先史文明研究員がテラ人になって転生し続けている話 作:Calく
スヴェルドフレムの中には、複雑な感情が渦巻いていた。
裏切りと喪失にまみれた過去。
テレジアとケルシー、スヴェルドフレム、そしてかつてのドクター――誰もが、それぞれの理想のもとに行動し、やがて決裂した。
その果てに残されたのは、信頼を裏切られた男の記憶だけ。
今目の前に立つドクターは、その記憶を失っている。
かつての罪を、約束を、そして悲しみを――すべてを忘れたまま、無垢な目でこちらを見ている。
スヴェルドフレムの喉の奥から、かすかな息が漏れた。
それは笑いではなく、痛みを飲み込むような吐息だった。
「……お前が“誰”なのか、私は確かめねばならん。パトリオットの死を見届けた者として」
ケルシーの目が鋭く光る。
だが彼女は何も言わなかった。
スヴェルドフレムの言葉の重さを、彼女は理解していた。
それは憎しみではなく、“見届ける者”の責務の宣言だったからだ。
スヴェルドフレムは静かにドクターの動向を見つめていた。
彼の瞳は冷たくも、深く燃える焔を宿していた――それは怒りの色ではなく、理解と疑念が絡み合った複雑な光だった。
彼はすでに、報告を受けている。
チェルノボーグで倒れたパトリオットの娘――フロストノヴァを、ドクターが助けようとしたことを。
そして、戦場の混乱の中で民間人を出来る限り救い出そうと奔走したことも。
それは、かつてのドクターが見せた冷酷な戦略家としての顔とは、あまりにもかけ離れていた。
同じ名を持つはずの人物が、まるで別人のように“人”を救おうとしている。
しばし沈黙が続いた後、彼は低く口を開く。
「……聞いている。お前が、フロストノヴァを救おうとしたと」
「パトリオットの娘……己の“敵”であった少女を、助けたそうだな」
その声は、責め立てるでもなく、試すでもなく、ただ真実を測るように静かだった。
ドクターはその言葉にわずかに息を呑む。
しかしスヴェルドフレムはそれを見逃さず、さらに言葉を重ねた。
「……加えて、道中で見捨てられた民間人を助けようとした。たとえ戦況が不利になろうとも、彼らを見捨てなかった。……そうだろう?」
ケルシーが横でわずかに眉を動かした。
彼女もまた、その報告を受けていた――だが、スヴェルドフレムがそこまで把握しているとは思っていなかったのだ。
「お前が誰であろうと、今の行いは“人”のものだ」
「だが、私は知っている。かつてのドクターは……そうではなかった」
スヴェルドフレムの声は次第に低く沈む。
空気が圧を持ち、焔のような怒気がその身から滲み出す。
「冷徹に判断し、盤上の駒を巧みに操った。戦争の天秤に“命”を乗せ、数を測るように人を見た。それが、お前だった」
言葉は鋭く、しかし憎悪ではなく哀しみを帯びていた。
スヴェルドフレムの視線は、ドクターの奥に“かつてのドクター”を探しているようでもあった。
「……ならば今のその姿は、何だ?」
「罪を忘れた者の贖いか。それとも、真に変わろうとする“意志”なのか」
ケルシーは沈黙を保ったまま、そのやり取りを見守っていた。
彼女は論理として理解している――スヴェルドフレムの問いは感情ではなく、“観察”としての言葉であると。
彼は怒りを抱いているのではなく、確かめているのだ。
ドクターは短く息を吐き、視線を逸らさずに応じる。
「……あなたが知っている“私”がどうだったのか、今の私には分からない。だが、私は今、誰かを犠牲にしてまで未来を作ろうとは思っていない」
その返答に、スヴェルドフレムの瞳がわずかに細められる。
表情には動きがない。
「やはり、今のお前は――私の記憶するものと異なるようだ」
「……少なくとも、お前を信じるに値するものだと思える程度には、変化があった」
「……ならば、その変化をこの目で見届けよう。お前が“ドクター”である限り、私はお前を見定めねばならん」
その空気には、戦場の緊張とは異なる、古い因縁と信頼の残滓が混ざり合っていた。
――スヴェルドフレムは理解している。
かつての“冷徹な指揮官”ではなく、今目の前にいる“人としてのドクター”が存在していることを。
その言葉には皮肉も嘲笑も含まれていなかった。
むしろ、己の中で長い時間をかけて導き出した“結論の途中”のような響きがあった。
だが、長い沈黙ののちに絞り出された言葉は、どこか深い憂いを帯びていた。
「私はずっと考えていた。――“信頼”とは何だ。剣で勝ち取るものか、血で誓うものか、それとも……傷を背負ってなお残る何かか」
スヴェルドフレムは視線を上げ、静かにドクターを見据えた。
その瞳は琥珀と紅の光を宿し、過去の戦火の残滓を映している。
ケルシーが微かに視線を動かす。
彼女もまた、スヴェルドフレムがこの言葉を口にするまで、どれほどの葛藤を抱いてきたかを理解した。
「だが誤解するな。私はお前を赦したわけではない。ただ……あの時、私が守ろうとしたものと、今のお前が見ているものが、ほんの少しだけ同じ方向を向いている――それだけの話だ」
暫し沈黙を経て、スヴェルドフレムは息を吐いた。
「引き留めてすまなかったな、ロドス」
「そう警戒するな。……お前たちとここで剣を交わすつもりは無い」
「我々はやるべきことをなすだけだ。お前たちも同じだろう?」
「……言ったはずだ、私はただ友を弔いに来ただけだと」
ひりつく様な空気は、スヴェルドフレムの発言を経ても緩まなかった。
それも仕方ないことだろう。
優れた戦士特有の威圧感を放つサルカズは、警戒せずにはいられないものだ。
僅かな動きにも隙がない。ましてやスヴェルドフレムがかつて後暗い任務を受けていたことを知るケルシーにとっても、油断ならない相手である。
ケルシーは沈黙のまま、スヴェルドフレムの言葉を受け止めていた。
彼の声音には敵意はない――だが、同時に“決意”もあった。
それは、対話のためのものではなく、己の立場を明確にするための言葉。
「……“弔い”か」
ケルシーが静かに口を開く。
その声音は、まるで学術会議で結論を導くような、冷静で整然とした響きだった。
「あなたがここにいる目的は、ロドスの行動に干渉することではなく、パトリオットの遺体を見届けることにある。――それに相違はないか?」
「そうだ」
スヴェルドフレムの返答は短く、重く、揺らぎがなかった。
ケルシーはわずかに頷き、視線を横へと流す。
その先には警戒態勢を解かぬままのドクターとロドスの面々。
そして表情を曇らせたままのアーミヤがいた。
「……スヴェルドフレムさんの言葉を、脅威と見なすには根拠が不十分です」
そのアーミヤの言葉にケルシーは淡々と続ける。
「現時点で敵意を示す兆候はない。むしろ、明確な自己の目的を述べたに過ぎない。――“敵ではない”と判断するのが、論理的な結論だろう」
スヴェルドフレムはそのやり取りを静かに聞き流し、目を閉じて短く息を吐く。
「……相変わらずだな、ケルシー」
ケルシーの瞳が、氷のように細められた。
「感情による判断は、常に最悪の結果を生む。私は経験からそう学んだ」
しばしの沈黙が場を支配する。
遠くで風が廃墟を抜ける音だけが響き、双方の視線が交わる。
アーミヤはその間に割って入るように、そっと一歩前へ出た。
「……ケルシー先生、スヴェルドフレムさん」
「私たちは、争うためにここへ来たわけじゃありません。パトリオットさんを、敬意をもって弔うために――それは、同じです」
スヴェルドフレムの瞳が、わずかに柔らぐ。
「……そうか。なら、言葉を重ねる理由もないな。弔いが終われば、俺たちはすぐに立ち去る」
ケルシーはその言葉を受け止め、短く頷く。
「あなたの意思は理解できた。ただし、こちらの行動を妨げないと巫術で誓う――それが条件だ」
スヴェルドフレムは肩をすくめ、わずかに口角を上げた。
「条件をつけるか。だがいいだろう……互いに目的を果たせば、それで十分だ」
言葉は静かだが、重みがある。周囲の者たちが息を呑む中、アーミヤがそっと応じる。声は小さいが揺るがない。
「はい。私たちも……守るべき者を守るためにここにいます」
「でも、そのために傷つけ合う理由を、なるべく作りたくはありません」
「ああ。その考えには、私も同意しよう」
サルカズの葬送儀は簡素だ。魂は大地へ還り、骨と鉄は火に喰われ、残るものは名と記憶だけ。
エルデルとレユニオンたちが沈黙の中で祈りを捧げる間、スヴェルドフレムは誰よりも長くその灰を見つめ続けていた。
ロドスアイランドは既に戦場を去っている。
ケルシーの冷静な判断、ドクターの決断、アーミヤの悲痛な覚悟――それらはすべて「これ以上の犠牲を出さないため」のものだった。
狂乱を宿したタルラが動く限り、この混乱は終わらない。
それを理解していながらも、スヴェルドフレムの胸の内に渦巻くのは、怒りでも憎しみでもなく、ただ深い疑問だった。
――なぜ、かの巨躯の戦士があの最期を迎えねばならなかったのか。
エルデルがパトリオットに送っていた医療資源は、他のどのサルカズよりも優先されていた。
感染症の進行を遅らせるためのアーツ触媒も、抑制剤も、幾度となく届けられたはずだった。
それなのに、彼の病状は見る間に悪化していた。
スヴェルドフレムは目を閉じる。
その脳裏に浮かぶのは、驚くほど安定していたフロストノヴァの症状。
「……まさかな」
風に混じる呟きは、灰に溶けて消えた。
――あの男は、己の治療薬を、少女に分け与えていたのではないか。
サルカズであることを憂い、戦いに疲れながらも、最後まで仲間を導いた戦士。
彼が選んだのは、自らの命を削ってでも、未来へ何かを繋ぐことだったのだろうか。
スヴェルドフレムは拳を握る。灰が掌に食い込んだ。
「……そうか。あの男らしい」
視線の先には、遠く煙を上げるチェルノボーグの残骸。
そこに今も、タルラがいる。
彼女がこの災厄を終わらせる鍵であり、また新たな悲劇の源であることを、スヴェルドフレムは知っていた。
「俺も行かねばならん。――友の想いを、踏みにじらぬためにな」
灰が風に舞い、消えていく。
その灰は、まるで巨人の魂が空へ還っていくようだった。
――――――――――――――――
感染者って灰になるのか分からない……。