先史文明研究員がテラ人になって転生し続けている話 作:Calく
その二つの戦いは、ほとんど同時に火蓋を切った。
アスカロンは、音より先に“気配”を斬った。
狭い通路、崩落した階段、錆びついた鉄骨。
視界の端で空気が歪むより早く、彼女の刃はそこにあったはずのものを無へ戻す。
マンフレッドの軍が築いた制圧線は、精密すぎるがゆえに隙がない。だからこそ、そこへ“在るべきではない空白”を差し込めば、連鎖的に乱れる。
「……相変わらず、手堅い」
誰に聞かせるでもない呟き。
彼女の刃は速く、だが焦ってはいない。
マンフレッドもそれを知っている。
かつての敵として、あるいは同じ“兄弟弟子”として、その実力を軽んじたことは一度もない。
ただ、彼は今、守るべき線を守る将軍であり、彼女はそれを崩しに来た影だった。
同じ頃、別の戦場ではロゴスが杖を立てた。
言葉は短く、詠唱は冷たい。
だがその一節は、ただの術ではなく、空間そのものを“拒絶”に変える。
対峙するブラッドブルードの大君は、血の気配だけで周囲の空気を濁らせるような男だ。
その視線は笑っているのに、笑っていない。
宴を楽しむ貴族のようでいて、実際は獲物の喉笛に指をかける捕食者だった。
「尊き王庭が、簒奪者の臣下とは……理解し難い行動ですね」
大君が低く呟く。
次の瞬間、周囲の空気が赤く沈む。
血の術が花開き、足元の水たまりまでが不穏に震えた。
ロゴスは眉一つ動かさない。
彼の詠唱は、短い。
しかし短いからこそ、恐ろしい。
“言葉”が、血の奔流に楔を打つ。
血の王が呼吸するたび、ロゴスの術式がその呼気の行き先を変えていく。
真正面から押し潰すのではない。
意味をずらし、軌道を逸らし、相手の“勝利”の形を少しずつ崩していく。
アスカロンとマンフレッドは、互いに呼吸の間合いを知る者同士の戦いを続ける。
ロゴスと大君は、言葉と血で世界の支配権を奪い合う。
火蓋は落ちた。
あとは、どちらが先に“相手の未来”を断ち切るかだ。
アスカロンの刃が、次の瞬間、マンフレッドの喉元へ走る。
同時にロゴスの詠唱が終わり、ブラッドブルードの大君の足元に、見えない棺の輪郭が浮かぶ。
戦いは始まったばかりだ。
しかしもう後戻りはできない。
地下路へと続く扉を開けた瞬間、ヴィーナは息を呑んだ。湿った鉄と古い油、そして何よりも「年月」による沈黙の匂いが鼻腔を満たす。
彼らは地下霊廟──ヴィクトリアの王たちが眠る場所へと降りていった。
そうして目にしたのは、かつての陰謀と謀殺された蒸気騎士の……いや英雄達の骸だった。
そこは伝説の守護者、蒸気騎士たちが最後に立った場所。かつての栄光は瓦礫と錆に埋もれ、甲冑の破片が積もるだけになっていた。だが、瓦礫の間に残る鉄の冷たさは、なお死を拒む力を感じさせる。
蒸気騎士の弔いを終え、シージとアラデルは諸王の息へとたどり着いた。
シージの手が、白銀の輝きを帯びた「諸王の息」を引き抜いた瞬間、空気が縮むように静まった。
冷たい金属の感触が腕に馴染み、古い歌の一節が胸の奥で鳴るようだった。
だが次の瞬間、体の側面に鉄の冷たさが押し当てられた。腰のくびれに沿って、刃の背が沈む。血管の上を滑るような感触。シージは反射的に全身を固くし、腕の中の「諸王の息」をより強く抱いた。
「動くな」——低い声が、石の壁に溶けた。刃の先端は確かに彼女の皮膚を撫で、圧力は微細に上げられる。威圧でも、脅しでもなく、命令そのものだった。
振り返る間もなく、シージは視線を斜めに上げた。刃を押し当てているのは、間違いなくアラデルの左手だった。外套の影から見えるその顔は、さっき地下で見せた冷笑よりもさらに硬く、瞳の光は鋭かった。公爵の紋章が映る内側の留め金が、かすかに揺れた。
「アラデル……?」
シージの声は震えたが、それは恐怖ではなく、裏切りを確かめるという苦みの方が強かった。
アラデルは刃をゆっくりと押し当て、報酬をかすかに囁くように言った。
「差し出しなさい。公爵の意志は明瞭で、諸王の息は、ヴィクトリアの正統を示す核よ。ここに在ることは許されない」
鋭利な言葉だ。だがアラデルの声には後戻りの余地はなく、彼女の黒衣の縫い目が硬い決意を物語っていた。シージは腕に収めた古代の遺物を、ぎりぎりと握りしめる。
「私のやり方を、理解して」
アラデルはそう続ける。
シージの喉が動く。蒸気騎士たちの遺骸、砕け散った甲冑、四年前に失われた誇りの残滓——それらが一斉に彼女の胸のうちで鳴る。
彼女は短く、しかしはっきりと言った。
「これは、誰かの所有物じゃない。守るべきもののために、その力を使う者こそが正しい。公爵の掌に渡るなら、私たちは何のためにここに来たのか」
その眼差しは揺るがなかった。刃先がわずかに沈み、アラデルの肩越しに何かが動いた。背後に隠れていた影が、わずかに身を乗り出す。
「考え直して」
アラデルの口元に、嘲りにも聞こえる柔らかな響きが混じった。
「貴女が抱えるのは過去。公爵が望むのは未来。どちらを選ぶの?」
シージは冷たい壁に背を預け、腕の中の遺物を見下ろした。
ヴィーナはその光彩を見逃さなかったが、問いに答えるよりも先に、床から重い振動が伝わってきた。
「……動くな、皆」
瓦礫の間、古い鉄板が引き裂かれるような音。蒸気の抜ける金属の喘ぎ。やがて、巨大な甲冑がゆっくりと起き上がる——白い蒸気が古い関節から噴き、ゴォォという低い息が闇を震わせた。
「ヴィクトリア……」
──その一語が、朧げに漏れた。
言葉は破片のように歪み、でも断片的に意味を保っている。
中身は人ならざるもの、だが声はかつての忠誠の残滓を帯びていた。
「何だ、これは……!」
構えられたあらゆる武器が甲冑に向くが、その装甲に跳ね返される。鉄の巨体は、記憶だけを頼りに歩を進めるようだった。
誰が敵で誰が味方かなど、もはや区別は付かない。
残されたのはただ一つ――『ヴィクトリアを守る』という残像だけだ。
一陣の金属のうなり。
最後の蒸気騎士は、覚醒の目的を反復するかのように前へ出る。
動く者は皆、彼の前に“守るべき秩序”の基準で測られた。
記憶の欠片がフラッシュのように騎士の思考を走る——裏切り、守備、命令、そして最後の叫び。
だがそれらは混濁し、最終的には「ヴィクトリア」の名だけが残る。
戦いはやむを得なかった。
だがヴィーナたちには、屈服ではない悲しみがあった。
彼らはかつての英雄の偉容に敬意を払いながら、必要ならば止めねばならない。