千代に八千代に桜死ね   作:茶蕎麦

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次で終わりだとしても

 目立つところに置き直された上に飽きられた案山子は、いたずら書きすらされることだってなく無視される。

 そうなれば、これにもう触れてもいいのかなと、おっかなびっくり桜子と関わり出すクラスメートも出てきた。

 それらは、これまでお高く留まっていたらしい野崎桜子がなるべく関わらないでいようとしていた、類。だが、彼らはまだ心根に優しいものを持っていたらしい。

 そういえばこれらは私をバイ菌扱いはせず、なるべく関わるまいとしていたなと想起しながら、少女も隣り合う。

 外、花壇の隣の旧いベンチに座って昼休みをゆっくりする二人の姿は体育館の影になって、多少暗い。だが、声色にはそんなものもなく、内容以上に彼女らの舌は楽しげだった。

 

「そんなに毛嫌いしないで。結構、ホラーも楽しいよ? 小説も出てたから今度貸してあげようか?」

「んーん。土屋くんも本押し付けて来たことあるけど……小説の楽しみ方って、私分かんないし……」

 

 園芸部に所属しているのだという情報くらいしか知らなかった相手、久田真由美は桜子が虐めを受けていた事実をなかったことのように振る舞いながら、小さくこう言う。

 

「野崎さん、土屋くんと仲良しだよね」

「えっ?」

 

 もう直ぐに夏休みだからどんな映画を観ようかという話題の後に、そんな断言をされた桜子は驚く。余白の多い訳知り顔に悪意は見当たらなく、少女の感想としてはこの子はそんなに容姿に恵まれなかったのだなというものばかり。

 つまり、真由美は桜子と勇二が仲良しこよしであると信じ切っていたのだ。これには、自覚も何もない桜子は困惑してしまう。

 

「ふふ。土屋くんのこと話してると、野崎さん表情生き生きしてるもの。分かるよ」

 

 男女の友情は恋愛に発展して然り、と十把一絡げに摘むのは乱暴である。だが、真由美がそういった意味合いで仲良しというものを語っているのは明白。

 

 それくらいは分かるが、それしか分かりもしないのは、果たして幼さ故なのか。唯一の友達の情報を小出しにしていただけのつもりの桜子は、すっかり気分を損ねてしまった。

 

「ん」

 

 だが、自分は以前と違うのだと、彼女は嫌な顔をしないために頬に力をぎゅっと入れる。都合、笑っているようになった少女に、真由美は言った。

 

「野崎さん、変わったね」

「……そう?」

「うん。だって……以前はクールというか……ちょっと何にも興味がなさそうだった」

「それは……」

 

 是とはし辛い、過去の己。だが、桜子という子には確かに嫌われる理由が確かにあった。

 少し状況も凪いだ今に思い返せば、春頃までの桜子はあまりに胡散臭かったのかもしれない。嘘つきと、何度も責められたことも、仕方ないことだろう。

 何せ、どうでもいい相手の告白にも頷く八方美人。否定しないまま好意を集めることで安心しようとしていた、いわば痛い子、だったのだ。

 

「そうだね。よく分かんないのに変に舞い上がって、悪いことしちゃった」

「そう……思ってるんだ」

「うん。私は悪いよ」

 

 好きとかよく分からずに、でも好意だから貰っておこうと、うんうんと頷くばかりのドリンキングバード。

 少女の見目に恋した相手の不細工すら気にしない乞いは、親の愛すら信じられない欠乏から生まれたもの。好きと言われて高鳴りもしないそれ一つで、少女は満足すれば良かったというのに。

 

「恋って、私には難しかった」

 

 あまつさえ桜子が二人目の恋にも頷いてしまったために、全ての破綻は始まったのだ。

 誰が、周囲に合わせて見た目ばかり整えてばかりで、己を語ることすら出来ない臆病者の内に、憐れむべき病巣が巣食っていると気付けただろう。

 また、難解過ぎる問いなんて、丸めて捨てて踏みつけたっていい。わざわざよく分からないものに心配る理由なんてないのだ。

 故に、桜子が平等に行おうとした二人のための恋愛は嘘と決めつけられて、多くに嫌われた。

 

 そんなのが、此度の虐めのはじまりである。奇しくも彼女の母、恵の行き過ぎな言にもやはり一理あったのだ。

 だから、今更に神妙としながら大袈裟に降りた沙汰を仕方ないと決め込む。私は虐められても仕方のない悪性。皆がこぞって仲間から外したのも当然だった。

 

「そっか……なら、許されないとね」

「ん?」

 

 そうだとしても、と言葉に僅か首を傾げた桜子に真由美は心にて不格好な丸をつけてあげる。疎外されていた子のその意外な繊細さと不器用が鳴らす奇妙なユーモアは、友達を選べない彼女には存外楽しかったから。

 彼女は底なし沼のような自虐を覗き込んで、優越感によしよしとするのだった。

 

「そう、野崎さんがびっくりしちゃうくらいに関係はないけど、あたしは許しちゃうよ。だからもう、それでいいじゃない」

「えっと?」

「悪いところがあって、でも野崎さんはそれだけじゃないでしょ? なら、次にいこ」

「それ、は……」

 

 真由美自身、前向きな言の葉が似合わない自分であることは理解している。両の瞳で鏡を見つめる度に直面する、相変わらずに垂れた眉尻と目尻まで落ち込んだ皮膚等は、最早可哀想ですらあった。

 けれども、そんな常日頃から見難いを纏った命だからこそ、罅が入っているだけの上等が台無しになってしまうことなんて到底望めない。

 話せば分かる者が全てとは言えないが、それでも桜子という人間はとても分かりやすかった。嫌いだったが、もう嫌えない。

 先に虐めの炎を盛り上げた一人であることを努めて忘れ、真由美は端から美しいものであるかのように、滑稽な顔を歪めてこう言った。

 

「助けにはなれなかったけど……その気もなかったんだけど。でも、今の野崎さんの気持ちを変える、その切っ掛けにはなれたらいいな」

 

 それは贖罪、或いは気まぐれか。そして未だ幼いのならばどっちも忘れたっていい。

 ためになるなら、死体だって肥料にするだろうそんな未成熟な桜子は、真由美の柔らかな言葉を、しかし自らに手一杯なために受け取り損ねて落っことし。

 

「ごめんね」

 

 もう拾えないその優しさを向けてくれたことに、謝罪をするのである。

 

「……あたしこそ、ごめんね」

 

 それに、殆ど一緒の低さ小ささで、真由美は同じ音を返すのだった。

 

 

 夏休み。もう走らない彼に、彼女はこう聞いた。

 

「聞いたんだけど……土屋くん、大越高校が第一志望なの?」

「ああ、そうだよ」

 

 セミの愛しているを聞き飽きて、やっとたどり着いた夜に胸に沸き起こるものも何もない。隣の土屋勇二に対して桜子は、告白してくれた彼らと同じくらいに好きではあるが、また同じくらいにどうでもいいとも感じている。

 星は降らない明るい街の外れ。腹の底にも届くような響きは今のところ聞こえない。

 浴衣姿もちらほら見て取れる周囲に紛れながら、彼女は彼に問いを続けた。

 

「……ならさ、こんなところで遊んでていいの?」

「んー? ……ひょっとしたら野崎さん、俺を心配してくれてるのかな?」

「……心配してるのは土屋くんじゃなくて、土屋くんの成績」

「同じだよ、それ」

 

 桜子は最近よく見る呆れの表情にむっとしてから、友達の顔をそっと見上げる。座すためにお尻に敷いた団扇の具合は悪く、だが昨夜の雨に雫残っていた雑草に乗っかっている勇二はもっと不快を覚えているはずだった。

 けれども、彼は平気の平左でそもそもろくに少女を見ずに、まだ見ぬ大輪にばかり焦がれている様子である。

 その浮かれぬ浮かれ様が、どうにも桜子には気にかかった。彼女は、同じ話題を募るように続ける。

 

「私あんまり知らないけど、大越高校ってここらで一番の高校でしょ? 去年も先輩二人くらいしか受からなかったみたいだし……土屋くん、必死にならないで行けるの?」

「よゆーだよ。それに、公立高校で一番なだけで、近くでも私立ならもっとヤバいところあったりするな」

「ふうん……」

 

 余裕という、勇二の言に桜子は半信半疑。何せ彼はいわゆるガリ勉タイプのようには見えない。

 そして、そもそも陸上部に打ち込んでいて、最後にリレーで県大会の切符を逃したことに人目はばからず泣いたことをからかわれたくらいであれば、部活動に夢中で十分な勉学の時間を取れていたとは思えなかった。

 ならば、この坊主頭の青年に天禀があると考えるのが自然ではあるのだが、そんな手の届かないものを保有しているにしては、あまりにこの男の子は気安い。

 そもそも、この花火を見上げるために土手で二人集まることを提案したのも、勇二。

 母に着せられた浴衣姿を自転車でここまで運んで来た面倒をきっとジャージ姿の彼は知らず、これまで綺麗とは一言も口にしなかった。そんな鈍感に、少女も思うところはある。

 

「俺は大丈夫だよ。んな勉強より、野崎さんの面倒を見る時間の方が大事だ」

「……私、そんなに面倒が必要そうに見える?」

「ああ。放っといたら、課題のため以外で家から出ないような感じ。こんな気晴らしだって、真っ当な人間には必要なもんなんだぞ?」

「ふうん……」

 

 だが、嫌いになるにはあまりに彼は友でありすぎた。きっとお節介、というのはこういった人間のことを言うのだろう。

 夏の休みに三日に一度かかってくるようになった電話に流石に野崎家の大人も親しんできたようで、父より彼氏から電話が来た、等の冗談すら飛ぶようになっていた。

 二人の間に流れるのは、ざわめきの隙間の沈黙。察しの悪い桜子は言葉に乗っけて貰えなければ相手の考えなんて分からない。だから今まで苦手だった静けさが、今は辛くないのが少女にも不思議だ。

 もじもじと、お尻の下の小石達の具合の悪さを何とかしようとしながら、桜子はまた問った。

 

「ねえ……これでも、土屋くんはいい人じゃないの?」

「違うな……言ってみれば、こんなの好きな子にモーションかけてる男子と大差ない。それくらいの必死に足りない労苦で野崎さんが良くなってくれりゃ儲けもんだとか考えてる程度の奴が、いいとは俺には思えない」

「そんなの……あ」

 

 否定された苛立ちに強く反駁しようとした会話をも途切れさせる、それは胸に轟く開花の音色。

 暗闇こそフラワーブーケに相応しいのか、それとも輝きはあれほど集まらなければ感動に至らないのか、そんな考えすらぽろりと落ちていく。

 光輝はぱらぱらと、そして烟りも紛れるくらいに次々と。色とりどりはグラデーションこそ今ひとつだろうが、それぞれが確たる炎。束ねきったそれらを花と例えた彼らは、どれだけ優れていたのだろう。

 花は死ぬ時こそ美しけれども、この似姿は更に上。欲しかった感想は、桜子の口から先に溢れる。

 

「綺麗……」

「ま、綺麗だよな、そりゃ」

 

 そして目を輝かして見上げる少女は知らずとも、彼はそんな彼女を見降ろしながらそんなことを呟いていたのだった。

 

 運動靴からはカランコロンといった雅な音など立たず、二人で真っ赤な金魚たちの水槽を突付いた思い出すら持ち帰ってもいなければ、帰りは静か。

 持ち主たる女の子から労苦を奪うため鈍色の車体の自転車をハンドル握って押す男の子は、先から反芻するようにずっと空を見上げている。その様子ばかりを伺っていた桜子は向日葵の柄を隠すように抱いてから、小さく聞いた。

 

「それで、どうして屋台もない今日はこんな離れたとこまで私を呼んだの?」

「君の瞳に映る花火を独り占めにしたかったから、ってのは気障ったらしいかな?」

「嘘っぽい」

「だよねー」

 

 苦笑を隠すこともなく、勇二はそっと桜子を見つめる。もとより表情を柔らかに見せようと彼が努めているのは少女には看破出来ていたこと。

 だが、その時の勇二の笑みはあまりに自然なものだった。まるで吹っ切れたような、糸のない凧と並べられる程の力感と所在のなさ。今にも消えてしまいそうな、大柄な男子は周りに知り合いの姿もないのを良いことにこう語りだす。

 

「俺、友達そこそこ居るんだよな」

「……自慢?」

「そんなつもりはないさ。何せ、そいつら、大体が好感度野崎さん以下だから」

「……告白?」

「はは、それも違うな」

 

 むしろそれだったらどれだけ良かったのかと、青年は思う。

 嫌われたあの日から代わらず土屋勇二の自己評価は最下位で、恋も乞いすらも望めない孤独。そんな者が、欲するままに好きと言ってしまえばそんなの嘘だ。

 そして、ろくに嘘を口にすら出来ない頭でっかちなのが、勇二という男の子。

 むしろ愛にすらも目を背けるかのように再び、先の一面の輝きから思えば真っ黒な夜空を見上げて、懺悔するかのように呟くのだった。

 

「確かに俺は、虐められて良くなった。そりゃ、良くなろうとしたからな。だが、その後に手のひらを返して仲良くしようとし出した奴らを好むのは、俺にはどうしても無理だ」

「私は……出来たけど」

「それは、本当に良かったよ。俺には、今の俺がどうにも嘘にしか思えない」

 

 身を正す。それで良しとされた。なら、その前の自然体は果たして何。

 他人をときに侮蔑するほどの賢しさを嫌われ、勇二は随分前に虐められたことがある。そして、それだけ。それだけで彼は壊れてしまった。

 尊敬できる己がない勇二はもうアイアムアイが、分からない。

 

「話は変わるけれどさ、時々野崎さんは俺にいい人じゃないかって、聞くだろ?」

「うん……」

「いや、正直なところ俺はなりたかったよ。でもダメだ」

「何で?」

「正しいものはきっと神様のところにしかなくて、俺らの側には似たようなものが転がっているだけ……だからかな。始まりから違っていてだからこそ志しても、もう遅いんだ」

 

 間違ってさえいなければ、ぶたれない。そんな子供の発見に固執し、それを願いにすらしたのが彼。だが、得意が身を正すことでしかなければ、善とまではならない。

 だからこそ悪を嫌って、少女を助けようとしてみたけれども、それすら似合わない己に苦笑は止まらなくて。

 そもそも、虐められてしまうくらいに間違っていた己がいい人になるなんて、無理だと今や勇二は諦めたがっていたのだった。

 

「ん……よく、分からない……」

「それでいいよ」

 

 正しいもの。いっそ非効率的なまでの高効率。垂直に一切歪まず天へと伸びる線。そんなものに勇二はなりたかった。

 だが、それは光のごとくまっ更なものに迫りたいという欲求に拠るものでしかなく、バベルの塔は崩れるのが倣いであれば、孤人で正解に到れるのは殊の外稀。

 間違って、青年は正しくなろうとしている。そればかりは、間違いなく。

 だから、怒って彼女はこう言い返した。

 

「いいわけ、ないよ」

 

 自己完結なんて、許せない。一人は、一人で友達は作れず、そして私達はもう友達になってしまっていた。

 なら。

 

「土屋くんがいい人じゃなくちゃ、私は何も信じられない」

 

 こうして縋ってでも助けになりたいと思ってはいけないのか。

 そう考える少女は恋するかのように愛を持って青年を真っ直ぐ見つめていた。

 ため息は、飲み込まれる。認められることはまず嬉しく、友とこうしてはじめてのように視線が通ったのなんて、幸福でしかなかった。

 力まず震えず、万感の想いを吐き出すように勇二は返した。

 

「人は勝手に幸せになる生き物で、俺とは違うと思っていたけれど……あはは。こりゃ、嬉しいな」

 

 理由がなければ幸せになろうとしない生き物だって、愛されれば嬉しい。そんなことを賢いつもりだった彼は今知った。

 顔が熱いけれどもこれは恋ではないと、する。そして、今までのごちゃごちゃが余計なものでしかなかったと認めたならば。

 

「ありがとう。俺は野崎さんのためにも、もうちょっと、頑張ってみるよ」

 

 青年は、今一度走れる。また優しく少女は駆け出す前の彼に寄り添い、そっと言う。

 

「頑張ってね」

 

 憂鬱な心に入った楔。それは殆ど彼にとって禁句のようなもの。しかし、そうであるからこそ何より効果が高いものでもある。

 

「……うん」

 

 待望した、けれども初めて見た彼女の笑みを、彼は見つめ返す。大好きな花火を筆頭にやはり暗がりこそフラワーブーケに相応しく、また単一でも綺麗な想いに間違いはない。

 

「良かった」

 

 そうして桜子は、笑顔で勇二に散華の呪いをかけたのだった。

 

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