望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~   作:SIS

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第百二十話 腹ペコヌルス

 

 ぐぎゅるるる。

 

 ぎゅるるるぅ~。

 

 迷宮の中に、妙な異音が響いている。

 

 凶悪な魔物の唸り声か? 恐るべきトラップの作動音か?

 

 否。

 

 異音の源は、一人の少女。

 

 すなわち、ヌルスの腹の音であった。

 

「う……ぐぐぐ……」

 

 ぽてぽて歩き続けていたヌルスが壁際に倒れるように座り込む。

 

 こんな異音を発していては探索どころではない、というのもあるが。それ以上に、あまりの脱力感にもう一歩も動けない。

 

「な、なんだこれは……何が起きているのだ……??」

 

 目をぐるぐる彷徨わせながら、ヌルスは自問自答する。答えはない。

 

 それも仕方ないだろう、魔物には基本的に、空腹、というものはない。

 

 近いものでは、活動魔力の低減はある。だがそれは空腹というより、死に近づくものだ。魔物は魔力がある限り活動し、魔力が減っても多少パフォーマンスは落ちるが活動できる……その代わり、閾値を越えると、即座に死滅する。6層ボス相手に無理しすぎて、体が灰化し始めた時も、活動そのものはまだ可能だった。

 

 このように、疲労が溜まっておらずまだ活動への余力があるのに、脱力感のあまり動けなくなるというのは、彼女にとって全く未知の経験だった。

 

「お、おかしい。私の見立てではまだ活動停止までは余裕があるはずだ……こ、この、足腰が抜けたような脱力感は、一体……? 大体、この音はなんだ……?! 人間は私の知らない魔物を腹に飼っているのか?」

 

 呻く間も、ぎゅるるる、ずごごごご、という腹の音は治まらない。ヌルスはすっかり参ってしまっていた。

 

「わ、わからん。わからんが、活力の低下だというのは、なんとなくわかる……ほ、補充すれば収まるのか?」

 

 がさごそと懐を弄り、取り出したのは7層で集めた魔力結晶。6層のそれと比べても大振りのその結晶は、十分な魔力を得る事が出来るだろう。にゅるりん、と触手を伸ばしてそれを包み込み、分解して吸収する。

 

 いつもであればそれで十分なのだが……。

 

「うむ。魔力は吸収できた。活動時間はこれで延長……した、はず……なのだけど……」

 

 ぎゅるるるるる。

 

 腹の唸りは治まらない。それどころか、ますます勢いを増すばかりだ。

 

「ど、どうすれば、どうすればこれは治まるのだ?! このままでは探索どころではない……感じとして、活力の欠乏が原因なのはわかるけど……ま、まさか、人間用!? 人間の食べるものを食べないと治まらないのか、これ!?」

 

 ようやく原因らしきものに思い当たり、ヌルスは絶望の声を上げた。

 

 知識というか道理として、人間も何かを食べて活力を補充しているのは分かる。実体験もした。一度、アルテイシア達が食事しているのを共にしたし、なんなら触手の分解能力でそれをヌルス自身食べた事もある。

 

 その経験から言えるのは、人間が食べるものは外から持ち込まれるもので、迷宮の中にはないという事だ。

 

 少なくとも魔物を齧っても人間の糧にはならない。階層を構築している肉の壁だってにたようなものだ。

 

 それはつまり、詰みという事である。

 

「おおおおおい!? これで終わりとか勘弁してくれ!? ええっと、そうだ、アルテイシア、彼女の荷物の中に食料があるはずだ。迷宮探索してるのだから必然持ち込んで……ないよ!! 私が一番知ってるじゃん、カバンはどっかに落としてきて、服の中にはなにもなかった! ハンカチぐらいだよ! うわあん!!」

 

 文字通り頭を抱えるヌルス。セルフ突っ込みを始めるあたり、大分テンパっているようだった。

 

 今から6層に戻って鞄を探しても、晴れの日による迷宮更新後なので、残っているか大分怪しい。3層の湖の底に沈んでいる防具の量や、魔物化した亡骸の存在を考えると全ての物品が消失する訳ではないだろうが、あの魔境の6層を、小さな鞄一つ探してうろつきまわるのは現実的ではない。

 

「ど、どうすればいいんだ…………」

 

 途方に暮れるヌルス。魔力結晶を取り込んだから活動時間そのものは延長されたと信じたいところだが、この苦痛と音をどうすればいいのか。

 

 掌に緑色の魔力結晶を乗せてぼんやりと眺める。キラキラと内部で魔力が輝く魔力結晶は、魔物からするとご馳走ではあるのだが。

 

 それをじっと見ていると、彼女は何か不思議な気分になってきた。

 

「…………ごくり」

 

 妙な気分である。何やら、目の前の結晶を、無性に飲み込みたくて仕方がない。

 

 気が付けば、ヌルスは手にした魔力結晶を口の中に放り込んでいた。

 

 大粒の飴玉のような魔力結晶を、コロコロと口の中で転がして、ゴクン、と喉を鳴らして飲み込む。

 

 ヌルスはそれきり、ぴたりと動きを止める。石のように固まって数十秒、しばらくたって、ようやく絞り出すように感想が零れ出た。

 

「…………うみゃい」

 

 こんな俗説がある。人間の味覚は、体に良いものと悪いものを区別するために発達したという説だ。良い者は甘く、旨く。悪い物は、苦く、不味く。実際の所、取りすぎれば甘味、旨味も体に毒だし、苦いものでも体に良いものはたくさんある。根拠に乏しい俗説だが、しかし生存に必要な要素が好ましいものと感じられるべきであるのは、生存論的にも道理が通っている。

 

 つまり、だ。

 

「っ! っ!!」

 

 じゃらじゃらと蓄えた魔力結晶を取り出し、それを次々と口に放り込むヌルス。

 

 ヌルスにはこれまで、人間でいう味覚はなかった。有機物を摂取する事が可能な触手型魔物という立場上、味覚に近いものがあったとはいえ決して人間のソレと同じものではない。

 

 しかし今のヌルスはアルテイシアの体と融合した事で、同じような味覚という概念を得ている。そして、魔物でもあるその体にとって、魔力結晶は生きていく上で必須な上、絶対に体に害をもたらさないものだ。それを、味覚に当てはめるとどうなるか。

 

「う、うまい! うみゃい! 美味すぎる……なんだこれは!? て、手が、とまらにゃい……!」

 

 半泣きになりつつ魔力結晶を頬張るヌルス。頭では不味いと理解していても制御ができない。

 

 生まれて初めてカツ丼を食べた学生のように夢中になって貪り続け、気が付けば手持ちの魔力結晶は全て彼女の胃の淵に消えてしまっていた。

 

「ぐぇっぷ……」

 

 満足そうに余剰魔力を小さく吐き出して、ヌルスはぽんぽん、とお腹を撫でさすって壁に寄りかかった。いつになく満たされた気分に自然と笑みが浮かぶ。

 

 ちなみに大量の魔力結晶を飲み込んだが、それらはすべて即座に魔力に返還されたらしく、お腹がぽっこり、という事はないようである。アルテイシアの尊厳は守られた。

 

 そのまましばらくヌルスは満腹感を堪能し、ややあってから正気に返った。

 

 そして落ち込んだ。

 

「あ゛あ゛あ゛ぁああぁあ……」

 

 先ほどまでと違った意味合いで頭を抱えて突っ伏す。理由は言うまでもない。

 

「せ、せっかく、せっかく集めた魔力結晶が……ゼロ……ヌル……。ヌルスなだけに……ふ、ふはははは……あぅ」

 

 がっかりと肩を落とすヌルス。

 

 また集めればいいというものではない。アルテイシアの体を極力傷つけてはいけないという都合上、戦闘は必要最低限のものとしなければならない。遭遇戦のような不可抗力もあるなかで、彼女は必要なリスクをキチンと計算して行動してきた。

 

 何よりもアルテイシアの体を使っている手前、おまぬけな事をすれば彼女の名誉にかかわる。ヌルスはそのあたり、結構気にしていた。

 

 それが、今の一時の感情で全てパァになってしまったのである。落ち込みもする。

 

 杖に嵌め込んでいた魔力結晶まで食べてしまわなかったのは不幸中の幸いといえるが、単純に夢中で貪っていて忘れていただけでもある。

 

「ふふふふ……天才の体を使っていても中身は結局触手……一時の欲求にも耐えられないケダモノ……蔑めばいいさ……ふーふふふ……」

 

 ごめん寝のようなポーズで床に這いつくばりつつ、ブツブツと地獄の底から響いてくるような呪詛を吐き散らすヌルスだったが、しかしいつまでもそうしてはいられない。

 

「ふぅー……。いけないいけない、気持ちを切り替えよう。とにかく問題は解決したんだ、探索に戻るべきだ……」

 

 魔眼を発動し、周辺を見渡す。

 

 アルテイシアの魔眼で見る世界は、変わらず小川のように壁を魔力が流れ、その向こうに魔物の反応がちょこちょこと点在しているようだった。贅沢を言えばフロアガーディアンの小部屋の場所を探しつつ、適度に魔物との戦闘は避けつつ、できれば孤立している奴は狩って物資の補充を行いたいところだが……。

 

「壁の魔力がちょっと気になるが……これは、んん……?」

 

 首をかしげて反応を確認する。

 

 壁数枚を挟んだ先に、覚えのない魔力反応がある。

 

 魔物は基本的に、生き物の形をしているのはガワだけなので、魔力反応を見てもシルエットから大体何か判別できる。が、新たに確認した魔力反応は、強い点の光のようなもので形状が判別できない。また、その強い反応の近くに、小さな点のような無数の魔力反応がひと塊になっている。これは多分、魔力結晶の反応だ。

 

 となると……。

 

「冒険者か……? いかんな、思ったよりも晴れの日から日数が経過していたのか。7層まで人間が降りてくるとは」

 

 少し困った。追いつかれる前に先に進むつもりでいたが、早速計画変更だ。

 

 とはいえ、7層もなかなか手ごわい魔物が徘徊している。そうそう簡単に冒険者も先に進む事はできないと思うが……。

 

「……ふむ」

 

 魔力反応を確認できる以上、接触を避ける事は出来る。だが、どんな連中なのか、7層でどれぐらいやれそうなのか、見ておくのはそう悪い事ではないだろう。情報はそのまま力になる。

 

 ただ問題がある。

 

 相手がアルテイシアの事を知っていた場合、要らぬトラブルを招く事になる。今のヌルスは服装が違うし、髪の色も目の色も違うが、流石に当の本人を知っている相手を完全に誤魔化せるか、と言われると自信が無い。

 

 もう一手間ぐらいはかけた方がいいだろう。

 

 露骨に正体隠してます、というのは逆に怪しまれる。この場合は、髪型を大きく変えてしまうのがよいだろうか。あとは顔の輪郭を多少、おかしくない程度に隠せれば……。

 

「ふむ。確かいいものがあった」

 

 ヌルスはがさごそと外套の裏側を弄り、内ポケットに突っ込んでおいた装身具を取り出した。小さなベルトで髪を後ろでくくりポニーテイルにする。

 

 そのうえで外套の襟を立てて口元を隠す。もともとオーバーサイズだったので、折り目の位置を変えればそう違和感はないはずだ。

 

 自分でも杖の表面に顔を映して確認してみる。

 

「悪くはないな」

 

 誰だこれ、というほどではないが、元々眼鏡や三つ編みの印象が強いアルテイシアだ。ポニーテイルに赤紫の裸眼で、口元を隠せば雰囲気の違いもあって余程近しい人間でないと見抜けないのではないか、ぐらいにはなる。

 

 これで今来ている連中がその親しい人間だったらちょっと困るが、その可能性は低いだろう。アルテイシア達より1層ぶん以上先にいっているのなら、その分接触している時間は短いはずだ。

 

「よし。じゃあ、とっと顔を拝みに行くか」

 

 納得したヌルスは、こそこそと魔物を避けつつ冒険者達の下へ向かった。

 

 

 

 

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