先史文明研究員がテラ人になって転生し続けている話 作:Calく
例え千年を生きる黒蛇であろうとも、他者の肉体に寄生する以上――痛覚という束縛からは逃れられない。
走る激痛は器を震わせ、感覚を鈍らせ、わずかな綻びとなって意識を乱す。
それは古き化生であっても避けられぬ、生者の宿命だった。
黒蛇に生じた一瞬の隙を、チェンもアーミヤも見逃さなかった。
スヴェルドフレムが放った槍が残した“灼ける呪い”――そのアーツが、いま確かに黒蛇の内側を蝕んでいる。
だが、放たれた槍はパトリオットの得物。
その怪物は、すでにこの世にはいない。
ならば誰が、どうやって――?
アーミヤの脳裏に、彼方に見た炎魔の記憶が過ぎる。
そして、炎魔の姿を濃く映す男を思い出した。
――あの人なのでしょうか。
戸惑いが胸を掠める。しかし、考えている暇はない。
チェンは深く息を吐き、剣を構え直した。
「誰の援護かは後で考えればいい。……アーミヤ、今は――」
視線が黒蛇へと鋭く向けられる。
「ここで止めるぞ」
黒蛇は噛み殺すように息を吐き、血の泡を噛み砕いた。
焼けただれる傷口から、怒りそのもののような黒煙が噴き上がる。
「(ウルサス語)――忌まわしきサルカズよ! 愚昧なる“魔王”よ!」
「我が帝国の覇道を阻む、薄汚れた愚者どもめ!」
その叫びは、獣の咆哮ではなく、領土を飲み込んだ帝国の残響だった。
幾千年の支配の記憶が、怒りとともに黒蛇の喉を震わせている。
タルラの身体が、再び災厄の炎に覆われる。
焦土と化した戦場を歩む王のごとく、黒炎が四方へ盛り上がった。
「――遊戯は、ここまでだ」
黒蛇の声は低く、重く、そして冷たいほどに純粋な殺意を帯びていた。
「全力をもって、お前たちを叩き潰す。その身一片すら、二度と立ち上がれぬように」
スヴェルドフレムの呪炎は、確実に黒蛇を蝕んでいた。
じわりと肉を焦がし、寄生する魂そのものを焼くかのように。
その最中――剣戟が鋭く響く。
タルラの一太刀は依然として速く、正確だった。
だが、わずかに。ほんの刹那、指先ほどのブレが生まれる。
これまで一寸の乱れも許さなかった動作に、疲労の影が滲んでいた。
黒蛇の炎は、いまだ天を焦がす勢いを持っている。
だがその炎の奥底で、確かに“崩れ”が始まっていた。
チェンの剣閃が閃光のように走り、アーミヤの蒼い剣閃がその隙を確実に広げる。
二人の呼吸は乱れていたが、その足取りは止まらない。まるで積み重ねた痛みと覚悟が、身体を前へと押し出しているかのようだった。
そして――瞬きほどの間に放たれた、決定の連撃。
蒼い刃が弧を描き、赤い刃がその軌道をなぞる。
タルラの退路を断つように交差した赤と蒼の斬撃は、逃れられぬ一閃となって迫る。
最後の刃がタルラの肩口を深々と切り裂いた瞬間、戦いの趨勢は覆らぬものとなった。
わずかに揺らぐ。
黒蛇の咆哮が空気を震わせるが、それはもはや勝者の獣の声ではなく――追い詰められた影の呻き。
肩から迸る赤黒い血も、噴き上がる憤怒の火も、先ほどまでの暴威には届かない。
勝利は、確かにこの一閃をもって定まった。
だがその場の誰もが理解していた。
“終わり”が定まっただけで、まだ“終わっていない”のだ、と。
黒蛇が喉奥から獣じみた咆哮を吐き散らす。
憎悪、混乱、飢え、怨嗟――あらゆる負の感情を掻き集めたような叫びが、空気を歪ませる。
だが、その荒れ狂う喚声の奥で、ふと異なる気配が生まれた。
タルラの瞳が、僅かに揺らぎ、そして――静かに焦点を結ぶ。
覚醒した。
黒蛇の支配が軋みを上げ、タルラ自身の意志が、深い闇の底からゆっくりと浮上してくる。
「……私は、もう……お前に飲まれるつもりはない」
その言葉は震えていたが、確かに“本人”の声だった。
黒蛇が否を叫び、さらに呪詛を吐く。だがタルラの意思が強く立ち上がったことで、ようやくその糸は断ち切られる。
スヴェルドフレムの呪炎が黒蛇の叫びを焼き散らし、タルラの身体から支配の残滓が煙のように抜け落ちていった。
――これで、ひとつの戦いは終わったのだ。
しかし。
チェンも、アーミヤも、瓦礫の街に吹く冷たい風も、その事実を素直に喜ぶにはあまりに現実を知りすぎていた。
タルラが奪われていたのは、意識であり、自由であり、心そのものだ。
だが外の世界から見れば――彼女はレユニオンを率い、チェルノボーグを暴走させ、各地に戦火を広げた“指揮官”である。
洗脳されていたのか、乗っ取られていたのか。
そんな事情は、政治の場では“考慮されるかもしれない”程度の重みしか持たない。
結果として起きた惨禍こそが、最も重く積み上がるのだ。
たとえ今、暴走が止まったとしても――
レユニオンが行った破壊の責任、チェルノボーグ市民の被害、周辺国への影響、その全てはタルラとレユニオンの名に残る。
アーミヤは胸の奥で小さく息を呑み、チェンは静かに剣を払った。
二人とも勝利を確認しつつ、どこか表情は晴れない。
“ここから先”の方が、よほど険しい道だと理解しているからだ。