先史文明研究員がテラ人になって転生し続けている話   作:Calく

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 ――光なき船室、命の終わりに灯る、微かな希望。

「……ふふ、やっぱり……来て、くれたのね……」

声は細く、かすれていた。
倒れ伏す魔王の口元に浮かぶ笑みは、死の気配を背にしながら、どこか満ち足りたものだった。

崩れ落ちた鉄壁の扉。血に濡れた刃を手に、スヴェルドフレムは荒く息を吐きながら、ゆっくりと膝をつく。
彼の背には、無数の刺客を斃してきた証として、赤黒い飛沫がまだ温かく貼り付いていた。
だがその視線は、ただ一点――血に染まる床に横たわる彼女の姿から離れない。

「……殿下。遅れました、俺は……」
「いいえ……間に合ったわ……ちゃんと……来てくれた……」

テレジアの左肩は抉られ、体には無数の深く鈍い裂傷が走っていた。
術師と言えどサルカズの魔王の肉体を、ここまで損傷させるという事実だけで、どれほど苛烈な戦いであったかを物語っている。
それでも彼女はなお、生きていた。息絶えぬまま、最後に守るべきものをその胸に残して――。
深い眠りに落ちたアーミヤとドクターを一瞥した後、穏やかな笑みを浮かべたテレジア。

「……刺客は、まだ来るわ……ここを、守って……ケルシーが……来るまで……」

テレジアの手が、ゆるく宙を泳ぐ。その指先が掴もうとしていたのは、かつて掲げた理想か、それとも……。
スヴェルドフレムは、その手を取る。己の手に鋲のように付いた血が、テレジアの指を染めることに一瞬の躊躇を覚えたが、それでも強く握った。
初めて握った魔王の手は、英雄と思えないような、職人の手であった。

「お任せください。この命、殿下の盾となりましょう」

「……ええ……あなたは、いつも……そうだった……」

小さな微笑。けれど、その奥底には、今なお断ち切れぬ痛みがあった。
何度も裏切られた。
愛した民に、共にあった兄に、何よりも信じた“あの者”に――。

けれど、今この瞬間だけは、ひとりではなかった。
傍にいた。
彼がいた。

「……もし、あなたが……この先も、生き延びられるなら……」
テレジアの瞳が、スヴェルドフレムを見つめる。もう焦点は曖昧で、時間の猶予も残されてはいない。
それでも、その声だけは、何処までも凛としていた。
「サルカズの民を、……彼らを……頼んだわ……。血に酔うことなく、絶望に沈まず……生き抜く道を、導いてあげて……」

「……そのためなら、俺は何度でも命を燃やしましょう」

「ありがとう……あなたが……いてくれて、よかった……」

――その言葉を最後に、魔王の瞳が、そっと閉じられた。

けれど、まだその体温は、掌にあった。
その命はまだ尽きていない。
ケルシーが来るまで……この方を守り抜かねばならない。

スヴェルドフレムは静かに立ち上がる。
血に塗れた剣を手に、音もなく近づいてくる気配に振り返る。
そして、全身を殺意に染めながら宣告する――。

「ここは貴様らが踏み荒らして良い場所ではない」
「――その罪、貴様らの命で贖おう」








彼女の耳に聞こえている音――スヴェルドフレムと刺客による剣戟が繰り広げられているのだと分かった。
テレジアには、もう最後のほんのわずかな力しか残されていない。
それでも、どうしても待たなければならない人がいる。
幸いなことに、その人が駆けつける音はすでに彼女の耳に届いていた。
たとえ再び目を開く力が残っていなくとも、彼女にはわかった。
ついに――
その人が戻ってきたのだと。
「ケルシー……」



物語の結末

 

 

 

 

 

 

 

「彼女の死はすでに定まった」

「お前たちは魔王を失った」

「そして私も唯一の肉親を失った」

「……」

「しかし私はこのすべての犠牲を無意味にはさせぬ」

「同胞よ――」

「お前たちがこの場に集った目的が、平和のためであれ、復讐のためであれ――」

 

「その声を聞こう」

 

 摂政王は、己へ凶刃を向けるサルカズ達を見遣る。

 

「復讐。戦争。生存。未来。」

「サルカズの真の道がどこに敷かれているのか、お前たちは知ることになるだろう」

「ヴィクトリアの階段を染めたお前たちの鮮血も、いずれ帰る場所を得るのだ――」

「この地を我らの新たな始まりとせねばならぬ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この世に生まれ落ちたその日から今まで、ケルシーはこの廊下がこれほどまでに長いと感じたことはなかった。

 粉微塵と化した不滅の帝国、先民の叫び声の中、二つに折れた神民の王笏、天幕の脈動のようなパルス、輝きから崩壊に至る星々の不変の法則……、

 消滅、新生……万物の輪廻は、彼女にとって決して馴染みのないものではない。

 ケルシーは無意識に脳内の記憶を探っていた……

 消滅、新生……万物の輪廻。

 いや。

 今回は、違う。これまでとは違う。

 彼女は、自分と対等にコミュニケーションを取れる者――初めての親友に別れを告げねばならない。

 

 それは、これまでにない経験だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瓦礫と血の匂いが渦を巻いていた。

 ケルシーがたどり着いたのは、かつて仲間たちと共に築いた希望の砦――バベルの中心であるはずの場所だった。だがそこにあったのは、悲劇の光景だった。

 ケルシーの視線がふと逸れた先には、ひとり剣を振るう男がいた。

 スヴェルドフレム――彼女と同じく長く生き過ぎたサルカズ。

 彼は無言のまま、迫りくる敵を一人、また一人と斬り伏せる。

 瞳に宿るものは激情ではない。ただ果てしない使命感と――何より「止めてはならぬ」という執念だけだった。

 スヴェルドフレムがケルシーへと一瞬、視線を投げる。

 剣を振るいながら、それでも確かに目で語った。

 ――今は私が守る。お前は殿下の言葉を聞け。

 

 ケルシーはアーミヤのもとへと駆け寄る。

 

 アーミヤが目を開き、瞳孔の中にピンク色のひし形がうっすらと浮かび上がる。

 テレジアはいまだきつく目を閉じたままだ。

 しかしケルシーにはわかっていた。

 これは彼女だと。

「ケルシー……ずっと待っていたわ」

 微笑むアーミヤ……否、テレジアはそう言った。

「テレジア! 何が――」

「大丈夫よ、ケルシー。大丈夫だから」

「聞いて――」

 

 

 

 魔王の体は既に死している。

 だが、その意識は幼いコータスの少女を介してケルシーへと言葉を伝えていた。

 

 ――ケルシー、私は決して思いつきでこの王冠をバベルに……彼女に託したわけじゃないの。

 

 循環を断ち切って、いずれ訪れる未来に対応するには……魔王は単なるサルカズの魔王であっても、テラの魔王であってもならない。

 

 魔王は枷でも、支配でも、無敵の力でもないのだから。

 

 魔王は鍵……「文明の存続」よ。

 

 この子には伝えないでね、ケルシー。あの子が今すぐにこのすべてを担う必要はないから。

 

 その道に踏み出したら、彼女はきっと理解するわ。いえ、理解しなければならない――

 

 あらゆる障害に打ち勝ってこそ、大地に通じる扉を見つけることができると。

 

 私は理想の中に消えていく。でも彼女は……

 

 朽ち果てるすべてを、燃やし尽くす炎となるでしょう。

 

 今この瞬間もサルカズの民の声が聞こえるわ、ケルシー……。

 サルカズの魂に近づくほど、その声がはっきりとわかるの。

 万年もの叫び声の中で、私が耳にしたのは――。

 

「苦難が再び訪れ――」

「テラ全土の屈服が――」

 

「今この時より始まる」

 

 それは、摂政王が語る野望。

 それは、魔王が語る未来。

 

「サルカズは――」

 サルカズは――。

 

「――再び苦難より蘇るであろう」

 ――大地を滅ぼすでしょう。

 

 私たちは彼を止めなければならないわ。

 

 あなたならきっと、何とかできるわ。

 

 それに、私たちが一緒に打ち建てたバベルでは、あなたはいつだって独りなんかじゃない――。

「仲間が助けてくれるわ」

 

 

 

 テラ歴1094年、魔王テレジア死す。

 その強大な魔王の片割れの死を、多くのサルカズが感じ取った。

 ウルサスの大地で奔走するウェンディゴの戦士が。

「これは……そうか。殿下が……」

 

 高塔にて教鞭を執るリッチの老男が。

「殿下……」

 

 バンシーの女が――バンシーの渓谷で、

「……テレジア……」

 

 方や戦場で奮戦するバンシーの若者が。

「……うむ。我らは……我にはわからぬ……やはり……」

 

 強大な血のアーツを振るうブラッドブルードの王と、原始にして最古のナハツェーラーの王が。

「……終わりましたね」

「なぜ……この我輩が……?」

「……実は私も不思議に思っているのです、ナハツェーラーの王よ」

「私も魔王の死など、とうに慣れていたつもりでした」

 

  戦場で任務遂行していたあるサルカズの女傭兵が。

「……ありえない」

「*サルカズスラング*、通信担当のバカは誰よ!? 軍事委員会に乗っ取られて悪趣味な冗談でも流してるってわけ!?」

「信じない……あたしは絶対に……黙りなさい!」

「本艦は……こっちの方にあるはず!」

「テレジアが……こんなに……こんなにあっけなく……死ぬはずないでしょう!?」

 

 

 

 ――かつてのサイクロプスの予言が、今成された。

 

 我は視た

 黒い王冠が浮かび

 栄誉、恩恵、救済、すべてが双生の子に帰していくのを

 裂け目は広がり、新たな誕生の一切を裏切っていく

 我は視た 嵐が訪れ、その中央に

 君主弑す剣、王を誅す矛があることを。

 伝説はみな、正義によって終わりを迎える。

 

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 898年冬、魔王死亡。

 イレーシュはカズデルが滅ぼされる前に死んだ。

 魂の溶炉の爆発により巻き上げられた粉塵は、カズデルの上空を三日三晩舞い……、

 やがてそれは黒い雪のように降り落ちた。

 黒い雪は侵略者の骨を埋葬し……。

 かつて「カズデル」という名だった廃墟群を埋葬した。

 

 ……あらゆる死が重なる廃墟群で、双子の英雄は嘆いていた。

 

 同胞たちは私たちを英雄と誉めたたえるけれど、私たちには彼らにまるで生気のない廃墟を返してあげることしかできない。

 いったい私たちに何ができるというの?

「英雄」とは言っても……この戦争が終わったその瞬間から、「英雄」なんてものには何の意味もないわ……。

「いかにも」

 そういえば……さっきからずっと、サルカズの魂のささやきが聞こえる気がするの……。

 だんだんはっきりと……。

 サルカズの魂は私をどこへ導こうとしているのかしら……。

「これは勝利の興奮がもたらした幻聴だと思っていたが……どうやらその限りではないようだ」

 ……テレシス、聞こえる?

 サルカズの魂の声が足元から響いてくるわ……。

 これだったのね。

「そのようだな」

「かくも、小さいものだったのだな」

 

 その廃墟群の中で、誰も知らない――双生の魔王の戴冠式は行われた。

 王冠。

 死が見届ける中――。

 サルカズの魂が見届ける中――。

 双子が共に王冠を持ち上げる。

 王冠は同時に双子を選んだ。

 瓦礫の山の上、実在するとも限らないサルカズの魂が、同時に二つの希望を選んだのだ。

 仕立屋と衛兵から、戦争の英雄となった双生の魔王に。

 

「……戴冠せよ、テレジア」

 

 どうして?

 

「魔王とは歴史が沈黙を選択した時、哀れな者たちが無遠慮に抱く願望にすぎぬからだ」

 

 そうね……サルカズの運命を変えるのに、特定の外的な力に依存する必要はないわ。

 だけどこの絶望の時代において、それは私たちの同胞に一筋の希望をもたらす道しるべになるでしょう。

 

「さりとて、私は希望をもたらす者となるには相応しくない」

「私の剣が道を切り開こう。我らに方向を指し示すのは、そなたの役目だ」

 

 ……わかったわ。

 

「ようやく戦争が終結したばかりだと言うのに、次はこれか。我らはこれをいつまで担わねばならぬのだろうな?」

 

 身を寄せられる故郷が再び見つかるまで、もしくは黒き王冠の苦難が私たちを呑み込むまで……。

 

 あるいは、すべての人が同じ空の下で安心して眠れるようになるその時まで。

 

「方向を指し示す」のが私の役目と言ったわね。昔一緒に冒険したときのことは覚えてる?

 あなたは剣を握り、私を背負って……。

 

「そしてそなたが、茂みを切り拓き家へと帰る道を指し示したのだったな」

「私の手で、そなたに冠を授けよう」

 

 テレシス……。

 私はすべてのサルカズに宣言するわ……。

 

「我らは永遠に平等である」

 

 

 

 

 

 

 




 
 



 カズデル内戦の終戦。
 魔王テレジアの死によって終わりを告げた争いは、カズデルの荒廃をもたらし。
 バベル組織の崩壊、及びバベル残党の撤退――新たな魔王の誕生は秘匿され、同時に後継組織『ロドス・アイランド製薬』の設立。
 摂政王率いる軍事委員会はカズデルを離れ、ロンディニウムへと向かう。
 ……カズデル内戦に真の勝者は存在せず、両陣営に多くの犠牲を払いながら終戦を迎えた。
 荒廃したカズデルを背に、ケルシー率いるバベル残党はカズデルを離れる決意をした。
 サルカズと多種族との融和を掲げていたバベルは崩れ去り、サルカズの為の組織ではなくなった。
 
 情勢が落ち着くまでは、クルビアで組織を立て直す。
『エルデル』のリーダーたるスヴェルドフレムはそう判断した。
 バベルもとい『ロドス』との協定は破棄。
 ――「サルカズの同胞の為に動くエルデルとはあいなれない」として。
『エルデル』としては本格的にクルビアに移った後も、独自のルートを通じてカズデルへの支援は続けるつもりだ。
「殿下が亡くなり、殆どのサルカズはロンディニウムへと向かった。だが……助けを求める同胞の声は私の耳に届いている」
 カズデルがどれほど荒廃しようと、このカズデルはまだ滅んでいない。
 カズデルが存在する以上、スヴェルドフレムがこの地を見捨てる理由にはならない。
「『エルデル』として為すべきことは、」
「今を生きる同胞達に、手を差し伸べることだ。この大地で……いや」
「(古代サルカズ語)『世界』で」
 この大地で苦難にあえぐ同胞は、カズデルだけでなく外にも存在する。
 この大地……より広く、本格的に『世界』へと目を向けるときが来たのだ。
「殿下……あなたに捧げた誓いを、私は守り続けよう」
 
 
 
 
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