先史文明研究員がテラ人になって転生し続けている話 作:Calく
【閑話】組織の混乱と過去
エルデルのリーダー、スヴェルドフレムの消息が途絶えて、一月が過ぎた。
各地の支部には厳重な情報統制が敷かれ、その事実を正確に知る者は、創設期から名を連ねる古株の幹部に限られていた。
末端には「極秘任務中」といった曖昧な言葉だけが流され、疑念は意図的に薄められている。
――とはいえ、いつまでも隠し通せるはずもない。
エルデルは設立当初から、指導者不在でも回る組織を目指してきた。
資金網、諜報、戦力、思想。
それぞれは既に自立している。だが、それでもなお――
スヴェルドフレムという存在が放つ「カリスマ」は、代替不可能だった。
彼の決断一つで沈黙した支部があり、
彼の一言で剣を収めた部隊があり、
彼の背中を見ただけで、命を賭す覚悟を決めた者たちがいた。
後釜となる次期リーダーは、既に水面下で決定している。
能力も、血統も、支持も申し分ない。
――それでも。
「“あの人”がいない」
その事実だけが、会議室の空気を重く沈ませる。
かつてなら即断されていた案件が、幹部たちの間を何度も往復した。
誰もが理解していた。
問題は体制ではない。
象徴なのだ。
スヴェルドフレムが生きているのか、死んでいるのか。
それとも――戻らない場所へ行ってしまったのか。
一ヶ月ほどが経った頃だった。
各地の幹部にのみ開かれる回線へ、ひとつの報せが滑り込んできた。
幾重にも折り重なった暗号、位相をずらした符号、そして最後に――巫術による封印。
送り主を偽る余地など、最初から存在しない。
リーダーからのものだった。
だが、その内容は、彼らが待ち望んでいたものとは少し違っていた。
――こちらでの活動に支障はない。
――各支部は現状を維持せよ。
――不要な動揺は抑えろ。
気にするな。
あまりにも簡潔で、あまりにも突き放した文面。
安否を問う余地も、再会を匂わせる言葉もない。
まるで「感情を挟むな」と命じるかのようだった。
巫術が施されたその報せは、軽々しく転送できる代物ではない。
受信した瞬間、波形が固定され、複製も改竄も不可能となる。
真偽を疑う者はいなかった。
疑うこと自体が、侮辱に等しい。
浮足立っていた空気は、否応なく冷やされた。
「……生きてはいる、か」
誰かが、絞り出すように呟いた。
だがそれは安堵ではなく、むしろ重荷に近い感情だった。
加えて、その報せには一文が添えられていた。
――仮に、軍事委員会内部で何らかの動きが生じたとしても、エルデルはこれに干渉するな。
言葉は淡々としており、感情の揺らぎは一切ない。
だが、その一行が意味するところは、あまりにも重かった。
古株の幹部たちは、顔を見合わせることもなく理解した。
これは警告ではない。
命令でもない。
線引きだ。
スヴェルドフレムは、自身を切り離した。
エルデルという組織から、意図的に。
「……らしいな」
誰かが、苦笑混じりに呟く。
他の者は否定しなかった。
端から見れば、物分かりが良すぎると映るだろう。
「裏がある」「何か企んでいる」と疑われても無理はない。
だが、彼らにとっては違う。
リーダーの思考回路は、もはや読解ではなく体感の域にあった。
彼が何を選び、何を捨てる男か。
今さら説明など要らない。
「干渉するな、か……」
もし軍事委員会が彼を“利用”し、あるいは“使い潰す”としても。
エルデルの名を、旗を、血で汚さぬために一人背負ったのだと。
「相変わらず、勝手な人だ」
そう言いながらも、誰一人として反抗を口にしなかった。
従うのではない。
理解しているからだ。
エルデルは静観を選ぶ。
その沈黙こそが、今この瞬間における最大の忠誠だった。
――とは言え。
何もしないという選択が、易しいわけではない。
「……通信を傍受。特殊な符号化が施されている」
モニターに走る波形を見つめながら、ケルシーは短く言った。
解析の進行音だけが、ロドスの医務室に似た静寂を刻む。
「暗号は既存の通信規格ではない。だが……一部の符号列が既視感を伴う」
指先が端末を滑り、数秒後、画面が切り替わる。
淡い光の中、彼女の声は一定の調子で続いた。
「――これはエルデルの通信形式か。中継地点を複数経由しているが、目的地は明確に指定されている」
情報の羅列の全てを読み取ったケルシーはつぶやいた。
「確定だ。符号構造、符文の位相、発信元の波長。どれを取っても偶然ではない。彼ら以外に、このパターンを使用できる組織は存在しない」
彼女の声音は、怒りでも驚きでもなく、ただ冷たい確信のみを帯びていた。
言い終えたケルシーは、端末の光を一度切る。
「記録を残しておこう。この通信は、放置すべきではない」
あの用心深いエルデルにしては、迂闊に過ぎる。
――いや、意図的か。
S.W.E.E.P.の存在を知る彼らは、この通信を通した。
偶然ではない。
試金石か、誘導か、牽制。
違いは些細だ。
いずれにせよ、彼らは「こちらが気付く」ことを前提に動いている。
あらゆるパターンを演算し、ケルシーは結論に至った。
これは宣言ではない。
単なる報告だ。
だが、無意味な報告など存在しない。
エルデル側に手を伸ばすべきか――否。
こちらから接触した瞬間、主導権は完全に相手へ移る。
それは情報収集ではなく、反応の提供だ。
彼らは“こちらが気付くか”ではなく、
“こちらがどう動くか”を見ている。
ならば答えは一つ。
今は、何もしない。
それが最善だと。
ログを保存したケルシーは、一人、ため息を吐いた。
……ロンディニウムか。
通信地点はロンディニウム。
摂政王テレシスが占領した都市であり、ヴィクトリア国の工業都市だったはずだ。
情報によれば、軍事委員会の支配は着実に進行している。
そして軍事委員会は――
かつてロドスの前身組織、バベルと衝突し、崩壊へと追い込んだ相手でもある。
ドクターはすべてを忘れている。
だが、因縁は忘却を許さない。
さらに、無視できない噂がある。
――死んだはずの魔王、テレジアが目撃されたという。
それは理想を共有し、守れなかった過去を持つ者にとって、単なる噂では済まない。
エルデル。
軍事委員会。
テレジア。
ロンディニウムは、再び過去を呼び戻そうとしている。