先史文明研究員がテラ人になって転生し続けている話 作:Calく
ヒロック郡騒動①
ヴィクトリア国、ヒロック郡。
きな臭さを帯び始めたヴィクトリアの動きを見定めるため、
ロドスは老年の女性エリートオペレーター――Outcastを派遣した。
「熱いお茶を啜り、新聞をめくる……そうした、年寄りの義務を果たしていたところさ」
その様子を見ていた協力者の男が、問う。
「……お探しのものは、見つかりましたか?」
問われたエリートオペレーターは、新聞を指し示した。
「少し、気になることはあってね」
「消えかけていたはずのその言語が、今では新聞の至る所に顔を出している」
「それだけじゃない。先ほど、窓の外から声が聞こえてね。その人物は子供たちに、互いをターラー語で呼び合うよう教えていた」
「言語がもたらす繋がりは、得てして他の何よりも強固だ。血縁のように時の流れで薄まることもなく、利益のように天秤にかけ続ける必要もない」
「どうやら、その繋がりを利用して――時と共に離れていくはずだった人々を、再び結集させようとする者がいるらしい」
「だが、それが叶えば、既存の地域集団は安定を失う。無論、そんな動きが表に出れば、ヴィクトリアが黙っているはずもない」
「とはいえ……無理に押さえつければ、その分、反動も大きくなる。これは、そういう類の火種だよ」
ターラー人復興組織ダブリン。
その幹部五人を仕留めたのは、老境に差しかかった女性エリートオペレーター――Outcastだった。
本来、幹部は六人。
だが最後の一人は、彼女の手によるものではない。
闇討ち。
痕跡は精錬され、無駄がなかった。
そして今、その犯人と思しきサルカズの戦士が、Outcastの前に立っている。
ひと目でわかる巨躯。
見慣れない剣身は、恐らく特殊なアーツユニットだろう。
肌を焼くような威圧感に、思わず息が詰まる。
――動かなければ死ぬ。
――動いても死ぬ。
そんな想像が脳裏をよぎり、
エリートオペレーター、Outcastの全身に緊張が走った。
間違いなく手練れ、それも歴戦の戦士だ。
そう断じた瞬間、Outcastは自分の喉がひどく渇いていることに気づいた。
巨躯のサルカズは、こちらを見下ろしている。
威圧のためでも、感情を誇示するためでもない。ただ“そこに在る”だけで、周囲の空気を押し潰す存在感だった。拗じれた角を模した仮面は感情を隠すためのものではない。あれは恐らく、素顔を晒す必要がないほど、数多の死を越えてきた者の余裕だ。
剣身に走る不規則な輝き。
金属というより、凝縮されたアーツそのものを刃の形に固めたかのようだ。制御ユニットらしき紋様が脈打つたび、空間が僅かに歪むのを感じる。あれを一度でも真正面から受ければ、防御など成立しないだろう。
距離は、十歩もない。
近すぎる。
銃撃戦の間合いではない。アーツを纏った近接戦闘の距離だ。
Outcastの脳裏で、経験則が次々と否定されていく。遮蔽物はない。退路も、あってないようなものだ。ここはロンディニウムの裏路地――逃げた先に、何が待つかは想像するまでもない。
それでも、相手は動かない。
その静止が、何よりも恐ろしかった。
獣のように飛びかかるでもなく、殺気を解き放つでもない。ただ、こちらがどう動くかを“見ている”。
Outcastは理解する。これは待ちの姿勢ではない。確信だ。自分がどんな選択をしても、斬り伏せられるという確信。
五人の幹部を撃ち抜いた直後だというのに、心拍は異様なほど落ち着いていた。
いや、違う。落ち着いているのではない。感情を切り捨てているのだ。
生き残るために、幾度となくやってきたこと。
残り一発。
本来なら、もう存在しないはずの弾丸。
ぞわり、と背筋をなぞる悪寒。
それは敵意ではない。Outcast自身の経験が警鐘を鳴らしている。
――撃たれる。
いや、斬られる前に終わる。
思考がそこへ至るより早く、身体が反応していた。
予備の銃を抜き、狙いを定めるという行為をすっ飛ばして、引き金を引く。
甲高い金属音が夜気を裂いた。
弾丸は弾かれた。
否、正確には――斬られたのだ。
剣が振るわれた形跡すらない。ただ一瞬、剣身の輝きが揺らいだだけで、弾道は粉砕され、路地の壁に散った。
仮面の奥で、視線が細くなる気配がした。
評価が、更新されたのだ。
その瞬間、Outcastは確信する。
この刺客は、ただの暗殺者ではない。
戦場で名を残し、幾つもの強敵を屠り、生き延びてきた者――
サルカズの中でも、選り抜きの剣だ。
まだ、Outcastは息をしている。
そして目の前には、本来なら交わらぬはずの「死」が立っている。
Outcastは銃を下ろさない。
勝ち目がないことと、抗わないことは、同義ではないのだから。
生粋のガンマンであるOutcastの銃撃は、サルカズの手足を削れど、致命傷にまでは至らない。
弾丸は正確だった。
関節を掠め、筋を裂き、動作を鈍らせる。
だが、倒れない。
サルカズの戦士は、一歩も止まらずに踏み込んでくる。
痛覚を無視しているのではない。
それを織り込んだ動きだ。
血が落ちる。
それでも剣は揺らがない。
Outcastは理解する。
――弾は、通っている。
だがこれは、「削り合い」ではない。
彼我の差は、技量ではない。
殺す覚悟でもない。
“どこまで踏み込めるか”という、
戦場でしか測れない領域の差だった。
剣は、致命を狙わなかった。
それでも――
逃げ場は、残されていなかった。
一閃。
衝撃が、骨を通して全身を揺さぶる。
Outcastの身体が宙に浮き、背中から地面に叩きつけられた。
次の瞬間、視界が歪む。
痛覚が遅れて追いつき、呼吸が途切れた。
剣先は喉元を外れ、
肩、肋、脚――
動きを司る箇所だけを、正確に削いでいく。
血は出る。
だが、死には至らない。
立ち上がろうとした瞬間、力が抜けた。
神経を断たれたわけではない。
だが、戦場に戻るには――致命的な“間”が欠けている。
サルカズの戦士は、距離を保ったまま剣を下ろした。
まだ、生きている。
だが、当分先の戦いには戻れないかもしれない。
Outcastの指が、六発目の引き金にかかる。
空気が、鳴いた。
――その予兆だけで、夜が悲鳴を上げる。
路地の影が歪み、瓦礫が微かに浮き上がった。
その瞬間。
サルカズの戦士が、一歩、退いた。
攻撃ではない。
防御でもない。
――中断だ。
「それ以上は、互いに無意味だ」
初めて発せられた声は、低く、感情を削ぎ落としていた。
Outcastは、引き金を引かない。
代わりに、銃口をわずかに逸らす。
「……お前さんのような強者なら、私を殺せただろうに」
サルカズは答えない。
「――この戦場から手を引くことだ、サンクタ」
それだけを残し、サルカズの戦士は闇へと溶けた。
六発目の弾丸は、放たれなかった。
だが――
Outcastは確信している。
今夜、引き金を引かなかったのは、敗北ではない。
これは、戦争の前触れだ。