先史文明研究員がテラ人になって転生し続けている話 作:Calく
意識が、泥の底から引き上げられるように浮かび上がった。
重い。まぶたも、四肢も、思考さえも。
身体の内側に、異物が流れ込んだ感覚だけがはっきりと残っている。
喉の奥が焼けるように乾き、呼吸のたびに胸が軋んだ。
「……ようやくお目覚めか。おはようさん」
軽薄な声だった。
「なっかなか起きねえもんだからよ、正直もう死んじまったかと思ったぜ」
腐敗騎士は、ゆっくりと視線を動かす。
視界の端に、影が映った。人影だ。
壁にもたれかかり、両腕を組んだまま、こちらを面白そうに眺めている。
「……お前は――」
声を出した瞬間、喉が裂けるように痛んだ。
「サルカズ、か……?」
「おっ!」
男は愉快そうに声を上げる。
「まだ普通にお喋りできるってこたぁ、お前の兄弟よりはマシな状態みてえだな」
その言葉に、腐敗騎士の指が微かに震えた。
「……!」
視線をずらす。
傍らには、同じ鎧を纏った騎士――凋零騎士が横たわっていた。動かない。呼吸の有無すら、判然としない。
「安心しな」
男は軽く手を振る。
「そいつも死んじゃあいねえからよ」
腐敗騎士は言葉を失った。
男は顎に手を当て、興味深そうにこちらを見下ろす。
「にしても、ゲル修復液だったか? 鎧直すのに使う液剤だったはずだよな。それを人間が直で摂取すると、こうなっちまうってのか……」
独り言のように、しかし止まらない。
「一体どういう原理なんだ? 活性化を利用してるのか? だとすると、カジミエーシュ騎士の鎧って何でできてんだ?」
腐敗騎士の沈黙など意に介さず、男は思考を巡らせ続ける。
「人も鎧も活性化させられるってんなら……オリジムシはどうなんだろうな?」
腐敗騎士は、掠れた声を絞り出した。
「……角なしの、サルカズ……」
男の視線が、ぴたりと止まる。
「お前は……無冑盟、か?」
次の瞬間、男は腹を抱えて笑った。
「ははっ、そう見えるかい?」
ひとしきり笑った後、首を振る。
「だったら、ちと買い被りすぎだな。無冑盟サマの年収は、俺の三千倍はあると思うぜ」
男は自分の胸を親指で指した。
「俺はただのバウンティハンターさ。トーランドっていう」
名前を告げる声は、妙に軽かった。
「大騎士領にはちょっとした野暮用で来たんだが……その用事の一つが、サルカズ関係の調査でな」
一歩、近づく。
「もちろん、こいつは仕事じゃねえ」
目が細められる。
「言うなれば、個人的な好奇心ってやつだ」
腐敗騎士は、無意識に身を強張らせた。
「――そんで、お前さん」
トーランドは、腐敗騎士の頭部に視線を落とす。
「俺以外に、両角を切ったサルカズに会ったことがあるのかい?」
沈黙。
腐敗騎士は、答えない。
トーランドは、その反応に確信を得たように、小さく息を吐いた。
「……お前たちの角は、誰が切り落としたんだ?」
声が、わずかに低くなる。
「サルカズを――実験の奴隷にして、処刑人にしたのは……何処のどいつだ?」
答えはない。
ただ、腐敗騎士の瞳の奥で、何かが揺れた。
「やれやれ」
トーランドは肩をすくめた。
「わかったよ。徹底的に飼い慣らされてるらしいな」
しばしの沈黙の後、彼は唐突に言った。
「だったらさ。俺と一緒に来る気はねえかい?」
「……何だと?」
腐敗騎士の声には、困惑が滲む。
「お前ら、そんなでっけえ図体してんだ」
トーランドは軽く笑う。
「バリバリ働けるはずだろ? 俺たちは荒野で暮らしてるんだが……いかんせん、一番足りねえのは労働力でよ」
「お前は……何を――」
言い終わる前に、トーランドは言葉を被せた。
「――な?」
その声音には、不思議な熱があった。
「俺と行こうぜ、兄弟」
腐敗騎士を、同情でも命令でもなく、対等な存在として呼ぶ。
「一緒に生きていこうや」
その言葉は、剣でも鎖でもなかった。
だが腐敗騎士にとっては、生まれて初めて向けられた――選択肢だった。
「心配すんな」
トーランドは軽く手を振り、あくまで気楽な調子で言った。
「治療はな、まぁ俺達の規模じゃ正直難しいだろうが――」
一拍、言葉を区切る。
「今回は、心強い助っ人がいるんでな」
腐敗騎士は、その言葉に眉をひそめた。
「……助っ人?」
「ああ」
トーランドは、ふと視線を逸らす。
それは部屋の外でも、凋零騎士でもない。
もっと遠く――この街の向こう、あるいは大地そのものを見ているような目だった。
「サルカズだ。俺と同じ……いや、俺なんかよりずっと厄介でな」
口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
「あー、確か五十年くらい前から大地を渡り歩いてる連中だよ。どこの旗にも縛られねえ」
腐敗騎士は、胸の奥がざわつくのを感じた。
理由は分からない。ただ、その言葉に――懐かしさにも似た違和感があった。
「戦い方も、生き残り方も……普通じゃねえ」
トーランドは続ける。
「だがな、妙に筋は通ってる。借りは返すし、無駄な殺しは好まねえ」
一瞬、軽薄さが影を潜める。
「何より――」
低く、確かな声。
「サルカズを“道具”として扱う連中を、あいつらは一番嫌ってる」
沈黙が落ちた。
腐敗騎士の脳裏に、切り落とされた角の感触が蘇る。
命じられ、従い、使い潰されてきた日々。
「……信用できるのか」
掠れた問い。
トーランドは肩をすくめた。
「さあな。俺も命を預け切ったわけじゃねえ」
だが、と付け加える。
「少なくとも、俺達を“壊れた駒”として見る連中じゃねえよ」
彼は踵を返し、扉へ向かう。
「少し休んどけ。移動は夜だ」
扉を開ける直前、ふと思い出したように振り返る。
「ああ、そうそう」
その声には、どこか含みがあった。
「向こうの連中、お前らみたいなのを――“拾う”のには、慣れてるらしい」
扉が閉まる。
残された腐敗騎士は、天井を見上げたまま、静かに息を吐いた。
角を失い、名も奪われ、
それでもなお生き残った自分達を拾い上げる者。
それは救いか、
それとも――新たな戦場か。