望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
※第一部のネタバレがあります。第一部を読んでいる最中の方はお気を付けください。
クォークス国立魔術教導学院、通称魔術学院。
数百年の歴史を持つ由緒ある魔術の学び舎にして研究所、そして博物館でもある魔術学院は、同時に権謀術数渦巻く策謀の地でもある。
近年はエジニアス式とニコライ式の対立をはじめとして、俗界の金銭事情も絡んで欲深さと混沌さを増す学院に、突如として新しい風が吹いた。
その風は旧来の凝り固まった因習と既得権益を暴風のように薙ぎ払い、昏く淀んでいた魔術学院に明るい見通しを齎す事になる。
新しい風の名は、アルテイシア。アルテイシア・ストラ・ヴェーゼ。
新進気鋭の、押しも押されぬ正真正銘の若き天才魔術師である。
「つまり、歪みの魔術と呼ばれていた……は……であるからして……」
学院の教室に、少女の浪々とした説明と、カリカリと黒板にチョークで文字と絵を書き連ねる音が響く。
黒板に描かれているのは、素人目には何が何だか分からない、複雑極まりない図式と説明。それを、溢れかえらんばかりに教室に集まった生徒達は、鬼気迫る様子でノートに書き連ねていく。
教壇に立つのは、生徒達とそう年の変わらない少女だ。というか、ほぼ同い年である。眼鏡をかけて、長い金髪を三つ編みにした可憐ともいえる少女。
アルテイシアである。
彼女は目の奥の青い瞳をきらきらと輝かせて、教室へと振り返った。
「……という訳です。質問は何かありますか?」
少女の問いかけに、爆発したように一斉に挙手があがる。その勢いに圧倒される事なく、アルテイシアは「やる気があって良い事です」とつぶやき、片っ端から生徒の名を呼んで疑問を訪ねた。
矢継ぎ早に、質問が飛ぶ。
その内容に、にっこりとアルテイシアは微笑む。ちゃんと授業を聞き、内容を理解しようと思わなければ出てこない質問だったからだ。魔術学院の未来は安泰ね、と思いつつ、アルテイシアは一つずつ質問に答えていく。
いくつかだぶる質問があったのか、答える度に挙手の数が減っていく。最後に一人だけになったそれに、アルテイシアは声をかけた。
「はい、ではヴァアルツさん。質問をどうぞ」
「はい、先生。では、極論を言うと、人間には真の歪みの魔術は扱えない、という事でしょうか?」
ヴァアルツの質問に、んー、とアルテイシアはここで初めて言葉を選んだ。
難解な疑問だったからではない、答えは割り切っているが、定義の問題であったからだ。
「何をもって、歪みの魔術、と呼ぶべきかにもよりますね。確かに、我々人間は、あちら側から生まれた生物ではないが故に、真にそれを体現する事はできません。現状、そういう意味では歪みの魔術の神髄に触れる事が出来るのは、“彼”ただ一人です。しかし、どちらかというとそれはイレギュラーとして捉えるべきであって、今後広がっていく歪みの魔術は私達のそれがそう呼ばれるべきでしょう。私としては、歪み、始原、あやふやな呼び方であるそれらを整理して、我々と彼、それぞれで使う魔術の系統をくっきりと区別するべきだと考えています」
「なるほど……根本的に別物だと?」
「その通りですね。少なくとも私はそう考えています」
納得したのか、生徒は手を降ろす。
と、そこで授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。途端に学園全体がざわつき始めるのを見て、アルテイシアはパンパン、と手を打ち鳴らした。
「はい、それでは本日の授業はここまで。皆さん、よく復習をして次にそなえてくださいね。はい、解散」
終わりを告げても、生徒達は黒板の模写に忙しいようだ。アルテイシアは苦笑しつつ、一足先に教室を後にする。その姿が扉の向こうに消えたのを見送って、すでに模写を終えた生徒の一人が、隣の友人に語り掛けた。
「いいなあ、アルテイシア先生。あの若さで准教授だぜ」
「准教授といったって、既存の教授陣の大半が文字通り鏖にされたんで、ほぼ教授だろ」
「見た目メッチャお淑やかで優しそうなのになあ。例の“血の三日間”に居合わせた警備員の連中、恐怖のあまりまだ職場復帰できてないらしいぜ」
授業が終わったのもあって、生徒達の間で会話が飛び交う。その大半が、アルテイシアに関するものなのは必然だろう。
「でもあれは殺された連中が悪いだろ。私兵を差し向けて命を狙ったあげく、権力で訴えを握りつぶしたんだろう? それに、古い仕来たりとはいえ正式に決闘を申し込んだのを無視したんだから、まあ報復権行使されてもしゃあなし、だよな」
「そもそも老害連中、その古い仕来たりを悪用して権力を貪ってた訳だしなー。自業自得自業自得。というか、あの天才を謀殺しようとしてたとかマジかよ。アルテイシア先生がいなかったら、魔術の発展が100年は遅れてたぞ」
「だなだな」
何やら血生臭い話もあるようだが、生徒達からのアルテイシアへの評価は概ね好感一色である。
魔術師は優れた者をこそ尊敬する。
そういう意味では、金属魔術という魔術の原則をちゃぶ台返しする新系統の発見に加え、人には扱えないとされた歪みの魔術を体系化した彼女は、間違いなく歴史に残る逸材である。その登場に纏わる血生臭いエピソードは、むしろ英雄譚を彩る装飾でしかない。
事は1年前。無理難題を押し付けられ迷宮攻略に挑んでいたアルテイシアに、それでは飽き足らず学院の権力者が暗殺者を差し向けた。ある存在の救援によりその場を乗り切る事が出来たアルテイシアだったが、流石にそこで彼女の堪忍袋の緒が切れた。
彼女はただちに協力者をまとめ上げ、学院に凱旋。今では形骸化した仕来たりまで持ち出して自らの正義を確保すると、容赦なく実力行使によって老害達を言葉通り一掃した。それは同時に、秘匿されていた金属魔術や歪みの魔術のお披露目でもあり、全く未知の魔術を前に、実力者であったはずの学院のお歴々は、なすすべもなく駆逐された。
それにより多少の混乱はあったが、すでに老人たちは学院に利益よりも害悪をもたらす存在であった為、むしろこれを機に多くのOBや関係者が学院の立て直しに奔走。半年とかからず学院は新体制の下で運営が再開され、アルテイシアは目出度く、数の減った教授の穴を埋めるべく雇用されたのである。
まあ、アルテイシアの見せた力に恐怖を覚えた者達が、彼女を取り込む事でその矛先が自分達に向かぬよう配慮を行った、というのも大きいのだが。
「御伽噺の英雄そのものだし、それでいて普段はあんな感じで優しいし。よっぽどの逆鱗ふまなきゃ、あんな大暴れはしないから人格面もよし。普通なら良物件として、お見合いやら貴族からの申し出やらが殺到するんだろうけどな……」
「普通ならそうなんだけど……ほら、アルテイシア先生、あれだろ?」
苦笑いする男子生徒二人。
「これで異常触手愛好家(テンタクルフィリア)じゃなければなあ」
「でもそれはそれで……こう、好くない?」
「それな」
授業を終えたアルテイシアは、足早に自室へと戻った。
スキップしそうな上機嫌で、扉を潜る。
彼女の自室には、一言でいうと奇妙であった。空間は妙な機械で満たされ、壁際を得体の知れない機械が覆いつくし、シリンダーの中で液体がコポコポ音をたて、コンプレッサーがしゅこー、しゅこーと唸っている。そして部屋の半分ほどを占めるように、透明なガラスケースの温室があった。その温室の中にアルテイシアのベッドや机があり、さらにその横で、ピンク色の何かがもごもごと蠢いている。
「ただいまー!」
アルテイシアは笑顔で荷物を投げ捨てると、温室へと入る。そして、蠢くピンクの塊に、躊躇う事なく飛びつくように抱き着いた。
「ヌルスさーん。今日もお仕事頑張ったんですよ、ほめてほめてぇー」
『はいはい。お疲れ様でした、アルテイシア』
にゅ、とピンクの塊から蛇のような口を持つ触手が生えてきて、アルテイシアをねぎらう言葉を放った。塊の中央に、ぎょろりと巨大な目玉が出現し、アルテイシアを見つめてくる。
常人であれば発狂判定間違いなしの悍ましい光景だが、アルテイシアはニコニコと笑いながら、まるで恋人に甘えるように頬を摺り寄せた。粘液で髪や服が汚れるのもお構いなしだ。彼の粘液はすぐに気化するとはいえ、普通であればもうちょっと気にするだろうが、アルテイシアは全く頓着していない。
にゅるにゅる、と触手が抱擁するようにアルテイシアに絡みつく。生暖かい触手に体を軽く締め付けられて、彼女は感極まったような息を吐いた。
「はぁ……今日はもうずっとこうしてます……」
『こらこら、レポートとかお仕事があるでしょう? 大体人間は食べないと死ぬでしょ、ご飯はしっかりとりなさい』
「レポートなんて自動筆記魔術にまかせておけばいいんですぅー」
ちらり、とアルテイシアが視線を向ける先、机の上ではひとりでにペンが動きだし、紙に何やら文字を書き綴っているところだった。
『だとしても、ご飯は別でしょ。健康管理はしっかりしなさい』
「はぁーい……。ああー、私も魔物になりたいなあ。そうしたら魔力だけ吸って永遠にヌルスさんに抱き着いていられるのに」
『無茶な事言わない』
流石にその発言はちょっとヌルスも引く。それでも抱擁を解かないのは、まあ、惚れた弱みという奴だろうか。
『大体、私がこうしてられるのも、アルテイシアの稼ぎのおかげじゃないか。この装置、ちょっと高かったんだろう?』
ヌルスは部屋の大半を占める設備に目を向ける。
これは、迷宮の外でもヌルスが生きていけるようアルテイシアが用意したものだ。返り討ちにしたワンダリングモンスターのコアを使った、簡易的な迷宮環境を再現する装置である。これのおかげで、ヌルスは迷宮の外でありながら、その活動を保証されている。
特筆すべきはその発想である。本来、そのワンダリングモンスターのコアは、ヌルスには適合していなかった。だが、アルテイシアは発想を逆転……コアをヌルスに合わせるのではなく、ヌルスをコアに適応させる事でその問題を解決した。超大型の魔物であるならばいざしらず、イレギュラーではあれど通常サイズのヌルスには核とかコアとか、その方向性を確定するものはない。巣窟迷宮エトヴァゼル内に隔離された空間を作り、その内部をワンダリングモンスターのコア由来の魔力で満たす。あとはその二つの空間を行き来して少しずつヌルスの体を変質させる事で、最終的に迷宮の外へヌルスを持ち出す事に成功したのだ。
今現在は、さらなる調整を行っている段階だ。最終的にコアをヌルスに埋め込み、それが馴染み切れば、このような隔離空間は必要なくなる。
しかしながら、その為に彼女が無理していないかが、ヌルスには心配の種だった。
『しかし労働というのは大変なんだなあ。やっぱり、私も何か……』
「駄目です!」
働こう、と言いかけたヌルスの言葉を、アルテイシアが強い言葉で遮る。
「ヌルスさんはわかってません、触手型魔物なんて、魔術師からしたら丁度良い実験素材なんです。それも迷宮の外に持ち出し可能で、おまけに敵意がなくて取り放題とか、たちまち一本残らず触手をむしられるに決まってます! 唯の肉ボールになっちゃいますよ!」
『いや、まあ、そうなんだが……』
「だから、ヌルスさんはずーっとこの部屋にいればいいんですよー」
実際の所、ヌルスの事は学園では“アルテイシアの溺愛してるペット”のような扱いである。尊敬と同時に恐怖の対象である彼女が執着するヌルスに、手を出すような命知らずはいない。なのでこれは方便。ヌルスが自由に出歩いてその善良かつ理智的な人格が知れ渡れば、他にもヌルスに惚れてしまう者が出るのではないかとアルテイシアは恐れているのだ。彼女にはもう、ヌルスが触手型魔物であるという前提は存在していないらしい。
「外の世界なんて過酷でいい事なんかないですよー。だからヌルスさんは、ここでずーっと、私を癒してくれればいんですぅー」
『ははは、まあ、別に無理に出歩きたい訳じゃないよ。ただ最近、ちょっと世の中物騒みたいだから心配でね』
「……ああ。新聞読んでたんですね」
ヌルスの傍らに転がる藁半紙を見つけて、アルテイシアは納得した。
ここ半年ぐらいのバックナンバーもそろっている。記事の一面には様々な見出しが踊り、『巣窟迷宮エトヴァゼル、EランクからSランクへ。当面の間は閉鎖される事に』『閉鎖されていた巣窟迷宮エトヴァゼルが突然の崩壊。原因は?』『辺境伯一帯、音信不通に。調査隊も消息を絶つ。国軍の動員が決定される』といった具合だ。いずれも、不穏な話ばかりだ。
どうやら、それらの記事を読んでいて、このまま毎日を怠惰に過ごしていていいのか、不安になったらしい、とアルテイシアは判断した。
「大丈夫ですよ、ここは平和ですから。お給料も十分でてますし」
『そうかなあ』
「ええ。ちょっと不穏な事もあるみたいですが、遠い場所の話ですし、ちゃんと対応すべき人が対応しますよ。大丈夫です」
ヌルスを安心させるように、にっこりと微笑む。続けて、触手の先をくるくると指に絡めながら、少しだけ恥じらうようにアルテイシアはヌルスに尋ねた。
「それで、その。そんなに不安だったら、今日は一緒に寝ます? ヌルスさん」
それは、一時の平和な夢。
この世界が滅びる、2年前。確かに存在した、幸せな時間。
ノーマルエンドA「朽ちる蛹の夢」
発生条件
・ヌルスの人助けポイントが一定以下の状態で7層に踏み込む。
・アルテイシアの好感度が一定以上ある状態で、『マンティコア強襲』においてヌルスがアルテイシアの死亡前に救援成功する。
・ヌルスが辺境伯の問題に関わらない。