望まぬ知恵の王 ~冒険者に憧れた蟲がやがて魔城の主と呼ばれるまで~   作:SIS

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第百三十三話 灯

 

 気が付くと、ヌルスは不思議な場所に居た。

 

 周囲は、深い霧に閉ざされて何も見えない。ただその白い靄の向こうに、うっすらと大理石の床や、真っ白なテーブルクロス、その上に並んだご馳走やワイングラスが視えた。

 

「……夢、か?」

 

 あまりにも非現実的な光景を前に、そんな言葉が思わず口を突いて出る。

 

 そして、そんな夢を見る自分の精神構造に失笑する。

 

 死にたい、死ねない、そんな事を考えていたはずなのに、食べた事もない人間の御馳走の夢を見るなんて、成程、化け物らしいロクでもなさだと、彼女は自嘲した。

 

 それにしてもここはどこだろう。一体何の会場なのか。

 

 なんとはなしに、彼女は机の間を歩いて渡る。

 

 見れば、テーブルには何人もの男女が立ち、食事をしながら互いに話をしているようだ。各々の顔は霧に閉ざされて見えないが、何やら満足そうに、それでどこか少しだけ寂しそうに語り合っている。

 

 夢だから、特に意味はないのかもしれないが……。

 

「……」

 

 何だか疎外感を感じて、ヌルスは脚を止めた。

 

 ここに、自分の居場所は無い気がする。

 

 いや……そもそも、この世界のどこにも、自分という異物を受け入れてくれる場所などないのだ。それを踏まえても、自分の夢の中ですら居心地が悪いというのは、成程。ある意味では納得しかない、と彼女は哂う。

 

 そんな時だ。

 

「……アンタ、席につかないのか?」

 

「?」

 

 不意に声をかけられて、ヌルスは顔を上げた。

 

 周囲を見渡すと、テーブルの一つで手を振る人影がある。他のテーブルには3~4人がついて語り合っているのに、そのテーブルだけは一人きりだった。なるほど、ここが私の席なのか、とヌルスは深く考えずにそちらに近づいた。

 

「失礼する。……ここは、どういう場所なんだ?」

 

「なんだ、そんな事も知らずにうろついてたのか」

 

「ああ」

 

 素直にうなずくヌルスに、相手は呆れたように肩を落とす。

 

 テーブルに目を向けると、恐らく贅をつくしたのであろうご馳走が並んでいる。だが、その一つとして、口にする気分にはなれない。

 

 魔物であるヌルスには、人間の食事は縁がない。食べたらおいしいのかもしれないが、今は食欲がなかった。

 

 対して、相手はワイングラスを一つ手に取り、それで口を湿らせた。顔は見えないが、服装からして男だろうか、とヌルスはぼんやりと考えた。

 

「ここは、冥界の入口だよ。現世で、とりあえずやる事はやった奴らが、ここで互いに自分の人生を語り合っているのさ」

 

「……冥界? 死者の国、という事か?」

 

 また妙な設定の夢だな、とヌルスは首を傾げた。

 

 魂の無い魔物に、死後の国など縁はない。勿論、行けるはずもない。それともだからこそ、無意識にそういった概念に憧れでも抱いていたのだろうか。

 

「ちょっと違うな、それそのものじゃない。そうだな……死者の国へと向かう途上といった所かな。ここで、未練や心残りを晴らした魂から、本当の冥界へと旅立つのさ。ほら、あれを見てみな」

 

 促されるままに、指さす方へと目を向ける。

 

 隣のテーブルで、四人の男女が語らっている。そのうちの一人が、手にしていたワイングラスをテーブルに置いた。その人物はそのまま踵を返し、テーブルに背を向けて去っていく。その姿はやがて霧の中に消えていき、それを他の三人は称えるようにグラスを掲げて見送った。

 

「ここにたどり着くのは、それなりに現実で頑張った奴らだ。あくまでそれなりだから、そいつらの頑張りとか活躍とか、現実に残った者を語る奴は少ない。だから、同じような立場の者同士、ああやって生前の話を分かち合って、それで心に残るものが無くなった奴から、冥界に旅立つのさ」

 

「……だったら、ずっとここに居ればいいのではないか? 旅立つというのは、完全に死ぬ、という事だろう? 人は、死が……消滅が恐ろしいのではなかったか?」

 

 ヌルスが正直な感想を尋ねると、霧の向こうで相手は微かに笑ったようだった。

 

「俺達はもう終わった命だ。先に進む事はない。できるのは、精々過去を思い返す事だけだ。それはとても悲しい事なんだよ」

 

「……わからない。私には」

 

 ヌルスは被りを振った。サラサラと銀の髪が動きに合わせて靡く。

 

「ここは頑張った奴が来る所、といったな。じゃあ、私がここに来るのは何かの手違いだ。私は、そんな人に誇れるような事なんて、何もない……。私の存在は、無意味で、無価値どころか、害悪でしかなかった……」

 

「そんな事はないと思うけどなあ」

 

「……何も知らない貴方に何が分かる」

 

 分かったような相手の口調にカチン、ときてつい言い返してしまうヌルス。そんな彼女の態度に相手は機嫌を損ねることなく、かすかに見える口元に笑みを浮かべて問い返してきた。

 

「分からないさ。あんたからは何もまだ、聞いていないだからな。ここの流儀はわかっただろう? 今度はそっちが話す番だと思わないかい」

 

「そうだな。じゃあ、私の記録を語ろう。聞けば、そちらの考えも変わるだろう」

 

 そうして、ヌルスは己の人生を語り始めた。

 

 迷宮の中で自我を得て、人に憧れた事。あのように逞しく、賢く、強くいきたいと願った事。

 

 それから色々あって、アルテイシアと出会い、アトラスと知り合い、良いも悪くも様々な出会いに恵まれた事。

 

 迷宮のフロアガーディアン達の事。特殊個体の魔物と戦った事。

 

 そして。

 

 己の過ちによって、大事な人を失い、辱めた事を。

 

「……と、いう訳だ」

 

 語り終えても、ヌルスの心に残るのは、昏く積もる後悔ばかりだ。話したところで、すっきりする事はない。誰かに知っておいて欲しいとは、思えなかった。

 

 ああ、やはり、自分はこの場に相応しくない。

 

 事実、目の前の相手も、悩むように口元に手を当てて考え込んでいるではないか。どのような罵倒が飛び出してくるかを待ち受けて、ヌルスは自嘲気味にうっすらと微笑んだ。

 

「……いや。それあんた何も悪くないじゃん??」

 

 が。

 

 相手から返ってきたのは、全く持ってヌルスが予想していない言葉だった。

 

「は……、あ……?」

 

「いやだって理由あっても人助けしまくってたのは事実だし、歪みの魔術だって教えられた相手超喜んでたじゃん。道徳的に見ても何も問題はないだろう? 悪いのは、それを理由にして魔物差し向けてきた奴らじゃないか」

 

「それは……っ。だ、だが、私の迂闊な行動のせいで、彼らは、アルテイシアは不幸になった……。例えその理由が善意によるものでも、それは言い訳にはならない、結果が悪ならばそれは悪だろう!?」

 

 ほとんど反射的にヌルスは言い返した。

 

「私が居なければ、私さえいなければ、彼女たちは……」

 

「んー。そうかな。聞いた話、随分と脇の甘いパーティーだったみたいだし、あんたの助けがなきゃ5層あたりで早晩瓦解していたんじゃない? そもそも出会いからして、丸呑み危機一髪だったみたいだし。あんたが居なかったらそこでそもそもジ・エンドだろ?」

 

「彼らの事を馬鹿にするのか……!」

 

 怒鳴るヌルスの目がうっすらと金色を帯びる。自分自身でも理由がわからないままに感情を荒げるヌルスに、霧の向こうの誰かはふっと笑う。

 

 ひどく優しい笑みだった。

 

 頭に血が上っていたヌルスも、その笑みに不意に毒を抜かれる。

 

「随分と、彼らの事を大事に思ってたんだな。だから、自分のせいだと思い込もうとしてるんだな、あんたは」

 

「……そんな、事は」

 

「あるんだよ。あんたにとって、優しくていい奴で、きっと正しかった連中が、何の咎も罪もないのに命を落とした。その現実の無慈悲さが許せなくて、どこかにきっと罪があったと思いたいんだ。だけど、彼らにそれを求める事はできなくて、だからあんたは自分を責めた。自分が悪い、自分に全部罪があると思えば、死者達を責めなくて済む。綺麗な思い出を、穢さなくてすむ。……優しいんだよ、あんたは」

 

 違う。

 

 ヌルスはとっさにそう言い返そうとして、出来なくて口をつむんだ。

 

 何かを言おうとして、言えなくて。

 

 結局口にできたのは、表面的な否定だけだ。

 

「……私は優しくなんかない。私が冒険者を助けたのは、あくまで自分の為だ。根本的に、自分の為でしかない。だから、敵対した人間を殺す事に、何のためらいも無かった」

 

「でもあんたは魔物だろう?」

 

「私は罪人だよ。救おうと思った相手を救えず。助けたかった相手を、自らの行いで破滅に導いた。誰になんといわれても、それは事実だ。私は、私の背負った罪を、清算しなくてはならない……」

 

 あくまで頑ななヌルスに、霧の向こうの相手はため息をついたようだった。

 

 ヌルスだって、心の底ではもうわかっている。ああまで言われて、理解できない訳ではない。

 

 アルテイシア達の破滅は、どうしようもないものだ。この世界には理不尽な悪意があって、どんな善人でも報われずに命を落とすし、どんな悪人でも報いを受ける事なくのうのうと生きている事だってある。人の倫理と、世界の理論は違うものなのだ。

 

 そこに個人の、ましてや人間ですらないヌルスの挟まる余地はない。

 

 でも。それを認めてしまったら。ヌルスが背負う事をやめてしまったら、彼ら彼女らの生が、あまりにも虚しいではないか……。

 

「一つ。あんたは勘違いしてるよ、ヌルス」

 

「……何?」

 

 突然名前を呼ばれてヌルスは首を傾げた。長く話し込んではいるが、果たしてこの相手に名前を名乗っただろうか。

 

「罪を清算するといったけど。それは無理だ。罪は罪でしかない。一人の命を失ったからと、十人の命を助けた所で、失われたそれが帳消しになる事はない」

 

「…………。…………そう、だな」

 

 痛い所をいちいちついてくる相手だ、とヌルスはほろ苦く笑った。

 

 そうとも。

 

 ああ、そうとも。認めなければならない。

 

 アルテイシアは……失われた。取り戻せる可能性はある。全てが失われた訳でもない。でもきっと、元通りに全てを取り戻す事だけは、きっとできない。

 

「わかっているよ。私のやってる事は、不毛で無意味な、自己満足でしかない。私が、そうしたいから、そうしてるだけで……」

 

「そうじゃないっての。早合点するなって」

 

 言葉の途中に割り込まれて、ヌルスはきょとん、と目を丸くした。

 

「一人を失った事実は消えないけどさ。……十人を救った事実から、目を背けるな、って言ってるんだよ、俺は」

 

「……それは」

 

「罪人だろうとなかろうと、救われた十人にとっちゃあんたは恩人なんだよ。死んだ一人と十人は等価じゃない、どっちも別の話なんだ。十人には十人の未来が広がっていって、それを救ったという事実は決して消えやしない。世界の理は、プラスマイナスで相殺してゼロになったりしない。ただひたすら、積み上がっていくものなんだ」

 

 思いもしない事を言われて、ヌルスは困惑した。

 

 それも無理はない。ヌルスは魔物だ。魔物にとって、失敗とは死であり、死とは消失だ。生物ではなく社会も持たない魔物にとって、消失とは無だ。

 

 だが、人間は違う。人間は社会を、物語を持つ。死して消えてもつながれていくモノがあり、失敗がすなわち終わりではない。

 

 世界の一部であるというのは、そういう事なのだ。

 

 そしてヌルスは、誰かを救う事で、とっくに世界と繋がっていた。それが魔物であっても、迷宮の中の仮初の命であっても、関係はない。

 

「あんたが間違った、失敗した、と思っていても、きっとその傍らで救われた奴がいるんだ。世界は、人の繋がりは、そんな一方向じゃない。あんたは思うように行かなかっただけで、きっと、その成した事に意味はある。生まれた事に、価値はあるんだ。それを否定するなよ」

 

「わからない……分からないよ。君の言っている事が分からない! 大切な相手を踏みにじって、それでも続く生に意味があるだなんて、私には思えない!」

 

 吐き出すように叫んで、ヌルスは己の細い体を抱きしめた。

 

 醜悪なのたうつ触手ではなく、彼女の借り物である華奢な人間の体を。

 

「それは、今決める事でもないし、決められる事じゃない。死んだ俺だから言える事だけどさ」

 

「じゃあ……それは、いつ決まる事なんだ」

 

「全部終わった時さ」

 

 霧の向こうの誰かが、パーティー会場へと振り返った。ヌルスもつられて、霧の向こうで談笑する彼らを見る。

 

 それなりに頑張った者が来るという冥界の入口。それはつまり、彼ら彼女らは多くを望むようには成せなかったのだろう。切望の中で命を落とした者もいるのだろう。だけどそれにしては、皆に流れる空気は、ただ穏やかだった。

 

「どこかを目指して、何かになろうとして。それが果たせなかったら、人生に意味はないのか? そうじゃないよ。今だから言える、どこかに辿り着くんじゃない、自分が終わりを迎えた時、立っていた場所が最果てなんだ。前に進むだけが道じゃない、右でも左でも、なんなら後ろに下がっていても、歩き続けた先が、ゴールになるんだよ。きっとな」

 

「…………君は、それで満足しているのか?」

 

「満足とはちょっと違うけど。それなりに、納得はしたかな。生きてる間は、とてもそうは思えなかったけど」

 

 なんだ、とヌルスは落胆に肩を落とした。

 

 偉そうな事をいうなら、最後まで断言してほしいものだ。そんなあやふやな言葉は、ちょっと指針にはできない。

 

 でも、まあ。

 

 少しは、気が楽になったかも知れない。

 

「そうか。じゃあ、私は……結局、頑張る事にするよ。脚を止めた時に、満足できるように。頑なで悪いな」

 

「いや……いいさ。結局、俺とあんたは、違うモノだ。俺の結論が、アンタの結論と同じはずもない。それでも、ちょっとぐらいは助けになれたら、それで幸いだ」

 

 霧の向こうの誰かが笑う。

 

 その顔を隠す霧が、急激に濃くなっていく。パーティー会場も、どんどん白く霞んで消えていく。

 

 ただ、その中でヌルスだけが、霧に閉ざされていなかった。

 

「これは……」

 

「ああ、もう限界か。気合で踏みとどまってたけど、言いたい事言ったら気が抜けちまった。まあ、いいか。借りは返しきれたとは思えないけど……いつまでも、アイツを待たせているのは悪いしな」

 

「え……」

 

 霧の向こうの誰かの気配が遠ざかっていく。ヌルスは思わず手を伸ばすが、届かない。

 

 何か、何かとても大切な事を見落としている気がして、焦燥に駆られヌルスは走った。遠ざかる霧の向こうへ追いすがろうとするが、一向に追いつけない。そもそも、どれだけ走っても、ヌルスの躰は一歩も前に進まず、霧の向こうの誰かはどんどん離れていく。

 

 霧の向こうに、微かに彼の後ろ姿が視えた気がした。

 

 棚引く学院のローブ、黒い頭髪。

 

 彼が歩いている先に、誰か一人、同じようなローブ姿の少女が待っている。

 

「まて……まってくれ……」

 

『じゃあ、これで今度こそお別れだ。罪とか罰とか償いとかさ、そんな事ばっかり気にしないで、思うように頑張ればいいと思うよ。俺達は、それを望んでる』

 

『ロションの事、殺さないでくれてありがとうね。アルテイシアの事も、よろしくお願い。あの子、寂しがり屋だから』

 

 霧の向こうに、二人が遠く消えていく。

 

 どれだけ走っても、手を伸ばしてもたどり着けない。

 

「まってくれ……私を、置いていかないでくれ!! まって……まって!!」

 

『違うよ。あんたが、俺達を置いていくのさ』

 

『じゃあね、バイバイ!』

 

 

 

 

 

「まって! 私を一人にしないで……エルリック!! エミーリア!!」

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、伸ばした自分の右手が見えた。

 

 右手には結晶の壁、左側には虚空の闇。伸ばした手の先には、何もない。

 

 傍らからは、ちょろちょろと水の流れる音がする。

 

 ややあってから、ヌルスはようやく、自分が8層の床に寝転がっている事を理解した。

 

「……夢、か」

 

 身を起こし、周囲を見渡す。

 

 傍らには黒い槍が転がっている。どうやら、あのあと泣きつかれて眠ってしまったらしい。ぐしぐしと顔を擦って、彼女はじっと自分の右の掌を見渡した。

 

 当然、何の感触も残っていない。それはそうだ、夢の中でも届かなかったのだから。

 

「はは……。なんて、夢を見ているんだ……」

 

 乾いた笑いが零れる。

 

 よりにもよって、死んでいった友人達にあんな事を言わせるなんて、女々しいにも程がある。自らに救われる価値などないと断じる彼女は、そう解釈した。

 

 だが、それでも。

 

 少しだけ、考えがまとまった気はする。

 

「……歩き続けた先が、ゴールになる、か」

 

 泉の水で顔をすすぎ、黒い槍を手にして立ち上がる。8層の遥か下層を見下ろすその瞳には、少しだけ、活力が戻って来ていた。

 

「全く以てその通りだ。ここで悲嘆に暮れていても、何も変わらない、何も救えない。そもそも罪が償える、償えない、なんていう発想が間違っている。私は、自己救済の為にアルテイシアを助けようとしているんじゃない。成すべき事を、成す。それでいい」

 

 そしてその果てに、彼女に沙汰を下してもらえばいい。

 

 その時まで、ヌルスの命はヌルスのものではない。勝手に死ぬなどという贅沢、許されるはずもない。

 

「必ず。必ず、私は彼女を救って見せる」

 

 決まり切った決意を言葉に乗せて、ヌルスは再び闇の底を目指し、歩みだした。

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