望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
「α γ β」
鈴の如き声が、魔術の言葉を歌い上げる。
白い神経節のような長蟲が、炎の矢に撃ち抜かれて燃え尽きる。直前で魔力の流れに反応するような挙動はあったが、それよりも魔術の完成と発動の方が一歩早かったようだ。
パチパチと音を立てて燃え尽きる魔物を前に、ヌルスは焼け焦げた触手を切り離すと魔力結晶を拾い上げた。
まだ熱の残るそれを、火傷しないように服のポケットにしまい込む。
「んんっ……思ったよりもスムーズに声が出るな」
喉を鳴らして具合を確認する。
魔物、それも触手型魔物であったヌルスが、人間であるアルテイシアの声帯をスムーズに使えているというのは理屈的におかしいが、体感的に違和感はない。これもヌルスが人間の脳から誕生した知性型魔物だからだろうか。
考えても仕方がない、と彼女はかぶりを振った。
「しかし、流石はアルテイシアというか。根本的な魔術師としてのスペックが桁違いだ。事あるごとに天才天才自称しているだけの事はあるというか、天才で足りるのかこれ。神才だろ」
華奢な少女の躰を見下ろしてヌルスは嘆息する。
一言でいうと、魔力を流した時の感じが全く違う。ヌルスが単なる触手型魔物であった時の魔力伝達性を緑青が浮いた朽ちかけの銅管、といったものだったとするなら。アルテイシアのそれは直径が数倍あり抗腐食性のある素材で作られピカピカに磨かれた配管、といったぐらいの差がある。流せる魔力もそれによって感じる抵抗や負担も桁違いだ。
そのせいで発動する魔術の性能も全然違う。
ニコライ式は術者の能力やその時の動作正確性によって結果が変動し、安定した効果を得られない、というのが欠点とされているが、それが今回ばかりはよい方向に働いている。
魔力を見えるはずの魔物が反応できていないのがその好例だ。
確か他ならぬアルテイシアが魔術を唱えた時は6層の魔物に反応されていたので、エジニアス式は安定こそしているが極まったニコライ式には性能で劣る、という事になる。
勿論、それでエジニアス式の価値が落ちるという事は全くないのだが。
「まあ、アルテイシアは本来研究者で学者だしな。自分にしか理解できない領域の話をしてもしょうがなかったろうしなー」
納得しつつ、ヌルスは灰の中から戦利品を拾い上げ、左目を覆いながら周囲を見渡した。魔眼による索敵……周辺に敵の姿が無い事を確認し、目的地である壁の前に立つ。
「ふぅん……」
見た所、他の肉壁と外見上の違いはない。だが、魔力の流れを見てみると、ここだけ明らかにおかしい。
この階層の肉壁は基本的に同一のものらしく、魔力の流れが幾重にも分岐しながら流れている。だが、この目の前の壁の一部分だけ、どの流れともつながっておらず、ここ一か所で完結している。まるで扉のようだ。
「さて。どうするかな。歪みの魔術なら破壊も可能だろうが……」
繊手を見下ろして、ヌルスは目を閉じてため息をついた。歪みの魔術、D・レイあたりならリスクも低く運用が可能だが、鉄の杖を失った今、完全に反動を無効化する事はかなわない。触手なんぞ何十本千切れても構わないが、アルテイシアの躰に傷がついたら事だ。流石に人間の腕や足をまるまる生やす事はできない。
やり方が他にない訳ではないが……。
「まあ、いきなりぶっ壊すというのも芸が無い。私の言動はあとでアルテイシアに還ってくる事になる訳だし……彼女のイメージを損なうような言動はすべきではないな」
壁面に手を当てて、精神を集中させる。
流れる魔力に、自らのそれを同調させるイメージ。もしこの壁が本当に扉であるならば、何かしら干渉する手段が在る筈。
「むむ……」
一度、アルテイシアを救う為に肉体を溶かした経験がここで生きたというか、魔力への同調はすんなりといった。相手に拒絶する意思が無かったのが大きい。魔力の流れを掴んだヌルスは、それを通じて壁へと干渉を始める。
ぐぐ、と肉壁が動く。
ゆっくりと身をどけるようにして、組織が退いていく。数十秒ほどたっぷり時間をかけて壁が動ききった後には、正真正銘、鉄の扉のようなものが覗いていた。
あきらかに人工物だ。迷宮には相応しくない。
「……予想外のものが出てきたな」
ここまで来たら中身を見ていくべきだろう。ヌルスは警戒しながらも、ゆっくりとドアノブに手をかけた。
カチャリ、と回るドアノブ。鍵はかかっていない。
ぐ、と力を籠めると、ドアは容易く開かれた。押戸だ。
「……失礼します……」
ちょっと及び腰で、ドアを潜るヌルス。
部屋の中は真っ暗だ。人間の感覚では何も見えないな、とヌルスが切り替えようとしたところで、ひとりでに天井に明かりがともった。話には聞いたことがある、外では内部の人間の魔力を吸い上げて自動的に灯る照明が一般的だと。
たちまち、暗い室内が明るく照らされる。そして照らし出された品々に、ヌルスは言葉を失った。
「な……っ」
部屋は、一言でいうと何かの実験室だったようだ。
小さな机と棚、何かの保管庫。そして、透明な筒のようなものが壁面にずらりと並んで照明に照らされている。透明な筒のいくつかは破損しているが、無事なものは内部に何かしらの液体を蓄えているようだ。
その中に、得体の知れない組織片のようなものがぷかぷか浮いている。
異様な雰囲気のする部屋だった。
「…………」
ヌルスは入口に留まったまま、部屋に何者かがいないか見渡した。……人間は勿論、魔物の姿も無い。床にはうっすらと埃が積もっており、均一なそれが長い間出入りする者がいなかった事を示している。
どうやら完全に無人のようだ。
それはそれとして、このような場所が迷宮内部にある事が異常ではあるが。
「……私が拠点にしていた隠れ家もそうだが……これは……。あり得るのか? 迷宮の中に、こんな人間の基準で部屋が構築される、だなんて事が……」
部屋の中央まで進んで見渡しながら、ヌルスは魔眼で周囲を確認した。
魔力の流れがある。この階層全体に張り巡らされた肉の壁、そこから魔力が一部、この部屋に流れ込んでいるようだ。それらは、壁際の透明な筒へと繋がっている。
それも気になるが、やはり一番に確認するべきなのは机だろう。
木でも石でもない何かで作られた机の上には、一冊の本が置かれている。この部屋について何か分かるかもしれない、とヌルスは冊子に触れてみるが、白い指が触れた途端、冊子はハラハラと崩れていってしまった。
「あ……」
たちまちのうちに塵へと還ってしまった冊子を前に、ヌルスは手をひっこめる。どうやらこの階層の環境もあって、腐食と風化が酷く進んでいたようだ。辛うじて原型を留めているページを見ても、何が書いてあるか判別は不可能だ。
これでこの部屋の正体は分からなくなってしまった。
「……まあ、多分ろくでもない部屋のような気がする……」
半透明の筒へと近づいてみる。
割れた物を見るに、筒はそれなりに分厚い素材のようだ。叩いてもそう簡単には割れそうにない。そして無事なものには、少しだけ気持ち緑色がかった液体がなみなみと満たされ、こぽこぽと泡が時々浮いてきている。
その液体の中に、正体も定かではない肉片が浮いている。
それも様々な形のものばかり。あきらかに魔物と思える獣の半身であったり、どことなく人間に似た雰囲気の組織片であったり、中には巨大な目玉だけが浮いていたりもする。統一性も共通点も見当たらない。
「……魔物、だよなあ」
念のため魔眼で確認してみるが、どれも生物ではありえない魔力反応がある。中には相当人間に近い形のもあるが、どうやら現存している組織片は全て魔物のそれのようだ。
いや、断言はできない。人間の死体とて、魔力の影響で魔物化するのだ。もともとは通常の生物のサンプルか何かだったものが、ここの魔力の影響を受けて魔物化した、という可能性もある。
その想像に、ヌルスは思わず身を震わせた。
もしその想像が正しかったとしたら。この部屋の主は、迷宮のただ中に備えた研究室で、人間や獣を解体して何かしらの研究をしていたという事になるのではないか。
その目的や理由が何かまでなんては分からない。ただ、まっとうな精神の持ち主ではない事だけは約束できる。
アルテイシアやアトラスのような善良な人間が居れば、その逆だっているものだ。個性の幅が人間の強みであり、その振れ幅が大きければ大きいほど、人間という種族の力となる。
だとしても、一体何故、どうして。
「!」
不意にヌルスは素早く振り返った。咄嗟に触手を伸ばし臨戦態勢を取る。
研究室には誰も居ない。驚異の存在は感じられない。
にも関わらず、ヌルスは危険を察知した。本能的に何かを感じた、としか言いようがない。
「なんだ……?」
自分の行動が理解できず、ヌルスはすっと目を細めて部屋の一角を見つめた。
入口横、四角い部屋の天井の角に、何か丸い水晶のようなものがある。魔眼で見ても、魔力がある程度蓄えられているだけで、不審な動きはないのだが……。
じっとしばらくその水晶を見つめていたヌルスだが、いつまで経っても何も起きない事に戦闘態勢を解いた。
「今のは……。なんだ、私は一体、何に警戒をした……?」
掌を見下ろして、理由の分からない今の行動について自問自答する。が、答えは出ない。
考えを切り上げて、ヌルスは再び部屋を見渡すと、保管庫に手をかけた。扉を引いてみると、鍵はかかっておらず、いくつか私物のようなものが内部に収められているのが確認できる。こちらは密閉されていたせいか、腐食はされていないようだ。他にも、机の横などに、細々とした物品が確認できる。
「装備の補給は、できそうかな」
どうやら、ほぼ半裸といってもいい恰好で徘徊するのはここらで終わりに出来そうだ。ヌルスはふぅ、と安堵の息を吐き、内容物の物色にかかった。
奇妙な危機感は、少なくともそれきり感じなかった。