先史文明研究員がテラ人になって転生し続けている話 作:Calく
瓦礫の上を、逃亡者たちの荒い足音が響く。
月明かりに照らされた影が、崩れた壁の間を縫うように走り抜けていく。彼らは誰も口を開かない。ただ、ひたすらに死から遠ざかろうとしていた。
その背後を追う足取りは軽やかだった。だが、その軽やかさは舞うような優雅さではない。静かに、確実に、命を刈り取る者のそれだ。
W――その眼は既に誰の顔も映していなかった。ただ「テレジアを殺した者」という記号だけを追っている。
◇
「アーミヤ、そんなに急がなくてもいいのよ」
「でも……テレジアさん、約束の時間に――」
「ふふ、あなたは本当に真面目ね」
テレジアは小さな手を握り、足を止めた。
「時には、立ち止まってもいいの。ね?」
その微笑みは、もうこの世界には存在しない。
Wの耳には、過去の声が焼き付いていた。
瓦礫を踏み砕き、源石火薬の匂いを纏いながらただ一直線に進む。
視界の端に、あの花の絵が焼きついたままだ。
クレヨンで描かれた幼い線。
「……テレジア」
声は低く、掠れていた。だがその足は止まらない。
テレジアは、もういない。
手を伸ばすことも、声をかけることもできない。
あのあたたかな微笑みも、もう思い出の中でしか見られない。
Wは、それでも生きていた。
そして、あの日から笑うようになった。
口元だけで、声も出さずに。
目は、いつも凍っていた。
――テレジアを殺した奴らを、片っ端から消していく。
焼け跡で、廃都の路地で、地獄の戦場で。
かつての仲間をも裏切り、Wは復讐者となって刃を振るった。
源石爆薬と破裂する肉体、飛び散る血の匂いだけが、己が生きていると実感させた。
◇
爆ぜる火花、散る血飛沫。
恨み言さえ吐けずに崩れ落ちた死体を一瞥し、Wは脳内リストの名前を一つ、消した。
「……また一人」
足元には崩れ落ちた廃墟の瓦礫、乾いた血の匂いがまだ空気を満たしている。
Wはレイ・ペントのドッグタグを無造作にポケットへ押し込み、深く息を吐いた。
胸の奥に溜まった熱は冷めることなく、ただ鈍い痛みとなって身体を締めつける。
――カサリ。
微かな足音に、Wの視線が鋭く動いた。そこに立っていたのは、まだ幼い少女。
瓦礫の隙間から転がり出てきたのか、頬は煤で汚れ、震える手に握られているのは場違いなほど粗末なナイフだった。
少女の瞳は恐怖と憎しみの入り混じった色をしていた。
そしてその刃先は、ためらいながらも確かにWの胸元を向いている。
「……はっ」
Wは肩を落とし、乾いた笑いを漏らした。
過去の記憶と、目の前の少女の姿が二重に重なる。
脳裏に過るはありきたりなサルカズの半生。
「よくやってくれた」
傭兵は剣を握っていた。
その刃には、どろりとした赤い液体が付いていた。
不意に飛び出してきた、生き残りの怪物に襲われたこと。
それは呼吸を荒くして、訳のわからないことを言いながら、取っ組み合いをした。
「このままじゃ、あたしが殺されちゃう」
■■■は懸命に抗った。
「死にたくない」
その時、■■■の鞄に小さな綻びができた。
ナイフが鞄を切り裂いて、彼女の手をも傷つけながら飛び出した。
ナイフを咄嗟に握り、闇へと刺し込んだ。
怪物がやがて武器を取り落とし、どろりとした赤い液体が地面に流れ落ちるまで。
ただ、生き残るために。
荒野。
飢え、死、そしてただ生き延びるために奪った命。
その瞬間から、彼女はもう「ただの少女」ではなくなった。
あの日、怪物が武器を落とした時に流れた赤い液体――それは、少女としての■■■が流した最後の涙でもあった。
――Wになる前の少女が、初めて荒野のサルカズになった日。
よくある話だ。
あまりにもありふれた、サルカズの半生。
サルカズがサルカズを殺し殺される。
乾いた大地の循環は、繰り返される。
今この瞬間にも。
それまでと同じように、Wは酷薄な笑みを貼り付けて言った。
「今日はご機嫌斜めなの。ついてないわね」
◇
少女の腕からナイフが滑り落ちる。
小さな体は憎しみによって支えられていた。大人を殺された子供が、たとえそれがどんな人間であったとしても、どうして刃を捨てられるだろう。
だがWは――一歩踏み込んで、容赦なく拳を振るった。
鈍い音と共に、少女の意識が闇に落ちる。
「……だから、やめときゃよかったのに。あたしも、あんたも」
膝を折って倒れる少女を見下ろしながら、Wは唇を噛んだ。手が震えているのは怒りか、後悔か、それとも……。
そのときだった。
「殺さなかったのか」
声と共に、足音が一つ。
煙と血の匂いの中、黒衣を纏った男――スヴェルドフレムが姿を現した。無表情に近い顔、その奥で冷たい視線が少女を見下ろしている。
Wは一度だけ彼に視線を投げたが、すぐに目をそらす。
「……拾いたきゃ拾えば? 死なせたくなかったんでしょ、あんた」
彼女は少女の腕を無造作に掴んで引きずり、スヴェルドフレムの前に放り出した。まるでゴミでも渡すような手つきだ。
「こんなモン見てたら、また変な夢見そうだわ。……じゃあね」
背を向け、血の匂いと風の音の中にその姿を紛れ込ませる。
その背中を、スヴェルドフレムは無言で見送った。
足元には気を失った少女。
男は一つ小さく息を吐くと、しゃがみ込み、少女の体を抱き上げた。
「……面倒を持ち込んでくれる」
それでも、彼は歩き出す。何も言わず、何も責めずに。