先史文明研究員がテラ人になって転生し続けている話 作:Calく
室内は低い声だけが行き交い、ランプの光が木製の机を滑るように渡っていた。古株の顔つきは硬く、誰もが今この瞬間の重みを知っている。
「気付いたか?」
「ああ。軍事委員会の監視の目が……緩み始めている」
彼らが口にする〈監視の緩み〉は、単なる偶然ではない。将軍に任ぜられた スヴェルドフレムが率いる組織〈エルデル〉は、表向きは軍の統制下に置かれたまま、活動の自由度をわずかに与えられている。だが幹部たちは、それが摂政王の単独判断によるものではないと直感していた。スヴェルドフレム自身の到来が、どんな思想決断の産物か――その答えは、当人のみぞ知る。
「だが、軍事委員会が俺達の活動を見逃しているということは……摂政王の判断だけではないだろう」
「俺達がすべきことは、この状況で、どの勢力に肩入れするかだ」
「軍事委員会は言わずもがな、ダブリンも奴らの方針を考えれば無しだ」
幹部たちは候補を慎重に潰していく。公的な利益に結びつけば目立ち、過度に民族運動に寄れば組織の独自性を失う。結局残るのは、短期で成果を拾える「限定的な連携」か、それとも完全な自立か――だが時間は迫っていた。
そのとき、偵察班からの報が小さな紙片のように回ってきた。紙には乱暴な丸文字で一行が書かれている。
幹部のジャールの男が、窓の外に目をやりながら低く呟く。
「私たちにとっては吉兆とも災厄とも取れます。ですが──もし本当に彼らと接触があったのなら、私達は単独で動くより、限定的な協調で市民の保護に動けるでしょう」
別の者が即座に計算を始める。
「情報価値が高い。物資の移動経路、救護優先箇所、あるいは脱出路の共有が可能になる。だが公に顔を出すわけにはいかない。今は“疑問符”を盾に、接触の糸口を探すべきだ」
結論は即座に決まったわけではない。だが論点は明瞭だ――今の「監視の緩み」はチャンスでもあり、罠でもある。エルデルは表向きの従順を保ちつつ、内部で三つの動きを同時に走らせることに合意した。
老練のナハツェーラーの男は、最後に釘を刺すように言った。
「忘れるな。俺達が選ぶのは“正義”ではなく“生き延びるための最善”だ。だが、最善の中にも出来る限りの義は残せ。今は――用心深く、巧妙に動け」
ランプの炎が揺れる。外ではロンディニウムの夜が、また一つ荒い息を吐いた。エルデルは動き出す。
幹部達が去った後も部屋に残っていたナハツェーラーの男は、ふと視線を向けた。
「……で、お前はどうするつもりだ?」
そう呼ばれた細身の人物は、ひどく目立つ白い外套を身に纏っていた。
外見からは種族を伺えないその顔には、柔和な笑みが浮かんでいる。
「ふむ」
「私はもちろん――」
「君たちのサポートに徹するつもりさ」
そう軽く告げた細身の男に、ナハツェーラーは鼻を鳴らした。
「はっ。そう言って、また戦場で気紛れを起こす気じゃねえだろうな」
白い外套の男は、肩をすくめた。
その仕草だけは、妙に軽い。
「はは。心外だな」
柔らかな笑みを浮かべたまま、彼は窓の外に視線を流す。
ロンディニウムの夜は暗い。
だが、その闇の底には、すでに幾つもの火種が潜んでいる。
「僕はあくまで――必要な場所に、必要なだけ手を貸すだけさ」
「必要な場所ねぇ」
ナハツェーラーの男は鼻を鳴らした。
「戦場で“必要”を語る奴ほど、勝手に前へ出る」
「それは君の偏見じゃないか?」
「経験だ」
即答だった。
それに、白い外套の男も反論はしない。
ただ、目元だけがわずかに笑う。
「……ま、君たちがそう言うなら、気をつけよう」
「“用心”で済む話じゃねえだろ」
男は腕を組んだまま、もう一度だけ外を見た。
遠くで響く警笛。
路地の奥で起きた小さな衝突。
そして、何かがこちらを探る気配。
「ロンディニウムは広いようで狭い」
「だから厄介なんだよ」
ナハツェーラーの男が吐き捨てる。
白い外套の男は、そこでようやく視線を戻した。
「でも、だからこそ隙がある。
人が恐れているものは、たいてい同じところに集まるからね」
「……また妙な言い方しやがる」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
静かな沈黙が落ちる。
ランプの炎がひときわ揺れ、壁に伸びた影がゆらりと歪んだ。
外では、ロンディニウムの夜がもう一度、荒い息を吐く。
その向こうで、
エルデルは動き出していた。
軍事委員会の視線が一瞬だけ緩んだ、その“余白”を埋めるために。
慈悲と狡猾さ。
慎重さと、必要な嘘。
そのすべてを抱えたまま、彼らは闇の中へ踏み出していく。
白い外套の男は、最後に小さく息を吐いた。
「……それにしても」
「なんだ」
「君は、僕を戦場に出さないように言う割に、いざという時は一番前に立たせるからね」
「知らねえな」
「ひどいなあ」
「黙れ。……仕事はきっちりこなしてもらうからな」
そう言い残して、ナハツェーラーの男は扉へ向かう。
だがその背中には、さっきまでの棘だけではない、どこか確かめるような気配があった。
白い外套の男は、その背を見送りながら、静かに目を細める。
――さて。
誰にも聞こえない声で、彼は心の中だけで呟いた。
――この都市で、最初に“余計なこと”をするのは、誰だろうね?