望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
魔物化した冒険者との闘い。
一旦仕切り直しを図ったヌルスは、それによって生まれた猶予で改めて相手の姿を確認した。
相手の生前は恐らく、重戦士。全身を人間からすれば超重量であるはずの鉄の鎧で覆い、手には業物と見受けられる鉄の剣。他にもマントを纏っていたようだが、それは経年劣化に朽ちきってしまっており、襤褸布が首回りにまとわりついているだけだ。
全身鎧を装備しているというだけで、それなりの実力者であった事が見て取れる。それだけの装備を調達するのもそうだが、その装備負荷を抱えたまま6層にまで潜ってくる時点で並大抵のスタミナではない。
だが、そんな冒険者でも6層で命を落とした。見れば、鎧の左わき腹が大きく裂けて変形しており、それが致命傷だったのだろう。そして迷宮に放置された死体が長い年月を経て魔物として動き始めた。
その姿に、ヌルスはある種の憐憫を覚えた。
迷宮に挑む時点で、死の覚悟はあっただろう。勿論死ぬつもりはなくても、頭の片隅では考えていたはずだ。だが、死後、己の肉体をこうやって勝手に使われる事まで考えていたのだろうか。
命の真似事にすぎない魔物と、人間は違う。
少なくとも、彼を生み育てた親は、我が子の末路にこのような姿を望んだはずもない。
そんな考えが浮かんだことに、ほかならぬヌルスが驚きを覚えた。
《……少し、人間によりすぎたな。アルテイシアに影響を受けたか》
自嘲して戦いに集中する。元冒険者といえど、魔物化しているならば只の敵だ。
ゆらり、とした動きで亡霊騎士が刃を構える。その動きはなるほど、一見精細さを欠いているが合理にのっとったものだ。
《先ほどは先手を許したが、今度はそうはいかない》
距離が開いているうちに勝負を決めなければならな。ヌルスはためらわずD・レイを放った。
これまで通り、効果範囲の不明瞭な、かつ致命的威力を持った魔弾が放たれる。亡霊騎士は動きが鈍い、この一撃を回避する事はできないはずだ。
だが。
ゆらり、と騎士の半身がくたりと傾く。ヌルスはただフラついているだけだと思って見守ったが、それが失敗だった。
傾いた体が逆向きに捻られる。その手には、いつの間に腰から外したのか、剣の鞘が。それを、亡霊騎士は躊躇わずに魔弾の前に盾として放り投げた。
《な……》
歪みの魔弾が鞘と接触し、捻じれを解放する。粉みじんに破砕される鞘……その破片を雨のように浴びながら、亡霊騎士が突っ込んでくる。足を上下に動かさず、靴裏で地面をするような特殊な歩法。動きの起こりがほとんど見えない、さっきはこれで一瞬で間を潰されたと誤認したのだ。低く構えられた剣の刃が、紫の光を怪しく反射し、虹色に輝く。
ヌルスはその動きに反応できない。辛うじて体を引くのが精いっぱいだ。
そんな彼に、下から振り上げるように剣が振りぬかれた。その軌道を確認したヌルスは驚愕する。
本体狙いではない。狙いは……杖、その先端部の触媒!
指先一つも誤らぬ機械のような太刀筋が、杖の先端にはめ込まれた紫の触媒を狙いたがわず破砕する。砕けた魔力結晶の破片が飛び散り、空気に溶けるように消滅する。
《ま、不味い!》
振りぬかれた剣がぴたりと止まり、即座に振り下ろされてくる。先ほどの一撃は魔力結晶を狙った軽い一撃、重力を乗せたこの二の太刀が本命。
ヌルスはとっさに身を低くして、亡霊騎士に肩から体当たりするように体をぶつけた。ガァン、と音を立てて振り下ろされた腕が鎧にめり込む。間合いを必要以上に詰めて刃から逃れたが、見た目と違って亡霊騎士はヌルスの突進を受けても揺らがない。動きがフラフラしているのはあくまで自我が薄く曖昧だからこそであって、いざ戦いの動きをなぞるとなるとその動きは精強かつ精緻であった。
生前の動きが窺い知れるが、そこに浸っている場合ではない。
《急いで魔力結晶を再装備……してる余裕は、ないな!》
間合いを詰められた亡霊騎士が、ガシャンと剣を投げ捨てる。それはあきらめて投降したのではなく、邪魔だから投げ捨てたのだ。見上げる先、両手でダガーらしき武器を振り下ろしてくるのが見える。ヌルスはとっさに杖を投げ捨てて両腕を盾にそれを受け止める。ガズン、と刃が籠手を貫いて突き刺さった。
《くっ》
だがヌルスは触手魔物だ。籠手から触手を引き抜くようにして自由を確保し、足元に落ちている杖を拾おうとする。この距離では魔術は使えないが、杖は単純な鈍器としても使える。だが杖を拾いあげるよりも、素早く一歩バックステップを行った亡霊騎士が猛烈な蹴りをヌルスの胴体に見舞った。すさまじい音を立てて、脚甲がヌルスの胴鎧にめり込む。
《ぐがあ!?》
なすすべなく吹っ飛ばされるヌルス。6m近い距離を吹き飛ばされたヌルスをよそに、亡霊騎士は悠々と足元に転がる剣を拾いなおし、杖を蹴り飛ばして遠くへとやった。ガアン、カラン、と音を立てて転がっていく杖を見送った虚ろな視線が、ぎょろりとヌルスへと向けられる。
《う、うぐぐ……》
よろよろと身を起こすヌルス。今の一撃はヌルスの本体にも大きなダメージを与えている。
仕切り直しだ。だが今度は、ヌルスに圧倒的に不利な状況だ。
距離があっても杖がない。あれがなければ、歪みの魔術を使ったところでただの自爆だ。先ほどのように何かを盾に防がれたら、次こそヌルスの最後である。
歪みの魔術にあんな防ぎ方があったなんて知らなかった。確かに、いくら強力でも爆発地点をコントロールできないのだから、そこそこ質量のある物体を囮に防いでしまえばいい、というのは道理だが、普通そんなとっさに判断できるものか。相手の戦闘経験があってこそ為せる判断だ。
《完全版のワープ・ボルトなら、即席の囮ごと撃ちぬけるが……あれを放つには杖がいる。杖なしの半端なやつはD・レイとそう変わらない……》
つまり、歪みの魔術はこの場では使えない。
ならば、通常魔術で迎撃するしかないが……。
《ええい、ままよ! ファイアボルト!》
懐から取り出した魔力結晶を触手で掴み、無理やり魔術を発動させる。触媒が熱を持ち掴む触手が焼け焦げるが、歪みの反動に比べればささいなものだ。
そしてこれぐらいの通常魔術なら、杖がなくても精度に問題は無い。
炎の矢が生成され、亡霊騎士へと放たれる。直撃すれば鎧を装備していてもダメージは間違いないが……。
ザン、と。
亡霊騎士の剣の一閃が、飛来する火矢を断ち切った。
《やはりか!》
予想はしていた。かつて人間でも、今は魔物。魔力の流れが見えているのは他と変わらないはずで……そして、膨大な生前の戦闘経験の一部を残しているなら、そうするはずだというのは分かっていた。
それでも、とにかく魔術を連打する。その全てが、剣の前にあっけなく散らされた。
ダメだ。やはり、単発の魔術を連射したところで通じない。
《せめて、二つ以上の魔術を同時に発動しないと手数が足りない……!》
ヌルスの必死の攻撃にも関わらず、亡霊騎士は淡々と距離を詰めてくる。ヌルスもじりじりと背後に下がるが、いつまでもこの硬直状態は続かない。
スクロール、あるいは触媒の限界、もしくは呪文をとちった時。それがやってきたとき、今度こそ亡霊騎士は間合いを詰めてヌルスを切り捨てるだろう。
《どうすれば……! せめて口が二つあれば………あ゛?》
思わず叫んだ言葉に、ヌルスの体が一瞬硬直した。
言うまでもないが、ヌルスは人間ではない。人間の部位は持たない。ヌルスは人間のように口で発音していない。触手を使って代わりに音を発しているだけだ。
その触手に、特別性は無い。どの触手でもできる事だ。
そう。
あくまで、口の代わりに音を出しているだけにすぎない。
人間と違い、ヌルスには発音器官はいくらでも代わりがある。
《は、ははは。そうだった、そういや、そうだった》
ピン、と閃きがヌルスの思考に弾けた。
そう。ヌルスは魔物だ。人間ではない。
魔物にできない事を人間が出来るように、人間にできない事が魔物には出来る。
目の前の亡霊騎士が魔物と化した事で魔力の流れが見えるようになったように。
《そうか。……そういう事か!!》
盲が晴れたような気持ちで、ヌルスは笑った。窮地にあった事など、もはや頭には無い。代わりに、垣間見えた新しい地平への好奇心だけがヌルスの心を満たす。
《そうだ……私は、人間の魔術師の模倣をしていただけに過ぎない。ただ形だけを真似ていて……そうだ! 私のやり方を!!》
ズルル、と触手が二束、鎧の肩口から飛び出す。
これまで発声は一組の触手でやっていた。それを、二組に増やす。
理論上は出来るはずだ。人間が同時に一つしか魔術を使えないのは、口が一つしかないからだ。他に、制限する理由は存在しない。
《いくぞ……! 亡霊の騎士よ!》
『α γ β』
『α γ β』
奏でられる、始まりの三文字。ワンテンポ遅れて、二つの詠唱が闇に響いた。
果たして、ヌルスの思惑通りにいったのか。
答えはすぐに明らかになった。
放たれる炎の矢。亡霊騎士は、それを鋭い一太刀で切り落とす。闇の中に火花が華と咲いて……それを吹き散らすように、二発目の炎の矢が亡霊騎士の肩を穿った。
「?!」
想定外の一撃に、たたらを踏んで後ずさる。頑丈な鎧は炎の矢を受けても貫かれることはなく、矢は鎧の表面で弾け飛んだ。ジュゥウ、と音を立てる焦げ跡に目を向けた亡霊騎士が、首を巡らせてヌルスを見る。
《出来た! ってうあっちぃ》
二連魔術の成功に快哉を上げるのもつかの間、懐でスクロールが燃え上がる熱に仰け反るヌルス。確認するまでもなく、今の魔術行使でスクロールは灰になってしまった。
《負担が激増してるのか、スクロールが持たない!? げえ、来る!》
二連魔術に驚いていたのもわずかな時間、速攻で勝負を決めるべきと判断したのか、亡霊騎士はまっすぐにこちらへ駆け寄ってくる。変な歩法に拘らず、普通に間合いを詰めてくる。この場合はこれが正解だ、不意を打つつもりでないのなら余計な小手先はいらない。
慌てて新しいスクロールを取り出して魔術で迎撃するヌルス。ワンテンポ置いて連打される魔術。それを、亡霊騎士は足を止めて切り払った。
先と違い、二発飛んでくるとわかっているからか、切り払う太刀筋には余力が残されている。ザザン、とリズムよく、間髪いれずに放たれた魔術が切って落とされた。
《くっそ、とにかく連打だ連打! 数で押す!》
それでも、連射すれば段々とタイミングが厳しくなっていくはずだ。開き直って魔弾を連射する。
それを切り払い続ける亡霊騎士だが、だんだんと間に合わなくなってくる。余裕がなくなったのか、亡霊騎士が一歩下がった。いける、とヌルスは確信を得る。
このまま押し切る……そう思った瞬間、取り出したばかりのスクロールが燃え尽きた。
《え。もう!?》
普通につかっていたら、あと数十発は耐えるはずだ。二連詠唱は、回路にかかる負担が桁違いに大きいようだ。
魔術の弾幕が途絶えた瞬間、亡霊騎士が前に出てくる。不味い。予備のスクロールを取り出すのが間に合わない。
《…………!!》
目の前に迫る死の刃に、しかしヌルスの脳裏に過ったのは、大分前の自分自身のつぶやきだった。
《いやあしかし、普通に出してたこの墨が、まさか魔術回路に使えるような代物だったとはねー。ただの墨じゃ駄目だろうと思ってたけど、私のもただの墨じゃなかった訳だー》
《それなら……!!》
ばっ、と背後に触手を伸ばす。それは素早くうねって何事かの図形を描いた。その表面に、じわりと黒い粘液が浮かぶ。それは、スクロールに描かれた魔術式の形をしていた。
普通であれば、こんな事をしても意味はない。魔術式には契約が必要だ。己の一部を混ぜ合わせる事で、初めて魔術式に魔力を流す事が出来る。
だが、ヌルスに限りその制約は意味をなさない。この粘液は魔術式を構成すると同時に、ヌルスそのものの一部でもある。
《ファイヤボルト……!》
すでに亡霊騎士は目の前。大上段から振り下ろされるその剣の軌道上に、炎の矢を叩きこむ。空中で炎が弾け、斬撃の速度が落ちる。そこへ、さらに一発。一発。一発。一発……!
「……!!!」
《うぉおおおおお!!》
もう何発目などと数えている余裕はない。己の制御が許す限り、連続で魔術を唱え続ける。
背後に展開した触手魔法陣はすぐに過負荷に耐えかねて燃え上がりたちまちのうちに灰になるが、その端から新しく触手を伸ばして魔法陣を展開する。
連射される火矢の圧力に耐えかねて、亡霊騎士の刃が止まる。さらに撃ち込まれ続ける炎の矢。切り払う余裕もなく、剣の柄元を盾にしてなんとかファイアボルトの連射をしのぐ亡霊騎士。
そして連続で放たれる炎の矢を、ついに騎士は受け止め損ねた。
ガァン、と音を立てて剣が宙に舞う。
それと同時に、限界を迎えた魔力結晶がヌルスの触手の中で砕け散った。掴む触手も触媒からの反動で、芯まで焼け焦げている。残された触手も数は少ない、同じ事はもうできない。
明確なチャンスを前に、攻撃手段を喪失したヌルス。このまま仕切りなおすべきか、という考えが頭に過り、
《いや、まだだ!!》
姿勢を低くして亡霊騎士にタックルする。相手の腰をしっかりと押えると、ヌルスは懐から新しい魔力結晶を取り出した。
紫色に輝く、歪みの魔力結晶。杖の無い今、これを十全に扱う事はできないが……。
《この距離なら、関係ないだろう? ……一緒に、痛い目を見ようぜ!!》
魔術を発動させるまでもない。結晶の中に渦巻く闇に、意識を向けるだけでいい。
紫色の空間に、ゆったりと渦巻く闇色の混沌。ドグン、と悍ましい魔力の波が波打った。
歪みの魔力が、結晶からあふれ出す。
それを、ヌルスは触手ごと相手の鎧の中に放り込んだ。即座に触手を自切して離脱する。
「?!?!」
亡霊騎士はもはやヌルスを追うどころではなかった。体を駆けめぐる、破滅的な力の波動。
生前にも感じた事の無い魔力に困惑する。こんなものは知らないとばかりに立ち尽くす鎧の隙間から、紫色の光があふれ出す。
直後。
噴出した歪みの力が、亡霊騎士の鎧の中身、死してなお動く骸を、原型も残さず引き裂いた。
作者からのコメント
本作もついに100話達成しました。物語としてはいよいよ一部終盤といった所です。話数と進行度の調整はしていないのですが、偶然にも人に憧れる魔物であるヌルス君と、魔物に堕ちた冒険者の戦いとなって、なんかキリがいいな……と作者なのに感心しています。
これからも本作をよろしくお願いしますね!