望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~   作:SIS

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※第二部で一番鬱っぽい話になります。そういうのが苦手な方は、百三十三話の更新をまってまとめて読まれるといいと思います。


第百三十二話 救われぬべき罪人達

 

「化け物め!」

 

 ローブの男が剣を抜いて走る。それを見て、床にうずくまっていた二人が跳ねるように飛び起きて、動きを合わせる。

 

 三人息を揃えての、完全な同期攻撃。いかな反射速度と技量をもってしても全ての攻撃を防ぐ事は叶わない、我が身を省みない捨て身の技。

 

 ただ魔術に長けただけの女には防げるはずもないその一撃。それに対し、ヌルスの対応は小さく呪文を唱える事だった。

 

『γ α β』

 

 刃が殺到する瞬間、紡がれる言葉。

 

 それを聞きとどめた暗殺者達はしかし、ためらうことなく刃を振りぬいた。

 

 彼らは、あまりにも浅慮だった。固定観念に捕らわれ、選択を誤った。落ち着いてみていれば、いくつもの違和感があったはずだ。

 

 それは、自信と紙一重の傲慢であったのだろう。

 

 たかが最下級の霧魔術、それが雷でも氷でも風でも、彼らの刃を阻むことはない。多少の手傷は覚悟でも、この得体の知れない存在の首を刈る。

 

 そうして繰り出された刃は、しかし。歪んだ空間にとらわれて、腕もろとも捩じ切られた。

 

「ぎゃあ!?」

 

「がっ!?」

 

 三者三様の悲鳴が上がる。利き腕をねじ切られ、苦悶の声を上げて仰け反った部下二人の首が、次の瞬間黒い旋風によって薙がれた。一瞬置いて、腕と首を失った死体が、血を噴きだしながらその場に崩れ落ちる。

 

 それを成した少女は、返り血で真っ赤に染まりながら、残るリーダーへと視線を向けた。その背中には、蠢く触手が翼のように広げられている。複雑なレリーフのような模様を形作る触手の中に、紫色の魔力結晶がきらりと輝く。

 

 リーダーを見るその黄金の瞳には、およそ人間的な感情と呼べるものが存在しない。ただ、想像を絶する憤怒が、溶けた黄金のように瞳に満たされている。

 

「がっ、ぐっ、き、貴様……まさ、か……!」

 

「死ね」

 

 最後の言葉を言う時間も与えず、ヌルスの背から伸びた触手が男の全身を貫いた。硬質化した先端で串刺しにして、力任せに引き千切る。鮮血と肉片をぶちまけて、破壊されつくした男の亡骸を頭から浴びるヌルス。銀の髪も白い肌も鮮血に染めて、その中で黄金に輝く瞳だけが鮮やかだった。

 

 初めての人殺し。だが、ヌルスの心には特別な感慨のようなものはない。ただ、害虫を駆除したような達成感と、汚らわしいものに触れた不快感があるだけだ。

 

 その視線が、ロションを捉える。

 

「……なんでだ……」

 

 彼は言葉もない。ただ、床に這いつくばって、目の前の美しい怪物に魅入るしかない。その背から伸びるピンク色の触手に、ロションは覚えがあった。

 

 こつ、とヌルスがロションに向かって一歩歩み寄る。

 

「エルリックも。エミーリアも。アルテイシアも、いい奴らだったよな。いい奴らだった。……なのに、なんでだ? なんで、お前が?」

 

「あ……」

 

 こつ、こつと足音を立てて、ヌルスがロションに押し迫る。

 

 先ほど三人の暗殺者を一蹴したとは思えないほど、その歩みは弱弱しく、血で染まった横顔は今にも泣きだしそうに歪んでいた。つぅ、と滴る血筋が、その頬をなぞる。

 

「アルテイシアは……最後まで、お前の事を案じていたのに」

 

「……き、君は……まさか……ヌルス?」

 

「答えろ、ロション! なんでだ!!」

 

 しゅるる、と伸びた触手がロションの首へと巻き付く。そのまま、彼の体を強引に持ち上げて立たせる。

 

 首の骨を折らない絶妙な力加減だが、当事者にとってはたまったものではない。苦痛にロションが潰れたような声を上げた。

 

「が……ぐぐ……っ」

 

「答えろ!! なんで……なんでお前が!! アルテイシアは……アルテイシアは、最後に!! お前を憎むなといったんだぞ!!!」

 

 叫んで、そしてようやくヌルスは理解した。

 

 アルテイシアは知っていたのだ。

 

 自分の命が狙われた事を。それにロションが関わっている事を。

 

 だから、あんな遺言を……。

 

 ぎりり、と歯を食いしばって、ヌルスは叫んだ。

 

「答えろ!!!!」

 

「う、ぐぅ……!」

 

 だが、ロションにその問いに答える余裕はない。

 

 ちっ、と舌打ちを鳴らし、ヌルスはロションを解放した。どさりと地面に落とされたロションが、喘ぐように息をすう。

 

「はあ、はぁ、はあ……っ」

 

「もう一度聞く。答えろ」

 

 人心地ついたその首に、ちゃっ、と紫の刃が付きつけられる。視線だけでロションが見上げると、ヌルスが黒槍を手に彼を見下ろしていた。その顎から、つつ、と返り血が滴った。

 

「…………何も、おきないはずだったんだ」

 

「……」

 

「そうさ……こんな酷い事になんか、なるはずがなかったんだ!! 何もなければ……何も……っ!!」

 

 うつむいて叫ぶロションを、ヌルスは冷めた視線で見下ろした。

 

 何もないはずだった?

 

 だったら、現状はなんだ。

 

 エルリックは、エミーリアは死に。アルテイシアは生きた骸となり、触手の化け物に体を使われているこの現実を、なんと説明する?

 

「言い訳だな。何をどういったって、この現実が全てだ」

 

「……そう、だね。でも、僕は、アルテイシアに幸せになってほしかった。夢を掴んでほしかった。だから、監視という名目で、彼女のパーティーに潜り込んだ。それを、彼女も受け入れてくれた……。彼女は、僕が学院に逆らえないのを、知ってたから……」

 

「だったら」

 

 だったら、なんで。

 

 何故、アルテイシアを殺す陰謀に加担したのか。黒槍を握るヌルスの指に力がこもる。

 

「アルテイシアが、何かを隠してるのはわかった。凄い秘密だって事も。でも、黙っていればそれで済むはずだった。学園はアルテイシアを屈服させるために無理難題を出したけど、逆に言えばそれを達成してしまえば、誰も彼女に文句なんかつけようがなかった。彼女ならそれが出来るって、皆信じてた。そうさ、信じてたんだよ……!」

 

 ぐ、とロションが黒い刃を握りしめた。己の血が流れるにも構わず黒槍を掴み、顔を上げる。その顔は苦渋と怒りと羨望に歪んでいた。

 

「そうさ……ヌルスさん、貴方にさえ出会わなければ! 全部、上手くいってたんだ!!」

 

「……何?」

 

 世迷い事を、と切り捨てようとしたヌルスだが、ロションの眼光の前に動きが止まる。追いつめられて他責に走った者の目ではない。命を捨てた者の瞳だった。

 

「貴方が、歪みの力なんかアルテイシアに教えるから! 学院の爺どもは、彼女を放置できなくなった! 自分達の立場を脅かされると思ったんだ!!」

 

「そ、れは……それはお前が告げ口した事だろう!?」

 

「違う! 僕は秘密なんか口にしていない!! 死んでも、あいつらに言うもんか!!」 

 

 ロションは血を吐くように叫んだ。

 

「視られてたんだよ!! 貴方と、アルテイシアの密会が! 貴方がアルテイシアに歪みの力を伝えたその場を、学院の密偵に! 今さっき、貴方が首を刎ねた男に全部! 視られてたんだよ!!」

 

「な、に? ? え?」

 

 黒槍を引き寄せ、叫ぶロション。一方、ヌルスはその言葉に動揺を隠せない。怒りに金色に染まっていた瞳は赤紫に戻り、戸惑うような表情を浮かべている。

 

「視られ、てた? 私が? 彼女と?」

 

「なあ……なんで。なんで、アルテイシアを助けてくれなかったんだよ。貴方なら、貴方ならきっと助けてくれる、そうおもったのに! ハイドポッドの時や、4層ボスの時みたいに、どんな危機でも貴方なら、アルテイシアを助けてくれると思ったのに! 俺なんかと違って、貴方なら……なのにどうしてそんな事になってるんだよ! なあ!?」

 

「え? あ、それ、は? あ」

 

 ロションが立ち上がって、ヌルスの両肩を掴む。混乱の極みにあったヌルスは、成されるがまま、ただひたすら事実を咀嚼できずに困惑していた。

 

「なあ……何でだよ。裏切り者と違って、正体が魔物でも、貴方はアルテイシアの正義の味方なんだろ? アルテイシア、ずっと言ってたんだ。ヌルスさん、ヌルスさんって、憧れの英雄を語るみたいに……それなのに、なんで……なんでなんだよ……」

 

「あ……」

 

 目の前で同僚三人を惨殺されたのを見ておきながら、涙を流してヌルスに問いかけるロション。その彼の命を捨てた糾弾を前に、ヌルスはただひたすら圧倒されていた。

 

 私の。

 

 私のせい。

 

 アルテイシアが襲われたのは。エルリックとエミーリアが巻き込まれて命を落としたのは。ロションが裏切りを強要されたのも。

 

 全部、私の。

 

 ヌルスの顔から血の気が引いた。

 

「ち……違……わ、わた、私は、そんなつもりじゃ……。た、ただ、アルテイシアが喜ぶから、そう思って……ただ、それだけで……」

 

「……わかるよ。貴方は、そういう人だった。わかってるよ……でも、でも。どうして、何で……どうして、こんな……」

 

 肩を押さえる腕から力が抜ける。膝をついて、項垂れるロションを前に、ヌルスにはもう彼を糾弾しようという気概は完全に消え失せていた。

 

 全部出まかせだ、彼の言っているのは嘘だ、と思おうにも、この場におよんで冷静に俯瞰する魔物の視点がそれを否定する。

 

 今、ここで彼に嘘をいう理由はないし、命惜しさの言葉であれば行動と矛盾する。

 

 それにアルテイシアの言動を思い返してみても、矛盾する点はないどころか、むしろそれまでの考察を補強するものだ。

 

 ロションの口にしている事は恐らく全てただの事実。

 

 つまり。

 

 

 

 ヌルスの存在が、ヌルスの行動が、全ての引き金を引いた。

 

 

 

 それが、全て。 

 

「あ……ああ……?」

 

 よろよろと、後退るヌルス。混乱にではなく、己の成した罪過への恐怖に。口をついて出るのは意味のない呻きか、悔恨じみた言い訳だけだ。

 

「ち、ちが、そんな? そんなはずは。わ、わた、私が……? え?」

 

 そんな彼女を、ロションは膝をついたまま、茫然と見つめている。

 

 その姿が、ヌルスには自分に重なって見えた。

 

 取り返しのつかない罪を、どう償えばいいのか分からない、罪人の姿。

 

「私、は……」

 

 

 

 

 

「ロション!!」

 

 

 

 

 

 迷宮に響く叫喚。ガチャガチャという鎧の鳴る音を立てて近づいてくる足音。

 

 ヌルスがはっと顔を上げると、彼女とロションの間に割って入る人影があった。

 

 迷宮の薄闇に映える、黄金の輝き。

 

 アトラスだ。

 

 遅れて、彼の率いる仲間達がヌルスとロションを遮る壁のように立ち並ぶ。

 

 皆、剣呑な雰囲気。アトラスに至っては剣を正眼に構えて、臨戦態勢でヌルスに向かい合っている。見た事の無いほど鋭い視線に貫かれ、ヌルスは思わず二歩、三歩と背後へと後ずさった。

 

 何故、どうして。どうして自分が、彼にまるで親の仇のような視線を向けられているのか。

 

 ヌルスは困惑した。

 

「ロション、大丈夫!?」

 

「何事ですかこの有様は」

 

 シオン達が膝をつくロションを助け起こす。その様を見て、ヌルスはようやく、今自分がどのような有様かに思い当たった。

 

 周囲には、倒れた人間の死体が三つ。二つは首を刎ねられ、一つは原型が分からないほど引き裂かれている。そして、全身に返り血を浴びた自分の姿。

 

 それが、知り合いの目の前に佇んでいる。

 

 アトラスから見たら、ヌルスがロションを殺そうとしているようにしか見えなかっただろう。

 

 アルテイシアが殺された、その時のように。

 

 その事を理解した時、ヌルスの中でずっと張りつめていたものが、ついに限界を迎えた。

 

「あ」

 

 ぷちん、と何かが千切れる音。

 

 ふら、と足元がふらつく。視界がぼやけて定まらない。槍にしがみつくようにして、辛うじて立つが、もうヌルスは限界だった。

 

「ち、ちが……っ!」

 

 言い訳の言葉も最後まで言えず、ヌルスはくしゃくしゃの顔で踵を返した。銀の髪を振り乱して、その場を一目散に走り去る。

 

 追いかけてくる気配は、無かった。

 

 

 

 

 

「違う、違う、違う……何が違う!! あああ……!!」

 

 誰も通れないはずの転移門に逃げ込んだ先。輝く魔力結晶の回廊の上で、ヌルスは地に這いつくばるようにして悔恨を叫んでいた。

 

 傍らには、今もさらさらと水を湛える泉がある。顔を上げると、その水面に乱れ髪で血に染まった、幽霊のような顔が映る。

 

 明るく優しかったアルテイシアとは、まるで似ても似つかない。顔の形は同じなのに、まるで別人だ。

 

「……は……ははは……」

 

 掠れたように笑い、ヌルスは黒槍を手にした。その柄をくるりと反転させて、刃の切っ先を自分の喉元へと向ける。

 

 異様な切れ味の紫の刃、これで喉を一突きにすれば、多分、中身のヌルスもろともこの体は息絶える。

 

 それで全部終わりだ。塵は塵に、死体は死体に。

 

 すべては、あるべき形にぴたりと収まる。

 

「……全部、間違いだったんだ。すべて……」

 

 生まれた事に意味があるだなんて、勘違いも甚だしい。

 

 全てはヌルスが原因だった。ヌルスの存在が、アルテイシアの、エルリックの、エミーリアの、ロションの人生を滅茶苦茶にしたのだ。

 

 生まれてくるべきではなかった。

 

 そして、これ以上存在するべきではない。

 

 これ以上、アルテイシアの存在を辱める前に、潔く自らに幕を降ろすべきだ。

 

「…………っ!」

 

 喉元に刃を突き付けたまま、時間だけが流れていく。

 

 あと、ほんの少し。ほんの少しだけ、槍を突きこむだけで全ては終わる。何もかもが、永遠に。

 

 なのに……。

 

「……や……だ……。……いやだ……」

 

 カランカラン、と槍が地に落ちた。軽い音を立てて、床に転がる黒槍。

 

 槍を取り落としたまま、ヌルスはとさり、とその場にしゃがみ込んだ。

 

「いやだ……私は……諦められない……っ!!」

 

 自分の命など、もうどうでもいい。

 

 考慮にすら値しない。

 

 だけど、ここでヌルスが命を絶ってしまえば、アルテイシアはどうなる?

 

 可能性は高くない。それでも、1%でも、いやもっと確率が低かったとしても、諦めない限りそれは0ではない。

 

 命を絶てば、その可能性は完全にゼロになってしまう。

 

「嫌だ……それだけは……どれだけ確率が低くても……それだけは諦められない……っ」

 

 血に染まった頬を、涙の雫がつたう。

 

 自分が原因であっても。自分の行いの結果だとしても。何の償いにならないとしても。

 

 アルテイシアを諦める事だけは、どうしてもできない。

 

「ああ……ああああ……ああああああ……!!」

 

 自らの不甲斐なさに、ヌルスは泣いた。

 

 泣いて、泣いて、泣き叫んで。

 

 やがて、疲れ果てて眠りについたのだった。

 

 

 

 

 

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