望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~   作:SIS

111 / 265
第百七話 滴る悪意

 

 

 チチチ、という小鳥の囀り。

 

 普段であれば気にもならないほどの小さなそれが耳について、アルテイシアは目を覚ました。

 

「んん……ん?」

 

 ベッドに横になっているのではなく、机の上に俯せになっていた事に気が付き、目を瞬かせるアルテイシア。意識がややはっきりしてきた彼女は、服の袖で顔をぐしぐしとやって身を起こした。固まった背骨をうーんと伸ばすその頬には、机の痕が平たく残っている。

 

 部屋を見渡す。

 

 いつも通り、彼女達が借りている宿屋の一室だ。振り返ると、ベッドでスヤスヤと御就寝のエミーリアの姿が見える。窓に目を向けると、まだ早朝というにも早い時刻で、空はわずかに黒から青みがかった白へと変わりつつあるようだった。その窓辺で、気まぐれな小鳥がきょろきょろと首を巡らせ、ぱっと空へと飛び立っていく。

 

 その翼の軌跡をぼんやりと見送って、アルテイシアは「ああ」と状況を思い出した。

 

「そうでした、そうでした。昨晩は夜中まで思考して、そのまま寝落ちしたのね」

 

 ふわあ、と残る眠気に小さな欠伸が出る。

 

 それを噛み殺してアルテイシアが机の上に目を向けると、明かり取りの皿の上にすっかり燃え尽きた蝋燭の成れの果てと、乱雑に広げられた紙の束。羊皮紙や製紙を問わず広げられた資料の真ん中に、何度も書いては消して真っ黒になった覚書が一枚。

 

 論文ではない。それは、ヌルスに渡す予定の資料や手紙の一部だった。

 

「はぁ……」

 

 試行錯誤の跡を前にして、アルテイシアは小さくため息をついた。

 

 ヌルスと話したい事、伝えたい事はたくさんある。だが、とりとめもない事を大量に書き留めても、ヌルスには迷惑なだけだ。ただでさえ彼は色々大変な状況で頑張っているのだから、負担になるような事は避けたい。

 

 だが、かといって渡す情報を選別しすぎるのも、まるでヌルスの事をいいようにコントロールしようとしているようで気分が良くない。あの底なしにお人よしの魔物はアルテイシアの事をそういう風に思う事は決してないだろうが、そういった不義理な真似をするのはアルテイシアの良心が痛んだ。

 

「結局、色々伝えてない事、あるものね……」

 

 例えば、エトヴァゼルの謎。12年前に発見された迷宮に、50年もののイレギュラーモンスターが生息していたという矛盾。それはすなわち、エトヴァゼルが何者かによって隠された迷宮であった事の証左であるのだが、何故、というのがさっぱりわからない。さらにいえば隠していたはずの迷宮が、何故12年前に発見されたのか。そして発見後、隠していたであろう人物が何故干渉してこないのか。何故、何故ばかりだ。

 

 これをヌルスに伝えるのは簡単だ。だが、伝えた所でどうなるのか。

 

 いざとなれば迷宮の外に逃げられるアルテイシア達と違い、ヌルスは迷宮と一蓮托生の魔物である。何かエトヴァゼルに大きな秘密や危険が隠されていたとして、ヌルスはそこから距離を置く事はできない。

 

 今、この事実を伝えた所で、ヌルスの負担になるだけではないか。そう思ってアルテイシアは未だこの事実を彼に伝えてはいないのだが、その判断そのものが何か大きな過ちであるという気がしないでもないのだ。

 

 それに、なんていうか魔術師としての矜持のようなものもある。

 

 これまでヌルスは、再開する度に大きな驚きと発見をアルテイシアに与えてくれた。だがそれに対し、アルテイシアはほとんど何も返せていない。ヌルスは自分に良くしてくれたお礼だ、といってくれるが、アルテイシアがヌルスに提供したのはそれこそ常識的な基本知識に過ぎない。歪みの魔術という大発見に、到底釣り合うものではない。

 

 だから、エルリックやロションが近接訓練をする傍ら、ここ最近アルテイシアは迷宮にも潜らず、ずっとある調べごとをしていた。

 

 助けてもらってばかりでは割に合わない。今度はこちらがヌルスを吃驚させてやる番だ、という訳だ。

 

「ヌルスさんが迷宮の外に出られる方法……それらしきひっかかりは見つかったけど、どうかな……」

 

 まとめた資料の山を手に取る。

 

 一つは、ワンダリングモンスター、と呼ばれる存在についての資料だ。ワンダリングモンスターは文字通り徘徊型の魔物……すなわち、迷宮の中にではなく、外の世界を自由にうろつきまわるイレギュラーな魔物だ。また、戦闘能力も非常に高く、御伽噺や伝説に残るような幻獣の類はこのモンスターではないかと言われている。

 

 最近の研究では、これらのモンスターは体内に、不完全なパンデモニウムリリィの胚を持っている事が分かっている。何らかのトラブルでパンデモニウムリリィが開花せず、ダンジョンコアになれなかったものの魔力を集め魔素を精製する機能が働いた結果、極小特異点と化し、それを中心に迷宮ではなく魔物が生み出された結果が、ワンダリングモンスターという訳だ。

 

 迷宮内で探索する限り、この情報は手に入らない。ヌルスの目的の役に立つはずだ。

 

 ただ、これをそのままヌルスに適応する事はできない。未開花のパンデモニウムリリィの胚なんてどこでどう入手するのかという話だし、仮に手に入れた所で、それをヌルスに埋め込んでも効果が無いだろう。

 

 これについては、ヌルスの分離触手が良い例である。あれは、ヌルス自身から生まれた魔力結晶を、ヌルスの一部である触手に埋め込むという、普通であれば発生しない特殊な条件だからこそ成立した例だ。

 

 魔物は、人間がそうであるように同じ種族でもそれぞれが別の個体だ。いうなれば、それぞれ独自の魔力の波長のようなものがある。故に、例えばゴブリンAからドロップした魔力結晶を、ゴブリンBの切り落とした腕に埋め込んだところで、灰化は免れられない。

 

「それで済みそうだったら、私が適当なワンダリングモンスター狩ってきて終わりなんだけどなあ」

 

 頬杖をついてぼんやりとアルテイシアは愚痴った。

 

 ヌルスを生き延びさせるのは、現状では迷宮攻略以上に望みが見えないというのが実情だ。

 

 ただ光明が無い訳ではない。

 

 アルテイシアは、机の上に置かれた透明な瓶に目を向けた。

 

 その中には、白く透き通るような灰が詰まっている。

 

 魔物の灰。それだけならさして珍しいものでもない。だがアルテイシアにとっては、唯一無二の貴重品だ。

 

 ヌルスから貰った、分離触手。源を同じとする魔力結晶によって延命されていたそれらの触手は、アルテイシアが迷宮の外に出て数時間後に灰に戻った。

 

 そう。

 

 “数時間”ものあいだ、これは原型を留めていたのだ。

 

 魔物が迷宮の外で生きられないのは、魔素がないから。人間でいえば空気が無いのと一緒だ。

 

 人で言えば、数時間ものあいだ水に素潜りしていたのと同じ事になる。

 

 普通ではあり得ない事だ。そして、普通でない事には理由がある。

 

「魔力結晶から、魔力だけでなく魔素も補充されていたから、数時間もの間触手は生きていられた……と考えるのが自然。だからもし、ヌルスさんに適合する魔力・魔素の恒久的な供給源があれば、ヌルスさんの本体も迷宮の外に出られる、かもしれない」

 

 確かめるように呟いて、アルテイシアは首を振った。

 

 あくまで推論にすぎない。

 

 それに今や中級の魔物ほどに成長したヌルスを維持できるだけの魔力結晶など、そうそう手に入らない。それに加え、ヌルスに適合する必要があるのだ。また、魔素を含む純度の低いものでなければならないという条件もある。

 

 工業的に純度の高い魔力の大きな結晶を作り出す手段が無い訳ではないが、それでは駄目なのだ。魔素の混じるような劣化品は、逆に作り出す方法が分からない。

 

「いっそこう、ヌルスさんが分裂できたら……。そしたら片方をこう、えいやっ、とやっつけて……なんてね、出来る訳ないでしょ」

 

 他愛のない妄想だ。

 

 ヌルスにそんな能力はないし、出来たとしても魔力結晶は消耗品だ、一月も持つか怪しい。何より、どういう理由があってもヌルスを自分の手で仕留めるなど、想像の中でもアルテイシアはぞっとする。

 

 今でもヌルスが豹変する可能性は残されている。その時、責任をもって彼を仕留めるのがアルテイシアの役割だが、果たしてその時が来た時、自分は躊躇わずに杖を彼に向けられるのか、アルテイシア自身もほとほと怪しく思う。

 

「やーだなあ……嫌な想像ばっかり……ん?」

 

 黎明に黄昏ていると、宿屋の中庭からカキン、キィン、という音が聞こえてきた。

 

 乾いた木材同士が打ち合う音。寝ている人に遠慮してか少し控えめに響くその音に、アルテイシアはくすり、と笑みを浮かべると、椅子にひっかけておいたカーディガンを手に取った。

 

 そのまま、エミーリアを起こさないように静かに部屋を出て、宿屋の中庭に向かう。

 

 宿屋の中庭は、井戸があって洗濯物を洗う場所になっている。その井戸の横には一本の木が生えており、その前にエルリックの姿があった。

 

 木の枝からは魔道具が吊るされており、エルリックは木刀を手に朝の鍛錬の最中のようだった。紐で吊るされた短い棒のような標的を相手に模擬戦という訳だ。

 

 と、木刀に弾かれた魔道具が、不意に通常ではあり得ない弧を描いて大きくエルリックの側面に回り込んだ。不意打ちのような一撃、油断していれば側頭部を強く打たれるが……。

 

「ほいっと」

 

 しかしエルリックは落ち着いてその不意打ちを弾き返した。クルクル回りながら不規則に動き、またしても不可解な軌道を描く魔道具を木刀で打ち返す。

 

 その、なかなかに様になっている剣捌きに、アルテイシアはパチパチと拍手を送った。

 

「ん? ああ、おはよう、アルテイシア」

 

「おはようございます、エルリック。今日も頑張ってますね」

 

「まあな」

 

 この魔道具は、訓練用にとギルドから貸し出されたものだ。内部に魔術式と魔力結晶を組み込んでおり、それによって軌道に干渉、普通ではあり得ない振れ方をするようになっている。不意をついて急な軌道変更をする魔道具相手に問題なく対処できれば、魔物を相手にしても防戦ぐらいはできるようになるだろう、という見込みだ。

 

「なかなか剣捌きも様になってきているじゃないですか。いっそ魔法剣士にクラスチェンジしますか?」

 

「冗談いうなって、本職には敵わないよ。ゴブリン相手の時間稼ぎが関の山さ」

 

 おしゃべりしながらも、魔道具と打ち合う太刀筋に危なっかしさはない。

 

 もともとエルリックは運動神経が良い方だったし、魔術師たるもの、マルチタスクはできて当たり前だ。そもそも魔術師だろうと剣士だろうと、体力が無ければ6層までたどり着く事は到底できない。

 

 勿論、アトラスのような本職の剣士には及ばないだろう。それでも、ゴブリン相手に時間を稼ぐ壁があるだけで話は大きく変わってくる。

 

「そういえば、ロションは?」

 

「さっきまで一緒に訓練してたけど、ちょっと用事があるって出ていったよ」

 

「あらま」

 

 こんな早朝に一体何の用事があるのか。アルテイシアにはとんと想像がつかないが……。

 

「まあ、人それぞれですしね。案外この街でいい人が出来たとか?」

 

「ははは、無い無い。アイツの家、ガッチガチの保守派だろ? 魔術師以外の相手なんて認めてもらえないって」

 

「わかりませんよー、ロションあれで結構やんちゃなとこありますし」

 

 雑談に華を咲かせながら、アルテイシアは井戸の縁に腰かけた。

 

「せっかくだから少し見てあげます。ほらー、訓練訓練」

 

「ええ……やだよ、アルテイシア、要求水準高いじゃん。他人に自分の基準で駄目だしするの、好くないと思うぜ」

 

 言いながらも、エルリックは再び木刀を振るい始める。それをニコニコしながらアルテイシアは見守った。

 

「腰が入ってない、減点」

 

「いやだから厳しいって」

 

 

 

 

 

 一方。

 

 ロションは、歓楽街の片隅を訪れていた。

 

 夜は華やかに彩られる街並みも、早朝は墓場のように静か。朝霜が漂い三軒先の軒先も見通せないさまは、まるで死の国に迷い込んでしまったかのよう。

 

 そんな街並みを、ロションは躊躇う事なく進んでいく。迷路のような路地裏を左右へ曲がり、向かった先の十字路に、一つの人影が佇んでいた。

 

 真っ黒な外套、真っ黒なフード。ちらりと除く相貌も没個性で記憶に残らない、背景のような男だった。その男とすれ違うようにし、背中合わせでロションは脚を止めた。

 

「……」

 

「……」

 

 そのまま、何も喋らず、ただ佇む。

 

 耳に痛いほどの静寂。たっぷりと間を置いて、黒い男が口を開いた。

 

「……アルテイシア・ストラ・ヴェーゼの処遇が決まった。次回の迷宮探索に便乗してしかける」

 

「!」

 

 ビク、とロションの肩が跳ねる。

 

 黒い男の口調は、平坦で機械的だ。他人の人生を左右する事に、聊かの感慨も感情も抱いてはいない。

 

「待ってください」

 

 対して、ロションの言葉は動揺に酷く揺れていた。

 

「アルテイシアは、間違いなく歴史に残る天才です。彼女を今失うのは、魔術界にとって大きな損害であるはず。せめて、飼い殺しにして研究成果だけでも……。そもそも、無理難題を押し付けて学会への屈服を促すのがこれまでの方針だったはずです。どうして今更突然……」

 

「そんな事は問題ではない。禁忌を侵した魔女は排除される」

 

 ロションの嘆願を切り捨てるように、男の言葉が割って入る。

 

「千年委員会の存在意義は魔術界の安定と秩序だ。発展や進歩は役目ではない。そして我々の仕事はそれを考慮する事ではない。ただ、言われた通りの事を言われた通りにこなすだけだ。ロション、お前はなんだ? お前の家は、ベヴトニカ家は何故存在する」

 

「…………」

 

「応えろ」

 

 およそ感情を伺わせない声色の詰問。解答を拒絶する事がどういう意味か、ロションにはわかっている。

 

 故に彼は、躊躇いつつ、どもりつつも、その言葉を血のように吐き出した。

 

「千年委員会の、刃として、魔術界の、秩序を、守る……」

 

「その通りだ。我々は刃であり、道具だ。道具が、事の良し悪しを考えるべきではない。……あとで詳細を伝える。お前には、標的の指定座標までの誘導を命じる。指示が下るまで、これまで通りに過ごせ」

 

「了解、しました」

 

 ロションの返事を聞き終えて、男は無言のまま数歩歩み出て、そこで足を止めた。振り返る事無く、小さく告げる。

 

「お前の抗弁は聞かなかった事にする。……励めよ」

 

 そしてそのまま、今度こそ男は足早にその場を歩き去っていった。

 

 対して、ロションはその場に立ち尽くしたまま、いつまでも動けないでいた。

 

 表情を隠すように、右手で顔をわしづかみにして、いつまでも項垂れている彼。

 

 やがて日が昇りきり、歓楽街の遅い朝が来て、通りがかった誰かに声をかけられるまで、ロションはずっと、そこに立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。