先史文明研究員がテラ人になって転生し続けている話 作:Calく
聴罪師は、椅子に座ることを促したまま、シャイニングの沈黙を見逃さなかった。
あの席は、かつての空席ではない。戻るべき場所として、ただそこに置かれている。
シャイニングがそこへ腰を下ろす気配を見せないまま立ち尽くすと、聴罪師は小さく息を吐いた。
「……戻ったのなら、まずは座りなさい。あなたは、あの頃から何も変わっていないようでいて、最も変わってしまった一人です」
シャイニングの視線は揺れない。だが、その沈黙の奥には、かつて置き去りにしたものの重さが確かにあった。
聴罪師はそれ以上を責めない。ただ、追及するのをやめない者の声で続ける。
「サルース。最近の成果を、簡潔に」
呼ばれた研究者は、淡々とした口調で応じた。
彼女が扱っているのは、断絶した記憶の断片から感情や声を抽出するような、聴罪師らしい歪んだ研究だ。
だが、彼女自身も分かっている。
サルースは、少しだけ苛立ちを混ぜて続けた。
「あの将軍の協力で、糸口は増えました。けれど……それでも足りない。膨大な記憶の層に耐えられる人材が必要です。今の人選では、耐える前に壊れてしまう」
聴罪師は、その報告を聞きながらも表情を変えない。
そして、まるで答えを最初から知っていたかのように、静かに言い切る。
「結局のところ、命は時間と同じく一方向にしか流れません。私たちが扱えるのは、その流れのごく一瞬だけです。……そして、それを掴めるのは、魔王だけなのです」
その言葉には、単なる研究報告ではなく、確信があった。
シャイニングが一度その席を離れた理由、彼女が連れて去った“実験品”の存在、そして今も残る断絶の影――それらすべてを踏まえたうえで、なお魔王だけが例外だと断じている。
切り落とされた枝からは、木全体の輪郭は掴めても、根は戻らない。過去の声を現在へ引きずり戻すことはできない。
シャイニングが去ってから、研究はそこで行き詰まっていた。
聴罪師たちが記憶や血筋を儀式と実験の両方で扱う秘教組織であることを思えば、その“行き止まり”はむしろ当然だった。
シャイニングは、ようやく口を開いた。
「……私を呼び戻したのは、責めるためですか」
サルースが視線を落とす。
彼女には分かっている。
この場に戻ってきたシャイニングが、かつてと同じではないことを。
それでもなお、研究は止まらない。止められない。
この組織は、記憶を砕き、声を抜き、魂の輪郭すら手繰ろうとする。だからこそ、彼女たちにとって“魔王”はただ一つの特別なのだ。断絶を越えて、物語をつなぎ直せる可能性として。
「……もう十分です」
シャイニングの声は静かだった。
怒鳴りもしない。震えもしない。
ただ、その一言だけで、机の上に並んだ皿も、冷めた料理も、二人の聴罪師の視線も、すべてがもう彼女には無関係だと切り捨てていた。
サルースが、ほんの少しだけ眉を寄せる。
「あの時、あなたが混乱に乗じて同僚を傷つけ、彼女を連れ去った時でさえ、あなたが本当に怒る姿は見なかったのにな」
その言葉には、責めるより先に、どこか諦めに似た感情が混じっていた。
シャイニングは相変わらず俯かない。
「ここ数年、あなたがどんなことを経験してきたか尋ねる必要はなさそうね。要するに……あのよそ者たちを家族よりも大切だと思ってるのね」
サルースはグラスの中の水を一息に飲み干した。
酒ではない。
少なくとも、彼女は仕事の場で酒を選ぶような性格ではない。
今日は本来、勤めの日ではなかった。だからこそ、この場の言葉は余計に冷たい。
サルースは、シャイニングの“変化”を測るために、わざとこちらの痛点をなぞっているようでもあった。
けれどシャイニングは、わずかも揺れない。
「あなたたちは私の家族ではありません」
それ以上の説明は、必要ないと告げる声だった。
「これ以上明確に言う必要がありますか?」
聴罪師は、そこで初めて沈黙した。
机の上の食事も、彼らの研究も、そしてこの部屋に満ちていた“戻ってきた者”への期待も、ひとまずその言葉で区切りがついた。
シャイニングは、席についた時と寸分たがわぬまま残された食事にも、傍らに座る二人の聴罪師にも目をくれなかった。
彼女はただ、自らの剣を抱えて立ち上がった。
椅子が床を擦る音だけが、やけに大きく響く。
その音が止むと、部屋には再び静けさが落ちる。
だが今度の静けさは、最初のそれとは違っていた。
言葉を失った静けさではない。
もう戻らないと決めた者の、冷たい終止符だった。
シャイニングは扉へ向かう。
その背中は、相変わらずまっすぐだ。
何かを引きずっているようでいて、どこにも縋ってはいない。
聴罪師たちはその姿を見送ることしかできない。
サルースは、最後にひとつだけ息を吐いた。
「……本当に、変わってしまったのね」
その呟きに、答える者はいなかった。
扉が閉まる。
残された食事は、最初から手を付けられなかったかのように静かで、
その静けさだけが、彼女がもう二度と“家族”には戻らないことを証明していた。