望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~   作:SIS

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第百二十六話 歪みの極点

 

 再び放たれる地竜の掃射。黒い豪雨のような死の雨に、しかしヌルスは逃げるのではなく自ら飛び込んでいった。

 

 破れかぶれになった訳ではない。

 

 見る限り、地竜の牙棘は再生が追いついておらずその数は半分ほど。それでも無策で飛び込んで無傷を祈るにはいささか確率が低すぎるが、視えてさえいれば掻い潜るのは不可能ではない。

 

 勿論いうほど容易い事ではないが、ヌルスには魔眼がある。

 

 魔力を視るアルテイシアの目。忘れてはいけないが、魔物はそもそも生物ではなく、実体と見まがうほどの密度を持った魔術式に過ぎない。地竜の巨体も、放たれた牙槍も、全て魔力によって構成された紛い物の質量。どんなに暗くとも、アルテイシアの魔眼にはその秘める魔力の輝きが、眩いほどの輝きとして目に映る。

 

 それを見落とすはずがない。

 

 ざあ、と風鳴りの音を立てて牙槍の嵐が通り過ぎる。背後で天井に突き立つ黒い雨に目もくれず、ヌルスは触手翼を大きく展開した。

 

 眼前には、牙槍を放って大きく開いたままの地竜の顎。この距離、このサイズなら、感覚を閉じていても当てられる。

 

 今がD・レイを撃ちこむ絶好のチャンス。

 

 懐から魔力結晶を取り出して放り、背中から展開した触手でキャッチする。

 

「もらった……!」

 

 全身全霊を込めて歪みの魔術を放とうとした、まさにその瞬間。ちりり、と視界の端で煌めきが映った。展開したままの魔眼の視界の中、明らかに意図をもって魔力が収束したのが見える。

 

 本能的に危険を察知し、ヌルスは咄嗟に身を捻った。

 

 瞬間。

 

 横から殴りつけるような衝撃に、華奢な躰が空中で跳ね飛ばされる。右手に握っていた杖をその拍子に取り落とすヌルス。

 

「あっ、ぐ……っ!?」

 

 空中で制御を失い、錐揉み回転しながら落下しつつも、状況を何とか確認する。

 

 ……左肩に、黒い棘のようなものが生えている。それが多少サイズが小さいものの、地竜の牙槍と同じものだと理解した途端、耐えがたい激痛がヌルスを襲った。あまりの痛みに体が軋み、息が出来なくなる。

 

「ぐ、ぅ!?」

 

 このまま墜落するのは不味い。触手翼を動かして何とか空気抵抗を調整しようとするが、その反応が無い。視れば、根本から千切れた触手翼が手の届きそうな場所で同じように落下しているのが視えた。

 

 その向こうに、地竜の体が見える。肉塊を思わせる巨大で太い胴体。それに、毒毛虫を思わせる黒い毛のようなものが生えていた。あんなものは、先ほどまでなかった。

 

 胴体に、大きく感覚を空けて点々と生える黒い剛毛。ややあって、それが今アルテイシアの体に突き刺さっている棘と同質のものであるという事にヌルスは気が付いた。

 

 失敗した。

 

 あの棘は、口だけにしかない訳ではなかったのだ。

 

「く、そぉ……!」

 

 棘の突き刺さった左肩を押さえながら、ヌルスは地竜を睨みつける。

 

 だが巨大な怪物は窮鼠の一睨みなど一顧だにせず、落下するヌルスを大口をあけて待ち受けていた。このまま丸呑みするつもりだ。

 

 以前に巨大イレギュラー魔物に飲み込まれた時はあまりのサイズ差に内部で生存できたが、この怪物は大きいと言ってもそこまでではない。また咥内には無数の牙槍が再び生えてきており、丸のみの前にそれによって串刺しになるのは明白だ。

 

 生き残るすべはない。

 

 死は、恐ろしくはない。ヌルスなる魔物は既に死んだも同じ。

 

 だが、この体は。アルテイシアだけは、断じて死なせるわけには行かない。

 

「あああぁ……!! アルテイシア……は、断じて!」

 

 全身全霊、一念をこめて魔力結晶を手にする。相打ちでもなんでも、このまま終わる訳にはいかない。効く効かないではない、やるしかないのだ。

 

 そんなヌルスの悲壮な決意を嘲笑うように、絶望的な死の棘が林立する顎が間近に迫り……。

 

 しかし。

 

 一つの詠唱が、両者の間に割り込んだ。

 

 

 

『α γ β』

 

 

 

 ギュワン、と紫色の魔力が迸る。

 

 空間を歪ませ、紫電を生じる魔弾の一撃が、巨大な地竜の下顎をとらえた。

 

 物理的強度を無視して空間ごと歪曲する破滅の一撃。迸る雷鳴が歪みを叩き割り、巨竜の牙を砕き散らした。

 

『G R R R !?』

 

 下顎の三分の一近くを失って、激痛に地竜が苦悶の叫びをあげる。今まさに顎に捕らえられんとしていたヌルスの躰は、粉砕された欠落を潜り抜けるようにして死の抱擁を逃れ、ぶよぶよとした地竜の肌に落下した。

 

「あれ、は……」

 

 そして見た。

 

 自分より少し頭上。空中で漂ったまま、灰へと還っていく己の翼。

 

 千切れたはずの触手翼。D・レイの発動を命じていたはずのそれが、ヌルス本体の命令も無しにワープ・ボルトを放ち、その反動で灰へと還っていく様を。

 

「……あ……」

 

 何故。どうして。

 

 その疑問が浮かぶよりも早く、ヌルスは全てを理解した。

 

 他ならぬ彼女自身が告げた事だ。

 

 “我が分身”。

 

「そうか。……そうだよな。お前も、私だものな」

 

 訝しむ必要はない。ただ、深い納得だけがある。

 

 この肉体の意思決定権はヌルスにある。だが、ヌルスは本来触手型魔物であり、伸ばした触手達も、またヌルスだ。そもそも本体と呼べる存在は、アルテイシアに全てを捧げた時に消滅した。そういう意味では、アルテイシアに宿るヌルスの意思も分体に過ぎない。

 

 勿論、触手翼のような分化した一部に高度な思考能力は残っていないだろう。知性の大幅に劣化した曖昧な状態で、辛うじて本体の指示を理解するのが限界のはず。そんな存在でも、ただ一つ、はっきりとしていた事があっただけ。

 

 アルテイシアを救う。

 

 あの千切れた触手は、その至上命題、命よりも重い使命を、ただ愚直に実行した。それだけなのだ。

 

「……そうだな。私も、お前と同じだ。アルテイシアだけは、必ず助ける……! どんな代償を払っても、どれだけ自分を貶めても、彼女だけは」

 

 苦痛に悶え暴れる地竜の体から離脱する。後を追うように体毛が射出されるが、その狙いはあやふやだ。何なく回避し地に降り立ったヌルスは、地竜からある程度の距離を取ると振り返った。

 

 逃げはしない。ここで勝負を決める。

 

 懐から残りの魔力結晶を全て取り出す。偶然にも、怪しく輝く紫の宝石の数は、ちょうど4つだった。これで心置きなく全てを出し尽くせる。

 

「分身たちよ!」

 

 背中から触手を伸ばし、魔力結晶を手渡す。しかしそれを魔力翼として展開するのではなく、ヌルスは触手を鋭く円錐状にキリキリと搾り上げた。

 

 それらを、一斉に射出する。地竜を中心に、四方を囲むように分身達を配置。触手達は衝撃で灰になる事はなく、突き刺さった先で魔術回路を構築する。消滅するまであと数秒といった所だが、大丈夫。事足りる。

 

 一度体から切り離してしまった触手は制御ができないが、その必要はもう、ない。たった一つの強い意志を固めたそれらに、もはや細かい指示は不要だ。

 

 配備完了した触手達がぎょろりと目を見開く。それらは地竜を見て、そしてヌルスを……傷ついたアルテイシアの体を見た。

 

 見開かれた目が、紫色に血走った。

 

 目は口ほどに物を言う。それだけで、全ての意思は統一された。

 

 あとは、タイミングを合わせるだけ。

 

「アルテイシアの為に……」

 

『G R A A A A!!』

 

 地竜が、怒りに雄たけびを上げながら首を持ち上げた。もはや強者の威厳や余裕もなく、残された上顎の牙をむきだすのは手負いの獣のそれだ。瞬きののちに、その巨体はちっぽけなヌルスを叩き潰す。

 

 だが、一手遅い。

 

 それよりも先に、ヌルスの号令が分身達に飛んだ。

 

「私達よ、死ね!!」

 

『『『『α γ β』』』』

 

 一斉に、全く同時、寸分のズレもなく分身達が呪文を謳った。距離があるせいか、以前のように呪文同士が干渉して不発に終わることはない。

 

 紫色の魔力が迸り、地竜を取り囲む檻のように光の柱が立ち昇る。それは奇しくも、かつてアルテイシアが放った金属魔術、スティール・トーテムの発動によく似ていた。

 

 前後左右から、全く同時に歪みの魔術が放たれる。地竜はそれに気が付いたが、どう対応するべきかに一瞬迷い、それで全ては終わっていた。

 

 地竜の頭部に、魔弾が炸裂する。紫色の閃光と共に、空間が始原の魔力によって捻じ曲げられていく。

 

 この時、本来ならばあり得ない事が起きた。

 

 一点に集中するのは、完全に同期した、全く同一の術者による同じ波長の魔力。

 

 魔力の由来となる触媒はバラバラなので厳密には完璧に一致という訳ではないが、肉体という抵抗を経る事でその差異は調整される。

 

 人間であるならば、同じ人間は二人といない為、まず起こる筈がない特殊な条件。それを満たした結果、何が起きたか。

 

 着弾地点で、四発の魔弾が融合する。それによって、本来ヌルスに、いや、この世に存在しうる魂が扱いきれる量を遥かに越えた歪みの力が、一点で解放された。

 

 世界が、裏返る。

 

 これまでのように、空間が捻じ曲がる、というレベルではない。着弾地点を中心に、滝つぼのように、穴の開いた湖のように、空間が“向こう側”へと沈み込んでいく。巨大な巨竜の体もその虚空に呑まれ、周囲の空間も引きずり込まれるように形を変えていく。

 

「ま……不味い!!」

 

 それを目の当たりにしたヌルスは、慌てて背を向けて走り出した。一刻も早く爆心地点から距離を取ろうと全力疾走する。だが、一向に距離が開かない。

 

 確かに、棘の一撃を受けた体は全力には程遠く、ヌルスの思うような速度は出ていない。それでも、アルテイシアの肉体の性能で全力疾走して少しも前に進まないという事はありえない。

 

 空間そのものが、あの虚無に引き寄せられている。ヌルスが走るのと同じ勢いで空間が縮小し、部屋の壁が向こうから迫ってくる。

 

「あ、ああ……?!」

 

 まさかこのまま、逃げる場所も失い部屋ごと吸い込まれて終わりなのか。ヌルスの顔に深い絶望が過ぎった時、ぴたり、と空間の縮小がやんだ。

 

 同時に、背後で膨れ上がる膨大な魔力。

 

 空間ごと圧縮された迷宮の魔力が爆発を起こす前触れだ。

 

 咄嗟に理解したヌルスは、残された魔力を振り絞って触手を出せるだけだし、自らの体を包み込んだ。

 

 直後。

 

 虚無の穴が崩壊し空間が元に戻ると同時に、圧縮された魔力が解放。大爆発となって広間を薙ぎ払った。その爆風の中、触手の塊は吹き飛ばされ跳ね飛ばされ、壁面に叩きつけられて動かなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブツリ、と映像が途絶える。

 

 真っ黒に染まった魔導球を前に、ソレは深く満足気に頷いた。

 

 良いものを見た。よもや、あのような現象がありうるとは。

 

 まだまだ魔術の深淵は深くそこが知れず、ソレですら真理には遥か遠く及ばないという事を改めて理解する事ができた。その事実に比べれば、三体の執行者のうち一体を失った事など、些事でしかない。

 

「トハ言エ、地竜ガ滅ボサレルトハナ」

 

 冒険者の最深部到達を阻止する為に配備した三体の超越級魔獣。ワーム・オブ・グレイテストワンはその中でも、圧倒的な巨体からくる耐久力と攻撃力に特化した魔獣だ。おおよそ、剣士や戦士といった冒険者の一般的な近接装備で対処できる規模ではなく、表向きさほど高難度ではないように見せかけているエトヴァゼルにやってくる冒険者のレベルでは、遭遇そのものが冒険の終わりを意味する怪物、そのはずだった。

 

 しかし、それは倒された。

 

 今だ以て正体のはっきりとしない、麗しくも悍ましき女魔術師の手によって。

 

 一体何故彼女が歪みの魔術を扱う事が出来るかは分からない。肉体と融合している魔物もどういう事なのか、てんで想像もつかない。

 

 この世の多くを理解したつもりでいたソレにとって、彼女の存在はいっそ愉快ですらあった。

 

「アア、世界ハ甘美ナ秘密ニ満チテイル……! シカシ、少シ考エモノダナ。アレデハ何モ残ルマイ」

 

 途絶えた映像の先で起きていた事象を省みて、ソレは少し罪悪感を覚えた。

 

 大道芸にはおひねりが必要だ。だが、あの空間歪曲から発生した大爆発、地竜はドロップすら残さず完全に消し飛んでしまっただろうし、あの女には得る物など残されていない。持ちうる手札を全て使い切り千載一遇の勝機をつかみ取った代償がそれというのは、いくら何でもないのではないか。

 

「……ソウイエバ、チョウドヨイ物ガアッタナ。アレヲ報酬トスルカ」

 

 ふと、以前に作ったものの仕舞いこんでいた物の存在を思い出し、ソレは魔導球を片付けた。

 

 報酬としては十分なもののはずだ。渡し方は、8層の入口にでも箱に入れておいておけばいいだろう。

 

 そうと決まれば善は急げ、と言わんばかりにソレは準備を始めた。

 

 なお、爆発から彼女が生きているかどうかは、ソレは特に気にしてはいない。死んでいたら死んでいたで、それまでの話だ。

 

 

 

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