先史文明研究員がテラ人になって転生し続けている話 作:Calく
序幕
曇天。
高く聳え立つビル群が連なる移動都市ロンディニウム。
その冷たい輪郭を前に、双生の魔王は佇んでいた。
「多くのサルカズは、今なお大地を彷徨っている」
「明日のパンを見つめるだけで精一杯だ。遠くの夢を見る余裕など、ない」
「王庭でさえ――十王庭の伝説を持つというのに、王の帳の奥は、いまだ大半が空席だ」
「……だから、あなたはこの戦争を選んだのね、テレシス」
「否。私の望みではない」
一拍を置き、魔王は続ける。
「サルカズが――必要としているのだ」
「此度の争い、戦火は我らの足元から燃え広がる。ヴィクトリア、ウルサス、リターニア……難を逃れられる都市は、一つもない」
「百年の間、彼奴らにカズデルへ視線を向ける余力はなくなる」
否。
それだけでは終わらぬ。
「我らが嵐を率いる力を得た時――」
「彼奴らは、サルカズの視線そのものを恐れる。嵐の暴虐を恐れるが如くな」
その言葉を、断ち切るように。
「軍事委員会は王庭と共に、この戦争の勝利を担保する」
声は感情を持たず、
理想も、歴史も、誇りも語らない。
ただ、結果だけを要求していた。
「テレジア。そなたに知らせるべきことが、もう一つ――」
一拍。
「そなたの忠臣である、スヴェルドフレム……いや、【 】の――褒賞についてだ」
アーミヤとドクター率いるロドス・アイランドは、ロンディニウム内にドローンを飛ばし周囲を探索していた。
「私たちについてきてくれた十数名のオペレーター、それに先行しているMiseryさんとLogosさんの小隊は……」
「みなさん任務の目標を明確に理解したうえで、志願して今回の作戦に参加してくれました」
「今のところ計画の第一段階および第二段階は成功していて、次の第三段階は――」
「――都市に入ることです」
アーミヤはそう言って、ウィンドウの向こうに広がる灰色の輪郭を見つめた。
雲に沈んだロンディニウムの外縁。
無数の光点が、軍事委員会の監視網を示している。
ドローンから送られてくる映像が、次々と画面に重なった。
崩れた街区、封鎖線、検問、そして――人影のない居住区。
「……思ったより、静かすぎますね」
それは安堵ではなく、警戒の言葉だった。
「都市は生き物です」
「何も起きていないように見えるときほど、内部では何かが積み上がっている」
アーミヤはドクターの方を向く。
「軍事委員会は、この都市を“戦場に変えられる状態”にして維持しています」
「だからこそ、私たちはその一歩手前に入り込まなければなりません」
一拍。
「エルデルの支援網も、ダブリン勢力も、そして……軍事委員会も」
「ロンディニウムは、もうただの占領都市じゃありません」
「複数の勢力が、同じ場所で息を潜めている――」
アーミヤは小さく息を吸い、そして静かに言った。
「――嵐の中心です」
ロドスの艦影は、ゆっくりと雲の縁を越え、その“中心”へと滑り込んでいった。
協定は、とうに死んでいた。
エルデルとロドスを結んでいた紙切れも、署名も、今では何の効力も持たない。
それでも――彼らは同じ地図を見ていた。
ロンディニウム。
軍事委員会の占領下に置かれ、ダブリンの勢力が蠢き、サルカズの避難民が影のように街区を渡り歩く、歪な戦場。
かつてなら、スヴェルドフレムがその間に立った。
エルデルの意志と、ロドスの理を、彼は一人で繋ぎ止めていた。
だが今、その名は――どこにもない。
彼が死んだのか。
捕らえられたのか。
あるいは……敵に回ったのか。
その答えは、誰にも分からない。
分からないからこそ、両者は動かざるを得なかった。
利害は異なる。
だが、敵だけは一致している。
エルデルは彼を見捨てられない。
ロドスは彼を無視できない。
だから彼らは手を組む。
信頼のためではなく、彼という空白を埋めるために。
それは協力ではない。
追跡だ。
捜索だ。
あるいは、覚悟だ。
ロンディニウムという嵐の中心で、二つの組織は同じ問いを抱えていた。
――スヴェルドフレムは、どこにいる?
――そして、どちらの側に立っている?
その答えを見つけるまでは、彼らは離れられなかった。
エルデルにとってもまた、軍事委員会はサルカズのためを名乗りながら、彼らを再び“争いの因果”へと引きずり込む存在だった。
二百年。
カズデルが滅び、散り散りになったサルカズが、ようやく根を下そうとした時間。
軍事委員会が掲げる戦争は、そのすべてを賭け金にする行為に等しい。
勝てば、故郷は守られるかもしれない。
だが大敗すれば――今度こそ、サルカズという民そのものが擦り潰される。
エルデルは知っている。
“必要な戦争”という言葉が、どれほど多くの孤児と亡骸を生んできたかを。
だからこそ彼らは、テレシスの大望とも、軍事委員会の計算とも、距離を取ろうとしてきた。
だが今、その距離を保つ余裕はない。
ロンディニウムで何が起きているのか。
スヴェルドフレムは――まだ“こちら側”にいるのか。
エルデルは、戦争を望まない。
だが、戦争に巻き込まれずに済むほど、世界は彼らに優しくなかった。
だから彼らは動く。
ロドスと手を組み、軍事委員会の影を踏み、嵐の中心へと踏み込む。
それは裏切りでも、屈服でもない。
――サルカズが、これ以上“必要とされる戦争”の餌にされぬための、最後の抵抗だった。