせるもの。
「――殿下……!」
そうして焦燥感に突き動かされるまま、スヴェルドフレムは議長室へと向かった。
テレジアはアーミヤが眠ってくれていることを幸いに思った。
アーミヤはドクターの裏切りも、テレジアの最後の悲しみも見ていない。
そしてテレジアが議長室内の最後の刺客を抹殺すると同時に、その黒い王冠はついにアーミヤへと渡った。
テレジアが無理やり立ち上がり、自分に手を差し伸べるのを目にして、ドクターは本能的に後ずさろうとした。
しかしドクターは自分の体が全く動かないことに気付き、今感じている悲しみが、必死に保った理性をはるかに上回っていることを思い知らされた。
だから、テレジアがマスクの下の顔に触れるのを受け入れるしかなかった。
指をゆっくりと伸ばす。
その動作に伴い、彼女の表情の奥に広がっていた景色が、まるで布の織り目のようにほころびはじめた。
裂け目が開き、ほつれた糸がそっと引かれていく。
そこに映っていた光景は徐々にほどけ、静かに消え去っていった。
テレジアは振り返らなかった。
ただ、さらに奥へと進みながら、ドクターの魂を形作っていた記憶の糸を一つひとつ手繰り寄せ、解きほぐしていく。
そして、その糸は乱雑に絡まり合った青白い塊となり、静かに積み重なっていった。
遠い、遠い昔のある夜のことを思い出す。
まだ幼かった彼女が、テレシスのそばで裁縫を学んでいた頃の、静謐な時間。
布を織り、糸を編み、裂け目を繕う。
その手の動きは、今も彼女の中で生きていた。
「……だから、私はやっぱり……あなたを信じるわ」
その言葉は、決して揺らがぬ信念の証明であると同時に、深い哀しみの重さを伴っていた。
「雨露と明るい太陽を、私たちにもたらしてくれたのは……ドクターだから」
儚くも強い微笑みが、彼女の唇に浮かぶ。
それは、道を歩み続ける者の静かな覚悟の証だった。