先史文明研究員がテラ人になって転生し続けている話 作:Calく
炎国とウルサスによる合同調査団が、焦土と化したチェルノボーグへ足を踏み入れてから――十四日後。
両国の行政機関へ、同時に報告書が提出された。
報告書の結論は、驚くほど“無色”だった。
両国のいずれにも、この災害の計画および実行に関与した確固たる証拠は存在しない。
文面は淡々としており、余計な推測も、政治的な色付けも避けられていた。
だがその無色透明こそが、各勢力の胸中に影を落とした。
そして最終的にチェルノボーグ事件は――
感染者によって引き起こされた“重大な人災”
と、冷徹な文言で結論付けられた。
だが、そこからが本番だった。
調査結果の是非を巡り、炎国でもウルサスでも、さらには周辺国でも、政治的な摩擦が相次いだ。
責任の所在を巡る不毛な論争、感染者政策の強化を目論む派閥の台頭、逆に制度見直しを訴える者たちの反発――。
この混乱によって、本来であれば“緊急審議事項”として取り上げられるはずだった感染者への追加法令案は、
議会の机の上に積み上がる廃案候補の山に埋もれたまま、何か月も放置されることとなった。
やがて――。
年末の期末大清掃で、事態は静かに幕を閉じる。
書記が古い文書の束を整理していた際、他の重要書類に紛れ込んでいた法案資料は、何の感慨もなく、無機質なシュレッダーの口へと吸い込まれていった。
ギイ……と鈍い音が一度響き、紙片は細かな断片となって散った。
誰に見送られることもなく、どこにも記録されることもなく――
チェルノボーグ事件は、紙吹雪のように"音もなく"歴史から消えていった。
こうして、一つの都市を焼き尽くした惨禍に、冷たいピリオドが打たれたのである。
タルラの身柄は、ひとまずロドス預かりとなった。
とはいえ“保護”という表現はあまりに甘い。実際には、艦内の一室に軟禁され、厳密な監視のもとでの生活を余儀なくされていた。
彼女自身もそれを特に不満とはしなかった。
黒蛇による支配が断ち切られた後も、タルラの胸中には罪悪と疲弊が沈殿し、抵抗する意欲すら湧かなかったからだ。
しかし――事態は、ロドスの意図とは別の形で動き始める。
ある日、艦内の戦闘要員のほとんどが外任務へ出払った瞬間を狙い、レユニオン残党による奇襲が発生した。
かつての同志であり、かつての部下であり、彼女が焼け落ちていく都市と共に失ったはずの者たち。
彼らは迷いなく、タルラの部屋へと乗り込んできた。
その目に宿っていたのは憎しみでも恐怖でもない。
——ただ、主を求める意志だった。
その手は、決して強制ではなかった。
だが拒む余地を与えぬ、痛いほどの忠誠があった。
ロドスの残存戦力だけでは抑えきれず、わずか数分で状況は覆される。
それでもタルラは叫ばなかった。助けを求めず、止めようともしない。
――説明できるはずがなかった。
コシチェイに主導権を握られたあの日々を。
自分が何を奪い、何を壊し、何を見捨ててきたのかを。
どれほど“自分ではなかったか”を、どれほど“自分だったか”を。
言葉にすることは不可能だった。
それ以前に、彼女自身が弁明する意志を欠いていた。
「私は……」
その口は、ただ閉ざされたまま。
赦しを乞う気も、理解を求める気も、もう残っていなかった。
タルラは静かに立ち上がり、仲間と呼ぶべきかどうかも分からない影たちの後へ歩き出した。
こうして、タルラはロドスを去った。
生き残ったレユニオンを率いるのか、従うのかすら曖昧なまま――
ただ、自らの罪と行く末だけを抱えて。
スヴェルドフレムは、黒蛇に纏わせた呪炎の気配が断たれていることを悟った。
焼き切ったはずの“線”が、どこかで再び繋がっている。
殺し損ねた――その事実は、彼にとって驚きではなかった。
思えば、以前も同じことがあった。
己のアーツは魂そのものへと食い込む“灼き”をもたらす。
肉体はおろか、寄生する精神の層までも焼灼するはずの業火。
だがあの化生は、いつもその最奥までは届かなかった。
魂を焦がすことはできる。
だが、焼き尽くすには至らない。
黒蛇は、千年を生き延びる怪物だ。
魂の脱皮を繰り返すように、痛みと焦熱の殻を捨て、新たな器へと逃れ続ける。
今回もまた、同じことだろう。
スヴェルドフレムの呪炎は確かに黒蛇を蝕み、宿主を引きずり下ろした。
だが、焼き滅ぼすまでの深度には及ばなかった。
黒蛇はどこかで新たな肉体を見つけ、わずかな魂の残滓を糸にして、抜け出たに違いない。
――あれは“殺せる”相手ではない。
かつての魔王がそう評したように。
スヴェルドフレムは静かに息を吐いた。
敗北の痛み、その事実を否定はしない。
だが、黒蛇が生きているという一点だけは、余計な火種となった。
次いで、脳裏を過ったアーミヤについて。
槍を投擲する前――ほんの瞬きほどの間――。
スヴェルドフレムは、確かに“それ”を感じ取った。
圧倒的な魔王の気配。
幼き魔王が、ついに真の意味で“冠”に触れた。
それは表面的な力ではなく、魂の奥底に眠る王権そのものが目覚めた気配だった。
アーミヤが魔王の冠を継いだ以上、彼女の歩む道が険しく苛烈なものになることなど、とうに理解していた。
だが――今回の戦いで、その未来はもはや“避けられるかもしれない道”ではなくなった。
逃れ得ぬ宿命として、確定してしまったのだ。
黒蛇に触れ、タルラの心を覗き、そして自らその魂を焦がす戦いの中で。
アーミヤはもう、ただの少女ではいられなくなった。
スヴェルドフレムはそれを悟る。
そして同時に、胸の奥で静かに燃える感情があった。
――彼女はいずれ、魔王として世界を揺るがす存在になる。
ならばサルカズの戦士として、魔王の系譜を知る者として。
いずれ、自分も彼女と向き合う時が来る。
だが――それは今ではない。
黒蛇との決着も、アーミヤとの再会も、いずれ再び訪れる。
どこへ向かおうとも、その行く末は必ず自分の前へ戻ってくる。
灼けた因縁は、互いに断ち切れぬ鎖のようなものだ。
しかしスヴェルドフレムには、いま成すべきことが別にあった。
次は――騎士の国に囚われている同胞を救わなければならない。
彼にとって“戦う理由”は、復讐でも名誉でもない。
かつて魔王に誓った、サルカズの未来を守るという誓約。
その誓いだけが、数多の過去を抱えた身体をなお前へと進ませる。
黒蛇の影を追うのは後でいい。
いま向けるべき刃は、別の場所にある。