透き通る世界の底から

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いつか誰かの肴になるまで

 私が最初に見た景色は真っ暗闇、そしてそこから覗くことの出来る美しい藍であった。

 小さな体をぐねぐねと動かし、必死に藍を追い、ようやく視界が藍で一杯になった頃、周りを見渡してみる。

 そこに広がるのは碧に輝く広大な世界。見下ろせばどこまでも続く灰褐色のゴツゴツとした岩の群れ。体表が銀色で覆われた高速度の生き物。あまりにも未知で溢れていたのであった。

 意識を手に入れたばかりの自分にとってあまりに膨大な情報群。けれど自分は何故か、それをすんなりと受け入れられた。それが当然、それが当たり前なのだと。

 遠くを見ようとすると途端にぼんやりとしてしまうが、それもまた未知の一つ。一しきり満足するとふと寂しく思い、当たりを散策してみる。

 同胞は見当たらず、まぁそんなものかと目の前を漂う小さな獲物を漫然と口に運ぶ。

 今自分がしたように、小さなこの身もいずれ食べられてしまうのだろうか。そんな恐怖に身を震わせるも、ほんの少し漂う内にそんな不安も忘れてしまう。

 そんなことは然して重要ではない。大切なのは今こうして食事にありつけていることだ。

 気が向けば煌めく世界を見て回り、腹が減ってはそこらの獲物を口に運ぶ。日がなそうして過ごせばその内世界は温かな朱に染まり、程なくして震える程の冷たい紺青が身体を覆う。

 それが来たらできるだけ何も考えず、緩やかに世界を揺蕩うのだ。自分より大きな口に食べられない様、薄らと目を開けながら、静かにだ。

 暫くの間そうすると紺青にまた煌々と光が差す。そしたらまた悠々と自由に世界を巡る。

 たったそれだけのことで、心身は満ち足りるのであった。

 

 

 

 

 

 自分が意識を得てからいったいどれほど経っただろうか。

 光が世界を満たし、暗闇がそれを覆う。そんなことを数えきれない程繰り返し、気ままに獲物を喰らう日々を続けていたら、自分の身体が今や何倍、いや何十倍にも膨れ上がった。

 その過程で自分によく似た者に会うことがあった。しかしその体躯はどれも自分より遥かに小さく、本当に同胞か疑うものであった。

 しかしよく似ている。意志疎通こそできなかったが、それだけで仲間であると認めるには十分であった。

 

 そんなある日の事であった。なんとも芳しい獲物の気配を感じたのだ。

 日々喰らっている小さな獲物の香りではない。嗅いだことの無い剥き身の、濃厚で芳醇な獲物の匂いだ。

 どうやら同胞の幾人かもそれを感じ取ったようで、皆が一斉にそちらへ向けて駆け出した。自分も負けじとその方角に向けて急ぎ向かう。

 辿り着いてみれば、そこにはやはり幾人かの同胞が群がっていた。それらは獲物を小さな口で噛み千切り、飲み込んでいく。

 乳白色に朱色の線が走るそれが千切られていくたびに、自分の内側の何かがのたうち回るようだった。

 自分もそれが欲しい。欲しくてたまらない。先程から漂うそれの残り香が鼻と腹を刺激してたまらないのだ。

 そうなるといてもたってもいられず、小さな同胞をぐいぐいと身体づくで押しのけ、皆を退かしてようやくそれの前に辿り着く。

 獲物はゆらゆらとその身を揺らし、強烈に自分の鼻を刺激した。

 こんなにも大きな獲物を見るのは珍しい。しかも2、いや3は纏まっているだろうか。それが逃げることなく自分の目の前にある。

 未だかつて食うに困らず、しかし自由気ままに腹を満たしてきた身にとって、それはあまりに甘美であった。

 もはや我慢の限界だ。大きく口を開き獲物を頬張る。

 

 ああ、思った通り美味───そう感じた瞬間の事である。

 強烈な勢いが上の方へと働く。下顎に何かが刺さり、それが上の方へと向かっているようだった。

 この巨体が全力でのたうち回っても、それに勝る程の大いなる力。こんなもの今まで出会ったことが無い。

 一体自分に何が起こったのか。いったい自分はどうなっているのか。これからどうなるのか。

 何も分からないままこの身体は力強く打ち上げられた。未だかつて超えたことの無い上、その更に先へ。

 最後に見たのは、蒼だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うおおおおデカい!父ちゃん!これ鰤!?」

 

「寒ブリだよ。煮付けにすっといい味出っから、帰ったら熱燗と一緒にやっか」

 

「今から楽しみだよ。船出してくれてありがとうね」

 

「よせやい。息子の頼みだ」

 

 

 その晩親子は酒を手に、語らいながら魚を食べた。

 

 


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