先史文明研究員がテラ人になって転生し続けている話   作:Calく

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古代サルカズ語に雪という語彙があるということは、古代サルカズの文化圏がウルサス或いは寒冷地域にもあったことを意味するのではないか。
現代ではその語彙は失われており、記憶するものはごくわずかである。
――とあるサルカズの学者。


流転

 煙草の紫煙が薄く立ち昇る。

 鼠王の隠れ家は、スラムの地下にある古い倉庫を改装したものだった。壁はひび割れ、天井の配管からは絶えず蒸気が漏れ出している。

 だが、その場に漂う空気は妙に落ち着いていた。長年この街の「裏」を支配してきた者だけが纏う、重く穏やかな威圧感。

 

 対面するスヴェルドフレムは、瓦礫と煙に覆われた外とは対照的に、無言のまま佇んでいた。

 衣服にこびりついた血は綺麗に拭われだが、彼の眼光はまだ鋭く戦場を映している。

 

「しかし、本当に良かったのかのう……お主には助けられたが」

 鼠王は皺だらけの指で葉巻を押しつぶしながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「この街はもう、炎国の犬どもとレユニオンの餓鬼共が好き勝手に暴れとる。お主が動けば、エルデルの存在を疑う者が必ず出るぞ」

 

「貴方が気にする必要はない、鼠王」

 スヴェルドフレムの声は低く、だが揺るぎがなかった。

「これも乗りかかった船と言える」

「それに……我々はこれ以上表立って戦場に立つつもりはない」

 

 鼠王は片眉を上げ、しばしその男を見据える。

「……まったく、律儀な男よのう。サルカズでありながら、この街の人間を守ろうとは」

 

「人を選んで助けているわけではない。ただ――」

 

「――後味が悪いと、私の気分が良くないだけだ」

 

 スヴェルドフレムは淡々とそう言い、火の消えかけた煙草を灰皿に押し消した。

 薄暗いスラム街の一角。遠くではまだ、崩れた建物の軋む音がかすかに響いている。

 鼠王はその横顔を見つめ、細く笑んだ。

 

「……ふむ、そういうことにしておこうかの」

 

 スヴェルドフレムは応じず、ただ窓を見上げた。

 避難を終えた街の一角は、ようやく静寂を取り戻しつつあった。

 だが、その静けさの裏には、多くの命が消えた現実が横たわっている。

「……」

 スヴェルドフレムは口の端をわずかに歪めた。

 それが笑みなのか、あるいは苦味の表れなのかは、誰にも分からなかった。

 

 「しかし、冷えてきたのう……。老体にはちと堪えるわい」

 

 鼠王は椅子の背にもたれ、軋む音を立てながら窓の外へと視線を向けた。

 外の通りでは、灯りの消えた屋根の上に、白いものが静かに降り積もっていく。

 龍門のスラム街では滅多に見られぬ雪だった。煤けた瓦屋根も、壊れた看板も、今だけは一様に薄っすらと白く覆われていた。まるでこの街の罪や傷を隠すかのように。

 

 スヴェルドフレムはしばらく黙ってその光景を見つめていた。

 隙間から漏れた空気は冷たく、原石火薬と血の匂いが薄れ、代わりに雪の清らかさが漂う。

 

「(古代サルカズ語)……雪か」

 

 スヴェルドフレムは小声で低くつぶやく。

 その声は鼠王には届かなかったようで、鼠王の驚き混じりの声がスヴェルドフレムの意識を戻した。

 

「珍しいもんじゃな。冬が来たとて、ここではろくに降らん。――まるで天が、街に弔いを与えとるようじゃ」

 

 鼠王の声には、どこか遠い記憶を懐かしむ響きがあった。

 スヴェルドフレムは窓際に立ち、手袋越しに冷たい硝子へ指を置く。

 

「……弔いか」

 

 そうつぶやき、スヴェルドフレムは老いた鼠へと目を向ける。

 

「鼠王。私は直にこの場を離れるが……私の部隊と物資をいくつか置いていく」

「この騒動が収まるまでは……我々の支援を約束しよう」

 

 外では、音もなく雪が降り続いていた。

 それは戦いの跡を覆い隠し、死者たちの眠りをそっと守るように、ただ静かに、夜を白く染めていった。

 

 

 

 

 

   ◇

 

 

 ――降り注ぐアーツの連雨。

 指揮官としての敗北を、フロストノヴァは確かに認めていた。

 だが――戦士として、そして迫害される感染者たちを導いてきた者として、そのまま一人、敵に投降し生き延びる道を選ぶことはできなかった。

 

 雪原に吹きすさぶ冷気が、彼女の白銀の髪を揺らす。

 胸の奥に燃えるのは、失われた仲間たちの怒りと無念。

 凍てつく氷の心に残された最後の熱は、もはや復讐ではなく、散っていった者たちの誇りを証明するための炎だった。

 

 彼女の瞳に宿る決意を見て、誰も軽々しく言葉を投げることはできなかった。

 やり場のない感情の捌け口と、戦士としての死に場所を求める彼女に、どんな理屈も、どんな正義も届かない。

 

 それでもなお、彼女の心を救おうとする者たちは、静かにその提案を受け入れた。

 

 ――「私が敗北したら、その時は……ロドスに加わる」

 

 その一言に宿るのは、誇りと意地、そしてわずかな希望だった。

 凍てついた空気を切り裂くように、戦いの幕が再び上がる。

 

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