先史文明研究員がテラ人になって転生し続けている話 作:Calく
監査会は、ついに“切り札”を切った。
レッドパイン騎士団――感染者騎士たちに、密かに取引を持ちかけたのだ。
条件は単純なもの。
「大分断を引き起こせ」
感染者騎士たちの立場を利用し、監査会に有利な混乱を作り出す。
その代わり、レッドパインが望んでいた“感染者騎士の地位向上と独立”を保証する――そう約束した。
レッドパイン騎士団は条件を呑んだ。
感染者である彼らは、追い詰められていたからだ。
彼女たちは仲間の未来を守るため、泥をかぶる覚悟を決めていた。
もちろん、その計画は外には漏れないはずだった。
――はずだった。
だが、カジミエーシュの影は甘くない。
無冑盟。
暗殺と諜報を生業とする彼らにとって、大騎士領の盗聴など日課のようなもの。
レッドパイン騎士団の密談は、たやすく耳に入った。
こうして無冑盟に、
“感染者騎士の掃討”という公式任務が降りる。
――レッドパインは囮にされ、切り捨てられようとしていた。
しかし、この動きを事前に察していた者がもう一人いた。
トーランド。
サルカズのバウンティハンターであり、裏社会と騎士社会のどちらにも顔を利かせる男。
彼はレッドパイン騎士団へ直接接触し、その真意を見抜き、奇妙な信頼を勝ち得ていた。
レッドパインは彼に真実を隠さなかった。
――それだけ切迫した状況だったとも言える。
そしてトーランドは、別の選択もしていた。
エルデルに最初に接触したのは、トーランドだった。
スヴェルドフレムたちがカジミエーシュに潜伏して間もなく、彼は酒場の裏口で待ち伏せし、静かに言った。
「アンタらの探し物――零号地に繋がる話だ。だが、今の大騎士領の影にはもっと深い“崩れ”がある」
「レッドパイン、監査会、商業連合、無冑盟……全部が同じ穴を覗き込んでる。アンタらも、覗かないといけない側だ」
「感染者の失踪事件の調査と、商業連合会が隠す“処分場”の実態の解明」
彼の裏に私情があるのか、別の勢力の動きがあるのかはわからない。
だが少なくとも、トーランドは混沌の中心に立ち、
すべての勢力の動きを“見ようとしている”男だった。
スヴェルドフレムは、トーランドの背を見送りながら呟いた。
「……蛇の穴が幾つあるか、見当もつかんな」
「ですが、その男……信用できるのでしょうか?」
カルディオスコポスが問う。
「サルカズの狩人は、嘘の匂いに敏い。奴は……少なくとも同胞の絆を大切にしているようだ」
「我々も……向かおう」
スヴェルドフレムの声は低く、冷静だった。
電話が鳴っている。
彼女以外、誰もいない室内に乾いたベルの音が刺さるように響いた。
「……もしもし?」
しばしの静寂のあと、低く、温度のない声が耳に落ちる。
「……焔尾騎士、ソーナ。ここまでよくやり遂げてくれた」
「え……?」
声は感謝でも賞賛でもない。
ただ、事務的に“予定通り進んでいる”ことを確認する者の声音だった。
「君には二つの選択肢がある」
言葉の区切り方が妙に滑らかで、冷たい。
「……不要な選択肢を提示するつもりはない。こちらの手のひらの上で動いてくれるなら、それでいい」
ソーナは息を飲む。
電話の向こうの人物は、怒りをぶつけるでもなく、脅し文句を叫ぶでもなく——ただ冷ややかに事実だけを並べてくる。
その余裕が、むしろ恐ろしい。
「感染者を排除する気はない。もちろん、君個人と争うつもりもない。——もっとも、争われても困るがね」
皮肉なのか本気なのか分からぬ調子。
淡々としているせいで、逆に刺さる。
「ともあれ——社会を敵に回すのは、もうやめたまえ。あのサーバーは我々がすでに破壊した。君の持つチップこそ、最後のコピーだ」
静かに追い詰めてくる声。
逃げ道がふさがっていく音が聞こえるようだ。
「さあ。決断を」
「……今、電話を壊すことでも考えているのか?」
声の温度が一段、冷たく落ちる。
「好きにするといい。それが“運命に抗う”ために出した答えだというのなら——」
最後だけ、わずかに嘲りが混じった。
電話が切れた瞬間、ソーナは一度だけ深く息を吸った。
胸の奥に、不思議なほど澄んだ決意が宿る。
——従うのでもない。抗うのでもない。
自分自身で選ぶ。
その答えに至ったときには、もう窓際に走っていた。
ガラス窓を蹴破る轟音が、夜気へと弾け飛ぶ。
「カイちゃん! お願い、受け止めてっ!!」
彼女の身体は既にビルの外へ。
重力に抱かれながら、アーツが尾を曳く。
ビル風が頬を裂く勢いで吹き抜ける中、
その決断だけは揺らがなかった。
「――お前、またなんて無茶な真似を! どうしてそんな高さから――って、うわっ——!!」
カイのアーツが瞬時に展開し、落下速度を削るように周囲の空気が震える。
ソーナの身体が抱き留められた瞬間——金属の破片が雨のように降り注ぐ。
選んだのは、従順でも反逆でもない、“第三の選択肢”。
アーツの補助を使い、ビルから飛び降りるという——自ら運命を掴みにいく選択だった。
電話の相手である男は、女騎士の身体が夜空へと躍り出るのを見た。
受話器の向こうで言葉が途切れた瞬間には、すでに命を刈り取る準備は整っていた。
張り詰めた弦――その鏃は確かにソーナの心臓を射抜く軌道を描いていたはずだ。
だが、放たれる直前。
皮膚を針でなぞられたような、鋭い悪寒が背骨を走った。
高層ビルが立ち並ぶビジネス街地区には、似通った構造の建物がいくつもある。
そのどこかの影に、己と同質の“殺意”が潜むとしたら――。
気配を追うように視線をそらした刹那、はるか屋上の縁で何かが揺らぐ。
瞬きほどの一瞬、しかし見間違うはずもない。
あれは、同業者の気配。
「……なるほど。運が良い、若き騎士」
仕留め損なったのは判断の遅れではない。
“狩る側”が自分だけではなかったというだけだ。
この街の裏側で、同族同士がやり合うのは得策ではない。
スヴェルドフレムもまた、遠く離れた建物の影で身構えていた。
――計画が漏れたと判断した時点で、敵が動く可能性の高い地点をいくつか絞り、監視していた。
いま目の前で起きた光景は、その読みが完璧に的中したことを意味していた。
優秀であったらしい相手は、追うことなく去った。
ビルの縁から見下ろせば、ソーナの影は急速に小さくなっていく。
落下の勢いを巧みに殺し、アーツで姿勢を整えたのだろう。
どうやら――無事に着地できたようだ。
わずかに目を細めた。
「さすがは“騎士の国”の娘か。肝が据わっている」
そう呟きながら、弓を下ろす。
風が吹き抜ける。
遮るもののない高所では、そのわずかな気流の変化すら、刃のように鋭く感じられる。
それも自分と同族の気配。
視線を上へ巡らせる。
だがそこには、もう何者の影もない。
深追いは愚かだ――今夜は特に。
闇へと姿を溶かしながら、彼は冷静に結論を下す。