望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~   作:SIS

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第百八話 収支決算が黒とは限らない

 

 

 

 フロアガーディアンとの激闘で大きく消耗したヌルス。

 

 いつもであるなら、しばらく隠れ家に籠って療養に努めるのが鉄則である。

 

 が、今回ばかりはそれが許されなかった。

 

 何故か?

 

 簡単な話である。……備蓄が、尽きたのだ。

 

《ぬぅぅおぅ……ひもじいよぉ》

 

 ずるずる、と脚を引きずるように5層を徘徊する鎧姿。

 

 言うまでもなくヌルスである。

 

 杖にすがりつくように、とぼとぼと迷宮を進む姿はみすぼらしく頼りなく、とても6層を踏破したばかりの冒険者には見えはしない。

 

 と、その様子を見て鴨だと思った、という訳ではないだろうが、進路上に魔物が出現する。人食い瘴気と共に、三体の昆虫型魔物。うち一体は大型だ。

 

 以前であれば緊張を露にしたであろう展開。しかしヌルスは敵を前にして目を輝かせた。

 

《ご飯だ!!》

 

 にゅるん、と鎧の脇から触手が伸びる。その先端がぷぅ、と膨らんだかと思うと、ぺぇっと可燃性の粘液を吐き出した。自分の前方に油だまりをつくると、ヌルスはそれに松明で火をつけて10歩ほど後ろに下がって待機した。

 

 定石通り、接近してきた瘴気は炎に巻かれて立ち止まり、虫型魔物だけが炎を越えてヌルスに近づいてくる。ある程度近づいてきた所で、炎の矢があっという間に魔物を仕留めて灰へと変える。大型魔物はファイアボルト一発程度では死なないが、直後にヌルスが《ふんぬぅ!》と全力で杖を上からフルスイングして叩き潰した。

 

 あっという間に前衛を倒されてか、瘴気がすごすごと引き返していく。ヌルスはその様子には目もくれず、床につもる灰の中をガサゴソと漁った。

 

《あった、ご飯!》

 

 わーい、と拾い上げるのは三つの魔力結晶。一度周囲をきょろきょろと確認し、ヌルスはそれを兜の中に放り込んだ。触手の先端が幾重にも枝分かれし、食虫植物の捕食器官のように魔力結晶を包み込む。たちまち溶けだした魔力が体に沁み込み、ヌルスはほぅ、と満たされて安堵した。

 

《ふいー。ひと心地ついた。5層は対策さえきちんと取れれば魔物はそんなに強くないから楽でいいやー……いや数は少ないんだけど》

 

 本日だけですでに30程魔力結晶を摂取している。それだけ確保してようやく、という所なのは、5層の魔力結晶の質の問題なのか、ランクアップしたヌルスに必要な魔力がそれだけ増加したのか。

 

 しかしながら、4層の魔力結晶ではもうとても足りない。多少効率が悪くても妥協するしかないだろう。

 

《いやあ、しかし焦ったね。まだまだたくさん魔力結晶のストックがあったと思ったんだけど》

 

 飢餓感から解放された事で愚痴る余裕もできてくる。ヌルスはこんな状態に至るまでの経緯を思い返してゲンナリと萎れた。

 

 すべての原因は6層だ。ソロで攻略出来たとはいえ、2連詠唱やD・レイの多用など、ヌルスへの負担が大きい行動を余儀なくされたため、それを癒すために魔力結晶が大量に必要になった。

 

 確かに6層でドロップする魔力結晶の質は極めて優れたものだが、それをもってしても補えなかったのである。

 

 とどめは6層のボス戦。万全を期するつもりで隠れ家にため込んだ魔力結晶、そのうちの質が良い物を選別して持ち込み全部使い切ってしまった。さらには戦闘後の療養にも大量の魔力結晶を消費したのも言うまでもない。

 

 結果、4層のイレギュラー魔物関係で手に入れた魔力結晶も含めて、あらかた在庫が底をついてしまったのだ。一年持つとはなんだったのか。

 

 その為、ヌルスはこうして魔力結晶を求めて5層を徘徊する腹ペコ触手となっていたという訳だ。

 

《いやあ、でも不幸中の幸いかね、6層に隣接してる5層がやり方さえしってればそんなに苦戦しない階層だってのは。ここが難易度相応の4層みたいな環境だったらちょっとやばかったかもね》

 

 満たされて余裕が出てきたが、もう少し魔力結晶を持ち帰らないといけない。多少はなんとか備蓄を貯めるようにしないと、ただ生きるだけに迷宮を徘徊するだけになってしまい、迷宮脱出方法を探すとかではなくなってしまう。

 

 自転車操業もいいところである。

 

 6層を安定して狩場に出来ればいいのだが、現状では二連詠唱や歪みの魔術に頼らないとおぼつかない以上、採算が赤字になってしまう。

 

《まあ、ランクアップした事で可能性は見えてきた。触手が器用になったからね、より正確に魔術回路を模倣できれば負担も減るかもしれないし、何よりパワーが違う。白兵戦でゴブリンの一匹ぐらい楽に仕留められるようになれば話は変わってくるけど、ま、今はとにかく安全策でいこう》

 

 ここで焦ってまたカツカツになったら意味が無い。

 

 それに、あれからまだアルテイシアが降りてきた様子はない。彼女達はショートカットができないので、5層をうろついていればそのうち会えるはずだ。

 

《……いや、会えるはずだよね?》

 

 急にヌルスは不安になってきた。

 

 5層は結構複雑な構造をしている。魔物を求めてウロウロしている内に、彼女達と入れ違いになったという可能性も、なくはない。いくら鍛えなおすと言っても、結構な時間が経過しているはずだ。

 

《なんか不安になってきた……》

 

 カツン、と脚が止まる。

 

 先ほど安全策で行こう、と決めたばかりだが、6層に戻った方がいいのではないか、という気がしてくる。そもそも考えてみれば、一度引き返してから、7層の様子見にもいっていない。いやまあ腹ペコでそれどころではなかったのだが、今は少し満たされている。

 

 様子見もかねて、一度見回ってきた方がいいのではないか? そちらの方が賢い選択ではないか? そんな考えばかりがヌルスの意識に浮かぶ。

 

《うう、いかん。その可能性が一度浮かんできたら無視できない……》

 

 ちらちらと6層に通じる転移陣のある方へ振り返ってしまうヌルス。頭では、このまま5層で魔力結晶を集めて今後の活動に備えておいた方がいい、というのは分かってはいるのだが。

 

《ちょっとだけ……ちょっとだけならいいかな……ねえ?》

 

 結局、人類の多くがそうであるように、ヌルスも即物的な衝動には勝てなかったらしい。しょうもない言い訳を自分に重ね、ヌルスは踵を返した。

 

 

 

 

 

 相変わらず真っ暗な6層。

 

 新しく生えてきた目でみたらどんな感じかな、と思いつつも、ヌルスはその欲求は抑えてきょろきょろと周囲を見渡した。

 

 流石に転移陣の近くで魔物は襲ってこないだろうが、それはそれ、だ。ここの難易度がちょっと高いのは骨身にしみている、骨はないけど。

 

《6層にもこう、分かりやすい攻略法があればいいのだけど……》

 

 そんなもんはない、とよくわかっているからこそついついそう考えてしまう。

 

 初見殺し……はデスマントがいるから完全に無い訳ではないが、変な事してこない代わりに単純に敵が強くてごり押しできない、というのが一番厄介なものだ、とこの階層では思い知らされる。それを無理にごり押しして通ったから、ヌルスは今現在素寒貧であるわけだし。

 

 アルテイシア達と歩調を合わせて一歩一歩慎重に進めていれば、今のように存在維持の魔力にも悩まなくて済んだのかもしれないが、いまさらそんな事をいってもしょうがない。

 

 とりあえず一応は、6層ボスの危険な行動についての知識を彼女に伝える事が出来る訳だし。

 

《とにかく接敵を避けて進もう。あ、でもデスマントは出来るだけ狩りたいな。アイツ、先にこっちが見つけさえすればボーナスみたいなもんだし》

 

 この階層では魔力探知も働きづらい。少しはましにならないかと、細かく細かく先端を枝分かれさせた触手をチロチロと出し入れして周囲の空気の動きを読もうとしてみる。

 

《あ、これ案外よい手段かも……》

 

 闇の中に何かが居るような気がして、ヌルスは道を変える。

 

 不思議なもので、細かく枝分かれした触手を闇に差し向けると、その奥に何かがいるのが感じ取れる……かもしれない。空気の振動を敏感に感じているのか、あるいはこちらの感覚器官が疑似的に増加した事によるものか。理屈はよくわからないし、正直はっきりと断言はできない。

 

 ただ、その感覚に従った結果、魔物との遭遇は避け続けられている。

 

《もしかしてこれ、6層攻略法になるんじゃ……いや人間には無理か》

 

 とはいえ、何か他の手段で代用できるかもしれない。自分にできない事は道具でなんとかしてしまうのが人間、というイメージがある。彼らは魔物のような爪も牙も鱗も持たないが、代わりに剣や鎧で戦闘力を補う。同じように、魔物の感覚の代用になる道具だって作れるだろう。

 

 アルテイシアに話す事がまた増えたな、とヌルスは手話用の手帳を取り出し、隅っこに書き足しておいた。最近は人と話す機会が減ったから、この手帳も減りが遅い。

 

 最後に使ったのは、やはり6層で、初めてみる冒険者を助けた時で……。

 

《お。噂をすれば、という奴か?》

 

 行く先で、以前助けた冒険者パーティーの姿を見つけてヌルスは地図を確認した。

 

 ……ここは最奥。フロアガーディアンの小部屋の近くだ。

 

 どうやら、リベンジに来たらしい。見れば、あの時大怪我をしていた二人の仲間も、今は壮健そうに佇んでいる。すっかり元気になったようだ、何よりである。

 

 それならば、ヌルスの持つ情報を伝えておくべきだろう。彼らの提供してくれた情報で正直ヌルスはとても助かったし、お礼はするべきだ。

 

 やはり、ちょっと様子見にきて正解だった。正直、アルテイシア達でなくてちょっと残念だったが、それはそれ、これはこれ、である。

 

《恩返し、という奴だな。ふふふふ》

 

 最後に身だしなみを軽く確認して、ヌルスは自分の存在をアピールするように腕を振った。

 

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