望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~   作:SIS

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第百二十八話 水晶回廊

 

 

 目の前に広がる魔力結晶の回廊。

 

 それを前に魅入っていたヌルスだが、彼女ははっと我に返ると杖を構えた。

 

 ひゅんひゅんと風を切って振り回した杖を手に、周囲に油断なく視線を向ける。

 

 ややあって、周辺に敵の存在が一切ない事を確認した彼女は、ふぅ、と息を吐いて臨戦態勢を解除した。

 

「ふぅ。目の前の光景に気を取られて安全確認を怠った、反省だな。しかし……どうしたもんかな」

 

 自省しつつ、8層の風景に目を向ける。

 

 確かに8層の有様は異常だが、今大事なのは何故、ではなく、それがヌルスに、アルテイシアに害をもたらすか、その一点だけである。

 

 そしてその視点で見れば、決して害ではない。むしろ、都合がよいとすらいえた。

 

「ふぅ……うまうま」

 

 深く深呼吸すると、大気に満ちている膨大な魔力が胸に染みわたってくる。その量と濃度は、そこそこの魔力結晶を口にした時と変わらない。事実、この階層に来るまでずっと覚えていた空腹感がすっかり収まっている。

 

「息を吸ってるだけでお腹が満ちるなら、不満はないな。むしろありがたい、やっきになって魔物を倒さないで済む」

 

 そういう事である。

 

 ヌルスの目的はあくまで、アルテイシアを外に出す為の手段を探す事だ。魔物と戦うのは脅威の排除と、食い扶持の維持の為である。そのうち片方が免除されるのはヌルスにとってとても有難い。無駄な戦闘を回避できれば、アルテイシアの体を傷つける可能性が減る。

 

 それにこの膨大な魔力結晶。この異様な光景には、何か理由がある筈だ。その秘密が、もしかするとヌルスの願いを叶えるきっかけになるかもしれない。

 

 息をするだけで生きていける環境。魔物が迷宮の外に出られないのは、その存在を維持する為の魔力と魔素の不足が原因らしい、というのは予想がついている。そこに、相関関係を見出すのは、決して突拍子な考えではないだろう。

 

 そう考えると、むしろこの展開は願ったりかなったりといえるのではないだろうか。

 

「……よし!」

 

 気合を入れなおして、ヌルスは8層の調査を開始した。

 

 まずは、周辺の地形の把握だ。敵の気配はないが、何があるのかよく調べておきたい。これまでになく前提が異常な階層だ、出入口周辺には何もないという前提も疑うべきだろう。

 

 まず、魔眼で周囲を見てみようとするが……。

 

「うぇっ。ま、まぶしくて何も見えない」

 

 まあ、当然である。魔力結晶は文字通り魔力の結晶体。魔力の流れを見る魔眼からすると、光そのものである。基本的には点と線で構成された魔眼の視界だが、この階層では真っ白に灼けて使い物にならない。視点を切り替えて目を瞬かせても、しばらくは白い残像が残って目がちかちかする。

 

「むぐぐ。この階層では魔眼には頼れないな。むしろ私が魔眼を使いこなせてなくて助かった、アルテイシア本人は眼鏡で制御しないと常時この視界だったらしいもんな。幸い、この階層は魔力結晶が発光してるんで明るいし……いや待てよなんで発光してるんだ? 普段光ってたっけ触媒?」

 

 うーん、と首を捻りつつも、その場でぐるぐる回って全周確認。

 

 背後には、飛び出した大きな結晶の柱のようなものに浮かび上がっている転移陣。うっすら反対側が透けてみる柱の向こうには、闇ではなくまだ足場が広がっており、何かまだあるようだ。気になったヌルスは柱を回り込んで確認しにいく。

 

 するとそこには。

 

「……なんだこれ?」

 

 そこには、小さな泉があった。人間が数人中に入れる程度の広さと深さのプールの真ん中に、魔力結晶の柱が生えている。その柱の上に、遥か頭上……天井と呼べる場所なのだろうが、闇の向こうに消えていてよく見えない……から水が滴り、泉に溜まっているようだ。水は途絶える事なく滴り続け、その結果、あふれ出した水がプールから染み出し、床に沿って回廊中に流れていくのが確認できる。

 

「……? もしかして……」

 

 ふと思いついて、ヌルスは指先をちゃぷん、とつけてみる。一見すると何の変哲もない水……だが、それに自然ではあり得ない濃度の魔力が含有されているのを感じ取って、彼女は顎に指をやって思考を巡らせた。

 

「大量の魔力を含んだ水……。もしかして、上の方から? 水っていうと3層と4層だけど……もしかして、迷宮の上の方から、魔力を水に溶かして運んできてるのか? 聞いた話だと迷宮の各階層は次元的に独立していて互いに影響を与えない、って話だけど、この迷宮、どうにもまともじゃないっぽいし……。8層が魔力結晶だらけなの、こうして運ばれてきた魔力が長い時間をかけて結晶化したから、とか……?」

 

 この際、この迷宮が発見されてからそんなに日がたってないらしい事は無視する。4層のイレギュラー魔物の事といい、そういった前提情報はここまでくると考察の邪魔だ。

 

「でもなんでそんな事を? 確か、魔力やら魔素やらが一定濃度を超えると汚染災害を引き起こすって話だったな。それを抑える為? 物質化しちゃえば、問題にならない……?」

 

 あらためて階層に目を向ける。これだけの魔力結晶、もし魔力に還元されればどんな災害を引き起こすか分かった物ではないが、物質化している事で現状安定化している。それがもし意図したものであれば、この迷宮の有り様には明確に何者かの意思が介在している事になる。

 

 だがそんな事がありえるのだろうか。

 

「…………」

 

 釈然としないものを感じながら、ヌルスはあらためて泉の周辺を調査する。

 

「……?」

 

 と、そこでまたしても妙な物を見つけた。

 

 泉の傍らに置かれた、茶色い箱状の物体。その質感は、迷宮の中ではあまりみない、ざらっとした繊維質なもの。

 

 木箱だ。

 

「ええ……?」

 

 困惑のあまりうめき声が漏れる。迷宮内部に木箱などという人造物があるはずもない。ましてや、そこかしこがキラキラと七色の光を帯びている水晶のような足場にあって、薄汚れた古い木箱はあまりにも情景にそぐわなかった。

 

 もしかして新手の魔物かと警戒し、槍の穂先でツンツンしてみるヌルス。鋭く尖った結晶の先がぷすぷすと刺さるが、木箱は動かない。

 

 槍を回転させて、石突の部分で蓋をこじ開けてみる。蓋の隙間に割り入れて、てこの原理で押し開く。鍵はかかってないようで案外簡単にガパン、と蓋は開ききり、反射的にヌルスは後方に飛び退って警戒した。

 

 何も。起きない。

 

 十分な時間、様子を伺ったヌルスは本当に危険はないらしい、と判断してゆっくりと木箱ににじり寄った。もし木箱から何かが飛び出してきても回避できるように、そーっと中を覗き込む。

 

 彼女が危惧していたような、危険を思わせる物は木箱の中には無かった。

 

 代わりに、衣服だろうか。黒い布のようなものが折りたたまれた状態で入っている。

 

「ふぅん?」

 

 それでもその下に何か入っている可能性はあるとして、警戒は解かない。槍を棒のように使って、中の衣服だけを取り出す。

 

 箱の中身は、見た所もう何もない。底を突いてみたが、二重底という事もないようだ。本当にただの箱だったようだ。警戒して損した、とまでは言わないが、過剰な心配だったかもしれない。

 

 代わりに、ヌルスは回収した服を床の上に広げてみた。

 

「……女物の服???」

 

 それは黒いドレスだった。妖艶な未亡人が、夜会で男を誘う為に着るような、上品でありながら蠱惑的な闇色のドレス(しかもヒールのついた靴までセット)。それにただの布ではなく、何やら魔力を帯びた布で作られているようだ。耐久性は恐らく、そこらの布の服はおろか革鎧にも勝るだろう。

 

 装飾と実用性を兼ね備えたバトルドレス。最上級冒険者の中には、こういった装備を好んで纏う物好きが居ない訳でもない。自分の実力と美貌に絶対の自信を持つ者が、修羅場にあっても己を輝かせるために纏うそれらの防具は、時に味方を限界をこえて鼓舞し、時に敵には恐怖と混乱をもたらすものだ。

 

 とはいえ、ヌルスは勿論そんな事は知らない。あくまで服は服である。ただ、品質が良いという事は彼女にも見て取れた。

 

「……ふむ。アルテイシアには似合いそうだな」

 

 自分の体を見下ろして、ぼそり。

 

 少なくとも、今のボロ布同然の佇まいよりははるかにマシだろう。問題は、肝心の肉体が泥やら何やらで汚れており、このままだとせっかくの新しいおべべが汚れてしまう事である。しかし都合の良い事に、すぐ隣にそれを解決できる設備がある。

 

 ヌルスがよく知っているのは迷宮の中で人間がどのように過ごしているかである。だが、それ以外の事を全く知らないという訳ではない。

 

「ええっと。確か、お湯で体を洗うんだっけな、人間って」

 

 槍は一旦、転移陣の刻まれた柱にたてかけておく。

 

 赤い結晶を懐から取り出し、触手で掴んで泉に沈める。ミストの魔術を唱えると、水面がボゴボゴと泡立ち、泉の水が波打った。

 

 指先を突っ込んで温度を確認。まだまだぬるいと判断してもう一度。

 

 それを繰り返し、やがてよさげな温度になったのを確認して触手をひきあげた。

 

 冷たい水を湛えていた泉は、今はちょっと熱めのお湯で満たされた銭湯と化していた。今も天井からは水が滴っている為、少し熱めに設定した。すぐに丁度良い具合になるだろうし、ぬるくなってきたらまた同じやり方であっためればいい。

 

「ふふん。なかなかいい具合、世が世なら世界一の銭湯を経営していたかもしれないな、私」

 

 ふんす、と満足気に鼻を鳴らし、ぼろぼろの衣服を千切るように脱いでいく。最後にまだ健在の下着を綺麗に畳んでドレスと一緒に木箱に移す。

 

 最後に後ろで束ねていた髪も解いた彼女は、少し汚れで固まりごわついている髪を手で梳いてほぐした。

 

 生まれたままの姿となった彼女は、泉の隣に膝をついて水面を覗き込んだ。

 

 無表情で白い肌の、赤紫の瞳。記憶にあるアルテイシアのそれと色以外は完璧に一致しているのに、どうにも見慣れない人物に見える。

 

 見慣れてしまう前に彼女へ返さないといけない、頭の片隅でそんな考えが過ぎるが、それはお湯に手を差し入れると、揺れる水面の鏡像と同じくたちまちのうちに消え去った。

 

「ん……」

 

 泉のお湯を手でかき混ぜて具合を確認すると、バシャバシャと体に水飛沫をかけていく。肌の土汚れや埃が、お湯に洗われて流されていくのは確かに気分がいい。

 

 十分に体を清めると、ヌルスは泉へと体を沈めた。入った分だけ、ザバザバとお湯が泉からあふれ出していく。

 

 右足から湯舟に沈め、肩までたっぷりと浸かる。全身が暖かなお湯に包まれて、知らず安堵しきった声が口から漏れた。

 

「ん……これは、なかなか……」

 

 湯の中で足を組み、泉の縁に背を預けてお湯を堪能するヌルス。ついでに、ごわごわとしていた髪もお湯につけて汚れを解きほぐしていく。

 

 真っ白な肌が上気してほんのり赤く染まり、非人間的な冷たい美貌に暖かみのある艶が差した。

 

 白い湯気が上がる中でお湯と戯れる美女。青少年の何かが大分危ない艶姿であれど、本人に全くその自覚はない。まあ、迷宮の最深部、人目をはばかる必要はないが……。

 

 そのまましばらく、ヌルスは湯汲を堪能したのだった。

 

 

 

「ん……良い湯だった」

 

 存分にお湯を堪能して、ヌルスは泉から身を引き上げた。艶やかな肌は水を弾き、滑るように湯が滴り落ちていく。それでも、流石にこのままでは体を冷やす。

 

 ヌルスは脱ぎ捨てたボロ布から緑色の魔力結晶を掴み上げると、触手翼で突風を呼び寄せた。湯気で温まった空気がドライヤーのように彼女の全身に浴びせかけられて、忽ちのうちに水気を飛ばす。自由な両手で髪を梳いて風に晒すと、汚れの取れた毛髪はサラサラと風に靡いた。

 

「よし」

 

 体を乾かすと、下着をはいてドレスに袖を通す。測ったようにぴったりサイズのドレスは、ヌルスの体によく馴染んだ。最後に再び小さなベルトで髪を束ねて、完成だ。

 

 その場でくるり、と体を回転させて具合を確かめる。ふわり、とドレスの裾が動きに合わせて舞い踊った。流石というか、初めて履くヒールのついた靴も、ヌルスにとっては問題にならないようだ。

 

 満足気に口の端がつり上がる。

 

「いいな」

 

 どうやら気に入ったらしい。満足気な顔でヌルスは水面に映る自分の姿を確認している。

 

 着てみるまで分からなかったが、ドレスといっても、所謂東風のものであるようだ。布地を体の前で重ねて合わせ、幅広い腰布……帯で留める。完全に東のそれであれば、着こなしに知識がいるがあくまでそれ風、というだけであるらしく、知識のないヌルスでもなんとか着こなす事ができた。それでも少し着崩れているが、それが逆に退廃的な、大人びた空気を出しているようにも見える。

 

「美人は何を着ても美人というが、やはりよい服を着ればより美人、という事だな。人間の美的センスはよくわからない所があるが、この服、なかなか良いのではないか? ただ、まあ……」

 

 首を捻るようにして肩を見る。

 

 どうしても帯と合わせて胸元が綺麗に収まらず、肩回りが露出してしまっている。そのせいで背中周りもスカスカだ。項から背骨にかけてのラインが見えてしまっているのは、正直頼りない。

 

 ヌルスもどうにか調整してみようとしたのだが、上手く行かなかった。

 

「うーん。どうしてもしっくりこなかったけど……もしかしてこういう、肩や背中を出すデザインなのか、これ? 背中に触手を広げる際に邪魔にならないのはいいんだが、人間から隠せないぞ。外套が欲しい所だが、流石にそれは贅沢すぎるか。そもそもこんなドレスがここに置いてある事自体が不自然といえばそうだが……まあ、槍とか杖とか、そもそも隠れ家とか研究所とかあるしな。今更か」

 

 不満はそれだけではない。スカートをひっぱるようにして、深く刻まれたスリットに眉を顰める。太ももの近くまで刻まれたスリットは、足を長く見せるとかそういう意味合いがあるそうだが、大腿部や鼠径部を人間の急所(間違ってはいないが)だと思っているヌルスからすると不安材料だった。

 

「むぅ……何故、急所を剥き出しにするような服なんだ? あえて弱点を晒す事で生存本能を高めるとか……? 動きやすいのはいいんだが」

 

 首をひねるが、ヌルスの知識では答えは出せそうに無かった。

 

 ちなみに、アルテイシアがもしこの服を着た自分の姿について意見を求められれば、恐らく顔を真っ赤にして詳細な説明を避けようとするだろう。ついでに、このドレスを用意した者を「スケベ親父」と散々に扱き下ろすに違いない。

 

 まあ、つまり、その。所謂、夜の繁華街で綺麗なお姉さんが着ているようなドレス、という事である。残念ながら、そんな地上の人間の風俗についてヌルスが知識を得る機会はなかった。

 

 早々に考察を打ち切り、踵を返す。

 

 立てかけておいた槍を手にする。切っ先でヒュンと風を切り、ヌルスは8層に広がる水晶の回廊に目を向けた。

 

「さて。気分もさっぱりした所で、軽く運動するとしよう」

 

 休息はここまでだ。

 

 新しい装備がどの程度使えるのか、ヌルス自身がどのぐらいこの階層で戦えるのか、一当てして確かめる。

 

 すぅ、と目を細め、ヌルスは冷徹な魔術師の双眸で回廊へと踏み出した。

 

 

 

 

 

 ちなみに。

 

 ドレスのデザインは用意した者の趣味である。

 

 

 

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