先史文明研究員がテラ人になって転生し続けている話 作:Calく
【109⬛︎年:サルゴン】サンドソルジャーとサルカズの男(他者視点)
故郷クルビアを離れ、遠い異邦、サルゴンの地に潜んで久しい。
エリオット――今や“サンドソルジャー”と名乗る青年にとって、スヴェルドフレムは得体の知れない存在だった。
師でもなければ親でもない。だが確かに、敬意と、どこか抗いがたい感情が彼の胸に残った。
両親の顔はもう、記憶の端で擦れてしまっている。
恩師の遺した最後の言葉と、復讐という炎だけが、彼をここまで突き動かしてきた。
だがスヴェルドフレムは、そんなエリオットの復讐心に呑まれることなく、奇妙な静けさで彼を見つめていた。
まるで、自分の中にある激しさとは別の時の流れを歩んでいるような男――それが、スヴェルドフレムだった。
名もなき村で医療を施し、ある時は武装勢力として内戦に干渉し、またある時は密かに虐げられたサルカズの同胞を亡命させる。
彼の率いる組織――「エルデル」と呼ばれるその名は、幾つもの勢力の間でささやかれていた。
スヴェルドフレムは剣を振るうだけの者ではなかった。
医術と策略に長け、サルカズ語、サルゴン語、ヴィクトリア語……多くの言語を使いこなし、対話と契約を繰り返し、数カ国の地域勢力と複雑なパイプを築いていた。
エリオットは、サルゴンの四季を嫌っていた。
夏には命を焼くような太陽が砂を焦がし、冬には冷たく乾いた風が吹き抜ける。
気候だけではない。
この砂漠の地で蠢く権謀術数の数々、自己陶酔に浸り「自分こそがサルゴンを動かしている」と酔う有力者たち。
その全てが、彼にとっては吐き気を催す対象だった。
だがスヴェルドフレムは違った。
この土地に住まう者の愚かさも、醜さも、すべてを把握した上でなお、決して溺れなかった。
一歩引いた視線で、冷静に、サルゴンという国家そのものを観察し、利用し、やがて通過点として捉えていた。
まるで、“ここに骨を埋めるつもりはない”とでも言いたげな眼差しだった。
いや、実際そうなのだろう。
彼はサルカズであり、このサルゴンの地で迫害される同胞の為に活動している。
彼にとって、このサルゴンの地は愛する土地でも故郷でもない。
だからこそエリオットは思ったのだ。
この男となら、復讐を共にすることができる――と。
そして復讐が果たされたとき、迷いなくこの地を去ることもできるのだろう――と。
二人の利害は自然と一致した。
共に、過去と未来の清算を求めていた。
エリオットは、サンドソルジャーは一人でも復讐を果たしただろう。
だが、スヴェルドフレムが彼に差し伸べたのは――無駄な血を流さぬための「正確な刃」だった。
「私は、あの男との距離を測りかねていたのでしょうね」
ふと口をついて出たその言葉は、エリオット自身でも整理しきれていない感情の形をしていた。
スヴェルドフレムという男――あまりに静かで、理知的で、怒りも悲しみも燃やし尽くして灰にしたようなあの瞳は、年齢を越えてしまった者にしか宿せない色をしている。
しかし、その奥には燻る火があることにエリオット……サンドソルジャーは気づいた。
父ではない。温もりも叱責も、彼から受けたことはない。
師でもない。何かを教わった覚えはないし、手取り足取り導かれたわけでもない。
ただ、共に行動した時間があり、交わした視線があり、共に背負ったものがあった。
けれどそれを「信頼」とも「情」とも呼び切れない自分がいる。
エリオットが復讐を決意してから二十数年後。
ムラトパーディシャーが立ち寄った都市での大規模な火災。
帝国の意思を伝える権力者をも襲った不幸は、闇市に潜むあらゆる人々にも届いた。
ムラトパーディシャーの死という形で。
そしてそれは、エリオットの悲願を完全に叶える形で成功した。
エリオットは……サンドソルジャー……いや、もはや何者でもなくなった青年だった男は、砂漠の風に目を細めた。
距離とは、測れるようでいて、最も曖昧なものだ。
それでも、あのとき関わったスヴェルドフレムの背は、今も記憶に焼き付いて離れない。
ここに立つのは、闇市の支配者たるサンドソルジャーでも、かつて全てを喪った哀れなエリオットでもない。
ただ復讐を果たした完遂者だ。
復讐を果たした男は、人生の道標が存在しないことをようやく理解した。
サルゴンを嫌う男にとって、この地にとどまるという選択肢は存在していなかった。
だが、己は何処に行けば良いのだろう。
迷う男に、スヴェルドフレムは言葉を投げかけた。
「サルゴンでの役目を終えたお前が、根無し草の様に彷徨う必要は無い」
「故郷たる場所に帰るという選択肢を取らないのならば……私が知る製薬会社を紹介しても良い」
スヴェルドフレムは淡々と、だがその声音に微かな温度を孕ませてそう告げた。
「……ロドス、ですか」
サンドソルジャー……いや、もはやその名すら捨てようとする彼は、小さく呟いた。
その響きは、遠い昔に聞いたような、けれど実体のない夢のようでもあった。
故郷を去り、遠い異郷で復讐のためだけに生きてきた日々。
終着点など見えなかった旅路の果てに、いまようやく立ち止まる場所が訪れたというのか。
だが彼にはまだ、自分がそこに歩み寄る資格があるのかも分からない。
「あなたは……私に、何を見ていたんです?」
それはふと漏れた問いだった。自分でもなぜ口にしたのか分からなかった。
スヴェルドフレムは答えなかった。ただ、風を背にして一歩、彼の近くに立った。
「私は、“可能性”に手を貸しただけだ。それ以上でも、それ以下でもない」
その瞳は、やはりどこまでも冷静で、どこまでも優しかった。
スヴェルドフレムとなる前、家族がいた。
サルカズという種に生まれながら、穏やかな眼差しを持つ妻と、初めて「父」と呼んでくれた小さな声。
だがそれは、ある日突然失われた。
異族の手によって、妻と長男の命は。
何の理由もなく、理不尽に。
自らの手でその報いは果たした。血と怒りにまみれた復讐だった。
だからこそ、スヴェルドフレムは知っていた。
復讐が終わっても、人は決して「元に戻る」ことなどできないと。
それでも――復讐は必要なのだ。
己の中にある怒りと悲しみを見つめ、戦いを選んだ者にだけ得られるものがある。
それを知っているから、スヴェルドフレムはエリオットを見捨てなかった。
異族である彼に、異族によって家族を失った男が手を貸すという矛盾を抱えながらも、スヴェルドフレムはそれを選んだ。
スヴェルドフレムは、復讐を肯定している。
それは慰めでも希望でもない。ただの現実の肯定だ。
憎しみの果てに何もないと知っても、それでもなお進むしかなかった人間にとっての、最後の矜持だからだ。