望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~   作:SIS

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第百十一話 Eins

 

《……と、こんな感じか》

 

 日記に一通り今回あった出来事を認め終えたヌルスは、んー、と体を捩じって触手を伸ばした。

 

 意味もなく触手の先端を枝分かれさせて柔軟体操的な事をしながら、炉が温まったか確認に向かう。

 

《ん、よし》

 

 十分加熱されているのを確認すると、あらかじめ選んでいた鉄材を炉にくべる。加熱された鉄材が真っ赤に焼けたのを確認して、鎧の破損部分に宛がう。

 

 あとは凹まないように鎧の内側から金床を当てて、ハンマーで叩く。焼けて溶けた鉄が穴をふさぐように鎧と一体化するまで、ひたすらカンカン。

 

 こんなナリでも力は強い。さほどの時間をかけず、破損個所の応急処置を終えたヌルスは、そのまま鎧を部屋の片隅に置いた。焼き入れはしない、歪んで壊れたりする事もあるからだ(2敗)。

 

《もうちょっとこう、何とかしたい気持ちがあるが、迷宮の中で鍛冶スキルなんて磨きようがないしなあ》

 

 防御力的にはちょっとアレだし見た目もアレだが、仕方ない。あくまで、鎧の穴から中身が見えてしまわない為の応急処置だ。ヌルス的にはそれで必要十分ではある。

 

 本来の持ち主が見たらめっちゃ怒りそうではあるが、勘弁してほしいとヌルスは祈った。

 

《しっかし、アトラス達も6層に降りてきたかぁ。こないだまで4層にいたと思ったんだが、早いな》

 

 最近深い所で見かけなかったから攻略が遅れているのかと思ったがそうではなかったらしい。あの新しく入った二人が相当に優秀なのか。でも、記憶にあればシーフのシオンという少女は最初、素人丸出しな感じだったと思うが……アトラス達の指導がよほど的確だったのか。

 

 もしそうなら一度自分も研修を受けてみたいな、とヌルスは考え、いや駄目だろ、とふるふる体を震わせた。

 

《流石に触手の指導は無理だろ、いくらなんでも。あ、しかし、アルテイシア達の事をついでだから聞けばよかったな。なんか知り合いだったっぽいし……》

 

 はたとその事に思い当たり、ヌルスはぐんにょりと触手を萎れさせた。

 

 うっかりしていたとしか言いようがない。

 

《しっかし、いつになったらまた降りてくるんだろうなあ、アルテイシア。あれから随分とたったけど姿を見ないし。そろそろ、いくらなんでも降りてくる頃合いだと思うんだけど……》

 

 机の上の日記をめくるヌルス。こうして記録しておけば、思い返すときにとても便利だ。

 

 記録を見るに少なくとも、これまでで一番、会えない時間が長く続いているのは違いない。

 

 ちょっと不安になってきた。

 

《このまま、迷宮攻略を止めちゃう、って事は……ないよね?》

 

 それは不安から来た単なる思い付きだったが、しかし考えてみるとその可能性が無い訳でもなかった。

 

 話によればアルテイシアは学院卒業の為に、迷宮攻略に来たと言った。だが、理屈で考えれば数多の冒険者から一組しか成し得ないであろう迷宮踏破の称号が卒業に必要な学院などあり得ない。恐らくは学院卒業の為に何かしらの功績が必要で、その為に迷宮攻略を選んだ、とヌルスは考えている。そうでないとおかしい。

 

 だが、今のアルテイシアにはいくつか、大きな発見がある事をヌルスは知っている。金属魔術や、ヌルスが提供した歪みの魔術の報告書。この二つは、既存の魔術論を揺るがすような大発見であるはず。それのおかげで、学院卒業の目途がたったというなら、アルテイシアには無理して迷宮に潜る理由はなくなるのではないか。

 

《……ありそうな気がしてきたぞ……》

 

 勿論、悪い話ではない。魔物ではなく一魔術師としてのヌルスからみても、アルテイシアという天才は危険な迷宮なんかに潜ってきていい存在ではない。もっと安全な研究室の中で、新しい発見のために研究に勤しむべき人間である。それに、天才魔術師であるアルテイシアが迷宮探索から退けば、恐らく冒険者達の迷宮探索は大幅に後退するはずだ。その分ヌルスのタイムリミットも大幅に延長するはずで、お互いWinWinともいえる。

 

 だから、アルテイシアが迷宮から退くのは決して悪い事ではない。そう、そのはずなのだが……。

 

 ちょっと。

 

 寂しい。

 

《…………。い、いや、まだそうと決まった訳じゃないし……。だ、大体、彼女は私の為に生き残る方法を探してくれるといったし……そうでなくとも、別れの挨拶ぐらいは……》

 

 ブツブツ言いながらも、不安は抑えきれない様子のヌルス。

 

 勿論、アルテイシアの人となりは信用している。が、この手の不安は、そういう理屈ではない。

 

 ひとしきりソワソワして、ヌルスは結局、6層に繋がる通風孔に目を向けた。

 

 晴れの日が近いという事を聞いたせいか、漂っている魔力も少し濃い気がする。

 

 以前は好奇心で晴れの日の様子を見に行ってエライ目にあったので、次は絶対に隠れ家で大人しくしておくぞ! と心に決めていたのだが……。

 

《……まあ、まだ予兆がある程度だし。それにストライフもいってたじゃないか、晴れの日の前にフロアガーディアンを撃破しておくのが鉄則だって》

 

 晴れの日を迎えると迷宮構造が刷新される。そうなると、せっかくボス部屋までたどり着いていても最初からやり直しだ。可能な限り、その前に突破しておくべきであり、アルテイシア達もそう考えて降りてきている可能性がある。

 

 勿論彼女達はまだ6層は全然攻略が進んでいない。だが事実上の仲間であるヌルスが攻略を進めているのを当てにして降りてきている、という可能性は十分ある。

 

 そして手札が分かっている状態なら、皆でかかればスケルトンオーガーはさほど苦戦はしないだろう。というかアルテイシアがいるかいないかがあまりにもデカイ。彼女の火力なら、下手したら第一形態でオーガーを木っ端みじんにして第二形態をスキップできる可能性もある。

 

《念のため。念のため、もうちょっと……ギリギリまで、様子見するかな》

 

 そろそろ鎧は冷えた頃だろう。ヌルスは出発の準備を始めた。

 

 

 

 

 そんな訳で再び戻ってきた6層。

 

 相変わらず真っ暗だが、晴れの日が近いせいか、多量の魔力が紫色の霧のような形で漂っている、ような気がする。

 

 修繕した鎧の具合を確かめながら、ヌルスは冒険者の姿を求めて周囲を彷徨った。

 

《……魔物の姿もあまりないな。晴れの日が近いからか……高濃度魔力で中毒死する危険性を考えなければ、探索にはいいかもな》

 

 魔物がいないと6層はヌルスには散歩道のようだ。それでも一応、デスマントあたりがまだ残っていると本当にヤバイので天井にだけは注意する。

 

 しばらく歩いていて、ヌルスはちょっと判断を誤ったかな、と自分の行動を反省し始めていた。

 

 確かにまだ晴れの日まで猶予はあるようだが、それにしても地上に戻るまでのタイムラグがある。魔力が見えるというアルテイシアであればこの迷宮の変化にも気が付いているだろうし、仮に6層まで降りてきても早々に切り上げて地上に戻っているのが道理な気がする。なにせ人間は晴れの日の高濃度魔力に耐えられないのだ。いやまあ、桁外れの魔力耐性を見ているしアルテイシアだけは割と何とかなりそうな気がしないでもないが、友人達は無理だろうし。

 

《なんか最近こんなんばっかりだな、空回りというか……。これ以上彷徨っていてもしょうがない、隠れ家に戻ろう》

 

 幾分か冷静になり、引き返すヌルス。だがその直前で、ヌルスの感覚器が違和感を捉えた。

 

《ん?》

 

 迷宮の空気に交じる、異物の匂い。つい最近も、同じ物を感じた覚えがある。冒険者達の活動からは、切っても切り離せないもの。

 

 血の匂いだ。

 

《随分濃いな……大きな怪我をしているのか?》

 

 放っておけず、匂いを辿って源に向かうヌルス。しかし、思ったよりも遠い場所のようだ。晴れの日が近いせいか、この階層に普段働いている感知距離の減衰が緩和されているようだ。

 

 ヌルスの把握している最短ルートからは随分と外れている。意図しなければ向かわないような、階層の隅っこの外れエリア。まあ、答えを知らなければ、こちらに来る事もあるのだろうが。

 

《こっち、か?》

 

 段々濃くなっていく血の匂いに触手をざわざわさせながら、ヌルスは軽く手持ちの荷物を確認した。

 

 ヌルスの手持ちには当然人間用の医療品は持ち合わせがない。場合によっては急いで引き返して先に戻ったであろうアトラス達に合流する事も考えて、ヌルスは怪我人の下へと急いだ。

 

 そして、幾度目かの曲がり角を曲がった先。

 

 見覚えのあるローブ姿が、血塗れでヨタヨタと歩いているのを見咎めたヌルスの思考が、真っ白に染まった。

 

《……ロション!?》

 

 慌てて走り寄る。鎧の立てる騒音を聞きつけてか、顔を伏せて壁際を這うように歩いていたロションが、血の気の失せた顔を上げた。

 

 その視線が、ガシャガシャ走ってくる鎧姿を目の当たりにするなり、虚ろだった瞳に力が戻る。

 

「ヌルス……さん!」

 

《どうした、何があった?! 他の三人はどうした!? アルテイシアは!?》

 

 筆記道具を出すのも忘れて、ロションの下に駆け寄るヌルス。

 

 酷い有様だ。魔術師学院のローブは千々に引き裂かれ、帽子はなく緑色の髪は血で濡れてへたっている。肩口から大きく爪で引き裂かれたような傷があり、今もじくじくと出血が続いているのが見て取れた。

 

 何かの獣にやられたのか。しかし、この階層に出現する狼は噛みつき攻撃がメインだ、こんな太刀筋にも似た袈裟切りの傷は違う気がする。

 

 とにかく手当を、とロションの肩を持とうとするヌルス。だがその鎧の襟元に、ロションが掴みかかるような勢いでしがみついてきた。溺れる者が、差し伸ばされた手にしがみつく、そんな無我夢中の勢い。

 

「ヌ、ヌルス、さん……! お願いです、僕の事はいいから……皆を、アルテイシアを……!」

 

《……!》

 

「この奥で、変な魔物に襲われ、て……! エルリックも、エミーリアも……アルテイシアは、魔物を引きはがす為に、一人で奥に……っ!」

 

 体の芯に、氷を差し込まれたようだった。

 

 焦りで思考が沸騰する一方で、心の奥が凍てついていくような。

 

 ヌルス自身でも不思議な程の冷静さで籠手が動き、日誌に言葉を書き綴った。

 

『どっちだ』

 

「あっち、です……! お願いです、ヌルスさ……、アル、テイシアを、どうか……!」

 

『わかった。まかせろ』

 

 ロションに力強く頷き、ヌルスは指示された方に急いだ。

 

 信じられないほど体が効率的に動く。魔物の水準でもかなりの速度で、ヌルスは人としての形を維持したまま道を急いだ。

 

 それは冷静だったからか。違う。

 

 ヌルスの心は、かつてないほどに荒れ狂っていた。あまりの激情が閾値を超えて、一転して冷たく凍えていただけだ。

 

《アルテイシア……!》

 

 

 

 

 

 

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