望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~   作:SIS

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<警告:第百十二話にはショッキングな展開と描写が書かれています。注意してご閲覧ください>



第百十二話 Null

 

 

 

 

 ヌルスが、迷宮の奥へ駆け去っていく。見た事が無いほどに必死な彼の様子を見届けて、ロションは迷宮の壁際にずり落ちるようにして座り込んだ。

 

 右手で顔を覆い隠すようにして天を仰ぐ。迷宮の地の底からでは、空は見えない。

 

 乾ききった笑いが、その喉から零れた。

 

「はは……は……はは……あははははははははは……ハハハハハハハハハ!!!」

 

 暗い地の底で、ロションは笑った。

 

 嗤って、哂って……笑うしかなかった。

 

 

 

 闇の中。その嘆きは、誰にも届かない。

 

 

 

 

 

 

 

 ロションの指し示した方へひたすら急ぐ。

 

 彼から距離を取ったにも関わらず、血の匂いは一向に途絶えない。

 

 むしろ、甘く香しい血の香りは、強さを増す一方だった。

 

 その、香りの立ち込める場所へたどり着き、ヌルスは思わず足を止めた。

 

《エルリック……。エミーリア……。ぁあ……》

 

 返ってくる言葉はない。

 

 魔物の言葉だからではない。

 

 ……ヌルスでも知っている事だ。

 

 

 

 人間は、半分になっては生きていられない。

 

 

 

 エルリックは、道の真ん中で下半身だけが膝をついていた。最後までエミーリアを、アルテイシアを守ろうとしたのだろう。彼はヌルスの走ってきた方向へ正面を向けて、立ちふさがるようにして骸を晒していた。半ばで食い千切られた胴体には、大きなキバの痕。恐らく、巨大な魔物に上半身を丸齧りにされたのだ。……いくら剣技を身につけても、それではどうにもならない。よく見ると傍らに、千切れた左腕が転がっていた。ヌルスはそれを拾い上げる。

 

 その後方で、エミーリアが事切れていた。彼女の躯は胴体の半ばで寸断されて、下半身と上半身がそれぞれ向かい合うように壁に張り付いている。泣き別れした体の間に、橋のように鮮血のラインが引かれていた。

 

 右手は、最後まで杖を握りしめたまま。何かを睨みつけるように見開かれた瞳には、一筋の涙の跡があった。

 

 ヌルスは彼女の前に屈みこみ、虚ろに開かれたままの瞳をそっと閉じてやり、涙を拭う。そしてエルリックの残された腕を、そっと左手に握らせてやった。

 

《……魂の世界でも、二人仲良くな》

 

 ヌルスは作法も教義も何も知らないが、今だけはその存在を心から信じた。人間の神に祈るやり方も知らない事を、今更ながらに後悔する。

 

 二人の遺体を整え、ヌルスは周辺を再度確認した。

 

 ……他には何も無い。誰も居ない。

 

 戦いの痕跡が残るばかりだ。壁際に残された巨大な爪痕や、剣で切りつけたような傷跡。見た所、相手はかなり大型の魔物のようだ。当然のように心当たりはない。

 

《アルテイシアは……?》

 

 呟きに応えるように、遠くで強大な魔力の反応が閃いた。

 

 同時に、ドン、ドォン、という遠雷の響き。見れば、通路の向こうから爆風じみた煙が押し寄せてくる。ローブを靡かせながら、ヌルスは立ち上がった。

 

 交戦の音。アルテイシアはまだ生きている。

 

 恐らく、仲間の死体を辱めない為に戦場を移したのだ。

 

《アルテイシア……!》

 

 戦場の音を頼りに、ヌルスは急いで駆け出した。

 

 知らない道を、戦闘の音だけを頼りにひたすら追いかける。どうやら高速移動しながら戦闘を続けているようで、なかなか追いつけない。

 

 そうする間に、少しずつ、戦いの音が小さくなっていく。

 

 明らかにアルテイシアが劣勢だ。そもそも、彼女が長期戦を強いられている時点でおかしな話である。彼女の火力なら、大抵の魔物は数発で消し炭にできる。そうならないのなら、それは相手が極めて高い魔力耐性を持っている場合に限る。

 

 つまり、敵は魔術師殺しという事だ。

 

 ヌルスは紫色の触媒がはめ込まれた杖を、ぎゅっと握りしめた。今は、これだけが頼りだ。

 

 少しずつ、間隙が伸びていく戦いの音。

 

 その音が完全に途絶えてしまう前に、ヌルスは彼女の下へと辿りついた。

 

《アルテイシア!》

 

 たどり着いた先は、ずっと下りの坂道になった直線だった。下った先は行き止まりになっており、少し広くなっている。まるで魔物が冒険者を追いつめて、最後の抵抗を楽しむために誂えられたかのような場所だった。

 

 その行き止まりで、熾烈な戦いを繰り広げる一匹の魔物と一人の魔術師の姿があった。

 

 魔物は、フロアガーディアンを思わせるほどの巨体を持った四足獣タイプ。だがその背中には蝙蝠のような翼があり、尾は節くれだった昆虫のようで先端に鋭い毒針を備えている。全身は黄金色の毛皮で覆われていて、ヌルスでも見て取れるほどの魔力を帯びていた。

 

 普通の魔物ではない。後ろ姿でもはっきりとわかった。

 

 対するのは、小さな少女の魔術師。激戦を物語るようにローブは千切れ、帽子はなく、服も爪でひっかけられたかのようにボロボロだ。トレードマークの眼鏡はなく、三つ編みもほどけて長い髪は靡くがまま。

 

 それでも青い瞳に漲る戦意と激情は聊かも衰えていない。その一方で顔の表情は感情が振りきれてしまったかのように、冷たく凍り付いた能面のよう。杖から光の刃を伸ばした彼女は、質量にして自分のおよそ百倍以上になるであろう魔物相手に、聊かも怯まずに向かい合っている。

 

《よかった、まだ間に合う!》

 

 急いでアルテイシアの下へ向かうヌルス。だがその間にも、戦いは続いている。

 

 魔物が右足を大きく振り上げ、爪を剥き出しにして振り下ろす。ロションの傷口はこれによるもの、とヌルスが理解する傍らで、アルテイシアのローブがその爪で引き裂かれて千々に飛び散った。

 

 が、その主の姿はそこにはない。ローブを囮に離脱したアルテイシアは、そのまま壁を駆け上がると一気に天井近くまで登り、そこから跳躍。空中で反転し、魔物の頭上を取った。その手には、全てを切り裂く光の刃。

 

 そのまま、一気呵成に魔物の首を狙う……その前に、魔物が首をのっそりと擡げた。

 

 炎か、毒か。何かしらの迎撃を行うものとしてヌルスも杖を構えて介入を試みるが、しかし魔物が放ったのは全く持って想定外のものだった。

 

 

 

『アルテイシア』

 

 

 

 聞き覚えのある声だった。

 

 ヌルスも、アルテイシアも、反射的に動きが止まった。理屈ではわかっている。でも、いざ、それを前にした時に、思考が挟まる余地などなかった。

 

 メンバーのムードメーカーだった彼。最後の最後まで、仲間の為に逃げずに立ち向かった彼。

 

 それと、全く同じ声色と響きだったから。

 

『ファイアレーザー』

 

「ぐう……!?」

 

 同じ声色で放たれる、彼の得意だった魔術。咄嗟にアルテイシアは光の刃でそれを受け止めるが、衝撃でその体が横に弾かれた。落下する事しかできない躰が、迷宮の壁にたたきつけられる。

 

「かは……っ」

 

『ファイアボルト』『ファイアボルト』『ファイアボルト』

 

 床に落ちた少女に、立て続けに炎の矢が撃ち込まれる。エルリックの声で、エルリックの魔術で、エルリックが守ろうとした少女を殺そうと。

 

 咄嗟にアルテイシアが何かの魔術を展開する。光の膜のような防御魔術……それにむかって、立て続けに炎の矢が突き刺さり、爆発する。生じる白い煙。その中で、よろよろと金の少女が身を起こす。

 

 その瞳に籠る怒りは、聊かも衰えていない。青い瞳が、コォ、と憎悪を称えて魔物を睨みつける。

 

 だけども。

 

 悲しみも怒りも憎しみも、それだけでは現実を変えられない。

 

 

 

 直後。

 

 死角からするりと伸びてきた魔物の尾、その先端に備わった毒針が、アルテイシアの体を無慈悲に貫いた。

 

「…………」

 

 アルテイシアは声もなく、自らを貫く毒針を見下ろす。無表情のまま彼女は顔を巡らせ、そこでようやく、必死に急ぐヌルスの姿を魔物の背後に見出した。

 

「……ふふ」

 

 彼女は小さく微笑んで。

 

 ずっ、と毒針が引き抜かれると同時に、その場にくしゃり、と倒れ込んだ。

 

《あ……》

 

 

 

 

 

 ヌルスは。

 

 間に合わなかった。

 

 

 

 

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