先史文明研究員がテラ人になって転生し続けている話   作:Calく

74 / 100
主部④

 

 例え千年を生きる黒蛇であろうとも、他者の肉体に寄生する以上――痛覚という束縛からは逃れられない。

 走る激痛は器を震わせ、感覚を鈍らせ、わずかな綻びとなって意識を乱す。

 それは古き化生であっても避けられぬ、生者の宿命だった。

 

 黒蛇に生じた一瞬の隙を、チェンもアーミヤも見逃さなかった。

 スヴェルドフレムが放った槍が残した“灼ける呪い”――そのアーツが、いま確かに黒蛇の内側を蝕んでいる。

 

 だが、放たれた槍はパトリオットの得物。

 その怪物は、すでにこの世にはいない。

 ならば誰が、どうやって――?

 アーミヤの脳裏に、彼方に見た炎魔の記憶が過ぎる。

 そして、炎魔の姿を濃く映す男を思い出した。

 ――あの人なのでしょうか。

 

 戸惑いが胸を掠める。しかし、考えている暇はない。

 チェンは深く息を吐き、剣を構え直した。

 

「誰の援護かは後で考えればいい。……アーミヤ、今は――」

 

 視線が黒蛇へと鋭く向けられる。

 

「ここで止めるぞ」

 

 黒蛇は噛み殺すように息を吐き、血の泡を噛み砕いた。

 焼けただれる傷口から、怒りそのもののような黒煙が噴き上がる。

 

「(ウルサス語)――忌まわしきサルカズよ! 愚昧なる“魔王”よ!」

 

「我が帝国の覇道を阻む、薄汚れた愚者どもめ!」

 

 その叫びは、獣の咆哮ではなく、領土を飲み込んだ帝国の残響だった。

 幾千年の支配の記憶が、怒りとともに黒蛇の喉を震わせている。

 

 タルラの身体が、再び災厄の炎に覆われる。

 焦土と化した戦場を歩む王のごとく、黒炎が四方へ盛り上がった。

 

「――遊戯は、ここまでだ」

 

 黒蛇の声は低く、重く、そして冷たいほどに純粋な殺意を帯びていた。

 

「全力をもって、お前たちを叩き潰す。その身一片すら、二度と立ち上がれぬように」

 

 スヴェルドフレムの呪炎は、確実に黒蛇を蝕んでいた。

 じわりと肉を焦がし、寄生する魂そのものを焼くかのように。

 

 その最中――剣戟が鋭く響く。

 

 タルラの一太刀は依然として速く、正確だった。

 だが、わずかに。ほんの刹那、指先ほどのブレが生まれる。

 これまで一寸の乱れも許さなかった動作に、疲労の影が滲んでいた。

 

 黒蛇の炎は、いまだ天を焦がす勢いを持っている。

 だがその炎の奥底で、確かに“崩れ”が始まっていた。

 

 チェンの剣閃が閃光のように走り、アーミヤの蒼い剣閃がその隙を確実に広げる。

 二人の呼吸は乱れていたが、その足取りは止まらない。まるで積み重ねた痛みと覚悟が、身体を前へと押し出しているかのようだった。

 

 そして――瞬きほどの間に放たれた、決定の連撃。

 

 蒼い刃が弧を描き、赤い刃がその軌道をなぞる。

 タルラの退路を断つように交差した赤と蒼の斬撃は、逃れられぬ一閃となって迫る。

 

 最後の刃がタルラの肩口を深々と切り裂いた瞬間、戦いの趨勢は覆らぬものとなった。

 

 わずかに揺らぐ。

 黒蛇の咆哮が空気を震わせるが、それはもはや勝者の獣の声ではなく――追い詰められた影の呻き。

 

 肩から迸る赤黒い血も、噴き上がる憤怒の火も、先ほどまでの暴威には届かない。

 

 勝利は、確かにこの一閃をもって定まった。

 

 だがその場の誰もが理解していた。

 “終わり”が定まっただけで、まだ“終わっていない”のだ、と。

 

 

 

 

黒蛇が喉奥から獣じみた咆哮を吐き散らす。

 憎悪、混乱、飢え、怨嗟――あらゆる負の感情を掻き集めたような叫びが、空気を歪ませる。

 

 だが、その荒れ狂う喚声の奥で、ふと異なる気配が生まれた。

 

 タルラの瞳が、僅かに揺らぎ、そして――静かに焦点を結ぶ。

 

 覚醒した。

 

 黒蛇の支配が軋みを上げ、タルラ自身の意志が、深い闇の底からゆっくりと浮上してくる。

 

 「……私は、もう……お前に飲まれるつもりはない」

 

 その言葉は震えていたが、確かに“本人”の声だった。

 黒蛇が否を叫び、さらに呪詛を吐く。だがタルラの意思が強く立ち上がったことで、ようやくその糸は断ち切られる。

 

 スヴェルドフレムの呪炎が黒蛇の叫びを焼き散らし、タルラの身体から支配の残滓が煙のように抜け落ちていった。

 

 ――これで、ひとつの戦いは終わったのだ。

 

 しかし。

 

 チェンも、アーミヤも、瓦礫の街に吹く冷たい風も、その事実を素直に喜ぶにはあまりに現実を知りすぎていた。

 

 タルラが奪われていたのは、意識であり、自由であり、心そのものだ。

 だが外の世界から見れば――彼女はレユニオンを率い、チェルノボーグを暴走させ、各地に戦火を広げた“指揮官”である。

 

 洗脳されていたのか、乗っ取られていたのか。

 そんな事情は、政治の場では“考慮されるかもしれない”程度の重みしか持たない。

 

 結果として起きた惨禍こそが、最も重く積み上がるのだ。

 

 たとえ今、暴走が止まったとしても――

 レユニオンが行った破壊の責任、チェルノボーグ市民の被害、周辺国への影響、その全てはタルラとレユニオンの名に残る。

 

 アーミヤは胸の奥で小さく息を呑み、チェンは静かに剣を払った。

 二人とも勝利を確認しつつ、どこか表情は晴れない。

 

 “ここから先”の方が、よほど険しい道だと理解しているからだ。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。