先史文明研究員がテラ人になって転生し続けている話 作:Calく
英雄は2度死ぬ。
――より一足先に、エルデルのメンバーたちはそれぞれの帰路についた。
任務は終わり、果たすべき役割も果たした。
カジミエーシュに留まったのは、ただ一人。
スヴェルドフレムだけだった。
騎士競技の熱も、裏社会のざわめきも、街の喧騒も、彼の周囲を素通りしていく。
彼は去らなかったのではない。あえて残ったのだ。
この地に残されたもの――。
まだ名付けられていない因縁と、回収されぬ傷痕が、彼を呼び止めていた。
独自のルートを辿り、ひっそりと届けられた一通の招待状。
文面は幾重にも暗号化され、表向きには意味を成さない記号と数式の羅列にすぎない。
だが――それを読み解ける者にとっては違った。
――摂政王、テレシス。
それは命令でも、懇願でもなかった。
ただ静かに差し出された、王の名による招待。
スヴェルドフレムは視線を落とし、紙片を指先でなぞる。
遠く離れたロンディニウムで、なおも盤上を動かし続ける“王”がいるという事実を、改めて突きつけられながら。
この招待状は、過去への呼び声であり――、
そして、次なる局面の始まりを告げる合図だった。
約束の時刻、約束の場所。
スヴェルドフレムが足を踏み入れた先には、静まり返った空気の中、使者と――小隊規模の護衛が整然と並んでいた。
数だけを見れば威圧的だが、構えは過剰ではない。
あくまで「迎え」であり、「捕縛」ではないことを示す、ぎりぎりの線。
使者は外見から種族を判別することはできない。
体格も、衣装も、どこか意図的に情報が削ぎ落とされている。
だが、スヴェルドフレムにはわかっていた。
呼吸の間。
立ち姿の重心。
そして、視線を交わした一瞬に走った、言葉にならない既視感。
――間違いない。
あれは、かつてのエルデルの一人だ。
同じサルカズでありながら、その頭部にあるはずの角が、どこにも見当たらない。
削ったのか。
あるいは、切り落としたのか。
いずれにせよ、それは儀式でも戦傷でも説明のつかぬ所業だった。
自らの種を否定する覚悟がなければ、決して選ばれぬ道。
護衛の一人が一歩前に出る。
だが使者は、わずかな手振りでそれを制した。
沈黙の中、二人の視線が再び交わる。
過去と現在。
エルデルと軍事委員会。
サルカズでありながら、サルカズであることを棄てた者。
その邂逅は、言葉を交わす前から、すでに重かった。
要求は、驚くほど単純だった。
そして同時に、悪意においても、実に明快だった。
――従え。
使者は淡々と告げる。
その声色には、躊躇も憎悪も宿っていない。
まるで、すでに実行に移した計画の進捗を報告しているかのようだった。
脅しの本質はそこにあった。
命を奪うと告げることではない。
奪える状況を、すでに作り上げていると示すこと。
使者の護衛たちは微動だにしない。
その配置、その間合い、その視線の配り方。
どれもが、暗殺を生業とする者たちのそれだった。
「……変わったものだな」
スヴェルドフレムは、低く呟いた。
「かつてのエルデルは、仲間を盾に取るような真似はしなかった」
使者の口元が、わずかに歪む。
それが笑みだったのか、苦痛だったのかは、判別できない。
「理想は、守るために捨てました」
短い返答。
この場で拒めば、血が流れる。
受け入れれば、別の形で血が流れる。
――選択肢は二つ。
だが、どちらにも犠牲がある。
スヴェルドフレムは、ゆっくりと息を吐いた。
そして、その重さを噛み締めるように、使者を見据えた。
永い転生の果てに、英雄と呼ばれるようになったスヴェルドフレムであっても――
結局のところ、その身は一つしかない。
かつては戦場を駆け、国を救い、名を歴史に刻んできた。
だが英雄とは、遍在する概念ではない。
どれほど力があろうと、同時に守れる場所には限りがある。
エルデルの拠点は、点在している。
医療区画、保護施設、補給線。
どれもが命を抱え、どれもが弱点だった。
一箇所なら間に合う。
二箇所でも、まだ望みはある。
だが――複数同時となれば、話は別だ。
敵はそれを理解している。
だからこそ、この脅しは成立していた。
英雄を倒す必要はない。
英雄を「選ばせれば」いい。
どの拠点を守り、どこを見捨てるのか。
その選択を強いること自体が、すでに勝利なのだ。
スヴェルドフレムは拳を握り締めた。
爪が掌に食い込み、血の匂いが僅かに立つ。
力では解決できない局面。
剣でも、アーツでも、越えられない線。
この招待状が意味するものを。
これは交渉ではない。
英雄という存在の限界を、正確に突きつける宣告なのだ、と。
スヴェルドフレムは、静かに笑った。
それは余裕の笑みではない。
戦うと決めた者だけが浮かべる、覚悟の表情だった。
「やはり、そう来ますか。貴方は……そういう人だ、ボス」
使者――かつてゼーテースと呼ばれていたサルカズの男は、感情の起伏を感じさせぬまま、すっと腕を振り上げた。
その動き一つで、背後に控えていた護衛たちの気配が変わる。
刃が鞘の中で鳴り、張り詰めた弦が空気を震わせた。
「ならば、こちらも……そうするまでです」
淡々と告げられたその言葉は、宣戦布告に等しい。
交渉の席は、もはや形骸と化していた。
スヴェルドフレムは、微動だにしない。
ただ、ゼーテースの角の痕――削がれ、切り落とされた痕跡に、ほんの一瞬だけ視線を走らせた。
「……変わったな、ゼーテース」
低く、しかし確かに届く声。
懐旧でも哀惜でもない、事実の確認に近い調子だった。
「かつてのお前は、命令よりも理由を問う男だった」
ゼーテースの瞳が、わずかに揺れる。
だが、腕は下がらない。
「理由を問うのは、選択肢がある者の特権です」
「今の私は――従うことでしか、生き残れない」
その言葉と同時に、護衛の一人が一歩前へ出る。
空気が軋み、アーツの兆しが立ち上る。
スヴェルドフレムは、ようやく一歩踏み出した。
威圧ではない。
戦闘態勢ですらない。
静かな声が、場を支配する。
「ゼーテース」
「従うことで生き延びた者は、いずれ――“自分が何に従っていたのか”を、必ず思い出す」
その瞬間、夜風が強く吹き抜けた。
護衛たちの影が揺れ、重なり、歪む。
――交渉は終わった。
だが、戦いはまだ始まってすらいない。
ゼーテースの掲げた腕が、振り下ろされる。
それは命令であり、引き金であり、
かつて同じ陣営に立った者同士が、完全に袂を分かつ合図だった。
主君たるテレジア殿下の死は、ロドスだけでなく、エルデルにも深い亀裂を刻んだ。
それは静かに、しかし確実に広がっていく断層だった。
エルデルは二つに割れた。
融和を選ぶ者と、敵対を選ぶ者。
あるいは、平和を求める者と、戦争を求める者――。
同じ理想を掲げ、同じ戦場を越えてきたはずの仲間たちは、いつしか同じ言葉に異なる意味を見出すようになっていた。
「生き延びるため」という一言が、ある者には未来を、ある者には復讐を指し示したのだ。
ゼーテースのように、軍事委員会へと身を投じた者もいる。
一方で、何も選ばず、大地の何処かへと姿を消した者たちもいた。
彼らは旗を掲げることを拒み、歴史に名を刻むことすら望まなかった。
荒野へ、地下へ、あるいは名もなき都市の影へと溶け込み、「エルデルであった」という事実だけを胸に抱いて生き続けた。
しかし――誰もが理解していた。
この分断が、誰かの過ちから生まれたものではないことを。
テレジアの死が引き金であったに過ぎず、本当の原因は、それぞれが抱いてきた「願い」の違いなのだと。
「ふ、はは」
「やはり……貴方だけだ、ボス」
「俺の、輝ける星よ」
血溜まりに沈む護衛達の骸。
その死体はどれもが鮮やかな剣筋で命を絶たれていた。
一歩、ゼーテースに近づく。
凄惨な現場での、暫しの団欒。
「……貴方は、そういう人だ」
「だからこそ、ボス」
「あなたは、――甘い」
周囲を吹き飛ばすに十分な源石爆弾が、ゼーテースの懐に縫い付けられていた。
「どうして捨てたんだ!!あなたは、俺たちの希望だった!」
「――貴方が復讐のためと剣を取ってくれれば、俺たちは救われたのに!」
「――ゼーテース」
「私が復讐の旗となれば、次に斬られるのは誰だ?」
「殿下の名の下に、何人の同胞を殺す?」
「“敵”と呼べば、どこまでが許される?」
一歩、また一歩。
爆弾の起爆圏内に、迷いなく足を踏み入れる。
「お前たちは、私を英雄と呼んだが」
「俺はな、ゼーテース」
「英雄であることに、とうに倦んでいる」
彼の声は低く、しかし確かだった。
「希望とは、誰かを殺す理由になってはならない」
「復讐とは、未来を切り売りする行為だ」
「それを承知で剣を取るなら――」
スヴェルドフレムは、真っ直ぐにゼーテースを見据える。
「お前たちは、最初から“救われる気などなかった”」
「……ッ!」
ゼーテースの喉から、嗚咽にも似た声が漏れる。
「甘いんだ、あなたは……!」
「だから皆、あなたに縋った!」
「だから――あなたを引きずり下ろしたかった!」
「そうか」
スヴェルドフレムは、短く笑った。
それは嘲りではなく、諦観に近いものだった。
「だが、その甘さを捨てた瞬間」
「俺は、お前たちが恐れた“■■”になる」
源石爆弾の冷光が、二人の影を歪める。
次の瞬間が、対話の終わりであることを、互いに理解していた。
「だが――ゼーテース、俺は――」
投げかけた言葉に、かつてゼーテースと呼ばれた使者は、ほんの一瞬、目を見開いた。
そして――まるで長い旅路の終着点を見つけたかのように、表情を和らげた。
「ああ……やはり、あなたは……」
言葉は、最後まで形を成さなかった。
同時に、源石爆弾が起爆する。
白光。
爆風。
空気そのものが引き裂かれ、音は遅れて世界を叩き潰した。
衝撃は二人を等しく呑み込み、血と炎と破片が、団欒の名残を跡形もなく吹き飛ばした。
――その日、エルデルのリーダー、スヴェルドフレムの消息は途絶えた。
ただ一つ事実として残ったのは、現場に“遺体がなかった”という点だけである。