望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~ 作:SIS
展開した触手翼が、独立して魔術を展開する。
その魔力の流れを観察しながら、ヌルスはとりあえず第一段階はクリアだな、と魔眼を輝かせながら頷いた。
触媒も魔術も通常の炎属性だが、アルテイシアの魔眼をもってすればその流れは手に取るように分かる。触手翼に埋め込まれた触媒から魔力が引き出され、それはすぐに隣接する魔術回路へと流れ込んでいる。その一連の魔力の流れは翼の内部で完結しており、ヌルス本体には全く流入していない。ちなみに触媒が発する熱は、不燃性・不凍性・絶縁性の高い粘液を分泌する事でフォローしている。まあ熱いのは変わらないが、おかげで火傷するほどではない。以前は出せなかった、あまりにも都合がよい粘液だが気が付いたら分泌できるようになっていた。6層ボス戦でランクアップした影響だろうか。
反動が生じるほど強い魔力を扱えばどうなるかは分からないが、最初の仮説は実証された。
問題なく魔術が展開され、空中に炎の魔力が収束する。
一方、標的となったスライムはすでにこの時点で異変を察知したようだ。もぞもぞと蠢き、何かを警戒するような仕草を見せる。直後に、何の前触れもなく、その体表からいくつもの刃のように変異した質量がヌルスめがけて投射された。その代わりに、本体はファイアボルトで壁まで吹っ飛ばされたのだが。
「おっと」
軽く身を逸らして攻撃を回避するヌルス。外れた刃はガィン、と壁に突き刺さると、しばらくするとぐにゃりと形を失って液体にもどり、直後灰になって消滅した。
「ふむふむ?」
見た所、ファイアボルト一撃では活動停止まで至らなかったようだ。ヌルス本人が唱えるよりも威力が低いと見るべきか。その理由がどこにあるのかは気になる所だが、それよりは触手翼の実証が先である。
今の一撃の反動で術式回路や触媒を掴む触手に損傷は見られない。
「ふむ。威力が低いのは気になるが、理屈としては正しいのが証明された訳かな。……ん?」
スライムにとどめを刺すべく再び魔術を発動させようとしたヌルスは、しかし高速で接近してくる魔力を感じ取って眉を顰める。振り返ると、背後の通路の奥からこちらへ走ってくる見慣れた姿。長蟲だ。
「魔力反応を感知された? おかしいな、これまでそんな事はなかったのに」
一応、相手も魔力の流れが見えるらしいのだから理屈は通らない訳ではない。が、これまで7層で活動している間、そういった現象は見られなかった。
魔術翼を使った事に何か関係があるのだろうか。現時点でははっきりとしないが、何か通常の魔術行使とは違う点があるのかもしれない。
何はともあれ、今は魔物の処理が最優先だ。それに実験を次の段階に進めるにあたって、この展開はむしろ都合がよい。
にゅるり、とヌルスの背中かもう一枚、触手翼が展開される。嵌め込まれている魔力結晶は今度は黄色。
「理論上では二種類同時発動もできるはずだ。二連詠唱や同時詠唱は本体にかかるフィードバックが乗算的に増加するが、これらの魔術回路が完全に独立しているならそうはならないはずだ」
それでも少し躊躇いがある。第一段階では本体に負担はまるでなかったが、もし思った通りにいかなかったらアルテイシアの肉体を悪戯に傷つけてしまう事になる。
彼女は願うような気持ちで魔術を発動させた。
『『α γ β』』
全く同時に、二つの異なる属性の魔術が発動する。ファイアボルトはスライムにトドメを刺し、ライトニングボルトは長蟲に寸前で回避された物の電撃の性質によって周辺に帯電、長蟲の足を痺れさせた。縺れたように長蟲が動きを乱し、その場で体を捩じるようにしてひっくりかえった。
「……ふむ」
胸元を押さえるようにして、ヌルスは体調を確認する。
違和感は、ない。どうやら完全にそれぞれの術式は独立しているようだ。魔術翼も、過剰なフィードバックを受けて破損した様子はなく、まだまだ呪文を詠唱できそうだ。
「なるほど」
第三段階。
同時に、何枚まで翼を出せるか。事前に試した感じでは、それぞれの触手翼の形状を維持できるのは、四枚が限界だった。それ以上出すと彼女といえど処理能力が追い付かなくなり、それぞれの翼の形が崩れて回路を維持できなくなる。以前6層のボスを仕留めた多重二連詠唱も四つまでだったし、恐らくヌルスという知性の限界が四つなのだろう。
にゅるにゅる、と触手が背中から伸び、合計四枚の翼が広げられる。ヌルス本人がアルテイシアのそれを引き継いだ美女であるため、その背中から異形の翼が広げられる様は美しくも悍ましい。正直言うと邪教の宗教画のような姿である、間違っても天使とかのそれではない。
新たに展開した翼はそれぞれ水と、風の属性だ。あと一枚だせれば5属性コンプリートだったのだが、まあそれは彼女自身で担えばいいだろう。
いや別にコンプリートしたところで恩恵はないのだが。
「とりあえず、展開に問題はない。あとは実用に耐えうるか、だが……」
長蟲が電撃から復帰しつつある様子を見て、全ての翼に魔術発動を命じる。
複数の詠唱が重なり合って、つんざめく不協和音を奏でた。あ、やべ、とヌルスが失敗を悟る。
術式詠唱はあくまで魔術回路を起動させるためのキーワードだ。正しく発音せねば、魔術回路は起動しない。これまで複数の魔術を詠唱した時はこんな事にはならなかったのだが、本体を通さず展開した魔術翼の中で全ての要素を完結させているという違いが何か悪さをしたのだろうか。複数の詠唱が共鳴し合って、意味不明な雑音になってしまった。
一度魔術を詠唱すると、それが失敗であっても即座には再発動できない。ほんの僅か数秒のクールタイムだが、長蟲が攻撃姿勢を取るには十分すぎる隙だ。
「くっ!」
壁際を走って助走をつけた長蟲が、鋭い牙をヌルスに向かって突き出してくる。その一撃を横に飛んで回避するヌルス。
長蟲の突進は、牙も厄介だが長い体も危険だ。ギリギリで牙を回避しても、その後に続く長い体にひっかけられると、そのまま巻き付かれたり押し倒されたりする恐れがある。大きく跳躍して十分な距離を取った代わりに、とっさの事で綺麗に受け身が取れなかったヌルスはごろごろと床に転がった。銀色の髪をほつれさせて身を起こす視界の端で、急旋回した長蟲が再びこちらに向かってくるのがちらりと見えた。
「ま、ずっ」
位置が良くない。
入口から横っ飛びに飛んだ事で、今ヌルスは部屋の角にいる。背後と右側は壁に塞がれ、正面は長蟲の体が横切り、左側からは戻ってくる長蟲の頭。逃げ場がない。
迎撃するほかはない。
二枚の魔術翼を震わせて、炎と雷を放つ。が、それを長蟲はひらり、ひらりと体を捩って華麗に回避した。先ほどの轍は踏まないと言わんばかりに、雷の帯電を避ける徹底ぶりだ。
思ったよりも遥かに適応が早い。変に魔術を見せると、6層とは段違いの学習速度で対応される。
やむを得ない、格闘戦で仕留める。そう判断し邪魔な触手翼をしまおうとしたヌルスだが、ふとある閃きが頭に過ぎった。
「……試してみるか」
敢えて触手翼四枚を展開したまま、機を伺う。
一方、迎撃を回避した長蟲は一度体をもたげるように折り曲げて、それをバネにして一気に突撃してくる。正面から受ければ勢いと質量の差でそのまま吹き飛ばされる。これを白兵戦で迎撃するなら、シビアなタイミングを見計らって頭部を正面以外の角度から蹴り飛ばす必要があるが……。
「……!」
四枚の翼の内、風の魔力結晶を備えた触手翼。その術式回路をその場で素早く汲み上げ発動するのは、ミストの魔術。
ウィンドミスト。
吹き荒れた強風を翼で受け止めて、ヌルスが跳躍した。一瞬にして、迫ってくる長蟲と距離を詰める。その相対速度は、もはや人間の反応できる域を越えている。
あわや激突する、その瞬間にヌルスは再び翼を動かした。急制動によって、その体が横にずれつつ減速する。瞬間的な挙動に彼女の姿を見失い直進するだけの長蟲の頭を、ヌルスは横合いから思い切りつま先で蹴り飛ばした。
厚手の革靴、それも底に鉄板が仕込まれたブーツの一撃。カモシカのような美脚から繰り出された刃物のようなローリングソバット。その直撃を受けた長蟲は直角に突進コースを強制的に変更させられ、自らの突進の勢いそのままに壁へと激突した。
一方、ヌルスは空中でクルクルと回って蹴りの反動を殺しつつ、ふわり、と地面に着地する。ばさり、と触手翼が一度はためき、小さく背中に納まった。
「……ふぅ」
額に浮いた汗をぬぐい、乱れた髪を払うヌルス。
咄嗟の思いつきだったがうまくいった。風魔法を使った機動制御は以前にも行ったが、ただ自分の体を吹き飛ばした6層の戦いと違い、今回は触手翼を用いたエアブレーキも併用した機動だ。
特にそういうつもりで翼っぽい形にまとめた訳ではなかったのだが、結果的には上手くいったし、戦い方のバリエーションを増やす事も出来たと言える。
「ふぅ。アルテイシアの体に不細工な触手をはやしまくるのはどうよ、と思ってのデザインだったが、結果的に吉だったな。こんな使い方は想定していなかった」
四つ同時の魔術発動は失敗したが、思わぬ発見である。これも失敗は成功の母、という奴か。
それはともかく、本来の目的である四つの触手翼の同時発動は難しそうだ。壁につっこんで気絶したように動きを止めている長蟲を仕留めるべく再び同時詠唱を行おうとするが、変に詠唱が重なってしまって不協和音になるのは変わらない。
なんていうか、上手く調整できない。以前触手だった頃は4つの術式をバラバラに問題なく運用できていたのだが……本体という抵抗値が無いため、魔力量やタイミングの調整が出来ないのが問題なのだろうか。
「二つなら問題なく行けるんだよな。……ふむ」
仕方なく、炎の魔術のみを用いて長蟲にトドメを刺す。
頭を吹き飛ばされて灰に還る長蟲の残骸から魔力結晶を拾い上げつつ、ヌルスは腕を組んで考察に没頭した。
「出せるのは四枚、同時に使えるのは二枚。となると、攻撃用に二枚使って、もう二枚は完全に風魔術に特化させて機動補助にするべきか? 基本的に攻撃と防御は同時に行わない訳だし。そうなると、他にも補助魔術が使えたらいいんだが……ふむ」
想定した通りには行かなかったとはいえ、戦術のバリエーションそのものが増えたのは僥倖とみるべきか。
一通り考えをまとめたヌルスはそこで考察を打ち切った。
まだ、やる事が一つ、残っている。
「周辺に魔物の姿はなし。もうしばらく、このあたりは安全だ。……となると、今、やっておくべきだな」
手にした魔力結晶を軽く頭の上に掲げてみる。
その結晶の色は、紫色だった。