望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
晴れの日。
迷宮に、致命的な濃度の魔力と魔素が渦巻いている。
そんな中、フロアガーディアンの小部屋の中で少女……ヌルスは膝を抱えてずっと座り込んでいた。
「…………」
人間の体は、どうにも慣れない。そもそも、自分の体ではないものを、これ以上酷使する気にはなれなかった。
この体は。アルテイシアのものだ。
なのにどうして、ヌルスの意識がこうして存在するのか。
「どうして……」
つぅ、とその頬を一筋の涙が伝う。
あの時。アルテイシアを救うために、自らを彼女の一部としたとき。ヌルスは確かに、毒を引き受けた自分自身が灰となって朽ち、触手がアルテイシアの体に溶け込んで一つになるのを見届けた。自らの体から全ての力が失われ、力尽きて灰になるあの空虚な感覚も、溶けあった肉体が力強く脈動を始めたのも、すべて覚えている。
ヌルスは、確かにアルテイシアの一部となって、魔物としては死んだはずだった。そうでなければならなかった。
なのに、こうして再び目覚め、何故かアルテイシアの体に宿っている。
おかしい。
そんな筈はない。
だって、魔物に魂はない。魂が無いから、肉体を乗っ取れるはずがない。そもそもヌルスにそのつもりがない。
それなのに、そうなってしまったというなら、それは……。
「…………っ!! 違う違う、違う!! あり得ない、認めない! そんな筈はないっ!!」
忘(ぼう)、としていたかと思えば、急に血相を変えて叫び始める。今のヌルスは、酷く不安定な状態だった。
「在り得ない、そんな筈はない……だって、生きてる……この体は、アルテイシアのものなんだ……私じゃない……じゃあ、なんで……」
堂々巡りする自問自答。
こてん、と横に倒れて、ヌルスはしくしくと涙を流す。
「……そうだ。アルテイシアは死んでない、生きている。それは間違いない。だけど、何故か私の意識が表に出ている……これはきっと、何かの事故か不具合だ。あの時、アルテイシアは確かに死ぬ寸前だった。それに対して、私は自ら命を捧げたけど、まだまだ元気だった。だから、そうだ。道理で言えば、私の意識が表に出てきてしまったのは、そうおかしくはない……そうだよ……アルテイシアは、今は眠っているだけだ……。時間が経てば、きっと……」
自分自身に言い聞かせるように、何度も何度も呟くヌルス。
滑稽ではある。愚かではある。だが、都合のよい空想にすがらなければ、生きていけない時もある。
今のヌルスのように。
「……どうする? アルテイシアの体を傷つける訳にはいかない。隠し部屋にこの体では戻れない。どこか……4層あたりの安全な処に身を隠して、その時を待てば……でも」
起き上がり、自らの体を見下ろすヌルス。
見た目は、かつてのアルテイシアと変わらない。髪の色がなんだか変だが、人格の入れ替わりに比べれば些細な事だ。
しかし、意識を向けてみると、その内面が大きく変質しているのが分かる。
今のアルテイシアの肉体は、かつてのヌルスの肉体のそれに近い。表面上は形を保っているが、その内部は未分化の魔力の塊そのものだ。内臓は形こそ完全に復元されているが、機能的には全く本来の役割をはたしていない。
つまり、今の彼女は亡霊騎士のような、魔物化した人間といってもよい状態にある。
それが何を意味するのか。
「もし。もしも、アルテイシアが目覚める前に、誰かが迷宮を攻略したら……この肉体は消滅する。そうなったら……ああ」
駄目だ。
それだけは、駄目だ。
「……探さないと。今のアルテイシアが、外の世界でも生きていける方法を。だが……」
ヌルスは、変色してしまった銀色の髪と、ボロボロの服を見下ろして眉をひそめた。
元々ヌルスの目的は、魔物が迷宮の外でも生きていける方法を探す事だった。そういう意味では何も変わらないが、しかし、前提条件が大きく違う。
一番の違いは、この体だ。
ある程度魔物化しているとはいえ、基本的には人間の体。かつてのヌルスに比べても、大幅な弱体化は否めない。そもそも、最終的に返さねばいけないこの体、酷使する訳にも傷つける訳にもいかない。おまけに、装備の類も全ロストしている。探索はこれまでのようにはいかないだろう。
では人間と協力するのはどうか。
ヌルスの目的は、あくまでアルテイシアの復活。その為なら、自分の存在は惜しくはない。人間を復活させる為ならば、同じ人間の協力は得られるのではないか?
「……そう甘くはないだろうな」
単なる事実として、今のヌルスは、アルテイシアという少女の体を乗っ取った魔物でしかない。同じ人間としては、協力するより死者の尊厳を守る為討伐するのが筋というもの。ヌルスがアルテイシアを救うつもりである事をいくら訴えても、脳喰らいの戯言として相手にされないだろう。
では、その事実を伏せて、何食わぬ顔でアルテイシア自身としてふるまい、協力を得るというのはどうか。
「それも無理筋に程がある」
まずアルテイシアの振りをするのが精神的に耐えがたいというのもあるが、そもそも天才である彼女の言動を真似られる訳が無い。口調や態度は模倣できても、その深い叡智までは到底不可能だ。それに、アルテイシアは顔が広いらしいのを確認している。彼女はヌルスに対しては色々と気を使ってくれていたようだし、他の人間とは違う面を見せていたと思うべきだろう。人間の知人の前でその面を模倣しても、違和感を持たれる可能性がある。
何より、今の肉体は迷宮の外に出れない。人間は迷宮の外で休むのが基本なのだから、その点で絶対にボロがでる。
そしてそういった事情で、上層に引き返す事も得策ではない。生存の手段も、更新可能な装備も存在しないのはよくわかっているし、それに上にいけば上に行くほど、冒険者の数は増える。多少見た目が変わったとしても知己の目を誤魔化せるわけではない、発見されれば確実に追及される。
そうなると……。
「……つまり、結局単独行動するしかない。無理の利かない、してはいけないこの肉体で、ソロで、厳しさを増す迷宮の深層に装備もなく潜り、あるかどうかも分からない奇跡を探す……ははは、無理難題にも程がある」
言葉にすればなるほど、絶望的な状況だ。ほぼ詰んでいる。
だが、ヌルスの瞳には、先ほどまでと違って活力が戻りつつあった。
それがいかに無理難題であれ、やるべき事は定まった。成すべき事も分からず、何故生きているのかを自問自答するよりは、よほど建設的な精神活動である。
もとより、ヌルスはそれが奇跡と理解して生存手段を追い求めていた。
守るべきものが増えたとしても、本筋は変わらない。
「……やってみせるさ。見つけ出して見せる。私の愚かな行いの清算は、私自身で行うべきだ」
7層に繋がる転移陣を見つめ、ヌルスは強く決意を固める。
新しい冒険が、ここに始まった。