望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~   作:SIS

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第百二十二話 肉の洞

 

 

「マジか」

 

 目の前にぽっかり空いた空間の入口を前に、ヌルスは途方に暮れたように呟いた。

 

 想定が大きくずれたから、ではない。

 

 むしろその逆。あまりにも、仮定の通りに話が転びすぎたからだ。

 

 彼女の目の前には、肉の壁にぽっかりと空いた空間への入口が広がっている。その向こう側はドーム状の空間になっており、その中央にぽっかりと穴が開いていた。穴はどこかに続いているようで、時折内臓のようにどくどくと脈動している。集中すると、繋がった向こう側に転移陣の魔力を感じる事ができた。

 

 間違いない、フロアガーディアンの小部屋だ。

 

「ものは試しでゴールについちゃったか……」

 

 おずおずと中を覗き込んでみるヌルスだが、すぐに頭をひっこめた。

 

 話が確かなら、そろそろこのあたりから撤退禁止になってくるはずだ。迂闊に踏み込むのはよろしくない。

 

「……見た所、ボスと戦うのはこの広間じゃなくて、あの先か?」

 

 どこかへ繋がっているらしい内臓的な穴に目を向ける。転移陣が小部屋にない事からもほぼ確定だが、ちょっと入るのは嫌すぎる。

 

 てっきり撤退禁止というのは、3層で直面したように何かで入口が塞がれるものだと考えていたが……。

 

「行きは用意しているけど戻る手段がない、という奴かな。いやでもこれだと、8層以降は地上に戻る手段が無くなるんじゃ……」

 

 それだと迷宮内で必要な物資が補充できない人間は詰むのではないだろうか。一応、ボスを倒すと帰りの手段が開通するとか、いろいろ考えられはする。一応、撤退不可能なのはボス戦だけであって、階層を引き返せなくなる、という話は聞いた事も読んだ事もない。

 

 いやまあそもそも、迷宮が人間にそこまで気を遣う理由も必然性も存在しないので、不思議な話ではあるのだが。

 

「ふぅむ」

 

 とにかく、目的の場所にはたどり着いた。あとは、フロアガーディアンを倒して次の階層に向かうべきなのだが……。

 

 問題は、そう。

 

 今の彼女で、フロアガーディアンを倒せるか、という話である。

 

「無理だな」

 

 考えるまでもなく即決。自らの手札を数えるまでも無い。

 

 今のヌルスは、基本的な魔術と体術しか使えない。アルテイシアの肉体のスペックもあってか、魔術の威力そのものは上昇しているが、あくまで体が融合しているだけのヌルスにはアルテイシアの知識は共有されていないのだ。

 

 そして基本的な魔術による戦闘力は、6層あたりの時点で頭打ちになっている。それを越えるために、ヌルスは歪みの魔術を使う、という選択肢を選んだ訳だが……。

 

「杖は木っ端微塵になってしまったからなあ。アルテイシアの肉体を傷つけてはいけない以上、D・レイですら使えるかどうか。仮に使えても、そろそろ威力不足だろう」

 

 一応、威力や対応力を補うために二重詠唱等の小技を覚えたが、あれだって肉体に尋常ではない負担がかかる。始原の魔力ではないから治癒不能な傷ではないとはいえ、アルテイシアの肉体を傷つける前提など言語道断。

 

 しかし、戦力不足なのも事実な訳で……。

 

「……ぬぅん。ちょっと考えるか……」

 

 悩んでもそう簡単に答えは出ない。ヌルスは落ち着いて考えを纏めようと、安全地帯を探してフロアガーディアンの部屋に背を向けた。

 

 

 

 

 

 そして、結局。

 

 ヌルスは例の、怪しげな研究室へと戻ってきていた。

 

「結局ここしかないかあ」

 

 出ていった時と変わりない室内を見渡して溜息をつく。彼女とて、ここが本当に安全地帯だとは思っていない。以前の隠れ家と違って、この研究室には不穏な感じがする。あの異様な視線についても答えは出ていない。

 

 だが、背に腹は代えられないというのか。7層は全体的にまんべんなく魔物の姿があり、落ち着いて休憩できるような空白地帯は存在していなかった。そういった冒険者が安らげるような場所を用意してくれるのは、4層でおしまい、という事なのだろう。まあそれでも複数人でパーティーを組めば、見張りを交代しつつ休息する事はできる。しかし、ソロであるヌルスにはそれもできない。

 

 故に、普段は肉壁で封鎖されており物理的に魔物が入ってこれないこの研究室しか、彼女が落ち着ける場所は存在しないのだ。

 

「まあ、念のため、と」

 

 部屋に残していった血まみれの制服を、気になっていた部屋の隅の水晶玉に覆いかぶせる。あの時感じた妙な気配、関連性があるとしたらこれだからだ。布を被せたぐらいでどうこうなるとは思わないが、何もしないよりはましだろう。

 

「さて……」

 

 落ち着いた所で、ローブを脱いで棚に仕舞い、その下に来ていた衣服を締め付けるベルトをいくつか緩める。

 

「ふぅ、仕方ないとはいえずっと締め付けられてる感じがするのはなかなか窮屈だな。……跡とかのこってないよね?」

 

 リラックスすると、本日の戦利品から一つ魔力結晶を拝借。口に含んだ結晶をコロコロと転がしつつ、ヌルスは椅子に腰かけて目を閉じた。

 

 魔力結晶は変わらず甘露のように味覚に響く。一しきり味わった所でごくりと飲み込み、無意識なうちに次の結晶にむけて伸びようとする触手をペチンとはたいた。

 

 さっきと同じ事を繰り返すわけにはいかない。

 

 それに今は、フロアガーディアン戦の事を考えなければならない。

 

「……やはり、どう考えても歪みの魔術無しでの突破は不可能だ」

 

 結論は一緒。もうこれは認めるしかない。

 

 であるならば、それをどこまで許容するか。そしていかにアルテイシアの体を傷つけずに運用するかが課題になってくる。

 

「ワープ・ボルトの威力であれば並大抵の強敵は一撃だ。魔力耐性とか関係なしなのは、マンティコア戦や白金野郎ではっきりしている。が、同時にあれを使うと以前の私でも普通に死ぬ。やはり、D・レイの方を使うのがいいだろう。威力の低さは、手数で補えばいい。問題は、それをどう連射するか、だけど」

 

 右手に目を向けながら、にゅるり、と触手を伸ばす。

 

 この触手、無造作に生えてきているようで、生えてくる場所がどうやら決まっている。アルテイシアの損壊した肉体を、魔物の肉体で補填したからだろうか。見た所、傷があった場所から生えてきているようだ。

 

 その事で何か制限がかかるかというと別にそうではない。ヌルスの思っていたよりもアルテイシアの体はボロボロだったようで、不便は今の所感じていない。

 

 大事なのはこの触手をどう使うかだ。触手が魔術の反動への緩衝材になるのはすでに証明された事実であるが……。

 

「腕で杖を持つんじゃなくて、触手で杖を握って魔術発動させたらどうにかならないかな。いやでも、その場合毎回杖を投げ捨てる事になるし、そもそも始原の魔力が本体というかアルテイシアの体を流れるのは変わらないしなあ。アルテイシア本人だったら制御できるかもしれないけど、私にできるかどうか。試してみたけど駄目でしたー、は通らないし……うーん」

 

 触手から黒い粘液を分泌し、それを指先にちょんとつける。机の上に落書きのように、思いついた単語を書き並べて矢印で繋げ、考えを纏める。

 

「魔術の基本。触媒から魔力を引き出し、それを人体を通して魔術回路に流して現象を発動させる。人体は魔力の抵抗というか、適切に調整する為に機能するけど、始原の魔力はその肉体をずたずたに引き裂いてしまう。だから緩衝材で調整する必要があるけど、現時点で完璧な緩衝材はない……」

 

 さらさらと書き終えると、彼女は指先の汚れを拭い、うーん、と腕を組んで頭を捻った。

 

「せめて、ぶっ壊れた杖の簡易儀式場? っての、もう少しアルテイシアから聞けてればなあ。いやでも本人もあんまり詳しくないようだったし……ぬーん。んー。もうちょっと纏めてみるか。今の私、少し理屈が違うし」

 

 再びさらさら。

 

「今の私はスクロールの補給が望めないから、触手で魔術回路を模してる訳だから……ある意味では触媒と魔術回路が直結してるんだよな。問題ありそうな気もするけど、まあ使ってる魔術がそんなに高度じゃないからか、今の所は問題なし。んで、人間じゃない事をうまく生かせば二連詠唱や多重詠唱も出来る。これは本体にも負担がデカいけどな」

 

 机の上にぐりぐりと黒い粘液で図を描いていく。が、どうにも絵が下手というか、書き足した多重詠唱の図がつぶれてしまった。

 

「あ、やべ」

 

 慌てて乾く前に拭き取ろうとするヌルス。机の上を横着にも袖で拭い、そこでふと、彼女は動きを止めた。

 

 机の上の図は、ワイパーのように端から拭き取り、ちょうど人の図だけが消えて、そこからにょろりと生えた触手回路だけが残っている。それを見て、閃くものがあった。

 

「……もしか、して」

 

 6層のフロアガーディアン戦での戦いを思い出す。あの時、ヌルスは四つの術式を同時運用した訳だが、この時のヌルスは進化前で触手は本数こそ多いものの単機能しか持ち合わせていなかった。触媒を持つ触手、詠唱する触手、回路を構成する触手、全てバラバラでそれはヌルス本体を通じて繋がっていた。だからフィードバックも纏めて本体に跳ね返ってきて死にかけた。

 

 だが今は違う。今のヌルスの触手は、多機能に分岐する事ができる。ただの一本の触手ではなく、そこから枝分かれして様々な機能を発揮する事が出来る。であるならば……。

 

 例えば。

 

 例えば、一本の触手で触媒の保持・術式の詠唱・回路の構成全てを完結させる事ができたなら、フィードバックが本体に影響を与える事はないのではないか?

 

「……ただの思い付きと切り捨てるには惜しいな。さっそく試してみよう」

 

 思いついたが吉日。

 

 ヌルスは椅子から立ち上がるとベルトを再びきゅっ、と締めた。

 

 

 

「……いたいた」

 

 魔眼で周囲を確認しつつ、ヌルスは慎重に通路から様子を伺った。

 

 彼女から少し離れた場所に、一匹のスライムが部屋の真ん中でじっとしている。

 

 周辺に他の魔物の姿はない。

 

 仕掛けるなら今だ。

 

 本来ならば魔物相手の実証は、やる事を一通りやってからの最後にするのだが、残念ながらその練習を安全に行えるスペースが7層にはない。この階層の魔物は索敵範囲が広く、どうしても遭遇戦を避けられない。それならば、最初から排除するつもりでかかった方が結果的には長く安全を確保できる。

 

「このあたり4層みたいに派手に爆発とか起こしても目立たない場所、無いからなあ」

 

 正確には4層が無駄に広かったともいうのだが。この、生物の体内を思わせる迷宮はさほど広くもなく、必要以上に魔術を使えば魔物を呼び寄せてしまう危険がある。

 

 それだったら、こちらから魔物に殴り掛かればいい、というのは乱暴ではあるが、理にかなった考えかもしれない。

 

「さてさて、上手くいくかな?」

 

 懐から赤い魔力結晶を取り出す。袖から背後からにゅるり、と伸びてきた触手がそれをひょいと摘まみ上げると、そのまま複雑に分岐を始めた。

 

 精神を集中させて変異をコントロールする。魔力触媒をしっかりつかんだまま、その魔力の流れの進路上に魔術回路を構築。発声器官は依然と同じ摩擦式。オーバーフローした魔力が本体に流れる事も考慮して、構造は循環式に。

 

 そうして出来上がったのは、木の葉のような、翼のような形状の触手の塊だ。人によっては綺麗とも、悍ましいとも、評価が真っ二つに分かれそうである。

 

 いきなり歪みの魔術は試さない。まずは普通の魔術を唱えて、耐久性や魔力の流れを確認する。

 

「いくぞ……」

 

 目を閉じて触手のコントロールに集中するヌルス。その背中に生えた触手翼が、主人の念に応じて細かく震えた。これは単なる偶然だが、その様子はヌルスがかつて呪文詠唱の参考にした虫のさざめく様にとてもよく似ていた。

 

 鈴が鳴るような声色で、始まりの言葉が奏でられる。

 

『α γ β』

 

 ぼぅ、と赤い光が虚空に生じた。

 

 

 

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