先史文明研究員がテラ人になって転生し続けている話 作:Calく
「将軍、制御室の爆発が防衛砲に影響を与えています。砲台がここら一帯の壁ごとひどく損傷して崩落しそうです――!」
部下の声が、焦りを押し殺せずに割り込む。
天井の梁が軋み、遠くで石材が崩れ落ちる音がした。
このまま留まれば、戦う者も、逃げる者も、皆まとめて瓦礫の下だ。
「これ以上留まれば、我々も落ちてしまいます!」
マンフレッドは一度だけ目を閉じた。
計算は終わっている。
最適解は、すでに見えていた。
「……全員に伝えなさい、撤退だ!」
「ならこの兵士は……」
部下が一瞬だけ躊躇う。
だが、マンフレッドは視線を動かさないまま答えた。
「……私はすでに勝利した。
しかし彼女を地に倒すには、いま少し手間がかかるだろう」
彼の視線の先にあるのは、膝をつきながらもなお折れていないホルンだった。
その姿に、かすかな敬意が宿っている。
「この場所は、もはや私がその時間を費やすに値しない」
それは敗北宣言ではない。
戦術的な切り上げだ。
だがホルンの耳には、その言葉がひどく重く響いた。
「ハッ……ハハ……」
乾いた笑いが、喉の奥から漏れる。
彼女は肩で息をしながら、どうにか顔を上げた。
マンフレッドは、静かに言う。
「ヴィクトリアの白狼、君は尊敬するに足る相手だ」
その声には、戦場で相対した敵にだけ向けられる、奇妙な敬意があった。
軽い賛辞ではない。
一騎の将が、別の将を認めた時だけに出る声音だった。
「もし君が生きてこの城壁から下りられるようであれば――」
一歩、彼は下がる。
背後ではさらに崩落の音が近づいている。
防衛砲の残骸が、もはや役目を終えた獣のように壁を引き裂いていく。
マンフレッドは剣の柄に手を置いたまま、ホルンを見た。
「次に会う時は、私の剣で」
そこで言葉は途切れた。
だが、その続きは誰にも必要なかった。
“剣で語る”――それだけで十分だった。
部下たちが撤退を急ぐ。
マンフレッドは最後にもう一度だけホルンを見た。
その眼差しは、敵を見下ろすものではない。
傷つきながらなお立つ者へ向ける、静かな認識だった。
マンフレッドにとって、彼らの抵抗が想定外だったわけではない。
むしろ、ここまで追い詰められてなお折れぬことこそが、彼ら――ヴィクトリアの者たちの本質だと、頭では理解していた。
だが、理解していたのと、実際に目の当たりにするのとでは、話が違う。
城壁の上で見た彼らの奮戦は、彼の予測をわずかに、しかし確かに超えていた。
剣を握る手は弱っているはずだった。
装備も万全ではなく、統制も完全ではない。
それでも彼らは退かなかった。
傷を負い、息を切らし、互いを支えながら、それでもなお前へ進んだ。
いや――正確には、彼は“超えられるかもしれない”と、どこかで聞かされていたのだ。
もう一人の将軍、スヴェルドフレム。
その言葉が、ふと脳裏をよぎる。
――マンフレッド。お前が彼らと相対する機会があれば、気をつけると良い。
――かつてあるザラックの小隊が、フェリーンの軍を破ったように。
――優れた能力を持つ弱者が、手を噛む事もありうる。
――傲慢さは、時に己の命を奪うものだ。
その忠告は、決して警句ではなかった。
経験からくる、冷たい現実の指摘だった。
マンフレッドは油断していたわけではない。
敵の数も、武装も、補給線も、すべて計算の上で動いていた。
だが――それでもなお、彼の内側にあった無意識の侮りを、完全には否定できなかった。
「弱者」という言葉は、戦場ではしばしば便利すぎる。
だが、その便利さこそが、人を誤らせる。
彼は静かに目を伏せる。
そして、撤退の命令を出し終えた戦場の風音を聞きながら、低く息を吐いた。
「……そうか」
そこにあったのは敗北の悔しさではない。
もっと厄介な、認識の修正だった。
あの者たちは、ただの抵抗勢力ではない。
国を奪われた者たちの集合ではなく、奪還を意志として持つ者たちだ。
ならば、逃げるという選択肢はない。
この都市に踏みとどまり、いずれ必ず再び剣を交えることになる。
マンフレッドはその事実を、淡々と受け入れた。
彼らはまた来る。
こちらもまた、迎え撃つ。
その繰り返しの中でしか、ヴィクトリアの未来は決まらない。
そして自分もまた、その戦場に立つ将軍の一人である以上、次に会う時こそは――油断なく、侮りなく、真正面から相対しなければならない。
崩壊しかけた城壁の上に立ったのは、将軍だけではなかった。
「……殿下」
マンフレッドが、かすかに息を呑む。
「残念だわ……やはり遅れてしまったわね」
その声音は、責めるでもなく、悔やむでもない。
ただ事実を受け入れる静けさがあった。
「あなたは将軍のおそばへと戻られた。お二人は王庭を率い、必ずやサルカズに勝利をもたらすでしょう。これまで数限りなく繰り返された事実です」
それは信頼ではない。
観測と記録のような、冷静すぎる認識だった。
「私や他の将兵たちにとって、記憶しておくべきはこれだけです」
「ええ……」
テレジアは小さく頷く。
「でも、マンフレッド……私は本当にあの子に会いたいの」
その言葉に、彼の呼吸がわずかに乱れた。
「それは――!」
だが、その先を言わせることなく、彼女は続ける。
「マンフレッド、一度命を失った者に再び夢は訪れると思う?」
その沈黙の中で、ようやく問いを絞り出した。
「将軍は……この件をご存じなのでしょうか?」
「彼はすべてを知っているわ」
迷いのない答えだった。
「でも夢はただの夢なの……そうでしょう?」
その言葉に、否定も肯定もできない。
マンフレッドは、彼女の顔を見た。
そして、わずかに目を細める。
「殿下、お顔に……」
「……ああ、埃が付いていたわね」
指先で頬に触れる。
だが、その仕草はどこかぎこちない。
「そうですか、私はてっきり……」
彼は言葉を選ぶ。
だが、結局言い切ることはしなかった。
ただ風だけが強く吹き抜け、崩れゆく城壁と、遠ざかる列車の間に――決して交わることのない距離を、静かに刻み続けていた。
聴罪師と大君の両者が部屋に揃った時、室内にはしばし沈黙だけが残った。
ブラッドブルードの大君は、その沈黙を味わうように目を細め、指先で杯の縁をなぞった。赤く濁った液面が、ランプの光を受けてぬらりと揺れる。
「……」
口の端に浮かんだ笑みは、祝杯のそれではない。
狩りの前に獣が牙を確かめるときの、あの笑みだった。
「テレシスも、相変わらず人使いが荒い。だが――よいでしょう。逃げ延びたものたちが束の間の夢に酔うなら、その夢ごと噛み砕けばいい」
そして、低く鼻を鳴らした。
「マンフレッドには本当に教育が必要ですね。私の頭上であれを起動させるとは。あの城壁のおもちゃが、どれほど私の気分を損ねたか……」
言葉とは裏腹に、その声音には苛立ちよりもむしろ、次の手を思案する愉悦が混じっていた。
彼にとって戦局は単なる混乱ではない。宴だ。
誰が踊り、誰が転び、誰が喉を潰して笑い声を上げるのかを見届けるための、長い長い饗宴だった。
やがて、大君は静かに杯を置く。
「――しかし、希望を実現させるほど、壊し甲斐のあるものはない」
その独白は、誰に向けられたものでもなかった。
ただ、次の悲鳴が鳴り始める瞬間を、まだ見ぬ客席から待つ男のものだった。
「テレシスに伝えておいてください」
彼は、ふと肩越しに告げる。
「私は次の宴の始まりを待っている、と」
それを最後に、ブラッドブルードの大君は笑った。
聴罪師が去り、浮かんだのは静かな、しかし底の知れない笑みだった。
ロンディニウムの闇は深い。だが、その闇よりもなお深く、彼の欲望は沈んでいた。
しかし次に入ってきた人物を見た時、ブラッドブルードの大君にはそれとは異なる本当の笑みが浮かんでいた。
変形者が上機嫌なブラッドブルードの大君を目にし、うげっと顔を顰めたのは本能的なものだった。
幸い傲慢な貴族が気付くことはなく、お気に入りの誰かしらに会ったのだろうと察した。
丁度その相手が部屋から出てきたのを目にする。
ブラッドブルードの大君は軍事委員会が有する彼が言うところの「おもちゃ」に機嫌を損ねていた筈だが。
「まぁ、あの老いぼれの機嫌が治るなんて、君とあのお気に入りの鳥くらいだろうね」
豪勢ながら実用的な軍服に身を包んだ炎魔の男は、焔のように揺らめく瞳を変形者に向けた。
「付き合いが長い訳では無いが、あの血魔の傲慢さは身に染みている」
「あのブラッドブルードとは、次の作戦の打ち合わせをしていた所だ」
「以前のカズデルでの俺を把握しているかどうかは不明だが、気に入られていることは確かだ」
変形者は肩をすくめ、大袈裟にため息をついた。
その表情には、呆れと、わずかな興味が混じっている。
「気に入られてる、ねぇ……あれに?」
くつくつと喉の奥で笑う。
だがその笑いは軽い。嘲るというより、どこか“納得している”響きだった。
「まあ、分からなくもないか。君みたいなのは、ああいう連中にとって一番面白い玩具だ。壊れるか、壊れないか、見極めるのが楽しくて仕方ないって顔してたよ」
視線をわずかに横へ流す。
閉じられた扉の向こう――まだ残っている気配を、嗅ぎ取るように。
変形者はにやりと笑った。
「お気に入りの君は、あの老いぼれを嫌ってるみたいだね」
炎魔の男――スヴェルドフレムは、その言葉にわずかに目を細める。
否定も肯定もしない。ただ、静かに答えた。
「奴の機嫌など、どうでもいい」
その声音は冷ややかだ。
だが、完全に無関心というわけでもない。
むしろ“理解した上で切り捨てている”響きだった。
「重要なのは、奴が動くかどうかだ。あのブラッドブルードが前に出るなら、戦場の様相は一変する」
「ふぅん……」
変形者は興味深そうに首を傾げる。
「つまり、次はもっと面白くなるってことか」
「……そうなる」
短い肯定。
沈黙が一瞬落ちる。
だが、それは重いものではない。
互いに相手の性質を知っている者同士の、無駄のない間だった。
やがて変形者が、ふと思い出したように口を開く。
「で? “以前のカズデルでの君”を知ってるかどうかは不明、だったね」
にやり、と口角を吊り上げる。
「もし知ってたら、今みたいに穏やかに済ませてくれたと思う?」
スヴェルドフレムはわずかに視線を落とす。
過去に触れる問いだった。だが、その答えに迷いはない。
「……さあな」
短く、しかし確かな響き。
「だが、知っていようといまいと関係はない。奴にとって重要なのは“今の価値”だけだ」
「なるほど」
変形者は楽しげに笑う。
「過去を喰い潰して今を測る……いかにも血魔族らしい思考だね」
一歩、近づく。
その輪郭がわずかに揺らぎ、別の誰かの影が重なるように見えた。
「でもさ、フローガ」
その呼び方に、わずかに空気が変わる。
「君自身はどうなんだい?」
問いは軽い。
だが、その奥には鋭い刃が潜んでいる。
「“今の自分”だけで十分だと思ってるのか? それとも――」
ほんの一瞬だけ、変形者の笑みが深くなる。
「まだどこかで、“あの頃の君”を連れてるのかな?」
やがて彼は踵を返す。
「……くだらん問いだ」
それだけを残し、歩き出す。
変形者はその背を見送りながら、くすりと笑った。
「くだらない、ねぇ」
小さく呟く。
廊下の灯りが揺れる。
二人の影は交わることなく、別々の方向へと伸びていった。
「でもそういうことは、君がいちばん気にしてる事じゃないのか?」