先史文明研究員がテラ人になって転生し続けている話 作:Calく
地面はひび割れ、崩れた瓦礫の隙間から吹き込む冷気が、まるで死の息吹のように辺りを覆っていた。
崩壊寸前の戦場の一角――そこに、白銀の女が横たわっていた。
フロストノヴァ。
その名の通り、彼女の周囲には白霜が降り、地面は薄氷に覆われている。
だがその冷気は、もはや敵を傷つけるためのものではなかった。
ただ、彼女の命がまだそこにあるという“証”として、静かに空気を震わせているだけだった。
「……なぜ……動かない……体が……」
掠れた声が、寒空に消えた。
その胸の上下は、もはや微かでしかない。
「負けたのか、私は……」
「――フロストノヴァ」
ドクターは、彼女の傍に膝をついた。
無意識に手を伸ばし、その冷たい指を握る。
かつて敵として相対した少女が、今は壊れそうな生命としてそこにいる――。
「……ケルシー」
かすれた声で、ドクターが振り向く。
「このままでは……彼女は死ぬ。どうにか……助けられないか?」
ケルシーは短く息を吐いた。
彼女の瞳に、わずかな戸惑いが浮かぶ。
「助命嘆願、か。……らしくないな、ドクター」
「――《フロストノヴァ》は、レユニオンの幹部であり、明確にロドス構成員に対して敵対行動を取っていた。彼女の指揮下で失われた命の数は、医療部が処理した死傷者の記録からも明白だ」
ケルシーは淡々と続ける。
「君の“助けたい”という主張は、倫理的な博愛か、個人的な情動による衝動か。どちらであれ、その結果としてロドスの士気、組織的均衡、対外的信頼のいずれかが損なわれる可能性は高い」
ドクターが言葉を失う間に、ケルシーはわずかに視線を落とし、静かに言葉を紡いだ。
ドクターは言葉を詰まらせながら、少女を見下ろす。
「彼女は、自分の意志で戦った。……レユニオンのために、仲間のために。それを、ただ“敵だから”という理由で見捨てるのか?」
ケルシーは無言のまま立ち尽くす。
冷たい風が白衣を揺らし、破片がかすかに転がる音だけが響いていた。
「……君の主張は理解できる。“敵であっても意志を持ち、理由を持って戦った者を否定すべきではない”――それは倫理的に整合性のある考えだ」
「だが同時に――その意志の結果、犠牲となった者たちの意志も、同等に尊重されるべきだ。君がここで救おうとしているのは、彼女の命か、それとも“君自身の心の安寧”か」
「前者であれば、私は科学者として手段を提示する。後者であれば、それは医学ではなく、信仰や贖罪の領域に属する」
そのフェリーンの瞳は目の前の雪兎を冷酷に捉えていた。
「それでも……私は、助けたい。」
ドクターの声は掠れていた。
乾いた空気の中に、それでも確かな震えがあった。
その声は決して理屈ではなく――ただの人間としての、願いそのものだった。
「私たちは、“感染者を救う”ために戦ってきた。それは立場や所属を超えて、人を――命を救うという意味だ。たとえ彼女が敵であったとしても、最後まで自分の意志を貫いたなら、なおさら……その命を無駄にはしたくない」
一歩、ケルシーへ踏み出す。
フロストノヴァの白い頬に、かすかに光が映える。
彼女の胸がかすかに上下しているのが見えた。
「彼女はこの戦場で、誰よりも“人らしく”生きていた。自分の仲間を想い、敵である私たちにすら怯まずに向き合った。その意志を――たとえ僅かでも、繋げるべきだと思う」
ケルシーは腕を組み、ゆっくりと目を閉じる。
その仕草は冷静そのものだったが、沈黙の奥に何かを計算しているようでもあった。
しばらくの後、彼女は口を開いた。
「……“理性”という言葉の定義は、しばしば誤解される。それは感情を切り捨てるためのものではなく、感情を制御し、意味のある形に変換するための手段だ。――君のその選択は、理性の欠如ではなく、ある種の応用と言える」
やがて、彼女は目を伏せ、小さく呟いた。
「――方法なら、ある」
ドクターが顔を上げる。
ケルシーの手には、金属のケースが握られていた。
表面には見慣れぬ刻印。現代アーツ学と巫術の融合……サルカズ語による封印符号。
「……これは?」
「バベル時代の遺産。……かつて協定を結んだ相手と共同で開発したものだ。試作品であり、臨床試験は行われていない。彼がこの場にいない以上、私が単独で発動させることになるが……」
ケルシーの声は淡々としている。だが、その奥に微かな苦味が混じっていた。
「――これは、命を延ばす装置ではない。“時間”を凍結し、対象の生命活動を封じ込める制御装置だ」
「……凍結、だと?」
「彼女の身体を、源石の暴走から切り離す。肉体も、アーツも、思考さえも、一瞬の状態のまま閉じ込める」
「制御装置は危険な技術だ。彼女のオリパシー症状を一時的に封じ、肉体の崩壊を遅延させることはできるが……人格、記憶、感情、どれも保証はできない」
制御装置はバベル時代、スヴェルドフレムとケルシーが共同で開発した実験的デバイスであり、感染者を「治す」ためのものではなく、暴走するアーツを強制的に抑制・固定化するための装置。
言い換えれば「命を繋ぐ代償に、自由を奪う拘束具」。
また使用対象者のアーツ波形に適合しない限り、神経組織を破壊し死亡させる危険性が高い。
装置自体が希少で、稼働に莫大なエネルギーと医療リソースを要する。
バベル崩壊後、正式な研究は途絶しており、実用可能な個体は一つしか残っていない。
したがってケルシーは「感染者の治療」にこれを使うことを倫理的にも実用的にも拒んできた。
ドクターに提案したのは、最善かつ最終手段――彼女が特異なアーツ波形を持つ術師であり、装置が理論上“適合”する唯一の患者だったからである。
ドクターは言葉を失った。
救うための装置が、同時に“眠らせるため”のもの。
それが、命の保存なのか、あるいは死の延長なのか――答えはどこにもない。
不意にフロストノヴァの唇がかすかに動き、凍てつく空気の中に、吐息のような声が零れた。
その声は掠れ、今にも霧のように消えてしまいそうだったが――確かに、ドクターの名を呼んでいた。
「……心配するな、ドクター……」
彼女の瞳は、もはや焦点を結んでいない。
だがその中には、まだ炎があった。
氷雪に閉ざされた彼女の胸の奥で、最後の焔が微かに揺れている。
「……約束は……守る……」
その言葉は、穏やかな微笑みと共に形を失っていった。
その瞬間、ドクターの喉が詰まり、呼吸が止まる。
彼女の指が、ドクターの手の甲に触れる。
それは、温もりというよりも――氷のような静けさだった。
「フロストノヴァ……!」
ドクターが呼びかける。
だが、彼女のまつげが微かに震えたのを最後に、反応はなかった。
ケルシーはその様子を静かに見つめていた。
表情の変化はない。
だが、わずかに肩が動いた。
「ドクター。彼女の脈は微弱だが、完全に途絶えてはいない。……今なら、間に合う」
「――それでも行うのか?」
迷いも、恐れも、そこにはなかった。
「……ああ。それでも、私は彼女を救いたい」
ケルシーは静かに跪き、フロストノヴァの胸元に装置を当てた。
彼女の指先が迷いなく動き、緻密なサルカズ文字を描く。
淡い光が浮かび上がり、周囲の空気が一瞬で張り詰めた。
「――スヴェルドフレム。貴方の手を借りずに発動するのは、これで最後にしたいものだ」
囁くような声とともに、ケルシーがスイッチを押す。
装置が低く唸りを上げ、青白い結晶光がフロストノヴァの全身を包み込んだ。
風が止み、音が消える。
次の瞬間――彼女はまるで雪像のように、穏やかな表情のまま青い結晶の中に閉じ込められていた。
ケルシーは長く息を吐き、装置を閉じる。
「……生命活動は停止していない。だが、目覚める保証はない」
「彼女の目覚めが訪れたのならば、この結晶は砕け散るようになっている」
ドクターは、彼女の傍らに立ち尽くしたまま、結晶の中の少女を見つめた。
ほんのわずかに、彼女の唇が動いた気がした。
雪のように柔らかい声が、幻のように響く。
『――また、会えるといいな……』
そして、沈黙。
夜の空気が重く垂れ込める中、ケルシーはそっと立ちあがった。
その表情には、わずかな疲労と……痛みのようなものがあった。
「彼女を“救った”と呼べるかどうかは、いずれ貴方が判断することになる」
ドクターは返事をしなかった。
ただ、結晶の中で眠る少女の頬にそっと手を伸ばした。
その指先の温もりが、永遠に届くことはなかった。
主人公くんの体表源石は背中にありますが、寝にくいという理由でゴリゴリ削ってます。
「この*サルカズスラング*な石が背中に生えていることについては、不幸中の幸いだろう。――眠る時に邪魔ではあるがな」